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2章『結局のところすべては自分次第。』


「とりあえずこの話はお終いにしようか」

頷いた俺らに嬉しそうに笑ってそう締めて、お開きになった。
……。
「俺は話したいことあるから、先に戻っててくれ。」
このまま出て行ってしまおうかなんて考えが一瞬過ったが、そんな卑怯なことは出来ないと思い直して鷲尾にそう言った。
鷲尾は不思議そうな顔をして首を傾げながらも「わかった。僕は先に戻る、授業遅れないようにな。」と理科準備室を出て行った。

扉が閉まった音が聞こえたと同時に、

「……ごめんなさい」

目の前の岬先生に頭を下げて謝る。
え、どうしたの!?そんな慌てた声が耳に入る。確かに突然謝られてしまったら理由なんて分からないだろう。……俺のせいなのに、岬先生は俺を悪いとも思っていないんだろうけれど、それでも、俺の気が済まない。
「……桐渓さんに、何か言われたんですよね。」
朝あんな急いで息を切らしていた岬先生を思い出して苦しくなる。いや、もしかしたら昨日も怒られたかもしれない。
昨日俺が勝手な行動をしなければ、岬先生が怒られることや何か言われることはなかったのに。それでも俺は昨日の行動を間違いとは思っていない、それが尚更申し訳なく感じた。
『このまま理科準備室を出て行きたい』と思った理由ではないけれど、岬先生に合わせる顔がなくて俯いて反応を待った。

「一ノ瀬くんが謝ることじゃないよ。」

穏やかな答えとともに軽く頭に衝撃。叩かれているとかではない、俺の頭を優しく何回も往復している。
驚いて顔を上げる。
変わらない笑顔で右手がこちらに伸ばしている。そこでやっと俺は先生に頭を撫でられていたのだと知る。
「一ノ瀬くんの行動が間違ってると思ってないよ。鷲尾くんが心配だったんだよね?褒められても怒られることじゃないよ。」
他の先生の意見はどうかはちょっとわからないけどね。と、最後は苦く笑いながら言った。
「……でも、俺のせいで責められたんじゃないですか」
「ちょっとだけね。でも生徒の行動に責任をとるのも僕のお仕事ですから。」
悪戯した子どものように笑いながら先生はそう言う。口調こそ少しふざけているが、その目は真剣そのものだ。
「だからね、一ノ瀬くんは好きにしちゃっていいよ。」
「好きに、ですか……。」
「うん。だって、一ノ瀬くんは自分の行動に後悔はしていないように見えるしね。……頭で考えるよりも行動してしまうそんな気持ちを忘れてほしくないかな。」
「……?」

『天才』だとか称される頭脳を持っているらしいけど、岬先生の言っていることは難しくてよくわからなかった。
どこか寂しそうに遠い目をしている意味も俺には分からないけれど、良い人であり良い先生であることは分かった。

「そのうち分かるよ。とりあえず、一ノ瀬くんは僕のことは何も心配しなくていいし謝らなくてもいい。」

言った意味を理解できずにいる俺を察したように笑いながらまた頭を撫でられる。
なんとなく、子ども扱いされているのは分かった。不服と言うよりも気恥ずかしい。

「……後悔ないように生きてね。」

岬先生は独り言のようにつぶやいた。俺に言っているのか独り言なのか…岬先生自身に向けた言葉なのかはわからない。
でもその響きが、ひどく重みがあるように感じて、ずっしりと胸あたりに乗った気がした。重い言葉をだった。けれど、静かに撫でられるこの空間は心地よいものに感じてそっと目を閉じる。


「あっ!そうだった、ごめん一ノ瀬くん。放課後残れるかな?」

静かな空間から一変して岬先生が慌てて話し出す。
「その、桐渓さんと……。」
……俺がこのまま鷲尾とともに教室に戻ろうかと思ってしまった理由。
出来ることならあまり、桐渓さんと話したくはなかった。正論だとしても確かに自分が悪いのだとしても、俺にとって桐渓さんと話す……以前に名前を聞くだけで腹がぎゅうっと痛くなる。
それでも迷惑をかけたであろう岬先生に謝りたかったし、逃げると言うこともしたくなかった。
傍から見れば桐渓さんに怒られるのはきっと当たり前のことだけど、ずっと心のなかで恐怖していた俺にとってかなりの勇気のいる覚悟を以って岬先生の言葉に静かに頷いた。

頷く俺になにか言いたそうに口を開けて、でもなにか思い直したようにまた閉じて眉を寄せて悲しそうな顔をして、指示される。
それにまた頷いて、時計を確認するとそろそろ戻らないと午後の授業に遅れてしまうので、ここで退出することにした。
岬先生に見送られながら教室に戻った。
……ツキツキと胃のところが痛むのを見ないことにして。



「昨日の件は確かに僕のせいであり先ほど岬先生と話したのは昨日のことについてだ。混乱させたのは申し訳なく思う。
だが貴様らに昨日のことを赤裸々に話す道理はない。
そんなに他人のことに野次飛ばしている暇があるのであれば勉強でもしたらどうだ?」

そう言い切って『フン』と皆に聞こえるよう溜息を吐いた。
俺が教室のドアを開けて目に飛び込んだのはそんな鷲尾の堂々たる姿である。やっぱり通る声をしており本人もそんな長所を隠すと言う意志もないものだから高圧的に感じる。
鷲尾はあの小室とかに囲まれている状態で、まるで朝の俺と同じような立場に鷲尾はいた。……状況から察するに、たぶん鷲尾も小室たちにしつこく質問攻めにあったんだろう。
そこで苛立った鷲尾がああいった、と言ったところだろう。

「おま、おまえは加害者だ!それならクラスメイトの俺らにも説明する道理はあるだろ!?」
「貴様らはあのとき傍観者だっただろう。止めようともしなかった奴らに説明する意味なんてないだろう。少なくとも僕には無意味と感じる。悪かったと思う相手は貴様らではない。
悪いと思っているのは……僕が傷つけることを言われた、叶野たちだけだ。」

凝りもせず噛みつこうとする小室に呆れた気持ちになる。
昨日の不安定な鷲尾なら激高していたり傷ついている可能性はあるが、今日の鷲尾はそのぐらいではもう激高もせず傷ついたりもしない。ただ、昨日のことは後悔している様子ではあるが。
なおも言い募ろうとする小室をとがめる声があがる。

「つかさ昨日もそうだったけどよ、小室お前さあの後叶野たちにも変に食いついて岬先生にも面白おかしく報告してたけどさ。
当事者でもないお前がそんなふうに言うのって違くないか?朝もこうやって絡んで一ノ瀬にも怒られただろ。なに同じこと繰り返してるんだよ。」
「あと鷲尾を囲んでいるお前らも小室と同じだから!関係ないですーって感じで目そらしてるお前らもな!
1人を囲むのは卑怯だと思うぜ!!」

呆れた口調で小室に諭すように話すのは沢木と、小室の周りにいる奴らを責めるのは沼倉。
小室と鷲尾の周りを囲むやつら以外のクラスメイトはそいつらを冷めた目で見ている。もちろん、伊藤も。と言うかあんなに恐れていた伊藤の前で言えるのってすごいな……。
叶野と湖越の姿はなかった。そろそろ授業始まるけれど、大丈夫だろうか。
2人を心配していると、教室の様子にビビったようにキョドキョドと周りの見ていた小室と目が合った。思いっきり嫌な顔をされた。

「どいつもこいつも……偽善ばっかりで、気持ち悪いな!」

そう言って小室は舌打ちして俺の隣を通り過ぎて教室を出て行ってしまった。俺の横を通り過ぎる際もう一度舌打ちされた。
走り去る小さくなっていく背中を見送って、扉を開けたはいいが入るタイミングを見計らっていたのでここで入ることにした。
小室を目で追いかけたクラスメイトが俺の存在に驚いているのを尻目に席に着いた。
鷲尾はすでに小室に言われたことなんてなかったかのように自分の勉強に取り掛かっている。俺も見習って小室のことをなかったことにした。小室の周りにいた奴らはざわざわしていたけれど、誰一人小室を追いかけずそれぞれの席に戻っていく。
……それを見て冷めたような苛立つような変な気持ちになる。

「透、おかえり。」
「……ああ。」

伊藤が話しかけてくるのに相槌を打った。
俺に笑顔を向けてくれるのが、うれしい。だけど、うまく返せない。いつものように返せない。
俺に笑顔を向けてくれるのは『前の俺』を被せてそのうえで俺に笑みを向けてくれているのではないか、とそう思ってしまったのをまた思い出してしまった。
伊藤からすれば『前の俺』のことを一番知っていて、俺にもその『前の俺』を被せるのは決して悪いことではないし、むしろ『今の俺』のほうが、伊藤からすれば異端なのだと分かってる。
記憶のない俺を捨てることができたのにそれをしないでくれる伊藤の優しさの上で俺らの関係は成り立っていると言っても過言ではない。
価値のない俺を拾ってくれて大事にしてくれるのは、他でもない伊藤。俺のことを認めてくれる、これ以上の贅沢はない。わかってる、わかってるんだ。
わかってる、んだ。頭では。

でも、心のどこかで『今の俺』を見てほしいと、叫んでいる自分がいる。

純粋な伊藤の好意と優しさの上に、さらに俺は欲しがっている。そんな自分が醜くて、嫌になる。
いつもと違う俺の態度に伊藤はじっと見ているのを感じるけれど見ないフリをした。
……今、口を開けば伊藤を傷つけてしまいそうだった。
時間にすれば数分だけど、午後の授業が始まるまでずっと伊藤の視線を無視している時間がとんでもなく長く感じた。
放課後は来てほしくないけれど、気まずくて午後の授業は早く来てほしいと願いながら俯いた。
この数分のあいだに叶野と湖越が戻ってきていたことに気が付かず、出席で返事しているのをみてやっと戻ってきたことに気付くぐらいには周りのことを見ている余裕がなかった。
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