1章『それぞれの想い。』
時間は今7時40分。
……まだ出るつもりでいた時間にもなっていない。
確かに俺も早く来たけど、伊藤はもっと前からいたっぽい。首を傾げる。
なぜ首を傾げているのか伊藤は察したようにあっと声を出した後俺からそっぽ向いて
「……待ちきれなかったから」とぶっきらぼうに言った。
俺は伊藤の反応になんとも言えない気持ちになる。どれほど伊藤は『一ノ瀬透』と言う存在を求めているのだろう。
記憶もないのに、俺を透って呼んでくれて。
なのに伊藤は俺に何も求めない、思い出せとも嘆くことも怒ることも憎むこともない。
俺は、忘れているのに。
両親のことだけじゃなくて、伊藤のことも俺は殺した。自分のなかから思い出を消す、なんて殺しているも同じだ。
昨日はあれだけ浮かれていたのが、嘘のように沈む。こんな前の俺を知っている人物と出会うと言う可能性を考えもしなかったなんて、馬鹿だ。
沈む俺を心配したように「体調悪いのか?」と声をかけてくれる伊藤。
首を振って、「……行こう」とだけ言うと首を傾げながらも頷いて伊藤は隣を歩いた。
時間的に社会人の出勤、学生の登校時間帯で駅に近付く度に人が多くなっていく、それに比例して俺へ向ける視線が多くなった。
学ランのボタンを一番上まで閉めているだけで顔を隠すものがないので、どうしてもそのまま自分の顔を晒して歩くだけしかない。
隣を歩く伊藤に最初は目を合わせて伊藤の話を聞いていたのだが、徐々に増えていく視線の数に居心地が悪くて俺の顔も下を向いて行った。
最終的にはもう自分の履いているローファーしか見えていなかった。
「やっぱり調子悪いんじゃないか?今からでも家帰らないか?」
と伊藤は優しく言ってくれたのに、俺は首を振るだけしかできなかった。
帰るなんて駅まで来たのに二度手間だったし、なにより彼に連絡を入れるのが気が重かった。
点滅している携帯を無視して未だに昨日届いたであろうメールすらも見ていない。
彼に出来る限り迷惑をかけたくない。両親のことで迷惑しかかけていなかったから。
それに本当に体調自体は悪くないのだ。
……ただ、
「……視線が」
「しせん?」
「……見られるの、苦手なんだ」
それだけ。
それだけだから、俺が我慢すればいいだけだから、気にしなくていい。
たいしたことないから、という意思表示のつもり俺は伊藤に耳打ちしたのだ。
俺の言ったことに首を傾げながら伊藤は周りをぐるっと見渡す。
伊藤は周りのことに気にしていなかったようで、ほとんどの人がこちらじっと見ているのに少し驚いた様子で小声で「うお」と呟いた
かと思うと
「てめえら、人のことジロジロ見てんじゃねえよ。見世物じゃねえんだよ、鬱陶しい。」
俺に向けていた笑みとか心配そうな顔から一変して不特定多数を睨みつけ、俺と話す時よりも低くどすの効いたイラついた声でそう言い放ったのだ。
声は響き渡りこちらに視線をやっていた人たちは慌てて視線を外した。
「これで大丈夫か?」
「……ん」
また打って変わって俺の様子を見る伊藤は眉を寄せて心配そうに声をかけてくる。
伊藤の変わりように対応しきれていない俺は頷くしかなかった。それならよかった、とカラッと笑いかけてくる伊藤はさきほどと同一人物とは思えない。
……そういえば、穏やかな笑顔のおかげで疑問に思わなかったが、実は伊藤は不良と呼ばれる人物なのでは。
染めすぎて痛みを訴えている金髪に三白眼、俺と同じぐらいの目線なので177㎝は絶対あるし、制服も学ランの釦をすべて開けて下には赤いシャツを着て、両手をズボンのポケットに突っ込んで。
……あ、これよく見る不良と呼ばれる人だ。今気づいた。
別に気にすることではないけれど、前の学園ではこんなあからさまな典型的な不良の格好をしている人はいなかったので少し感動する。
「……ピアスは開けてないんだな」
ピアスだけではなくアクセサリーの部類は身につけていない。
ネックレスも指輪も、そして不良だけでなく最近はよくピアスを開けているを見かけるが、彼の耳は傷一つない。
いきなりそんなことを言う俺に
「……体に穴をあけるとか、怖くね?」
と、強面な見た目に似つかわしくないことを言った。
だが確かに、俺もわざわざ穴をあけるとかしたくないな。と頷いて納得した。
あえて伊藤には言わないけれど、未だ周りの視線はあからさまなものではなくなったが、こちらをチラチラと見ている人は多数。
凝視されるよりはいいか、とこのぐらいは我慢することにした。それに、となりに誰かがいる、と言うのも心強かった。
俺が視線で調子悪くなったのを自分の評価を気にせずこっち見るな、と言ってのけた伊藤がとても頼もしかった。