このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

1章『それぞれの想い。』


 昼休みを終えても透はなかなか戻ってこない。
 叶野たちも心配して待ってる、と言ったが、まぁ問題児扱いの俺と違って叶野たちは優等生に入るんだし、透に理科室の場所の案内をしていないから待つことにした。
正直心配でもあったが行き違いになるのもと思って教室で待っていることにしたのだが、本鈴のチャイムが鳴って10分ほど経っても戻ってこないのでそろそろ探しにでも行こうかと迷っていたとき、扉の開く音が聞こえてそちらを向けば、俺が待っていた俯いて顔をあげない透がいた。
 俯いた透はなんだか、昨日の頼りなく地べたに蹲る姿を思い出させた。違和感。
そんな違和感を持ちながらも、なんでもないフリをして透に声をかければ俺が待っているのが予想外だったようで、俯いた顔をバッとあげて驚いた顔をしている。

「…どう…して、」

 薄いピンク色の小さな唇から紡がれるのはそんな疑問。
 それに、俺は間を開けずに、頭の中で何も考えず反射的にも近い反応で口から答えが出た。

「透を待ってたからな。」
 待つのは得意なほうだ。それがいつなのかわからない不確定なものより、確実にこの学校の中にいて戻ってくるだろうと分かっていることなら特にモチベーションは保てる。
どちらにしても、透と約束したことなら待てるけどな。6年間待ってきたんだからこのぐらい朝飯前だ。

「次移動教室だし、昼休み終わっても戻ってこないから待っていたんだよ、どうした?迷ったのか?」

 透の疑問に答えたところで、蛇足ついでに俺も質問してみる。
でも、俺の答えは透にとってまだ理解できないようで……やっぱり頭の良い奴は考え方少し違うのかもな?難しいこと、考えてそうだもんな……未だその灰色の眼は疑問の色が大きかった。
「どうして」
 呆然としたように独り言のようにそう呟いて、透は俺のもとへと、一歩、踏み出した。
と、思ったと同時に透の身体はがくん、と崩れた。
 叫ぶ暇もなく、透も驚きに目を見開いていた。
このままだと顔面から透は強打してしまう、そう理解した瞬間俺の身体は頭では何も考えてなくて、体が勝手に動いた。
 崩れる透の身体を、自分の体一つで支えようとした、が、自分よりは細いけれど身長もほとんど変わらない透の身体を俺の身体だけ支えられる訳じゃなくて、自分の身体が透の下敷きになった。
 思いっきりケツを強打して、正直すごく痛いし透の額が勢いよく胸あたりに激突したので「ぐあっ」と思わず情けない声を出してしまった。
なにが起こったのかいまいち理解できていないようすの透に「大丈夫か?」と声をかけると、透は俺のほうに顔をあげた。
 至近距離の透と目が合う。
毛穴一つ見当たらない、色白の頬が今は少し紅潮している。
 透き通るような印象的な灰色の瞳は驚きに目を見開いて、ゆらゆらと揺れていて、こぼれ落ちそうな儚さを感じた。
 あの日から背も伸びて顔つきも彼の父親と瓜二つと呼べるほどそっくりに成長して、あの日と変わらず彼の母親と同じような艶やかな黒い髪と灰色の瞳をした透。
意図せず近くにあるその顔に、なぜか、変な気持ちに、なった。
支えようと思った両手は透の腰あたりにあって、見た目以上に細い腰に触れていて、何故か触ってはいけないものに触ってしまった感覚になった。
 少なくとも、親友……しかも同性に対して芽生えるものではないと言うのは理解している。
顔が真っ赤になっていることを自覚しつつ、やましい気持ちは無かったんだ!と両手を挙げた。
後から思えば何をしているんだ、とあきれてしまうがそのときまったく余裕が無かった。何故か後ろめたいことをしてしまったようで。
 下手な言い訳を紡いでもいくら経っても何の反応のない透。
 変な行動を辞めて、少し落ち着いて透の様子を窺ってみることにした。
俺のTシャツをぎゅっと力いっぱい握りしめた白い手は少し震えているのが分かった。
何となく後ろめたくて目も合わせられなかったが、顔が真っ赤になっているのを承知の上で透と目を合わせた。

 そこには、涙を浮かべている透がいた。
 涙をこぼす寸前の透が、いた。

「っ……」
「…とおる?」

 声をかけたのとその揺らめく瞳から、涙がこぼれた。
 頬を伝っていく一筋の涙、徐々に涙の量が増えて涙が顎裏に溜まって、雫となって透の制服のズボンに落ちていく。
 きっと、普段だったら透が泣いていれば驚いて少しテンパりながらも泣くのを辞めさせたいとかどうしようとかどこか痛かったかと戸惑い、焦っていたと思ったんだろう。
だが、今の透の泣き方が、その表情が、不謹慎かもしれないが、悲しくなるほどに綺麗だったから。戸惑うことも焦ることも忘れて、魅入ってしまった。
 じっと俺から目は外さずにそして喚くこともなにせず、ただシトシトと涙があふれていく。静かに泣いている、と言うよりも涙をこぼしているだけだった。
 悲しげにと言うにはあまりに穏やかで、怒りからと言うにはあまりに静かな、不思議な泣き方を俺は見ているだけしかできなくて、透と俺しかいない静かな教室で見つめ合った。
 校庭から聞こえるにぎやかな声もあまりに遠かった。
 しばらくの沈黙。
 見つめ合っていた俺らだったが、透はゆっくりと、笑う。

「……ありがとう、伊藤」
「っ!」

 そう笑顔で礼を俺に言う瞬間、俺は透を抱きしめた。
 涙しながら笑顔で何故か俺に礼を言う透が、どうしてか悲しくて仕方が無かった。どうしてか、俺も泣きたくなった。
 さっきまで何も言わず何も感情を出さずに涙をあふれ出しているのを見たときはただ綺麗だ、としか思わなかったのに。
今は何故か、無性に悲しかった。
 何故か昨日誰にも助けを求めようともしない透の姿と被って見えた。
 抑えきれない感情を、目の前の透にぶつけた。ただ、力いっぱい抱きしめたかった。
いきなり彼からすれば昨日会ったばかりの、同性に、抱きしめられて戸惑いしかないであろう、しかも力いっぱい抱きしめているのだから、痛くも感じるだろう。

でも、そっと透も俺を抱きしめ返した。そっと、背中に手を添えるぐらいの力だったけれど、それでも俺の胸がぎゅうっと苦しくなった。
目に涙を浮かべるぐらい、苦しくて痛くなった。
 悲しいのと同じぐらいどうしてか嬉しさもあって、俺のことなのによくわからなかった。
 分かるのは、これからも透は俺のとなりにいてくれる、それだけは、どうしてか分かった。
それなら、俺は怖いものなんて何もない。透がいてくれることが、それだけで呼吸が出来るから。今は、そう思えるんだ。
20/29ページ
スキ