2章 後編


あの後、俺は夏休みにも集まった公園に誠一郎に連れられた。
誰もいない公園のベンチに並んで座って真面目で堅い声で「なにかあったのか?」と聞いてくれた。
いつの間にか買っていたのか水の入ったペットボトルを手渡されていた、それをぎゅっと握りしめて涙が溢れそうになりながらも、自分に起こったことすべてを伝えた。

家族みんなで集まることがなくなってしまったこと、テストを終えてからいじめが始まったこと。
今日友だちと思っていた子に自分の家のことを話された上嫌われていたことを知ってしまったこと。
そして……ついさっき、いじめの首謀者に

「いじめを辞めさせてあげるから、付き合えって。」
「……」
「もう、どうしたらいいか分からないんだ。付き合わないともっと酷いいじめを受けるかもしれない。だけど、好きじゃないのに付き合いたくないんだよ……。
どうして、好きなひとをいじめることができるのかおれ、分からないよ。飽きられたらどんなふうに捨てられるのかもわからないし……。」

誠一郎は何も言わずにただ俺の話を聞いてくれた。
誰かにこんなに事細かに話すのは初めてだ。……家族みんなでもう会えていないことも、三木くんにも言っていなかったから。初めて無視されたその日に起こったことだったから。
先生にもいじめのことを伝えたときもこんなに言わなかった、だって面倒くさそうにしていて真剣に聞いてくれそうになかったから。
家族にも、言えなかった。心配かけさせたくなかった。前にも木下くんとのことがあって後ろめたかった。それに今父さんも母さんも勇気も忙しいのに相談なんてできなくて。俺のことで時間をかけてほしくなかった。
三木くんも、今日嫌いだって言われたばかりだしね。
だから、こうして俺の話を聞いてくれる誠一郎がありがたくてうれしくて、ぽろぽろと零れてしまう。

「っおれ、なにかわるいことしたかなぁ……!」

ついに吐き出してしまった。
一回吐き出してしまった弱音はもう戻ることはなく、そのせいで勢いづいてずっと我慢していたことが勝手に口からこぼれ落ちてしまう。

「ただ、おれは……家族みんなでいたくて、まじめに勉強して全力でテストに挑んだだけなのに、」

ただ笑ってほしかった。笑い合ってほしかった、父さんにも母さんにも勇気にも。そして俺もその環境下で笑いたかった。今までのような作り笑顔じゃなくて、心から。
ただ俺は自分なりにがんばって勉強していたかっただけなのに、誰に言われるでもなく誰かと競うのでもなくただ自分のためにやっていたかっただけなのに。

「一番になりたいとかじゃない、だれかの上に立ちたいとかじゃなくて、ただ、普通に学校で生活したいだけなのに、」

ただ、友だちとなんでもないことを笑い合えるそんな日常を望んでいただけなのに。それだけ、なのに!

「なんで、おれの望んだものがなにもないの……」

ポロリと出てきた言葉。
これ以上はだめ。俺の環境は他の人から見れば不幸とは言えないのに。自分が誰よりも不幸ではないのに。わかってる、俺は飢えにもお金にも困ったことがないし親から虐待を受けている訳でもない。
こうして、だれか一人でも俺の話を聞いてくれる誠一郎がいてくれるだけでも俺は恵まれている。わかってる、わかっている。
頭では分かっているけれど、言葉は勝手に出てきてしまう。

「なんで俺ばっかり我慢して耐えて、哀しくて苦しい思いをしないといけないのっ、どうして、おれにはほしいものはなにももっていないの、なんでおれはいじめられてるの!」

なんて醜態。なんて醜いわがまま。きっと訳もなくいじめられている人は俺以外にもたくさんいて、俺は望まない選択さえすれば明日からいじめられなくて済むこともできるから不幸ではないのに。
でももう止まらない。ああ誠一郎困っているだろうな、でも誠一郎の顔を見る勇気はない。

「ただあのひとにはふつうに接していただけだ!なんで気に入るのかわかんないよ!!普通の扱いに喜んでそれだけで俺のこと好きになるとかゆがんでるよ、どんだけ今まで特別扱い受けてきたんだよ!!
顔がちょっと良いぐらいしか良いところないそんな人と付き合いたくなんてない!というかなんでみんなあいつのこと好きになるのかわかんねえよ!!」
「っ落ち着け、というかお前のそんな言葉遣い初めて聞いたぞ。」

悲しみ通り越して怒りすら芽生えてくる。今まで吐き出せていなかった分がここぞとばかりに吐き出せるものだから言葉遣いも荒くなっていくのを誠一郎に宥められる。
背中をさすられて落ち着きを取り戻す、と同時に涙が次から次へと溢れて止まらなくなった。

「……もういやだよ。誠一郎」
「のぞみ……」
「……。」

『たすけて。』
またそう言いそうになって、口をくっと噤んだ。
だって、言ってもどうにもならない。
明日、俺は『付き合う』と彼に答えるんだ。そうすれば、丸く収まる。
俺さえ我慢して彼のご機嫌を窺えばいい。いつか捨てられることに怯えながら過ごすんだ。それで……たまにこうして誠一郎といられれば、おれは壊れずにいられる……とおもう。
久しぶりに吐き出したおかげか気分は悪くない。……問題は、そのままだけど。
随分長く話し込んでいたみたいで辺りはすっかり暗くなっていた。
……そろそろ、帰らなきゃ。
誠一郎を付き合わせちゃったし、きっと夕ご飯も出来上がっているころだろう。俺も父さんが帰ってくる前にご飯作らないと。

帰ろっか。

黙りこくってしまった誠一郎に笑顔を作ってそう言おうとした。

「のぞみ、もう学校行くな。」
「……え?」

ずっと静かだった誠一郎が言った。
言われたことが一瞬分からなくて間抜けな声が出てしまったけどそれを気にする余裕は無かった。
理解できずに俺の手を掴んで俺と目を合わせながら

「もう頑張らなくて、いい。お前は充分頑張った。……希望はずっと辛かったのに、気付けなくてごめん。」

泣きそうな顔でそう言ってくれた。
まだ大丈夫だよ、俺が言わなかっただけだから誠一郎が謝ることないよ、そう言う言葉がすぐに浮かんだ。だけど言えなかった。

「っ……ふ、っ!」

誰にも言われなかった。だけど、誰かに言ってほしかった言葉だったから。
頑張っていたことを認めてくれた。そのうえでもういいんだって許してくれた。おれは、だれかにそう言ってくれることを望んでいたんだ。自分では気づけなかったけれど言われて初めて気づいた。そう言ってほしかったんだって。
涙が零れて止まらず、目の前の誠一郎に抱き着いてわんわん泣いた。そんな俺を受け止めてくれた。

「ふ、うぅ、あ、ぅああああ!!せいいちろう、誠一郎っ」
「うん」
「……たす、けてっ、たすけて、くれ!」

「わかった。」

振り絞った言葉を捨てずに受け止めてくれた誠一郎。
俺は、その日から誠一郎に対して『友情』だけではなく『執着』を持つようになった。
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