1章『それぞれの想い。』
「……悪かった、服」
透がそうしおらしく謝った。
思いっきり涙やら何やらがTシャツに染み込んでしまい、色が濃くなってしまった。
体育も無かったもんで着替えはなかったから、いつもは全開にしている学ランを第3ボタンまで閉めて誤魔化した。胸らへんがひんやりしているけどまぁ耐えられないほどではない。
あの後、やっと泣き止んだようすの透に水を買ってやって目を冷やさせて、落ち着いたのを見て駅まで歩いて今電車を待つために駅のホームのベンチに座っていたところでようやく透が口を開いたところだ。
「気にすんな。それよりすっきりしたか?」
冷やしたと言ってもまだその目は少し赤い透が俺の言葉にうなずいた。無表情さは常のことだが、どこかすっきりしたように見えた。
「……正直、泣きすぎて頭痛い」
「まぁそうだよなぁ……」
あんだけ泣いたんだから頭痛が起こるのも無理はない。
よっぽどため込んでいたんだろうな、ああして泣いているの見たのは俺も2回しか見たことがない、今日で3回目だ。
「……あー…」
呻きながらベンチに寄りかかって腕で目を抑えてその顔は見えなくなってしまった。
まぁ俺が気にしていなくても透からするといろいろ思うことがあるんだろう、そっとすることにした。
見た目こそどこか儚ささえも感じさせる浮世離れしている容姿のせいか、普通の男子高生ならよくすることを透がすると違和感があるんだろうか、周りが透に見惚れているような視線から驚いたように見ている視線が多数。
俺がチラッとそちらを見ると慌てて視線を逸らした、あー鬱陶しい。透のことも俺のことも、見た目で判断してくる奴らばかりで、本当に嫌になる。だから透も俺も周りの人間に嫌気が指していた。特に大人……桐渓みたいなのは特に嫌いだ。こっちの話聞こうともしねえし……あ、いや俺も話すの放棄していたんだけどな。どうせ俺の話なんて聞かないだろう、てな。
でも、そんな大人たちがいたおかげで俺と透が仲良くなれた訳で……世界って単純なような複雑なような、変なものだよなぁ……。
透の方を見てみても顔を隠されているのでその表情は読めないが、吹っ切れた余韻なのかたまに意味のない低い呻き声が聞こえてくる。
記憶喪失、か。その理由は自分の父さんと母さんを自分を庇ったせいで亡くなってしまったことを直に見たことのショック、と言っていたな。
透自身記憶喪失で周りにそう言われただけみたいだから、物的証拠はないんだろう。
あるのは状況証拠のみ。となると、引っ越す前の透のことを思い出してみても、やっぱり信号無視をして轢かれそうになったところを両親が、と言うのは違和感しかない。
当時、透は口より行動に出てその涼やかだがあどけなさのある綺麗な顔と華奢な身体とは裏腹に言いたいことはずけずけ言って我慢をすることもせず、俺のことを庇う際には殴り込みに行くなどとなかなかに乱暴なところもあった。
かと言って人を理不尽に傷付けることやルールを違反することが良しとするという訳ではなく、理不尽と感じない規則ややらねばならないことへの責任は重んじる傾向がある。
門限は守っていたし大人がいけないと言ったことには基本従っていた。
信号だって門限があっても早く帰りたい早く遊びたいと急いでいるときだってどれだけ楽しみにしていることがあってもちゃんと青になるまでこっちが焦れてしまうほどしっかりと守って待っていた。車がいないなら渡っていいのに、と言っても首を縦に振られたことはない。
だから、あの透が信号無視なんて、と思ったのだ。
ちゃんと透のことを知っているのならそれは有り得ないと言い切れなくても、その誰かの憶測を本当なのか?と疑問を思えるはずなのに。
周りに人間の誰もが、透自身のことを見てなかったんだな。記憶のある透のことも、今の記憶のない透のことも。『子ども』だからこうしたのだろうとそう押し付けられたんだ。
本当の意味で透を見ていたのって、透の両親だけだったんだろうな。
……俺の目を見ながら涙が出ていることにも気が付いていないかのように、普通の声音で自分の罪を話していたときには、本当はすぐにでも『泣くなよ』と言って涙を拭いたかった。
それを見ていたら胸が苦しくて仕方が無かった。
それでも俺に聞いてほしいんだと涙があふれながらも真剣な顔で話していたから。何も言わず話を聞こうとそう思った。
俺は透にどんな理由があっても、どんな罪があって、そのせいで世界中が透の敵になっても俺は透の味方で隣にいる、そんな覚悟はすでに俺には出来ていたけれど、でも何も聞かないで味方だと言うのはただ単に透を甘やかしているだけなのだと、透の目を見ていたらそう思ったから話を聞かなければならないと思った。
透が前に向くために必要なことだと受け入れた。
……そう言えばさっき、結構えらそうなことを言ったな、思い出さなくても良いとか泣いてもいいとか……何様なんだよ、と今なら恥ずかしいし頭を抱えたくもなる。
だけど、まぁ……それで透にとって少しでも救いになって吹っ切れたのなら、まぁいっか、とも思ってる。
いつか、俺は『思い出さなくても良い』と衝動的に言ってしまったことを後悔するんだろうな。
衝動的……となると何も考えずに発言したになってしまうが、少し違う。ちゃんと心の底からそう思った心からの言葉だ。少なくともあのときあの瞬間、そして今もそう思っている。
けれど心は移ろいゆくものでもあるのだと、身を以って知ってる。昔のときは後ろ向きから前向きへと変わったが、今回はきっと、やっぱり俺のことを思い出してほしい、と苦しむことになるのかもしれない。
そのとき俺はどうなるのか、正直皆目見当がつかない。
透のことを傷つけてしまうことになる結果にならないことを今の俺は願うだけだ。
心がある限り移ろいゆくのは普通のことだ、それは前向きであれ後ろ向きであれ、特に今高校生と言う大人でも子どもでもない中途半端なこの年頃ならば尚更に。そう言われたことがあったのを思い出した。そのとおりだと思う
勿論俺だけが変わるわけではない。
それは、透だってそうだ。特に今ちゃんと生きようと決めた透も、これから心に抗ったり受け入れたり迷走したり投げ出したり、これからきっといろいろ起こるんだろう。
そのとき、俺が『思い出してほしい』の言葉にどう思うんだろうか。
最悪俺と透が傷つき合っても、それでもとなりにいれたらいい。
そんなことを思いながら透の方を見ると、目が合った。
「……なに」
「いや、お前こそ」
目が合ったことに少し驚いたように目を見開かれて、すぐに元の表情で何故か少しふてぶてしくそう言うものだからつい笑ってしまった。
透はやっと腕を下ろして、こちらを見ている。その眼は赤さが引いていていつも通りの灰色の眼。
しばらくじとっと俺を見ていたけど、透のじと目になって少し不細工になっている顔がおもしろくて笑い続けていると、
「……はは」
俺につられたのか、透も笑った。
教室で見たような泣き出しそうな笑顔じゃない、普通の男子高生が良く見せるような歯を見せて少し雑な笑顔だった。
やっと普通に笑った透がうれしかった。なにかに潰されそうで儚く消えてしまいそうな……死んでしまいたいと思っていた透じゃなくなったことが、普通に笑えることがうれしくて仕方が無かった。
今度こそ、記憶はなくても、自分は自分としてちゃんと生きたいと思える透がいる。透はきっとこれから大変なんだろうが、今は嬉しい、それだけで充分だ。
細かい事なんて、そんときになって考えりゃ良い。
辛いことや悲しいことばかり考えていたら何も出来やしないんだ。一歩進んでいるのか、それとも一歩後退しているかなんて俺らにはわからない。もしかすると動いてすらいないのかもしれない。
だけど、今はそれでいいことにしよう。どうせ分からないなら、好きなところに行けばいい。間違えたら戻ればいい、戻れなくても一緒にいればいい。そんだけ。
今が良ければ、良い。今はそれでいい。透は難しく考えるだろう、なら俺は単純に行く。きっとそのぐらいがちょうどいい。
透が幸せであれば俺はうれしいんだから。