2章 後編
自然の流れのように……いやもう普通に俺の家にやって来た伊藤。
いつも通りだ。俺の気持ち以外は。
お茶を自分の分をそれぞれ出してちゃぶ台を囲んで座る。
「……梶井と、話した内容なんだが。」
これが目的でありどう言い出すか悩んでいたけれど先ほどの伊藤と会話して(……甘えている、ということは自覚してる)言ってもいいんだ、とそう思えて単刀直入で説明することにした。
「俺が来たとき間が悪かったみたいで、睨まれて図星を突かれて辛辣なことを言われてな。」
「誰に?」
「?梶井に。」
「……笑ってか?」
「??いいや……?」
驚いた顔で変な質問をされて戸惑いながらも答えた。
間が悪くやってきた俺を睨んで図星をついて弱点を晒していたのは確かに梶井で(あの場には梶井と湖越しかいなかったのだから間違えようはない)確かな苛立ちを込めてしかめっ面でその垂れ目を釣り上げて睨んでいた。
笑ってはいない。苛立ちを覚えているのなら笑みを浮かべるひとは少ないはず。伊藤の質問の意味が分からなくて首を傾げる。
「……そうか。」
「?」
俺の答えにまじまじと顔を見た後、何故か納得したように頷かれて首を傾げる。
「いや、なんでもねえよ。
で?梶井から何を言われてたんだ?つか、そもそも湖越と梶井って接点あったか?話すところどころか一緒にいるのも見たことねえけど。」
軽く流され梶井の件を聞かれる。伊藤に疑問を覚えつつも伊藤の問いももっともで、この辺りはいつかまた今度聞くことにして今は聞かれたことに答える。
「……梶井には計画があったらしい。」
「けいかく?」
「ああ。」
梶井に言われたことを思い浮かべる。そう言えば詳しいことの説明はされていなかった。そのぐらい梶井の答えは衝撃的だった。
「湖越に自分の存在を刻み付けたい、て。」
「……なんだそりゃ?やっぱりあいつよくわかんねえな……。湖越とはどんな関係なんだ?」
「……そこまでは。湖越も話したく無さそうで、聞ける雰囲気では……。」
ただの愉快犯かと思えば彼なりの理由……計画があって、綿密に練られていたものだったんだと思う。
湖越と梶井は、いったいどんな関係だったのだろうか。
湖越が取り乱し戸惑いしかない態度に対して、梶井は湖越を親しく『誠一郎くん』と下の名前で呼び嬉しそうに湖越を見つめていた。
だが、この一連の騒動どころか伊藤の事件の首謀者である梶井を湖越は拒絶した。
そのときの梶井は深く傷ついた表情をしてた。
どう見たって湖越と梶井には過去何かがあったと思われるだろう。だが、それを知る術は……ない訳ではないが……したくないことでもある。
湖越は聞かれたくない雰囲気で、梶井はあまり見かけない。それならばきっと湖越の親友である叶野ならきっとなにか知っている、と思うのは自然の流れだ。
でもそれをすれば叶野は湖越からの信頼が無くなる可能性があるし、そもそも教えてくれないとも思う。本人が言いたくないことを言えと強要するのは酷だ、叶野の過去の話を聞けば尚更。
現段階湖越と梶井との関係性を知るすべがない、というのが俺の判断だ。
「そうだよな。まぁ、ここら辺で俺らが出来ることはねえな。」
「……。」
「で、梶井になんて言われたんだ?辛辣とか図星とか言ってたけどよ。」
「ああ。……梶井に、言われたんだ。俺は伊藤に甘やかされて甘えているって。記憶喪失のことをある程度知ってるみたいだ。」
俺は両親だけではなく伊藤のことも記憶から殺してしまっていて少なくとも3人殺していることを、俺は伊藤を忘れているのにそれでもとなりにい続けてくれている伊藤に甘えていて、それを良いことに自分は逃げているんだとあの紫色の瞳は責めていた。
あの瞳を思い出してはモヤモヤする。梶井を責める、という意味じゃなくて。何も進んでいないのに進んでいた気になっていた自分に。
伊藤が何も言わないでとなりにいてくれるのをいいことに甘受している自分に。
腹が立つ。
……けれど。
「まだ、いいだろ。だって透は……。」
「……いつかは、言い訳出来なくなるのは、俺もわかってるんだ。」
伊藤はいつだって優しくて俺のことを考えて庇ってくれる。きっと俺のその気遣いが嬉しい。だけどその分苦しくて悲しくなる。
気遣わてばかりで自分のことばかりになってしまう自分が、いやだ。
けれど、今この瞬間はこれでいいと言ってくれている伊藤にも、きっといつか「思い出してほしい」そう苦しんでしまうのも、分かってしまう。
伊藤だって人間で、やっぱりずっと忘れたままなのは苦しくて悲しくなると思う。それで、きっと俺を責めるのではなく『そう思ってしまった』自分自身のことを責めてしまうんだろうと察してしまう。
伊藤を苦しめたい、訳が無いのに。それでも今も自分も傷つきたくないなんて思ってしまう俺はきっとやっぱり最低な人間だ。
遠くない未来、思い出すことを決めても思い出せなずにいても、逃げられない息苦しい現実から、逃げ出してしまいたくなるんだろう。
「でも、俺逃げないから。」
どっちを選んだとしても、伊藤が苦しそうにしていたらそう訴えられても、俺は、逃げない。
何も感じないふりは、しない。
それが、俺が『唯一』出来る伊藤に向けて出来る『誠意』だから、怖くて苦しくて悲しくても前みたいに逃げたりなんてしない。
だって俺はもう独りじゃない。
独りでは押しつぶされてしまいそうなことでも独りだと逃げ出してしまいたいほどのことでも、今の俺は伊藤がいて叶野がいて鷲尾がいて湖越がいて、生徒の考えてくれる先生もいて。
手離してしまうには、逃げてしまうにはあまりにも過ごした時間は楽しいものだから。
逃げたくなっても逃げない。俺は、
「自分1人が、不幸なんてもう思わない。」
胸を張ってそう言えるのだ。
そう思えるのは全部が全部ではなくとも、そのきっかけを与えてくれたのは目の前の伊藤だ。
感謝から自然と笑みさえ零れてしまう。これが通じればいいな。