【現パロ】大学生の斜堂さん+座敷わらし少女「お座敷暮らし」


――ああ、早く帰りたい。

 夜の帳に賑わう繁華街。
 その喧騒をそのまま店に流し込んだかのような騒々しさ。
 酔いで大きくなる気と笑い声に湧くテーブル席に囲まれ、忙しなく駆け回る店員からも大きな声で注文が飛び交う飛び交う。

 それと同様に盛り上がる宴会の席で、斜堂は肩身狭くため息をついていた。
 元々騒がしい席も、酒だって好きじゃない。
 バイト先の進学塾にいる副所長が転勤になるからといって、正直自分には大して意味があるわけじゃない。
 それでも世の中、なにかと理由をつけては飲み会を開きたがる人間というものはいるわけで、今回だってそんな厄介なお節介焼きによって「送別会」という名前がついた飲み会が開かれ、残念ながらはっきりと断る暇もなく連れて来られてしまったのだ。

 こちとら大学に入ったばかりの未成年だというのに、「まぁまぁ最初の一杯だけは、」という呪文によって、斜堂が頼んだ烏龍茶はいつの間にか烏龍ハイになって登場した。

 ああ、最悪だ。

 上司たちはすっかり酔いが回っているらしく、彼らにしか分からない時系列の昔話をしていたかと思えば、自分ら新入りの中の女性陣に対して「良い男捕まえなよ、こいつみたいな奴じゃなくてさ」「お前に言われたくねぇよ」とつまらない冗談に笑っている。

 それでも適当にサラダやカルパッチョをつまみつつ、愛想よく受け流している女性陣のなんたる強さよ。

 それに比べて自分という奴は本当に情けない。

 塾講師、というバイトだからか、男性陣はいわゆる熱血系に近いタイプが多い。
 自分とほぼ同期で入ったサッカー部のキャプテンをしていたという男は、上司のあてにならない話に目を輝かせながら「勉強になります!」と赤べこのように頷いている。

 それらの内どこにも居場所がない斜堂にとっては大変苦痛な時間なのだが、だからといってこのまま途中で切り上げて帰る勇気もなかった。

 好きでもない烏龍ハイの酔い、熱にぼんやりしながら、意味もなく壁に貼ってある「本日のおすすめ!」と筆ペンで書かれたメニューを眺めてみる。

――「しっとり! こだわりのだし巻きたまご」

 ……ああ、そういえば今日のお弁当にも卵焼き入れたけど、墓乃上さんはもう食べてくれたかな……。

 今日は飲み会で帰りが遅くなるので、夕飯としてお弁当を置いていきますね、と部屋に住み憑く幽霊に伝えた今朝、彼女はそう聞くなり目を丸くした。

「飲み会? また行くんです?」

「私だって行きたくないですよ……でも上司から来いって直接ラインが来ちゃって……」

「らいん?」

「あー……手紙だと思ってください。好きでもない上司からわざわざ直接来いって手紙渡されたら嫌でしょう?」

「なるほどねェ、呪ってやりましょうカ?」

「あはは、わざわざ墓乃上さんがそんなことしなくていいんですよ、私が黙って大人しく付き合えばいいだけなんですから」

「あらら……それは残念。まぁ最初からそんなことできないんですけどネ。あまり無理しないでくださいヨ? 斜堂さん、お酒弱いんですから」

――なんて心配してくれたけど。

 そう言って浮かない顔で出かけを見送ってくれた優しい彼女のことを思えば、酒の勢いと下心で盛り上がっては喧しい席も、もはや怒鳴り声に近い店員の大きな注文のやり取りも、油っぽくて旨くない唐揚げの味も、全て現実逃避できてしまう。

 彼女はまだ起きているだろうか。寝ているだろうか。

 ここ最近は随分と熱心に本を読んでは、この現代の知識を、環境を知ろうと頑張っていた。
 自分の用のついでに彼女が現代の文字を読めるように、と小学生向けの簡単な漢字辞典を借りてきたことがきっかけだった。

 知識が増えるということは、眠る時に見る夢もまた増えるということだ。

 知らない分野、知らない土地、知らない人間の夢なんか滅多に見ないが、自ら学んで、接して、記憶に残ったものは夢に見る。
 そうやって知識を、記憶を積み重ねていく内、いずれ彼女が探している生前の記憶に届くかもしれない。

 それに彼女は物覚えも良い。
 生まれた時代が現代からはあまりにもかけ離れているせいで、同じ日本語でも伝わらない単語なども多かったが、それでも教えればすぐに理解するのだ。
 学ぶ子供が成長する様子を「スポンジのようだ」と例えることは多いが、墓乃上という幽霊はまるで珪藻土のようだ。本から、斜堂から知りうるその全てを、一滴たりとも零さずに吸い取っていく。

 おまけによくよく思い出せば、拙い発音ながらも彼女は常に敬語で話すのだ。
 生まれた時代が室町時代だと考えるならば、もしかしたら彼女はどこか良い家柄の出身だったりするのだろうか――「斜堂くん、」

「斜堂くん、起きてる?」

 すっかり酒で顔を赤くした上司に呼びかけられ、その声で一気に現実に引き戻された。

「もう酔っちゃった? 烏龍ハイで? いやぁ女の子みたいだねぇ」

「……すみません、あまり強くないものですから」

 遠慮のない無神経な一言に腹が立つが、そんなことでいちいち怒っていてはきりがない。
 だいたいそっちが勝手に烏龍ハイにしたくせによく言うもんだ。まったく、本当に大人げない。

「――ねぇ、斜堂くんってさ、好きな女の子のタイプとかあんの?」

「あ?」

 さらに追い打ちされる無神経な質問に、普段から礼儀作法を重んじる斜堂の口から思わずやや柄の悪い声が出た。
 が、そんなことには構わず勝手に話を進められてしまう。

「いやぁ、前からなんか気になってたんだよね! 斜堂くんとはなかなか話す機会ないし!」

「はい! オレはグラドルのマナミ愛ちゃんみたいな子が良いです!」

「馬鹿! お前には訊いてねぇよ! 新入りは新入りでも、お前じゃなくて斜堂くんに訊いてんだよ!」

 所長と元サッカー部のキャプテンくんのやりとりに笑いが上がるが、斜堂にはなにが面白いのかさっぱり分からなかった。理解できなかった。

 ただひとつ理解できるのは、ここにいるみんなの注目が自分に集まっている、ということだった。

「たしかに気になるよね~、なんか斜堂くんってミステリアスって感じだし」

 同期か、先輩か、はたまた事務員か、それすら分からない女性スタッフにまで言われ、ますますみんなの視線が自分に向く嫌な感覚に汗が出る。

 自分にはあの元サッカー部のキャプテンくんのような、その場を盛り上げつつも冗談で茶化して流せるようなトークスキルなんて持ち合わせていない。
 それと同様に、「秘密です」なんて言って場を白けさせてしまうことにも耐えられない。

 どうしよう、なんて言えば丸く収まる?
 そんなに見ないでほしい、一体ボクがなにをしたっていうんだ、それを知ってお前らになんの意味があるんだ――金魚のように少し口元が躊躇うが、酔いと緊張でろくに回らない頭からようやく、答えらしい答えを絞り出してみる。「えっと……」

「い、いつも明るくて、元気で……頑張り屋で、健気で……ご飯を美味しそうに食べる人、ですかね……」

 あんなに耳が痛いほど騒がしい空間だったのに、そう答えた瞬間は、しんと誰もが斜堂を見てはその言葉に放心しているようだった。

 ああ、最悪だ!

 臆病な斜堂にはその空気に耐えられず、今度はなんと言えば良いのか分からず口元が引きつる。

「なっ……なんか意外だねぇ! もっとこう……文学少女、ってイメージだったけど!」

 こんな話題を差し向けてきた張本人の所長の言葉に、周りの人間も「たしかに!」なんて笑ってる。

 あまりにも腹が立つやらむかつくやら、手元にある大してうまくもない焼き鳥の串でその軽薄な冗談しか言えない頭の、前髪がだいぶ寂しい額を突き刺してみたくもなる。が、それこそそんなことに意味はないし、度胸もない。

 勝手に話を無理やり振ってきたくせに、もう丸っきり違う話で話題が盛り上がってる。

 ああ、もうどうにでもなれ。

 もうすっかり氷が解け、薄く、温くなった安っぽい烏龍ハイのグラスを持っては、憂さ晴らしかのように勢いよく喉に流し込んだ。



 慣れないことはするもんじゃない。

 たったグラス一杯の酒で痛む頭の中で、そんなしょうもない後悔が呆れていた。

 「斜堂さん、大丈夫ですか?」

 少し肌寒い夜更けの道、やっと宴会の席から解放され、とてつもない疲労感を背負って帰りの駅まで歩く道中。
 帰る方向が一緒だから、と同期の女子大生が隣を歩きながら訊いてくる。「顔色悪いですよ、」

「私、お水買ってきましょうか?」

「……いえ、大丈夫です。お気遣いどうも」

 元々他人と話すのはあまり得意ではない。
 同期といえど、普段から話す仲でもないし、かろうじて名字だけは知っている、というだけの薄い関わりだ。
 そんな彼女相手に心配される自分が情けない。

「でもなぁ……あ、あそこベンチありますよ、ちょっと涼んでいきましょうよ」

 そう言ってパンプスのヒールをこんこんと鳴らしながら向かってはベンチに腰掛けるその顔と目が合う。
 斜堂としては正直このまま真っ直ぐ家へ帰りたいのだが、だからといって置いて帰るのも気が引ける。

 仕方なく彼女の隣に座り、酔っ払いや客引きで賑わう駅前、目に眩しい店の看板の群れを前に、思わず苦々しい表情になってしまう。

「いやぁ、散々な飲み会でしたね。ご飯美味しくなかったし、カシオレだってなんか微妙な味でしたし」

 そう言う彼女の顔は少し赤くなっているが、苦笑しつつはっきりと話すその様子からするに、大して酔っているわけじゃなさそうだ。
 ミルクティーのような色に染まっているウェーブがかかった髪、夜空の下でも煌めく艶のあるネイル、人懐っこく誰にでも好かれるような愛嬌――そのどれもが自分とは縁遠いもの。

 斜堂という内向的な人間には理解できないが、彼女のように社交的な人間というのは時折、気まぐれのようにこちらへ絡んでくる時がある。
 湿った雑木林にある石をひっくり返し、そこにいるダンゴムシやらなんやらを見たくなるような感覚だろうか――「ええ、まぁ、」

「美味しくはなかったですね」

 ダンゴムシなら黙って丸くなっていればいいかもしれないが、斜堂は人間なのだ。
 最低限、相手からの問いには答えて頷いてみる。

「副所長が転勤になるっていってもうちらには関係ないですし、所長も副所長と……ああ、岩瀬さんだ、岩瀬さんとサッカーの話ばっかり。もう最初からあの三人で飲んでればいいのに」

「……そうですね」

 どう考えてもうまく話が広がるような器用な受け答えができない。酔いのせいにしたいが、きっとしらふの時でも無理だろう。
 こうやって今まで他人から距離を置くか、相手の方からつまらない奴だと離れていくか、そのどちらかしかなかったのだ。
 今更それに対して感傷的になることはない。
 隣で色々と話題を振ってくる彼女だって、もう内心では自分に対して呆れているだろう――「斜堂さんて、」

「斜堂さんって、好きな人いるんですか?」

「え、」

 唐突な問いに彼女の顔を見ると、そこに内気な人間をからかうような色はなかった。
 真っ直ぐと見つめてくるその目は、紛れもなく自分からの答えを真剣に待っていた。

「というかいますよね、好きな人」

 確信を持って言い切るその言葉に、斜堂はなんと答えればいいのか分からず、思わず目線を逸してしまう。

「あ、あの……そう言われましても……」

「いない、って言うんだったら、私、斜堂さんの好きな人になりたいです」

 斜堂さん、あなたが好きです、となによりも真っ直ぐな言葉で、視線で撃ち抜かれる。
 なにかの冗談でしょう、誰かに言われてからかっているんでしょう、と内心思いながら視線を戻すも、真剣な顔をした同期は答えに待ちきれなかったようで、薄いピンクを纏った口元が自分に語りかける。

「……いつだって礼儀正しくて、仕草も、作法も綺麗で、どんなに所長とかから嫌味言われても、一切態度に出さないで、子供たちには優しく勉強教えて……で、授業が終わったら、誰よりも綺麗にホワイトボードを磨く、そんな斜堂さんが好きです」

「……あの、その……そう言ってくださるお気持ちは嬉しいですが……」

「……今日分かったんです。そうやって他人から一歩引いて線引きしてる斜堂さんにも、好きな人がいるんだなって」

「な……なんでそんなこと、思ったんですか?」

「さっき所長から好きなタイプ訊かれてたじゃないですか。あの時……いつもおどおどしてる斜堂さんが、あの場にいない誰かを見ているような気がしたんです」

 まぁ女の勘ってやつです、と笑う彼女に対し、斜堂は言葉を失い、すっかり酔いが覚めた頭でも彼女が言う言葉を理解するには足りなかった。

 「あの場にいない誰か」――それは紛れもなく家に住み憑く幽霊、墓乃上のことだ。

 たしかに彼女とは同居人として良い関係を築いているとは思うが、自分は恋愛感情として彼女を見ているわけじゃない――!

 そう強く言い返したい気持ちに対し、今まで全く自覚していなかった感情が、「本当に?」と首を傾げる。

 気を抜くとそんな感情に思考をぐちゃぐちゃに引っ掻き回されそうで、それがとてつもなく恐ろしい。

 だからといって、今目の前にいる人間から向けられる情に無責任に縋って現実逃避するわけにはいかない。「……たしかに、」

「たしかに私は……今、支えてあげたい人がいます。私はその人に恩がありますし……できる限りのことはしてやりたいんです。だから、その……すみません。お気持ちは嬉しいですが、仮に今あなたと付き合っても、きっと私はあなたを真っ直ぐ見れないし、期待にも応えられません」

 これが精一杯の返事だった。
 本当にすみません、と頭を下げると、気の抜けるような笑い声が返ってくる。

「やだなぁ斜堂さんったら! 告白断る時にそんなに礼儀正しい人、そういないですよ!」

「……他の方はどう断るんです?」

「え? 『タイプじゃないから無理!』とか」

「それは……それは酷いですね」

「でしょう? でも恋愛なんて、それぐらい適当なほうがいいんじゃないですかねぇ」

「適当……?」

 理解できない、と困った顔をする斜堂に、ああ、この人のこういうところが好きだったんだけどな、と破れたばかりの気持ちを隠しながら笑ってやる。

「顔が好みだったから、とか、話が合うから、とか、他人から見ればくだらない理由で好きになってもいいし、それをきっかけに人生かけて追いかけたっていいし、なんなら『応援したい』『見守ってやりたい』って思うのも恋愛……じゃないかもしれないけど、そういう気持ちを持つのだって悪いことじゃないし」

「……あの、もしかして分かってて言ってます?」

「なにを? 斜堂さんが支えてやりたい、って言ってる人への気持ちが恋愛感情なのか分かんない、って困っていることですか?」

「……女の勘って怖いですね。エスパーにでもなったらどうです?」

「あはは、塾のバイトなんかより稼げそうでいいですねぇ」

 さて、そろそろ行きますか、とベンチから立ち、ハンドバッグを持った彼女は、ラメで輝くアイメイクが崩れるのも構わず目元の涙を強引に拭い、自身の告白を断った斜堂に対し深く頭を下げた。「斜堂さん、」

「ありがとうございました。……予想通りフラれちゃったけど、これですっきりした気持ちで地元に帰れます」

「地元?」

「ええ、ちょっと母が病気になっちゃって……学校も、バイトも辞めるんです。だから、『あの時告白してればなぁ』ってもやもやした気持ちで帰りたくなかったんです。……あ、ほら! 急がないと終電来ちゃいますよ!」

 綺麗な爪が並ぶ彼女の手で腕を掴まれ、終電に駆け込む人間で混み合う改札前にまで引っ張られる。
 雑踏のノイズ、改札機が鳴らし続ける軽快な音、電車の到着に鳴り響く駅員のアナウンスに紛れているのに、不思議と今目の前にいる彼女の言葉はよく聞こえた。

「じゃあね斜堂さん。その人のこと、目一杯想って、甘やかしてあげてくださいね。悪いことなんかじゃないんですから」

「……はい、ありがとうございます。そちらもどうか、ご自愛ください」

「あはは、ご自愛って……斜堂さんのそういう言葉選び、好きでしたよ」

 それじゃあ、と人混みに溶け込むように改札を通った彼女を見送り、ずっとこらえていた緊張のため息をひとつ吐く。

 好きだと言われた最初はなにごとかと混乱してしまったが、結局、情けない自分の相談に乗ってもらったような形になってしまった。
 申し訳ない、という気持ちと同時に、あの時、そして帰り際、自分が墓乃上という幽霊へ向ける感情を「悪いことじゃない」と他人から言ってもらえたことに対し、なんだか救われたような感覚もある。

 すっかりと酔いも、気分も晴れ、慌てて終電に飛び乗った斜堂は、家の最寄りのコンビニでプリンを買ってから帰宅した。

 家主の帰りを健気に待ってくれる、そんな悪霊にお供えするために。



「あの……墓乃上さん?」

「あっ、おかえりなさい斜堂さん! 待ってましたヨ!」

 玄関を開け、居間に入るなり飛び出て参上した悪霊はぷぴーっと百均で買った玩具の笛を吹き、同じく百均で買っては渡していたスケッチブックを抱えていた。

 ぷぴーっと情けない音が鳴ると同時に、笛の先に付いた紙の筒が伸びては丸まり、伸びては丸まり、とこれまた滑稽な動きをする。

「なにごとですかこれは……」

「いや、斜堂さんこの前飲み会行った後、なんか物凄くやさぐれてたじゃないですカ?」

「ええ、まぁ……」

「だから私考えたんですヨ、斜堂さんの良いところを紙に書いて紹介して、それを聞いたら元気出してくれるかなって」

 小脇に抱えていたスケッチブックの表紙をめくり、(だいぶ気に入ったのか、)悪霊は再度笛を吹いてから紙に書いた文字を読み上げる。「えーっと、」

「『斜堂さんの良いところその一、幽霊相手にも優しい』……あ、これ卵焼きです」

 だいぶ現代の文字に慣れたのか、綺麗とは言い難いがちゃんと漢字で書いてあることには感心する。
 が、その隣に書いてあった謎の丸太……のような落書きを「卵焼き」だと言われたことと、律儀に再度笛を吹いてからスケッチブックをめくるその様子にツッコミが追いつかない。

 室町時代生まれの悪霊が、まさかフリップ芸をやるとは……。

「えー、『斜堂さんの良いところその二、誰にでも礼義正しいところ』」

 ああ、墓乃上さん、「礼儀」の「儀」の字が間違っていますよ。

 というかその隣に描いてある謎の物体、さっきの「卵焼き」と物凄く似てますけど、まさかそれ毎ページ描いてあるんですか?
 そんなに卵焼き食べたいんですか?

 あと毎回毎回笛吹くの、気に入ったんですか?

「……あれ? というか斜堂さん、なんか今回は普通ですネ。行きたくない飲み会から帰ってきたら、即押し入れに引きこもるかと思ってこれを用意したんですが……」

「お気遣いありがとうございます墓乃上さん、墓乃上さんが卵焼きを食べたくてしょうがないことがよく分かりました」

「なんと……!? あ、まさか斜堂さんもついに霊感に目覚めたりとか……」

「してませんよ」

「なーんだ、つまらん」

 子供というのは実に気まぐれだ。
 さっきまでは自慢げに見せていたスケッチブックを置き、ちゃぶ台に頬杖ついてはやや拗ねたように唇を尖らせる。

「斜堂さんが霊感持ったりしたら面白いと思うんですけどねェ」

「私は持っていませんけど……ああでも、今日は凄い人に会いましたよ」

「凄い人?」

「私が考えてることがなんでも分かっちゃう女の人、です」

「なっ……霊能者ですカ……!?」

「さぁ……どうでしょうね。でも私、その人から教わったんですよ」

 大事な同居人は目一杯甘やかしましょう、って。

 そう言ってコンビニで買ってきたプリンを目の前に置き、「お供え」を唱えると、悪霊はその大きな瞳をきらきらと輝かせてはなんとも嬉しそうに小さく拍手した。

 その様子を眺めながら自然と笑ってしまう。
 他人から見れば奇妙、それどころか狂気だと言われるかもしれないが、今の自分にはこうやって気ままな悪霊と過ごしているのが合っているのだ。

 無理して他人の情に付き合ったって、それこそ相手に失礼だろう。

「……墓乃上さん、」

「はい、なんでしょう?」

「プリン、美味しいですか?」

「ええ! 斜堂さんが買ってきてくださったので!」

 繁華街のネオンも、まぶたに乗るアイシャドウのラメも、綺麗な艶と色に光るネイルも敵わないその眩しい笑顔を、斜堂は飽きることなくずっと眺めていた。

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