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1章『それぞれの想い。』


「伊藤と一ノ瀬を帰した、やと?」
「はい!具合が悪かったみたいなんで!」

 透からあんなことがあって責められるのが当然なのに反抗されるわいつの間にかいないわ、梶井に絡まれて肝が冷えるわで不快な気分になったんで、授業を終えたチャイムが聞こえたと同時に五十嵐に梶井のことを言っておこうと思い職員室に戻った。
 五十嵐が戻ってくるのを待って、しばらくしてようやく戻ってきたと思ったら、あの不愉快な笑顔と大声で
「あっ桐渓さん!伊藤と一ノ瀬は帰しました!」
 そう言われて一瞬固まって聞き返したところや。

 こいつ、本当に自分勝手やなぁ……ここまで来ると怒り通り越して呆れるわぁ……。

「はぁ……五十嵐先生、保険医は俺なんやけど?と言うか、言うたよな?透は教室に戻る前に俺と普通に話してたんやで?
なにか?俺は透のことを見ていなかったって言いたいんか?」
「ははは!まさか!保険医としての桐渓さんの腕は信頼してますよ?ただあまりに一ノ瀬顔面蒼白だったもんで、転校してきた初日ですし多めに見てあげようと思いまして!
きっと桐渓さんの前では一ノ瀬が我慢してたのかもしれませんね!」

 阿呆みたいに大口開けてそう話す五十嵐に苛立ちを覚える。
 ちょっと嫌味を言ったところでこいつは少しも反省する気配も何もない。つか、本当に具合悪そうなら俺に言うやろ。なにしとるん、こいつ。
 一ノ瀬と話すとこいつに言ったとき訝しんでいたし、事後報告にしたのは絶対わざとやろ。

「……本当に透が具合悪かったとして、伊藤まで帰す理由はあらへんよな?その辺はどう言い訳するんや?五十嵐先生が送ってもよかったやろ?」
「ああ!一ノ瀬も知らない先生よりも仲のいい伊藤といっしょのほうがいいかな、と思ったんですよ!それだけです!」
「それだけ、で帰したんか……せっかく学校を欠席がちだった伊藤が、ようやく来たのに帰した、と?」
「そうなりますね!」
「……ハァ……」

 呆れてもはや溜息しか出なかった。
こいつは何を考えとるんや?決まっていることを何も守っておらへんやん。
こんなのが理科の担当とか終わっとるなぁ、頭まで筋肉で出来ていそうなやつが理数系やもんねぇ……世も末やわ……。
俺らの会話を聞いていた周りも五十嵐のことを非難するように見ている。
んー…まぁ伊藤がいても何もならへんし、透と問題児が2人一緒になるのはまぁ悪いことではないんかもね。
そこまで考えてふと先ほどの透を思い出すと苛立ちも同時に沸き起こる。

 何やねん、本当のことを言っただけやろ。

 今まで従順に俺の言うことを聞いていたのになんで伊藤ごときのことを事実を言っただけであんな怒ったのか……訳分からんな。
透も梶井も目の前のこいつも俺の意にそぐわぬことばかりやなぁ。
さっきのことを思い出して来たらむかついてきた。そう透が言うなら、伊藤がいなくなったらどうなるんやろ?
周りの先生方も俺らの方を見ている。今俺が少し大きな声で話せば響くなぁ……眉を寄せて悲し気な顔を張り付けてこう言ったらどうなるやろうねぇ?

「暴行事件の当事者の伊藤を、透と2人きりさせるってどんな神経でそんなことできるねん……」

 しおらしく俯いてそう言えば、とざわつく周囲。
 俺は笑みを隠すのに必死だった。
『あの伊藤と2人きりさせるなんて』とか『五十嵐先生なんてことを』とか聞こえてくる。
 さっきまで俺らのほうを気にしていたくせしてそんなことも忘れている馬鹿な先生たちに呆れもあるが、まぁ良いだろう。
 これで次の日透に少しでも異変があれば伊藤のせいになるし、五十嵐も非難される。ああ、気持ちええなぁ。
俺の言うこと聞かへんからこうなるんや、そうや、俺は間違ったことは言うてない。透の保護者としてこの反応は普通であるし、これで伊藤も五十嵐も痛い目にあえば透に見せしめも出来て、梶井の件のことも俺の中で気が晴れる。
五十嵐が、勝手なことをするから、こうなった。自業自得や。今後もうまくやれば、五十嵐をこのまま辞めさせられるなぁ。
これが歪んだ感情であると気が付きながらも、止められない。なんて、気持ちがいいことなのだろう。
……いつかの自分が嫌っていた大人と同じことをしている、ことには気が付かないままやった。
 さすがに周りからの視線に分が悪くなったのか、居心地悪そうに頭を掻いた素振りをするのが視界の端に移った。ざまあみろ、そう思った。

「あの!暴行事件は伊藤くんだけの責任じゃない、て結論になりましたよね!?」
「……岬、先生」

 五十嵐が非難され続けるなかで、空気を裂く勢いで叫んだのは、岬先生だった。
またざわついた周囲を岬先生は睨みつけた。
驚いて俯いた顔を上げれば、いつもの温和な雰囲気はどこへやらこちらを責めるように睨みつける岬先生と目が合った。その目が、先ほどの透と被って仕方がない。

「確かに、何も言わずに帰したのはいけないとは思います、ですが伊藤くんを悪者のように言うのも、気遣った五十嵐先生を非難するのは間違っています!!」

 周りの眼なんて知らない、と言わんばかりに真っ直ぐにそういう岬先生に、俺は確かに苛立った。
朝まで温和だけど少し意志が強い先生だとは思っていた、けれど、さすがに周りの空気もあれば反論なんてしないだろう、俺の言うことを聞くやろうとそう思っていたのに。
庇われた五十嵐は、やばい、と言わんばかりの顔をしていたことに気付く余裕なんてない。
なにか言おうと思ったが、真向から反論した岬先生の言い分は教師としては正しいものだ。だけど、正しさだけじゃあかんこともあるんやで、岬先生。

「保護者としては心配なだけなんやけど、なぁ……」
「ちゃんと一ノ瀬くんの意見は聞いたんですか?」
「いや、でも」
「……確かに、言われる前に気付くことは大事だとは思います、ですけど……こちらの意見だけで決めつけるのは生徒の自己性を潰してしまうことになります。
だから、もう少し生徒たちのことを信じてあげてください。おねがいします。」

 岬先生の言うことは、青臭い若者らしい理想論だ。
生徒を無条件で信用するなんてことをする先生なんてどのくらいおるんやろうなぁ。
……少なくとも、目の前の二人はそうなんやろうけどなぁ、そんなのあるわけないやん、どうせ伊藤はまた事件を起こすやろ。梶井もだが反省の色もなく無反応に近かったくせして。
そうは思っても頭を下げて懇願している岬先生の意見を否定すれば俺の立場は悪くなる。内心舌打ちした。

 結局このあとすぐ次の授業が始まる時間になって、その場にいた先生方は逃げるように各々の持ち場へと移動していった。
「……岬先生の言うことも一理あるし、ここは信じることにするわ」
俺もそう言って保健室へと戻った。



 全部、全部全部全部全部全部全部!透のせいや!!
憎々しい。あいつが灯吏と薫を殺さなければ、あいつが忘れていなければこんな風にならなかったのに!!
2人を失わせた上に俺の立場も悪くさせて、あいつさえ、あいつさえいなければ!!!

 荒々しく保健室のドアを閉めて、机に拳を叩きこんだ。

 すべては自分のした行動のせいだ、なんてこと思わないようにした。
大嫌いだった大人に自分がなってしまったことも、そもそも薫と違って灯吏に好意さえも伝えられずに終わってしまったことも、何もかもを見ないですべてを透のせいにした。
そうでもしないと、昔は自分を保てなかった。特に親友と幼馴染を失った直後に命を懸けて助けた一人息子が記憶喪失であると脳が理解したときには少なくともそう思っていた。
 だけど、今は、いまは。
 ただ、自分の言う通りになる人形を欲していたのかもしれない。
 歪んだ感情を持て余した、その矛先に向かうのは、幼馴染であった薫と親友でありながら一目惚れした同性の灯吏の子どもであり薫と灯吏を殺したうえ忘れてしまった『透』ただ一人だった。
醜い自分の姿は、保健室の窓に映っていた。その顔は、見れたものではない、醜く憎しみと妬みと……悲しみすべて混ざったまるで鬼のような顔をしていた。
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