【現パロ】大学生の斜堂さん+座敷わらし少女「お座敷暮らし」


「――うん、うん、……ボクなら大丈夫、ちゃんと食べてるし……ああ、そうだね、ここからなら神保町も近いし、東京は本屋が多くて楽しいよ……うん、それじゃあまた、母さんも身体、気をつけてね」

 もうそろそろ暑さを感じてくる晴れた休日、すっかり馴染んだ訳ありアパートの居間でそう告げ、耳に当てていたスマホの画面を操作し、通話を切る。
 話していた時は気づかなかったが、自分に向けられている視線にふと気づき、その視線の元へ振り返ってみる。

「……なにやってるんですか、墓乃上さん」

 電話越しの相手――斜堂の母親は、まさかひとり暮らしをする自分の息子の部屋に、まるで市松人形のような姿の娘がいるなんて、まさか住み憑いているなんて夢にも思わないだろう。

 しかし斜堂はその娘――幽霊の墓乃上とは、なんとも奇妙なルームシェアを始め、今更彼女の存在自体に違和感を抱くことはなくなった。

 だが、今の彼女はなんて姿だろう。
 押入れの襖に寄り掛かるよう膝を抱えては座り、斜堂が百均で買ってあげた笛を咥えながらなんとも機嫌が悪そうに眉間に皺が寄っている。
 なにをしているのか、という斜堂からの問いかけに対し、なぜか言葉ではなく笛をひとつ吹いて応えた。
 笛の先に付いた紙の筒が、ぷぴー、というなんとも間抜けな音と共にくるくる伸びては、今度はくるくると丸まって縮む。「……あの、」

「どうかしましたか?」

「……別に、」

 じっ、と見つめていた割りにはそっけない態度の返事に斜堂は驚いてしまう。
 墓乃上という人間(いや、幽霊)は、いつでも素直で、明るくて、拙い敬語でも丁寧に話そうとしている姿が健気な少女なのだが、今の態度は明らかにおかしい。

「……もしかしてなにか怒ってます?」

「……」

「すみません、正直心当たりがないのですが……」

 笛を咥えたままの口元、こちらを見たままの不機嫌そうな目に困っていると、ようやく彼女が一言話した。

「――いいなぁ、」

「え?」

「……私も斜堂さんから、さっきみたいなお話の仕方、されたいです」

 彼女が言う「さっきみたいなお話の仕方」というものに首を傾げていると、彼女は痺れを切らしたように教えてくれる。

「今、そのスマホっていうやつで、えっと、電……? なんでしたっけ、」

「電話?」

「そう! 誰かとお話してたじゃないですカ! 敬語じゃないお話の仕方で!」

「え? まぁたしかに……でも相手は自分の母親ですよ? 墓乃上さんが生きていた時代は分かりませんが、現代では親相手に敬語のほうが不自然ですし……」

 彼女が機嫌を損ねている理由が分かったような、分からないような……ああ、ダメだ。正直分からない。
 ここへ引っ越してきた最初の晩、墓乃上と出会った頃から自分も、彼女も、お互い敬語で話していたというのに、今更なにが不満なのだろうか。

「いきなりなにを言うんです? 反抗期ですか?」

 500年も現世に取り憑いてて今更?
 内心そう思いながら台所で実家から送られてきた林檎の皮を剥き、食べやすいサイズに切り分ける。
 その間に仕事をしてくれた湯沸かしケトルから急須へ湯を注ぐ。
 いつもと変わらぬささやかなお茶会だが、今回はお茶会というより話し合いになりそうだ。

 爽やかに甘く香る林檎も、それに合うほうじ茶も揃ったちゃぶ台を挟み、ご機嫌斜めな幽霊と対面で向き合う。

「――お供えします、お供えします、お供えします、と……どうぞ、」

 幽霊の身である彼女も食せるように、ともう慣れた言葉を唱え、頬を膨らましたままのその顔を見る。

「……だいたいおかしくないですカ?」

「なにがです?」

「普通、いきなり押し入れから出てきた子供の幽霊に敬語、使いますかネ?」

「墓乃上さん、押し入れから子供の幽霊が出てくること自体が普通じゃないんですが……」

 どういう風の吹き回しだろうか。
 今まで彼女からわがままどころか、自分に対して文句ひとつ言われたことなんてないのだ。
 彼女が文句を言ったのは……ああ、洗濯機だ。
 先日、脱水モードに入ってだむだむと揺れる洗濯機を前に、「やかましいですねェ、もう少し落ち着いたらどうです?」なんて呆れたように呟いていた。

 それぐらいしか思いつかないほど、墓乃上とは良好な関係を築いていたと思っていたが……。

「――私は子供ですし、おまけに取り憑いてるだけの居候なんです。あんなふうに気軽に話せるんだったら、私相手にもわざわざ気を使って敬語なんか使わなくてもいいのに……」

 フォークで林檎の身をひとつ刺し、それをかじる小さな口からようやく分かりやすい文句が出る。
 なにが気に入らないのかと思えば、どうやら幽霊の自身に対して過剰な気遣いをしているんじゃないだろうか、と思ったらしい。

 まさか墓乃上からそう言われるとは思わなかったが、斜堂からすれば今まで何度かそう言われてしまった経験がある。

 学生の頃――否、今も大学生だが、高校までは地元の学校に通っていた頃のこと。
 内気で気弱、自己主張が苦手で、自分がなにかひとつ言えば誰かがうんと機嫌を悪くするんじゃないかという漠然とした不安をずっと抱えていた。

 そうして育つ内、なにか特別大きなきっかけがあったわけでもなく、日が暮れれば夜に移るような自然な流れで、斜堂は同級生相手にも敬語を話すようになっていた。

 所謂「ため口」というやつは、なにをどこまで言っていいのか、どう言えば相手の気を損ねず言えるのか――対人関係において難儀極まる斜堂からすれば、苦手な数学の問題より遥かに壁が大きすぎる。

 その点、最初から相手から一歩引いたように、物の伝え方が規則的に整っている敬語というものは本当に素晴らしいのだ。ある種の美しさすら感じるほどに。
 欠点としては、こちらが特に悪意も嫌悪も抱いていないというのに、勝手に「見下しやがって」と反感を買ってしまう場合もある、というところだ。
 特に中学、高校はその欠点があまりに多く、学年で孤立するまでに大した時間がかからなかった。

 誰かから「そんなに気を使わなくていい、気楽に話せよ」と言われることも何度かあったが、自分からすれば敬語を止めるほうがよっぽど気を使って疲れてしまう。
 こちらのほうが気楽なんです、お構いなく、といくら伝えても分かり合えないことに何度困ったものか……結局こちらが偏屈な分からず屋、だと呆れられたことも少なくない。

 しかし斜堂としては変に絡まれて、友達と呼んでいいのか、ただのクラスメイトなのか微妙な関係に気を使って疲れるより、静かにひとりで本が読めればそれで良かったのでむしろ好都合だったのだ。

 そうとはいえ、同居人の幽霊からも言われるとは……もう慣れていたとはいえ、流石に想定外だ。

「そう言われましても……別に特別気を張ってるわけじゃないんですよ、むしろこっちのほうが気楽なんですが……あ、」

「ん、なんです?」

 小さな両手で湯呑を持ち首を傾げる彼女へ、思わずやや意地悪な質問を返してみる。

「そう言う墓乃上さんのほうこそ、私みたいなただの、普通で、冴えない大学生に敬語使うのおかしくないですか? 室町時代で一番の霊媒師さんの幽霊なのに」

「私は斜堂さんより子供ですし、」

「でも生まれた年を考えたら墓乃上さんのほうがうんと年上ですよ?」

「う……」

 さっきまでは不服だとこっちを見ていた大きな瞳が目を逸らす。
 子供というのは本当に喜怒哀楽が鮮やかにころころ変わる。ああ、我ながら意地悪だが、普段は見れないその拗ねた横顔のなんと可愛らしいものか。

「というか……墓乃上さんって敬語じゃない話し方、できるんですか?」

 追い打ち、というより、思わず浮かんだ疑問を何気なく口にすると、つまみ食いがバレた猫のように彼女の肩がはねる。

 そういえば普段の敬語だって不思議なイントネーションで話している。例えるならば……なんだろうか。日本語を必死に覚えた外国人のようなイントネーションだ。
 しかし艶やかな黒髮に白い肌、どこをどう見ても日本人だが……まぁ日本というこの小さな島国の中ですら、方言というもので話し方が違うのだ。
 もしかしたらどこかの地方の生まれだったりするのだろうか――「……え、」

「偉そうになっちゃうから……あんまり良くないかなって思ってまして……」

 ぼんやりと考えていたせいか、無意識に彼女をずっと見つめてしまっていたようだ。
 その視線に答えを急かされていると思ったのか、降参しますとばかりに恥ずかしそうに顔を伏せられる。

「ああ、すみません、つい……ふふ、偉そうになっちゃう、ってなんか不思議な答えですね」

「だって本当にそうですし……」

「……あの、ちょっと見てみたいなー、なんて……」

「えー?」

「墓乃上さんは私の普通の話し方知ってるんですし、私も墓乃上さんの普通の話し方、見てみたいです」

「……怒りません?」

「ええ、怒りませんよ」

 今剥いた林檎のように顔を赤くし、ひとつ訊いてくるその目に頷いてやる。
 なんだかんだ本当に素直なんだなぁ、と斜堂が微笑ましく見ていると、ひゅっ、と射抜くようにその細い人差し指が眼前に突きつけられる。「――呆れたもんだ、」

「私みたいな悪霊相手にからかいおって……なにが楽しいんだか。……まったく、人間はよく分からん」

 高圧的――否、気高く凛とした姿勢、声、言葉に空気が一瞬で張ったような感覚がした。
 その感覚に言葉を失っていると、あーあ、と聞き慣れた幼いため息が聞こえ、目の前にあった力強かった指も下がり、そのまま再度湯呑を持った。

「だから言ったじゃないですカ、偉そうだし……いきなり押し入れから出てきた幽霊がこんなこと言ったら怖いでしょう?」

「いや、ですから……押し入れから誰か出てきただけで十分怖いですって」

 しゃくしゃくと林檎を美味しそうにかじる姿は、いつもと変わらぬ墓乃上の姿だ。
 彼女が生前、最強を名乗る霊媒師だったとは聞いていたが、正直いまいち実感……というより、想像ができなかった。
 が、今目の前で見た堂々と、威厳のある振る舞い――今まで見てきた墓乃上とはまったくの別人にしか思えない気迫。もしあれが本当の……最強の霊媒師としての姿だというなら、なぜ彼女はこんな若さで死んだ?
 今の一瞬だけでも心を焼き尽くして奪っていくような魅力と実力なら、もっとうまく世を渡って長生きしそうなものだが……。

 ……しかし、そう都合よく才能があるからといって寿命が伸びるわけでもないか。
 非凡なる才能に溢れながらにして、若くこの世を去った偉人だって数え切れないほどいるのだから。

 まぁそのまま亡き後に五百年も幽霊となって現世にいる者なんて、この小さな霊媒師だけだろうが……。

「ねェ斜堂さん、私の話し方見たでしょう? あんな偉そうなやつじゃなくて、私、斜堂さんの優しい話し方がいいんですけどねェ」

「強引に話戻しましたね……嫌ですよ、墓乃上さんとはこの話し方で慣れてますし……そういうなら、私は墓乃上さんの格好良い話し方、好きなんでそっちにしてもらいたいなぁ、なんて」

 大学生と幽霊のふたりという奇妙なルームシェアだが、不思議と今までなにひとつ波風立たなかった。

――が、今更ようやく立った対立は、お互いどちらが敬語を崩すか、というなんともくだらなくて、どうしようもなくて、それでいて本人たちには負けることができない一戦が(線香花火程度のくだらない火力だが)火花を散らしている。

「――じゃんけんにしましょうか」

 そう言い出したのは斜堂で、念の為室町時代に生まれた墓乃上へ確認する。

「えっと……やりかた分かります?」

「ええ、なんとなくは……大丈夫でしょう」

「そうですか、なら……」

 人間対幽霊、ついにこの六畳一間で起こった対立を掛け声に合わせて勝利したのは――斜堂だった。

「え、」

「あ……ふふっ、残念でしたねぇ墓乃上さん、」

 ドヤ顔のお手本とでも言おうか。普段、いつも物静かに本を読んでいるだけの斜堂しか知らない人間が見たら、心から驚いてしまうかもしれないその明るい顔に、声に、悔しさで唇を噛む墓乃上は不服そうにそれを睨む。

「はは、墓乃上さんには悪いですけど、今回はボクの勝ちってことで……」

 そう言う言葉、もう口に出してから、あ、しまった、と慌てて止めるも、その様子を前に今度は墓乃上が意地悪ににやにや笑いかけてくる。「あらあら、斜堂さん、」

「今『ボク』って言いましたよねェ?」

「いや、それは……」

「『ボク』って言う斜堂さん、可愛いと思うんですけどねェ?」

 ああ、最悪だ。にたにたと意地の悪い問いかけに、今度はこっちの顔が赤くなってしまう。
 そしてそのからかってくる大きな瞳を前に、斜堂は恥ずかしさと同時にある確信を感じていた。

 未だ胸に強烈な色で居座る「霊媒師」としての威厳、気迫は、普段の墓乃上とはまるっきり別人としか思えない、と考えていたが――それは違う。間違いだった!

 年齢だけでいえば自分のほうが年上だというのに、こうやって子供をからかうように首を傾げてはこちらを見る瞳に思わず気圧されてしまう。
 日常的に接してきた墓乃上の無垢な部分、そして霊媒師としての逆らい難い威厳が綺麗に、最悪に混ざっているのだから!

「……あの、」

「はい、なんでしょう」

「……やっぱお互い今まで通り、普通にしませんか?」

 気恥ずかしさでつい下を向いてしまうがようやく言えたそれに、ちょっと家主をからかっていた悪霊も飽きたのか、満足したのか、なんとも軽く返事が返ってくる。「――しょうがないですねェ、」

「いいですヨ、なかったことにしましょう」

 いつもと変わらぬ気の抜けた声に不思議なイントネーションの敬語。
 ああ、ヘビに情けをかけてもらって生き延びた蛙はこんな気分なんだろうか――それらにようやく胸を撫で下ろし、「片付けますね、」と空になった皿やフォークを持っては台所に行く姿に、墓乃上はひとつため息をつく。「あーあ、」

「『ボク』って言う斜堂さん、本当に可愛いのに……残念」

 ただの何気ないぼやきか、それともあのいたずらな笑みで言っているのか……振り向く気になれず、斜堂はそのまま背を向け食器を洗うことにした。

 触らぬ神に祟りなし。

 墓乃上は神ではなく(一応)悪霊(という名の友好的な人物)だが、なんとなく思い浮かんだ一言はそんな一言だった。

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