1章『それぞれの想い。』
「足だいじょうぶか?」
「……ああ。」
登校してきたときとは違う、体育館裏にあった小さい門から学校を出て歩いていた。
本当はこのまま帰ろうと伊藤は言ってくれたんだが、どうしても今すぐ話したいことがあるんだ、と言ったらこっちのほうなら座れるところがあるから、と案内してくれた。
内心不安でいっぱいで逃げ出したいとも思う。
それでも、初めて怖いと思いつつも伊藤には誠実でありたいと思えたから、ここは勇気を持つべきなんだ、て思う。
伊藤も俺の雰囲気を察してくれているのか言葉少なに、でも俺の足のことを気にしてゆっくり歩いていてくれた。その気遣いだけで俺はうれしいんだ。
その嬉しいを伊藤に返せないから、せめてちゃんと俺が伊藤を忘れてしまった理由を話したい。
伊藤の行くがままに歩みを進めていると、遊具もなんもない数個ベンチがあるだけのただ土と端に木が生えているぐらいのそこまで大きくはない広場があってそこに入っていったので伊藤について行った。
平日の真昼だからか人の気配はなかった。
「ここなら今の時間人もいねえし、話せるよな?」
「……ああ、ありがとう。」
数個あるなかの木の下にあって影になっているベンチに伊藤は座ったので、少し間を開けて隣に座った。……どう話を切りだして分からなくて、沈黙が続いた。
伊藤も俺が話し出すのを待っているのか何も話しかけては来なかった。
座って何度も静かに深呼吸をしてみても、不安は抜けなくてむしろ悪化してただ座っているだけだけど、落ち着かない。ちゃんと自分からなにがあったのか、と説明するなんてこと初めてのことでどうしていいのかわからない。
言いたい、だけど恐くて訳が分からない。桐渓さんの目を思い出してしまう、あの冷めているのに怒って悲しんでいる目を。
そんな目を伊藤に向けられる、と思うと竦んでしまう。
決意するのは簡単でもそれを実行に移すのとは違うんだと今知った。
「なぁ、透。……お前がこれから話そうとしているのってさ、俺の予想なんだがお前の記憶のこと、なのか?」
「……」
いつまでも沈黙が続いて、結局俺が言いだす前に伊藤にそう聞かれてしまった。
やっぱり察していたようだった、そうだよな、少し予想すれば分かることだ。
ずっと言い淀んでいたことで気軽に話せない、となればそうなるのも当然だ。
そうなるのが当然となれば、伊藤は優しいから『辛いのなら話さなくてもいい』と言ってくれるんだろう。
昨日からずっと聞かずにいる伊藤、それはとても優しくて暖かくてありがたくもあり、罪悪感も同時に覚えたんだ。
だって、ずるいだろう?
なにも知らないでいる伊藤からただ優しさだけを甘受出来るほど、愚鈍ではないんだ。
優しさに甘えるのはきっと、楽な道であり自分は傷つかないでいられる。伊藤からも自分からも逃げて見て見ぬフリをして伊藤に依存する、なんて優しい道なんだろう。
伊藤には茨だらけの痛い道を歩ませておいて、俺だけはぬくぬくと傷一つなく歩くのは絶対に嫌だ。
優しさに全てを委ねるんじゃなくてそれに少しだけ寄りかからせてほしい、優しさはきっとそれぐらいでいいんだ。
「……ああ。いまからそのことについて伊藤に話したいんだ。……それで、伊藤が離れても憎まれても良いから、ちゃんと理由を知っていてほしいんだ。」
俺の言葉に、否定しようとして口を開こうとしたが『聞いてから考えてほしい』と言う意志を持って伊藤の目を見つめればぐぅっと口を噤んで少し下を向いた。
少し何かを考えたようなそぶりを見せた後、すぐに意志の強い眼で俺の目を見た。
傍から見ればまるで睨み合いのように見えてしまうんだろうか。脳の中のどこか冷静な部分が呟いた。
互いの意志の確認を目で訴えた後、
「……分かった。」
すぐにでも否定したいのをぐっと抑えてそう返事をしてくれた伊藤に「ありがとう」と感謝する。
ここで否定してくれたら俺はそれを喜んで、今の自分の決意もなく話してしまうだろうから。だからこそ、何も言わないでほしかった。
一ノ瀬透の親友でいてくれる彼には申し訳ないけれど、これは一ノ瀬透ではない俺の、彼を親友として見ていない俺の……俺なりのけじめ、だから。
あれだけ俺の名前を呼んでくれても存在しているんだと言ってくれても、やっぱり俺は伊藤鈴芽の親友、一ノ瀬透にはなり切れないし伊藤のことを思い出すことも出来ない。
俺は一ノ瀬透と言う名前であっても、彼の親友の一ノ瀬透では在れないのだ。
あれだけ自分のことを認めてほしい、なんて言っていたのにいざそうなれば自分は一ノ瀬透ではないんだとそう思ってしまう自分が嫌にもなる。
せめて、伊藤に俺のことを肯定する権利も否定する権利もないといけない。
そうじゃないと、フェアじゃない。
ただ俺のことを受け入れてくれて俺の都合の悪いものを弾いてしまえばそれこそ、親友でもなんでもないただの共依存になってしまうだろうから、伊藤の逃げ道を潰してしまうから。
それは避けたかった。
一回深呼吸をして、今度こそ俺は話し出した。
不思議とさっきよりも落ち着いていて、気持ちのほうも静かだった。まるで嵐の前の静けさのように。