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1章『それぞれの想い。』


「あー心配だから連絡したいけど、伊藤くんも一ノ瀬くんも携帯番号どころかアドレスも知らないよー!」

 時刻は放課後。
もうクラスの奴らは帰ったり部活に行ったりしているので俺ら以外には誰も教室にはいない。
 俺も希望も普段ならすぐに帰ったりバイトに行ったり遊びに行ったりするので、こうして残るのは今日レアなケースだ。
いつもなら人の眼も気にせずにさっさと帰ってしまう鷲尾も、やはり一ノ瀬たちが気になっているようでこっちを見ていたけれど、結局時計を見て何か予定があるようで諦めたように、いつもよりも少しだけ足取り重く教室を出ていった。
誰もいない教室に情けなく「昼休みに聞いておけばよかったー!伊藤くんにも聞くチャンスだったのに!」希望の嘆きが響く。
 机に突っ伏しながら後悔している希望をなだめるように頭を軽く叩いた。
昼休み、一ノ瀬がトイレに行ったきり戻ってこない、理科室の場所もわからないだろうから待っていると言う伊藤に何も言えなくなって、理科室に行って五十嵐先生に事情を説明していくら経っても戻ってこなかったら伊藤のところ行くからな、といつも通り元気な笑顔で言ってくれてホッとしたのは束の間。
一ノ瀬が具合悪くなったみたいでなかなか教室に戻ってこれなかったみたいだ、伊藤が送っていくことにしたから2人とも今日は早退になったぞ、と言われたのだ。
具合悪かった、と言うにはあまり五十嵐先生は焦っている様子はなくて、それに生徒が生徒を送っていくのも変な話なのだ。
 だが、いつもの笑顔のはずなのに有無を言わせない雰囲気の五十嵐先生になにも聞くことは出来ず、こうやって不完全燃焼な希望は悶々としている訳である。

「……伊藤くん、絶対一ノ瀬くんと一朝一夕の付き合いではなさそうだよね」
「そうだな、あんだけ伊藤が笑うなんて初めて見たな」

 突っ伏したまま俺のほうを見て伊藤と一ノ瀬のことを言う希望に頷いて肯定した。
希望がどれだけ話しかけても、牛島に絡まれても……果てに事件の当事者になって停学をくらって明けたあと登校したときに伊藤に視線が集中したときも、いつもつまらなさそうにしていた伊藤が、あんなふうに親し気に笑いかけるなんてよっぽど一ノ瀬と深い仲であることが分かった。

「でもさ、伊藤くんは一ノ瀬くんのことを名前で呼んで親し気にしてたけど、一ノ瀬くんは伊藤くんのことを名字で呼んでるし、確かに俺らよりも伊藤くんに対しては遠慮はそこまでしてないけど距離があると言うか、伊藤くんの一ノ瀬くんへの接し方と一ノ瀬くんの伊藤くんへの接し方は温度差があるように見えるんだよね……。
まぁ、それが二人なりの親友の在り方、て言われちゃうと何にも言えないけどさ」

 なんか少し違和感あるんだよね、と続けた希望に『なるほど』と思った。
確かにそう言われてみれば違和感がある、入学して同じクラスであった時間が長い伊藤のことにばかり集中していて伊藤もあんなに仲が良いやついるんだな、としか思わなかった。
 2人がいくつぐらいからの仲なのかは分からないが、小学校4年生のときに会った俺らでさえ下の名前で呼び合っているのだ。1人だけ親し気に名前で呼ぶのも少しおかしいな気もする。
が、これも希望の言った通りそれが2人の在り方と言う場合もあるのだ。少し腑に落ちないが、あまり突っ込むところではないと言うのは分かる。
正直伊藤と一ノ瀬のことも気になる、気になるが、

「お人好しなのはお前の良いところで俺も救われてるけどな、自分のことだって大事にしないといけないぞ」
「……はは、分かっちゃったかーさすがせいいちろう」

 顔を上げて口角だけ上げて力なく笑う希望。その顔色は少し悪くて、少しだけ震えている。
同級生の見たくない部分に囲まれて来て、人間不信になって今も傷を抱えたままなくせに他人のことばかり気にする希望のお人好しさには、少し悲しくなった。
裏切られて悲しくて、いじめ紛いなことをされて苦しんで、それでも性根が優しくて真っ直ぐだから人を気にせずにはいられない。
だから、クラスで浮き気味で一人で良くいる伊藤や鷲尾に話しかけずにいられない希望は、すごいやつだ、と思う。

 ……俺にも、希望の優しさと勇気が少しでもあれば、あの子に昔みたいに話しかけられたのだろうか。

 あのままにしてはいけないのは、分かっているんだ。
分かっていても、あの子はあのころと何もかもが違っていて、自分を憎んでいるであろうあの子に話しかける勇気はなくて……希望を逃げ道にしている自分に気が付きたくないんだ。

「……俺はお前の味方、だからな」
「……誠一郎にそう言ってもらえるのは嬉しいし、確かに安定するけど、さ」

 あの子のことは良いの?と希望は言わなかったけれど、でもその目はそう語っていた。
 その目が苦手で何も言わず、目も合わせずにいた。後ろめたさは確かにある。自分の未熟さが浮き彫りになったようで、それが恥であることも分かっていたから。

「……まぁ、未だに過去に捕らわれちゃってる俺が言えることではないけどね」
「……」

 苦笑いを浮かべながらそう言う希望。
違う、それでも俺と違って希望はちゃんと前へ進もうとしているじゃないか。そう言いたかった。
でもそう言えば「俺も誠一郎を逃げ道にしてるよ、お互い様だよ」と言われてしまうんだろう。
 そして、俺がそれを言う資格はない。

 未だにあの子との約束を破ったことすらも謝れていないどころか、今のあの子の受け入れられていない俺が希望のことをとやかく言えないのだ。

「さてと、帰ろうか!
五十嵐先生明日は一ノ瀬くんたちは絶対に元気に来る、とか言っていたけど本当かな……」
「……どうだろうな」
「本当なら明日こそアドレス交換しようっと!」

 宥めていたはずなのに、いつの間にか逆転して気を遣われてしまった。前を行く希望に相槌を打ちながらついていく。
小学生のとき同じぐらいだった身長は、希望が地元に帰ってきたときにはいつの間にか俺が追い越していた。大きく見えていた背中は俺よりも幾分も狭い。
でも器の大きさだとか人として出来ているのはやっぱり希望のほうだ。
裏切られても辛く当たられても、凹んでも、俺に寄りかかりながらも全部俺任せにはしないで出来る限り自身の意志で生きている希望。
そんな希望を俺は超えられない。

 俺もこのぐらい強かったら、恐怖も隠してお前のところに飛んで行って話しかけることも謝ることも出来たんだろうか。

 なぁ、信人。
 俺は俺を憎んでいる信人とどうしても会うことが出来ない俺を、許してほしい。

 そんな身勝手なことを考えていたのを信人は知っていたんだろうか、知ってしまったんだろうか。
俺は今のお前のことを分からないけれど、お前は俺のことを良く知っているんだな……。

 自分に罰が与えられるより、周りにいる人間が傷つくことになる方が、俺にとって効果的なんだってことを。
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