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1章『それぞれの想い。』


「透、辛かったな」
「……っ…う、」
「俺に話すのも本当は怖かったんだろ?話してくれてありがとうな。」

 涙を止められなくて嗚咽が込み上げる俺をなだめるように背中を叩いてくれる。
優しい言葉とその手につい甘えてしまいそうになるが、それでは意味がない、ちゃんと聞かないといけないんだ。
 嗚咽は止められなくても、子どものように泣き叫ばないように我慢しながら質問したその声は低くて変な声だった。
ぐっと前にいる伊藤を手を伸ばして押して少し距離をとって、伊藤と目を合わす。

「責めない、のか」
「なにを?」

 伊藤が何を言っているのかと本当にわからないのか、あえて聞いているのか今の俺には判断はつかない、自分自身が冷静ではないのは一応分かっている。
少し、戸惑って意を決して自分の口から自分を責める理由を言った。

「……俺が、両親を殺した、原因なのに」
「……そうだな、確かに俺もお前の父さんと母さんには随分良くしてもらっていたからショックがないと言えば嘘になるな。
お前もいろいろ思うところはあるだろうし、そう責めちまうのも仕方ないとも思う。
だから、お前が原因なんてそんなことあるわけがない……って、俺が言ってもお前は認めてくれないんだろうな……。
頷けない、よなぁ。」

 それはそうだ。
いくら伊藤に俺のせいではないと言ってくれても俺が犯した罪だ。
俺のせいじゃないと言って逃げることは許されてはいけない、俺自身が許してはいけないんだ。

「だから、俺はそれを否定しない代わりに責めないことにした。お前の両親のことは残念だと思うし、ショックも受けてる。でも、俺は何よりも透が帰ってきてくれることが、やっぱりうれしいんだ。」
「記憶も、ないのに?」
「あってもなくても、な。」

 なんでそう昨日と同じ笑顔で言い切れるんだろうか。どうしてさっきの話を聞いてもなお伊藤は優しい?
両親を殺した上に記憶のない俺なんて一ノ瀬透じゃないのに、なにも返せないのに、不幸にさせてしまうのに。

「今何かごちゃごちゃ頭の中で考えてんだろうな、透。
理解してやりてえしお前の質問には一つ一つちゃんと答えてやりてえんだけど、俺透みてえに頭良くねえんだよ。
とりあえず、俺はお前に何かしてほしくてお前に優しくしている訳じゃない、何も聞かないわけでもない、ただ傷つけたくないだけ。それだけだ。」
「どうして」
「さぁな、まぁ親友だからな。」

 うじうじと疑問ばかりの俺に伊藤は簡潔にそう言う。
簡潔に言われると、こっちが戸惑った。なにも言えずにいると伊藤は言った。

「お前は否定するだろうけど、言いたいこと言わせてもらう。
お前がしてきたこと、何も感じないフリしたり、とか……何もわからなくて不安になっているところでそんな扱いされたらそりゃ逃げたくもなる。
聞いた感じだと誰もお前を守ろうとしなかったんなら、お前は自分を守ろうとしただけだろ、なにも悪くない。
お前が信号無視したなんて正直考えられねえけど……もしそれで本当に両親亡くしたんなら、記憶喪失になったのも分かる気がする。透は両親のことが大好きだったの知っているし。
よほど、ショックだったんだよな。ただでさえ亡くなったところを間近で見て、しかもその原因が自分だとするなら、耐えられないよな。
記憶喪失になって、思い出すことを身体が拒否するぐらいだ、きっと自分を防衛してるんだろう。
お前は何も悪くない。ここまで追い詰めてた周りが断然悪い。そいつらのほうが胸糞悪い。」
「……いや、」
「お前は自分を責めても良い、でもこれは俺の意見だからな。」

 否定は透でも許さねえぞ、と真剣な顔で釘を刺されてしまう。
無条件に悪くないなんて言われるのも初めてのことなので、随分と落ち着かず居心地が悪い。
それでも自分はそう思っている、と言われてしまえば俺はこれ以上否定は出来なかった。

「あと、本当に両親のためを思うのなら、それじゃだめだ。そんな生き方じゃ、駄目だ。お前はもっと人間らしく生きなきゃだめだ。」
「……え」
「楽しいときは笑って、悲しいときは泣いて苛立ちを覚えたら怒って苦しいときは苦しいって叫んで……まぁ普通の生活だな。」
「それ、は……!」

『あの2人が庇ってくれたおかげでお前は学生謳歌できるんやね、よかったやん』

 嘲笑交じりで桐渓さんに言われたこの言葉が脳裏に過り胸に刺すような痛みを覚えた。
 俺は、そんなことしちゃだめだ。
 2人が俺を庇ってくれたおかげで今があって、それを忘れてはいけないと思った。楽しむことも悲しむことも怒りもしてはいけないと抑えつけた、それが罪滅ぼし、だと思ったから。

「だって、お前の父さんも母さんも、透には絶対に幸せになってほしいって言っていたんだぞ?守ってあげたい、透には健やかに生きてほしいってよ。
それならよ……本当に2人がお前が庇ったって言うのなら、その分幸せにならないといけねえんだよ……。その願いを叶えてやらなきゃ、庇った意味なくなるだろ……?
自分の身より透が大事なんだって笑って言ってたのに……。

本当は痛いんだって辛いんだって、叫びたいぐらい悲しくて辛いくせに、なんでもないように何も感じないように生きているのはどう見ても幸せになれねえだろ!!」

「っ」

 伊藤の突然の大声に身体が勝手に跳ねる。
 その伊藤の言葉が何よりも胸にナイフを突き立てられたかのような痛みが襲った。桐渓さんの言葉がよぎったときよりも数倍痛い。叫んだ伊藤が何故か悲しい顔しているのを直視して胸が苦しくて仕方がない。
はっ、と呼吸がしにくくて不規則に呼吸をする。
無意識に胸を抑えた手は伊藤の両手でぎゅうっと握られて、俺はそれを握り返した。痛みが感じるほど握られた手に何故か、安堵を覚えた。

「なぁ、頼むから……俺のことを不幸にするなんて言わないでくれよ。お前の口から、そんなこと言わないでくれよ。
そう言われたら、俺は本当に不幸しかない人生になっちまうから。
俺はお前と会えて、再会できて本当にうれしくて幸せなんだ、だから、両親のことを悔やむのも事故のことを後悔しても良い、それは当たり前のことだ、思い出すのがつらいなら、いっそもう、思い出せなくてもいい!
だけどなぁっ死ねばよかった、なんて……悲しいこと言わないでくれよ!俺がずっとどんな思いでお前を待っていた、と!!」
「……ぁ」
「ちゃんと、生きてくれよ!だれかがお前を責めるなら俺はその分お前を認めるから、お前が自分を否定しても俺がお前は透なんだって叫ぶから、どんなお前でも受け止めるから、俺はお前の味方になるから……だから、だから!
一緒に生きてくれよ!楽しいときは一緒に笑おう、悲しかったら一緒にいる!怒りたいことがあれば一緒に殴り込んでやる、辛いなら、一緒に泣くから、俺が一緒にいるから!!

だから!生きることを、諦めないでくれ!!逃げないで、くれよ……っ。」

 伊藤は下を向いて、叫んでいるのにまるで祈るように俺に言う。
 下を向いていて今彼がどんな顔をしているのか分からないけれど、時折上ずったような声が聞こえて肩を震わせていたから泣いている、んだろう。
 伊藤は俺のために泣いてくれている。
 俺のせいで泣かしてしまった、罪悪感を覚える、それなのに、それと同時にうれしい。
 その事実が衝撃で俺のせいで悲しくさせているのが胸が痛くて、でも俺のために泣いてくれて怒ってくれたのが嬉しくて胸が満たされた。
 俺は、俺のことを思ってくれる人が確かに目の前にいると言う現実に思考回路はぶっ壊れそうになった。
 バチン、とまるでなにかバラバラのコードがピッタリと繋がったような感覚が身体のなかで起こった。ピッタリとくっついたと同時に溢れ出そうになる激情。

「……いい、の?」
「……ああ」
「……悲しい、て、辛いって、苦しいって、そう思って泣いても、いいの?」

 衝動を抑えながら伊藤に問う。
伊藤は涙を流しながら俺を見ている、俺もたぶん似たような顔。
子どものように恐る恐る聞く俺に緩く微笑んで

「いいんだ、いいんだよ。だから、泣いていい。……ないてくれよ、とおる」

 そう笑って言ってくれた(許してくれた)と脳が理解した途端に勝手にこぼれおちる涙。あの日、責められた直後少しだけ泣いてそれ以降泣かないようにしてきた。いつしか泣く、と言う感情を出すのも忘れていた。

 でも、許されるなら。俺は、泣きたかったんだ。

 さっき、抱きしめられたあの暖かさを思い出して衝動のままに伊藤の胸に抱き着いた。
胸に顔をうずめた俺の肩と腰をすぐに抱きしめ返されて、その緩やかであたたかな感覚に涙腺がさらに刺激された。

「っう、うあ……ふ、うああああああ!」

 ずっと、ずっと本当は泣きたかった。
 怒鳴られるのも罵られるのも冷たい目で見られるのも髪を引っ張られたり蹴られたりするのは辛くて悲しかった、あの家にいたときカウンセラーのような人に身体触られたときだって嫌で嫌でしょうがなかった。
 病院で起きたと思ったら、自分の名前すらもわからなくて、突然近くにいた大人の男に怒鳴られて怖くて仕方が無かった。
 思い出せと酷い剣幕で言われたときも恐かった。
 思い出せないと言ったときの冷めきった目を忘れられない、髪を引っ張られて詰られるのは恐怖しかなかった。
 だから、言い聞かせた。全部俺が悪いんだと、俺が感じないようにすればそれで良いんだと逃げたんだ。
 心にガタが来ても辛いと叫んでいても自分を誤魔化して、今までを生きた。
 仕方が無いんだと諦めたんだ、そうするのが最善なんだってそうするのがみんな満足するからって。

 苦しくて、悲しくて、壊れてしまいそうになる心を見て見ないふりをして、今日まで生き続けてきたんだ。

「ひっ、うう、ああああああ!!」
「抑えなくていい、いいから……今までの分、泣いてくれよ……だから、次はちゃんと生きたいって言ってくれよ」
「う、ん……!う”ん!!」

 もう両親の代わりに死ねばよかったなんて思わない。両親が幸せになってほしいと言ったのなら、それに従いたい。たとえ俺じゃない俺に向けての言葉でも、それでも伊藤は俺を俺だと言ってくれる、それに今だけは甘えたい。
 両親にも、いつか、いつかは絶対に必ず思い出すから……だから、一ノ瀬透じゃない『今の俺』が幸せに生きることを、少しの間でも良いから許してほしい。
 罪を背負いながら普通の意志のもった人間として生きることのほうが難しいのかもしれない。人形のように感じないようにする方が楽なんだと思う。俺が今までやり過ごしてきたように。
 だけど、こうして俺に生きてほしいと言ってくれる人がいてくれる。
 なら罪を背負って、時として苛まれたとしても、それでも俺は……生きよう。
 ちゃんとこの世界で、呼吸をして生きる。

 自分の意志と自分の感情がようやくつながった気がした。
 もう、逃げないから。ちゃんと生きたいと叫ぶから。
 泣き止んだら、つぎは心のままに、自分の意志とともにちゃんと生きるから。

「あ、りがとう……ありがとう、いとう!」
「……どういたしまして」

 泣きながら言った聞き取りにくいであろうお礼に、静かにそう言ってくれた伊藤がうれしくて涙が溢れて止まらない。

 ようやく、呼吸の仕方を思い出したんだ。
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