2章『結局のところすべては自分次第。』
「一ノ瀬くんが謝るしか出来ないようにさせているのは、桐渓さんじゃないですか。」
俺らを静観していた岬先生がそう言う。
揺れることのない水面のような静かな声なのに、嵐のような響きを持つ不思議な声。
桐渓さんから視線をそらして岬先生を見つめる。
「それになぜ今一ノ瀬くんがひたすら悔やんで苦しんでいるであろう過去を持ってきてんですか、そこを責めるのは今は違うんじゃないでしょうか?
呼びだしたのは一ノ瀬くんがまだ学校を終えていないのに飛び出してしまったことに関してですよね?どうして今過去の話を持ち出すんですか。
わざわざそれを持ち出すなんて、そうまでして一ノ瀬くんを傷つけてたいんですか。」
桐渓さんを睨みつけるように見つめながら、岬先生は厳しく桐渓さんを責めた。
今まで岬先生から目をそらしていた桐渓さんもそうまで言われことは心外だったのか、ハッと笑いながら濁った眼で岬先生を見つめる。
「……こいつが、反省しているように見えんからなぁ。
前に岬先生には話したけど、俺もこいつのせいで親友と幼馴染失ってるんやで?
岬先生は痛いぐらい正義感強いお人やからねえ。そりゃ生徒のこと庇いたくなって俺のこと悪者にしたいんやろうけどなぁ。
責めたくなる俺のこともちょっとは気遣ってもらってもええんやない?」
「反省していないって理由だけで一ノ瀬くんを一方的に傷つけて良いんですか?少なくとも僕にはそこら辺に至っては納得できない。
あなたは確かに親友と幼馴染を失ったのでしょうけれど、一ノ瀬くんも両親を失っている。辛いのはあなただけじゃない。一ノ瀬くんだって辛かったはずです。
どうして、悲しんでいる一ノ瀬くんにそう言えるんですか。」
「…岬先生、」
桐渓さんの言うことに岬先生はどこまでも冷静だった。温度のない文字通り冷たく静かな口調で、桐渓さんの言葉に真っ向から反論する。目をそらすこともない。表情を変えることもない。
俺のことは担任だからきっと他の先生よりは知っているんだろうなとは思っていたが結構知っていたことは予想外だった。
転校してきた日は桐渓さんは岬先生に親しそうだった気がする。桐渓さんから色々話を聞いていたんだと想像はついた。
岬先生の言葉はきっと正論だと思う。それと同時にすぐ(あ、まずい)と思った。言葉を遮ろうとしたけれど、一拍遅かった。
つい俺が岬先生を呼びかけて視線を俺に向けたと同時に、桐渓さんが火が付いたかのように
「っほんと、うっさいわ!何も知らん岬先生に教えたるわ!!
ええか、薫と灯吏はこいつを庇って死んだ!そのうえ!こいつはなぁ……!
その両親のこと忘れてるんやぞ?!
庇ってもらっておいてっそのせいであいつらが死んだのにっ!こいつは、ぜんぶわすれて……。」
立ち上がり俺を指さして、そう桐渓さんは叫んだ。
心からの、掠れた声の『悲鳴』だった。俺は、その叫びを聞いたことがある。
俺のすべてを憎んで、両親の死を悲しみ嘆く姿を。
俺が起きたときと同じ……すがた。
胸が痛んだ。『今の俺』は、その傷ついた姿を2番目に見た。今のように責めて、傷ついた顔の桐渓さんの姿を。前のときは祖父がその後ろで同じような顔で見ていた、あのときを思い出して刃物で切り付けられたと同じぐらいの痛みが、心臓を襲う。
桐渓さんは保健室で、俺の罪を糾弾した。
叫びのあと、またしても痛くなりそうなぐらいの静けさが襲う。
そこら辺の事情はきっと説明されていなかった岬先生が桐渓さんが告げた事実に、目を見開いたのを視界にとらえて俺は目を逸らした。
……優しくしてくれた人が、自分を見る目を急変させるのをもう見たくなんてなかった。
記憶のない俺の両親を大事に想っていた桐渓さん。
俺の罪。両親を死なせてしまったことと、その両親を忘れてしまったこと。
伊藤に自分の罪を告白して。それでも俺の味方だからと言ってくれた。でも、岬先生はきっと桐渓さんに同情すると思う。
だって、俺より長い付き合いだから。俺に対してだけは酷いけれど、それは仕方ないことで、それ以外はきっと良い人なんだとおもう。
俺のことを抜きにすればきっと空気を読むことに長けていて優しい先生なのかもしれない。
俺は『一ノ瀬透』だから。……桐渓さんの、大事な人を奪っておいてその大事な人を覚えていない『一ノ瀬透』だから、俺のいないところの桐渓さんのことは分からないけれど、評判自体悪くないようだった。
クラスメイトは桐渓さんを『おもしろい関西弁の先生』『いつも笑顔の先生』って言っていたのを俺は聞いてる。前に職員室にいたときも女性教員に見られていたし、俺が思うよりも良い先生らしいから。
俺は、大丈夫。
岬先生が仲の良い桐渓さんの味方になるのは当然のことだ。
優しい岬先生だから、俺のことを蔑ろにはしなくとも多少距離を置かれてしまうだろうと予想する。
でもだいじょうぶ。俺には伊藤がいる……いや、でもどうだろう。俺の話を聞いてくれるだろうか。きっと、だいじょうぶだと思うけれど、自分に自信がない。
俺の味方だと言ってくれたけれど、今の微妙な感じだとやはり不安だ。言わなかったことを謝って、しっかり事情を説明すれば大丈夫、だろうか……。
俺の悪いところはすぐに伊藤のことを考えてしまってその場を疎かにすることなのかもしれない。俺は気付けなかった。
岬先生が、桐渓さんが唐突に叫んだ事実を何を言ったのか理解して目の色が変わったことに。
冷静であったはずの岬先生が一気に興奮状態に陥っていたことに。
そもそもどうして岬先生があんなに焦って朝のHRに来たのか、そこらへんが頭から抜けていたのであった。
目を逸らして伊藤のことを考え始めてしまった俺も、自分の湧き上がる感情に委ねていた桐渓さんも、岬先生を見ていなかった。
「っ記憶喪失の子どもに、あんたはそう責めたのかっ!?
なにしてるんだよっ!!」
悲痛と怒りが入り混じった、桐渓さんを責める岬先生の声を聞くまでは。