1章『それぞれの想い。』
一ノ瀬の伊藤を見送って、さてどうしようかと悩んだ。
悩んでいるのは一ノ瀬や伊藤が心配していたことに関してではなくて、岬先生のことだ。
授業の準備のため理科準備室にいれば、一ノ瀬と話すから少し授業に遅れると桐渓さんに言われたんだ。
理由を聞いても眉を顰めるばかりで詳しいことは教えてくれなかった。
確かに何の血縁関係もない一ノ瀬を何故か桐渓さんが見たりしているのだから、それなりの事情があるのだろうと言うのは分かっている。
桐渓さんがお気に入りで一ノ瀬の担任である岬先生ならその事情を知っているのかもしれないが、問い詰めるつもりは俺にはない。
どうもこうも俺は桐渓さんに嫌われているようで、あまり気にしてはいないが彼自身疲れないんだろうかと思う。
授業が始まる少し前には岬先生から桐渓さんに呼ばれた一ノ瀬くんの反応が……いや、二人の反応がおかしくて、僕はどうしたらと相談された。
一ノ瀬は桐渓さんが呼ぶ前に岬先生と話していた最中だったようだ。あとで様子を見に行くから、と宥めたものの納得は言っていない様子だった。
一ノ瀬と同じクラスになった叶野たちが理科室にやってきたと思ったら、「伊藤くんは一ノ瀬くんが戻ってこないから、理科室の場所わかんないだろうから一緒に来るって言って聞かなかった」と叶野から報告を受けた。
何の前触れもなく、桐渓さんに呼ばれたことも知らなかったようだった。あえて俺は桐渓さんに呼ばれたのだとは言わずに、あとで様子を見に行こうと言っておいた。
嫌な予感はしていたが、何の根拠もなく動けば居心地が悪くなるのは一ノ瀬だと思ったからだ。
思春期の子は男女問わず自分にもだが他人にも過敏な時期でもあるのだ。
穏やかに見えた子でも内心なにか思うこともあるだろう、そこで特別扱いと判断されてしまえばクラス内で居心地が悪くなってしまうだろう。
でも、授業が始まって10分ほどしても一ノ瀬も伊藤も来るようすはなさそうだった。
遅れても5分ぐらいだろうと思ったのだが、さすがに少し異常だ。
「ここまでノート書いたらあとは好きにしてろ!俺は伊藤と一ノ瀬を引き摺りだしてくる!」
いつも通りを意識してそう言って保健室より先に一ノ瀬は戻ってきていないか伊藤のいる1-Bに行くことにした。
教室をのぞいてみれば、なんだか男子高校生が出すことのない恋愛感情になり切らない男女の絶妙な雰囲気を醸し出す2人がいた。
雰囲気のことはこの際気が付いていないことにして、突っ込んでいくことにした。
俺の質問に言い淀んだ一ノ瀬に「保健室に行くか?」と言う問いは正直なはなし、一ノ瀬に鎌をかけたのだ。
悪いなとは思いつつ桐渓さんと一ノ瀬がどんな関係性なのか少し図りたかっただけなのだ。
嫌だなとかそう思っているのとかが分かればそれだけでよかったのだ。一ノ瀬はどんな感情を持っているのだろう、と気になっただけだった。
あそこまで拒否反応が帰ってくるとは予想外だった、いや、一ノ瀬には可哀想なことをしてしまった。
朝の桐渓さんの冷たい眼にまさかとは思ったが、これは想像以上に溝は深いのかもしれない。
嫌だ、と叫んだのに震えながら身を庇う様にしながら取り繕うとしている姿は痛々しくて、何でもないという声が強がりにしか聞こえなくて、なにか言おうとする一ノ瀬を遮って帰すことにした。
言い淀んだときだとか朝登校している二人を見た生徒からとても嬉しそうだったと報告してくれていたので、伊藤に送ってあげろと推したのは一ノ瀬にさっきカマかけて傷付けてしまった少しの謝罪のつもりだ。
友人となら何の気遣いも無しに帰れるだろうしな。
教師にそう言われたのだから、気にすることなく帰ればいいのに、二人して俺の身を心配するのだから思わずどうしたものか、と思った。
子どもが大人の顔色窺うなんて悲しいことさせたくないのにな。
殴っているのを俺が制止したときも、停学を言い渡されたときにも表情を少しも変えなかった伊藤が心配そうな顔をしたりするのにも驚いたが。
気にせず帰れ帰れと追い払うようにして何とか帰したが、どう岬先生に言うかが問題になる。
他の先生にはまぁ俺が怒られればそれでいい話だからいいとして、岬先生は桐渓さんに連れられているのを目撃しているし俺に相談もしている、そのうえで俺が帰らせたとなればなにかと感づいてしまうだろう。
見た目は優しく穏やかな文系な大人しい人なんだが、どうも生徒も盲目的になってしまうところがある。
それを悪いとは言わないし、俺としては好ましいとも思う。
良くも悪くも真っ直ぐな人だと思う。けれどそういう真っ直ぐな人だからこそ折れたときには修復不可能になってしまうものだから。
きっと桐渓さんに一ノ瀬は何かされている、と聞けば周りに誰かがいようとなんだろうと桐渓さんを糾弾するだろう。
それが教師として正しい姿で良い大人の見本だと思える。だけど、それを良く思わない人間もいる。その人間たちが潰しにかかったとき、きっと彼は折れてしまうだろうから。
「まぁ生徒のことは俺も一番だが、俺も腐っても先輩だからな。可愛い後輩も守っていきてえな。」
両方守る、なんて断言できないが。
それでもそう思うだけは自由で努力するのは間違っていないはずだ。
さて、と!
岬先生のことだとか桐渓さんのことだとかそういったのは授業を終えてから考えるとして、今は授業が始まってずっと時計を気にしていた叶野を安心させてやるとするかね!
ニッと笑ってそう心のなかで勇んで教室から出た。
俺は聖人君子にはなれない、そんな孤高でも綺麗な心も持ち合わせていないし自己犠牲なんて無理だな、と思う。
ただ俺は普通よりは図太い神経をしているだけだ。
別に一人で孤立しようと影でぐちぐち言われても『どうでもいい』としか思わずに俺は終わってしまう。不快だとも嫌な奴らだなとも思わない。
目の前で悪口を言われても気にもしないだろうし、俺は普通に話しかけていくんだろうし普通に絡みにもいくんだろう。実際桐渓さんには普通に絡んでいるしな。
実際岬先生が来る前までは桐渓さんに嫌われていたのもあって俺はほぼ孤立状態だったしな!
だからだろうか?それとも見た目と中身のギャップに気に入ったのか?その両方なのかもしれないが、俺に懐いてくれる岬先生は弟のようで可愛いと思う。
危なっかしいところもあるから目も離せないしなぁ。
とりあえず、並行していきてえな!どっちも捨てたくないし諦めたくもない。
まぁ何事も前向きにいかないと行きたいところにも行けやしないからな!もっと頑張ってみるか!
いつか、生徒も教師も分け隔てなく笑える学校になれたらいいんだがな!!