2章 後編
「えっ、一ノ瀬くん……ほんとうに?」
「……ああ。」
「なにかの間違え、ではないんだな。」
「……これを見てほしい。」
少しだけ落ち込んだが、仕方ない今度は2人に習おうと何とか岬先生が来る前には切り替えることが出来た。
テストも終わり、叶野と鷲尾のことも片が付いた。
……湖越と梶井のことも気にはなるが、現段階俺が出来ることはないに等しい。もどかしいけれど、梶井に嫌われている俺から手を出すべきか悩ましい。今は様子見、しか出来ないと結論に昨日至った。
もうすぐ夏休み。
ここの生活に充分と言って良いほど慣れたと思うし、そろそろアルバイトのことを考えても良いかもしれない。
そんなことを朝のHRを聞きながらそう考えていたのだが、その考えは国語……岬先生から苦い笑みを浮かべながらテストを返されて撤回することになった。
「……かきわすれ、か……?」
「……ああ。」
初歩中の初歩のミス『名前の書き忘れ』により俺の補修は決定されてしまった。
「うっそーん!」
「叶野五月蠅い。」
「また五月の蠅って書いて『五月蠅い』って言ってるでしょ!?」
じゃれている二人を横目で見つつ自分のテストを見つめる。
2問ほど(この分を読みこの人物の気持ちを考えてみなさい、という内容の問題)三角があり、他の問題は丸だらけ。問題の空欄はすべて埋まっている。点数だけを見れば赤点ではない。ただ自分の名前を書く欄だけは見事に忘れていた。
「……何故忘れたのか。」
普通違和感に気付くだろう。見直しもしていたのに……何故気付かない、俺。
岬先生がとんでもなく生暖かい目で見られてしまった。ええ、いいんです、自業自得なのでそんな申し訳なさそうにしないでほしい。
「まぁその前になんか色々あったからじゃね?」
「うっ……じゃあそれ、俺のせいだよね……、ごめんね……。」
「……すまない。」
伊藤の言う通り、まぁ確かに色々あったが
「それは2人が気にすることじゃない。ただの俺のミスだから。」
それだけのせいじゃないと思うし……ちゃんと2人のことは関係なくテストに挑んだのだし、2人のせいにするつもりはない。
それに。
「補修、ちょっと楽しみだから。」
やったことないことをするのは、そんなに嫌いではない。
ほとんど誰もいない学校に行くのは少しだけ面白そうだった。……まぁ、炎天下の中行かないといけないのはきついが。
今のところ他の教科はそう言ったミスはしていなさそうだし日数もそこまでではないだろう。
「一ノ瀬くん……そのポジティブさ、俺は良いと思うよ!」
叶野はそう言う割には微妙な笑みを浮かべているのはなんだろうか……。
「一ノ瀬は補修組なのか?」
大きい声で話していたせいでクラス中に伝わってしまったらしい、離れていた湖越が目を見開きそう聞いてくるのを叶野が答える。
「そうそう、まさかの名前の書き忘れでさ。誠一郎は?」
「まじか……。あーまぁ特筆するほど良くはねえけどいつもよりはやっぱり良いな。」
「そっか!良かったね!」
「ああ、勉強教えてくれてありがとうな。……一ノ瀬、も。」
「……ん。」
名前を呼ばれてそれに頷いた。
湖越の反応を見るとやっぱり、梶井とのことはあまり聞かれたくないことなんだろうな、と察する。
聞かれたくないことを聞かれてしまう気持ちは分かるがそれを問い詰めるほど俺は湖越のことも梶井のこともよくわからない。
触れてはいけないだろう。そう俺は思った。
「そう言えば結局のところ、梶井は何をしたかったんだろうか?」
そう思ったと同時に心底不思議そうに聞いたのは鷲尾だった。
俺はあの屋上の件は伊藤にしか話していない。鷲尾の言葉に湖越はビクッと身を震わせて俺を見ている。俺は何も言っていない。
どうしていきなり鷲尾が梶井の名前を……と思ったが、そうだ。鷲尾は梶井に唆されていたんだ。
鷲尾はやはり頭が良いだけあって記憶力が良い。
「湖越はなにか知っているのか?あのとき、梶井の名前を呼んでいただろう?しかも下の名前で。」
「っそ、れは。」
回転もさすが速い。
鷲尾の言い方はすごくさっぱりしているため責められていると誤解を与えそうになるが、決してそう言うわけではない。
非難するものでも怒っているわけでもなく、ただただ不思議そうで。しかも目を真っ直ぐ見て聞くので、湖越は口ごもってしまう。
「もしかして、梶井と知り合いなのか?」
「……っ」
鷲尾はあくまでも一つの可能性を思いついて言葉に出しただけだと思われるが、それに湖越のまたビクッと肩が震えた。
その湖越の反応に鷲尾は首を傾げてさらになにか聞こうと口を開けようとする。
「あ、はいっ!俺からその辺についてちょっとだけ言いたいことあるんだけど良いかな?」
「?どうした?」
挙手をして自分の意見を言うのを求めたのは叶野だった。
発言することを許されて、極めて明るく話し出す。
「誠一郎はねぇ……たぶん覚えてないよ。だって物凄い一生懸命だったからさ。
色々先走っちゃってつい下の名前で呼んじゃっただけ……だと思うの~。ね?そうだよね?」
「……ああ。勢いあまって、な。」
「そうなのか。そう言うことあるのか?」
「あっちゃったみたい~。」
「……そうか。なら僕からもう聞くことはないな。疑ったようなことを言ってすまなかったな、湖越。」
「……いや。」
……正直、少し苦しい気がする。こう言うと悪く聞こえるが……でも、こうとしか言いようがない。
叶野の言っていることは、たぶん言い訳だ。わざわざ湖越を守るように前に出てきて不自然だ。
『叶野以外には苗字で呼ぶのを崩さない湖越が先走ったり勢い余っただけで名前で呼ぶこと、あるのか?』
問うのはすぐにでも出来ることだ。今すぐにもしたい。
……だが、鷲尾も叶野の言い訳に納得していない様子だがこれ以上なにも突っ込む気は無さそうであることと、叶野が笑みを浮かべながらもその瞳は何かを訴えているように見えた。
『今は勘弁してあげて』
そう言われている気がした。
悲しそうなどうしていいのか戸惑っているようなそんな瞳だった。
それを、見てしまえば確かに何も聞けなくなった。隣の伊藤も叶野のことを見ていたようで。
「なんか、あいつらって……歪?だよな。」
「……そうだな。」
歪。一番的確な表現な気がする。
湖越と叶野は『親友』なのだとは思う。仲が良くて片方が困っていれば庇って、笑い合ってて一緒にいて楽しそうだ……そこまでは俺も伊藤も同じ、だと思う。
でも、なにか違和感を覚える。交友関係がそこまで広いわけではないので比べる対象が少なくうまく言えないけれど、この拭えない違和感は何だろうか。
伊藤の言う『歪』に同意は出来たものの、なにを以ってそう言えるのかの説明が上手くできなかった。
結局気まずいまま……いまいち、すっきりしないままだが……時間は過ぎ去りあっという間に放課後になり学校が終わってしまった。
……結局、湖越には何も聞けなかったな。
聞けるような雰囲気ではなかった。湖越もだが、叶野も。……いつか、この違和感の正体を掴めると、良い。
そう願いながら、とりあえず叶野と鷲尾がいつも通りになってよかったことを一先ず喜ぶことにした。
色々あって後手後手に回ってしまったが、やっぱり友だち同士が険悪だと悲しかったから仲が良いのを見れると嬉しかった。
たまには喧嘩するかもしれないけれど、きっと乗り越えられるものだと信じてる。
…………。
あ、バイトをするのはまた先送りになった。今度こそ落ち着いたらやろう。