2章 後編


自分に嘘ついて、勉強から逃げ出していた俺。自分で選んだはずのことだ。自分で選んで勉強を真剣にしようとせずテストも手を抜いて、無難に公立高校へ入学を選んだ。
でもきっと自分は本当はちゃんとやりたかった。
だから、かな?
鷲尾くんが誰とも関わり合いになろうとせず一直線に勉強を頑張っているのを見て『羨ましい』なんて、思っちゃったのは。
そしてそれを邪魔してしまおうなんて思ってしまったのは。

クラスに馴染もうとしなかった鷲尾くんを心配していたのは本当だけど、それ以上に勉強に集中している鷲尾くんを羨ましくて妬んだ。
自分で真剣に勉強しないことを選んだくせに、勝手なことだけど、確かに嫉妬した。
だから、邪魔しちゃおうと思った。
成績を落としてやろうとか絶望に叩き込みたい、とまでは思わなかったけれど。自分が出来ないことを平然とできちゃう鷲尾くんがなんだか、悔しくて。
周りの意見に飲み込まれないところとか、自分の意見をそのまんま通すことの出来る、俺には出来ないことができる鷲尾くんが、俺の眼からするととても大きくて。
無駄に絡みに行ったり、他の人には言わない暴言を冗談交じりだけど言ってみたりして。無視すればいいのに律儀に反応してくれる鷲尾くんに安堵をおぼえた。
鷲尾くんは俺に怒ったりしなかった。失礼なことを言ってそれに対抗することを言われたりはしてたけれど、じゃれているの範囲内だった。彼のことを甘く見ていた。真剣に勉強して本気でテストに精を出す鷲尾くんに対して俺は、真剣とも本気ともかけ離れていた。それを見て、鷲尾くんがどう思うかなんて火を見るよりもあきらかだったのに。

『真面目にやっている奴に失礼だろう!!』

あの言葉が、一番心に来た。思い出すだけで胸が裂けそうなほど痛んだ。
あのとき誠一郎の背に隠れていて庇ってくれたけれど……鷲尾くんのいうことはもっともなことだった。
鷲尾くんからすればきっと俺のことは許せないものだと痛いほど分かった。鷲尾くんの言うことは間違ったことじゃない。ぐうの音も出ないほどの正論だった。
……内心、俺のこと知らないくせに、なんて思ってしまったことは認めるけれど……でもそれと同じように俺は鷲尾くんのことをなにも知らないんだ。
きっと俺が心から誰のことも信じられなくてテストに打ち込むことができないのと同じぐらいの訳が鷲尾くんにもきっとあるんだ。そう思って受け入れた矢先。責められた次の日鷲尾くんから手紙をもらった。
責められて誠一郎に言い返されて出ていった鷲尾くんを一ノ瀬くんは追いかけた。
俺は一ノ瀬くんが戻ってくるのを待つべきか考えたけれど、結局戻ってきてもなんて声をかけていいのかわからないと考え直して帰ってしまった……。
鷲尾くんからの呼び出し。簡潔に放課後裏門に来てほしいとだけ書かれていたメモを持って心配した誠一郎と一緒に裏門へ向かい

「叶野……昨日、酷いことを言って傷つけて悲しませてしまって、すまなかった。
湖越も大事な友人を傷つけて、すまなかった。」

鷲尾くんの重い謝罪が俺にのしかかった。
鷲尾くんの過去の断片を聞いての謝罪に内心『許したくない』と思いながらもそれを受け入れるつもりだった。
だけど、鷲尾くんはそれを否定した。

叶野の本当の意志を聞きたい。
叶野自身の意見を聞きたい。
叶野の『本当』を教えてくれ。

そう言われた。
俺の本当。今はどこにあるか見失っていた俺にとってその言葉は取り乱してしまうのに十分だった。
取り乱し、叫ぶ俺に鷲尾くんがどんな表情をしていたのか覚えていない、たぶん見ようともしなかった。だって、恥ずかしい。醜いところを見られてしまったんだ。
……ああ、でも。
卑屈になっている俺に鷲尾くんは真っ直ぐ見つめて、前のようにカッとなったりせずもう一度真摯に謝罪してくれたことと

「その頭の良さを活用しないのは、酷く勿体ないことだと僕はおもう。」

隠し事もお世辞も苦手な鷲尾くんが、そう言ってくれたことを鮮明に覚えている。
前までは言われたことのなかった『また明日』の言葉にも驚きを隠せなかった。じわっと涙が浮かんで、その場に座り込んで泣くのを辞めることができなかった。

しばらくしてようやく落ち着いて帰路に着いたとき、誠一郎は「お前は悪くない、そのままでいい」と言ってくれたけれど、ああやって鷲尾くんが俺に向き合ってくれて本音を隠すことなく言ってくれたのに。
(俺は本当にこのままでいいのかな)
本当を言う鷲尾くんに、俺は自分に嘘をついたままでいいのか。そう、初めてちゃんと疑問を覚えることができた。
最初は突っ撥ねていた鷲尾くんの言葉はじわじわと毒のように回っていく。
(まだ、俺は嘘を吐くの?)

自分自身にそうやっと疑問を覚えてもなかなか向き合うことのできないもどかしさと戦うことになった。
ずっと逃げてきた代償、なのかな。
あの日以来鷲尾くんは俺に対して時折視線を投げかけてくるけれど、気付かないフリをしてやり過ごした。
鷲尾くんと対峙するには、あまりに自分は汚くて、思考はぐじゃぐじゃでまとまらない。
結果として鷲尾くんや……一ノ瀬くんたちも。一ノ瀬くんたちにはなんとか挨拶だけはしてるけれど、それ以外はちょっと避けてしまった。

一ノ瀬透くん。
GW明けてやってきた時期外れの転校生。とても、綺麗なひと。
整っているなと思った羽佐間くんのことが薄れてしまうほどの美しい顔立ち、その灰色の瞳は自分が映ってしまうのが後ろめたくなってしまうほど綺麗だった。
けれど、それ以上に中身が綺麗なひと。
頭が良くて、少し自分に自信がなくて、でも周りの人のことを大事にしてくれるそんな人。
そんな彼に友だちってなんなのかと聞かれて、出した答えは俺が小学生のとき思っていた答えだった。今では、すっかり曇ってしまった答え。一ノ瀬くんに考えすぎなくていいと言っておきながらそう答えた自分は人間不信だ。
本当は一ノ瀬くんが言ってくれたことは嬉しかったのに。
自分が許したからと言って叶野は許さなくてもいい、と言ってくれたのが。俺のことを大事にしてくれたのに。
俺は、自分のことばっかりで。怒鳴ってしまって。

『許したくない』と『許さなくちゃ』がいっしょになってぐちゃぐちゃで。
俺もどうしていいのか分からない。
結局鷲尾くんに本音を言えなかった。あんなに真っ直ぐ俺に向き合ってくれたのに、俺はいつも逃げの体勢から崩せずにいる。
鷲尾くんにも一ノ瀬くんにも俺は誠意のあるとは言えない態度ばかりで……伊藤くんももう俺のことなんてどうでもよくなっちゃっただろうなと思ってた。
鷲尾くんとは違う意味で一人でいる伊藤くんに話しかけていたのは、ただの自己満足だった。
伊藤くんも別に一人でも平気そうだったけれど、自分自身が孤立していたことを思い出してしまってのことだった。
『誰か、俺に普通の態度で話しかけてほしい』
そうずっと思っていたから。
1人でも平気そうでもなんでも伊藤くんが来たら挨拶したり話しかけていたのはそんな理由だった。
彼のことを心配していなかった、とまでは言わないけれど、おおもとの理由はそんなものだったんだ。
それが分かっていたのか、伊藤くんが俺に心を開いたりはしなかったし、深く話したり笑い合うようになったのは親密な仲を匂わせる一ノ瀬くんが来てからのことだった。
俺なんかよりも一ノ瀬くんのほうが大事だろうし、今では伊藤くんにもだけど一ノ瀬くんにも冷たい態度をとっているのだから、俺に憤りを感じてはいてもそれ以外の感情はないだろうなと思っていたけれど。

「叶野、英語教えてくれねえか?」

だからまさか、伊藤くんがそう言ってくるなんて驚いた。
「俺でいいの?」
驚きすぎてなんだかドラマや漫画みたいなことを言ってしまった。
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