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2章『結局のところすべては自分次第。』


ピシャと閉まる扉の音が聞こえる。これでまた密室空間になった。
五十嵐先生が保健室の扉を閉めてこちらへ歩み、さっきまで一ノ瀬くんが座っていた椅子に腰かける。
いつもと同じ笑みなのが、正直言うとすこし怖い。

「とりあえず座りましょうか?立ちっぱなしって疲れません?」

そう冷静に……五十嵐先生にすごく敬語で言われて、激高して桐渓さんの胸倉を掴んでしまった手を下ろして座る。
桐渓先生は忌々しそうに舌打ちして、ドカッと座った。
行儀がいいと言えない桐渓先生の態度に何の感情を見せることなく、五十嵐先生は僕らが座ったのを確認すると本題に乗り出す。

「桐渓先生と岬先生の声、外まで聞こえてましたよ。なにやら物騒な会話をしていましたが、話し合いの内容は昨日一ノ瀬が帰りのHRが終わっていないのに学校を飛び出してしまった件ではなかったのでしょうか?」
「……お前には関係あらへんやろ。」
「ま、そうですね。桐渓先生たちの事情を一ノ瀬の担任である岬先生ならばともかく、となりのクラスの担任である俺が口だせるものではない。おっしゃる通りですね。」
「そこまでご理解いただけてありがたいねぇ。なら無関係の五十嵐先生は口出さんでもらってええ?」
「ええ。そう考えて今日俺は席を外したんですけどね。俺もお節介ながら様子を窺っていたのですが……。
教師2人が怒鳴り合い取っ組み合いになっているのを見せられる一ノ瀬のことを想うと居ても立っても居られない気持ちになってしまって、ここに来たのですが。」

五十嵐先生は自身を邪険に扱う桐渓先生をもろともせず切り込んでくる。
それは、五十嵐先生にだけ向けた言葉ではなく僕にも刺さる言葉で身が小さくなる思いだ。
手を先に出してしまったのは、僕だ。
昨日のことではなく過去のことを引っ張り出して、悪意を以って傷つけようとする桐渓先生の姿を見ていたら、身体が動いてしまった。
もっと手を出さずとも話し合いで済むようにするつもりだった。
それなのに生徒を怖がらせて泣かせてしまって、罪悪感で胸が苦しくなる。
僕は何も言えない。教師としてあんなことしたくなかったのにしてしまったことを悔やんだ。
桐渓先生も納得いってない顔しながらもさすがにここは学校であると言うことを思い出したのかばつの悪そうな顔をしていた。……反省は、あまりしていないように見えた。

「……お2人とももう少しでいいので一ノ瀬自身のこと見てやってください。
生徒とかそう言うの関係なく、一ノ瀬と言うただひとりの人間のことを。ああやって本人を置いてけぼりに怒鳴り合っているのを見せられたら、あいつ可哀想ですよ。」

五十嵐先生にそう懇願するような響きでそう言われてはじめて一ノ瀬くんの立場を考えてみた。
大人たちが、急に自分のことで怒鳴り合い掴みあっているのを見せられて……そう言えば僕庇うことばかりに夢中でちゃんと一ノ瀬くんの意志を聞いていなかったと思い至り後悔した。
自身の未熟さに嫌気がさす。そんな自責の念に捕らわれたけれど、
「……は、なんや。けーっきょくお前も透庇うんか。」
桐渓先生は口角を歪ませて五十嵐先生を馬鹿にするように……責めるように、そう言った。

「どいつもこいつも。俺の気持ちを考えずよー言えるわ。ほんとう、なんで俺ばっかそう言われなきゃあかんねん。
なんで俺を悪者扱いすんねん。こちとら、親友と幼馴染失ってるんやで。そんでどうして俺ばっか責める。それおかしくないんか?
確かにあいつ子どもやけど子どもだからこそやったらあかんし許されないことしたんやで。
あいつ、何も傷ついていないばりの無表情やん。いっつもそうやで?あいつは何も気にしていないんやから。俺があいつに責めるのは無理なくない?」

不貞腐れたように口を尖らしている桐渓先生の言葉がさっきのように理解できなかった。
この人は、何を言っているのか。
さっき何とか治めることに成功した怒りがふつふつと湧き上がってくる。
子どもだからこそ?無表情だから責めても、いいって?

「……桐渓先生あなたっ!」

また感情のままに叫び掴みかかりそうになった。けれど、そんな僕より先に五十嵐先生の言葉のほうが早かった。

「桐渓先生は、一ノ瀬越しにだれを見ているんですか?」

感情のままに桐渓先生に掴みかける僕とは真逆に、普段賑やかで大きな笑い声が絶えない五十嵐先生が何の感情のない冷静な声で問う。
真っ直ぐ桐渓先生の目を射抜いて、何の表情のない顔で。
その表情は一ノ瀬くんの変動の少ない顔よりも『無』だった。
桐渓先生は五十嵐先生のいつもと違う様子に一瞬固まったけれど、すぐにいつも通り口角だけ上げた。

「一ノ瀬透って言うやつを見ておったけど?」
「確かに見てはいましたね。けれど、ちがう。あなたは一ノ瀬を見ていない。
何をそんなに一ノ瀬に執着しているんですか。憎んでいる……だけではない気がする。
一ノ瀬を傷つけようとして……さっき一ノ瀬の泣いた顔を見たとき、あなたは楽しそうでしたよ。
今の笑みとは全く違う。もっと暗い愉悦に浸っている顔をしてました。」
「っ!」

そんな表情を浮かべていたのか、と僕は伊藤くんの登場にばかり目を瞬かせていて気が付かなかった。
でも、どうして?どうしてそんな表情を浮かべるのだろうか。僕は、傷ついた顔も泣いた顔ももう見たくなんてない。どうしてそんな顔を見てそんなことを思えるのか、信じられない気持ちになる。

「もう一度聞きます。
あなたは、だれを見ているんですか?一ノ瀬を通して、だれを映していたんですか?」

「だまれだまれだまれだまれぇっ!」
「うおっ!?」
「五十嵐先生っ」

冷静を貫いていた五十嵐先生が驚きの声を上げる。
そうなるのは仕方ないことだ、だって桐渓先生がいきなり机の上に置いてあったファイルを五十嵐先生にめがけて投げつけたのだ。

「大丈夫ですか?!」
「お、おお。平気だ、驚いたけどな。」
「お前も九十九みたいなこといいやがってっ!」

唐突に知らない名前を出して五十嵐先生に向かって叫んだ。
理科担当だけどプライベートで身体をよく動かす五十嵐先生はギリギリで投げつけたファイルを避けれたらしい。避けられたファイルは後ろの壁にゴッと鈍い音を立てて激突しバサッと床に落ちていった。
まるで癇癪を起こした子どものように桐渓先生は「だまれ」と「出て行け」を交互に繰り返しながら力なく筆記用具やクリアファイルをこちらに投げてくる。
今は軽いものだからいいけれどこのまま薬品まで投げられたら危ない、と五十嵐先生は判断して言われた通り黙って保健室を出て行くことにした。僕も五十嵐先生に続いて保健室を出る。
出る寸前桐渓先生のほうを見ると、普段のおもしろくて接しやすい生徒に好評な若々しい先生が嘘のように、目が虚ろでぶつぶつと何か言いながらモノを投げている姿に恐ろしくてなって目を逸らした。


「いやービビったなぁ。」
「そう、ですね。」
「触れてはいけないところに触れてしまった感があるな!」

保健室を出て職員室まで向かうときにはもういつも通りの五十嵐先生になっていた。
まるでさっきの無の表情が嘘のように快活で豪快な雰囲気に戻っている。すこし混乱するけれど……さっきのことは夢ではない。
それなら僕が言えることは、一つだ。

「五十嵐先生、ごめんなさい」
「まぁまぁ!謝るなら一ノ瀬にってことで!」
「はいっもちろんです!ありがとうございます!」
「おう!」

一ノ瀬くんの気持ちを蔑ろにしてしまったこと、それに気付かせてくれたことへの謝罪とお礼を告げればいつも通りの大声で受け取ってくれた。
ちょっとだけ。さっきの無の表情が怖かったしどちらが本当の五十嵐先生なのかと疑ってしまうし僕にはどちらが本当なのかなんて判断できないけれど、きっと今の五十嵐先生も本当だとそう思うからそこらへんはあまり気にしないことにした。
……昨日と今日の朝桐渓先生と喧嘩になりそうになったのを止めて、さっきも僕らを止めてくれたことに関しては気にしなくてはいけないけれど…。感謝してもしきれない。さっき一ノ瀬くんの苦しそうな顔していたのに気づくこともできなくてもっと傷つけてしまっていたのかもしれない。そう思うと、ぞっとする。
今度、何か奢ろうかな……。それよりなにか菓子折りでも買っていった方がいいのだろうか?いやそれは重いかな?うーん……?
自分の不甲斐なさに嫌になりつつ、どう五十嵐先生にお礼するか考えている僕をとなりで微笑ましく見られていたことに気が付かなかった。
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