【現パロ】大学生の斜堂さん+座敷わらし少女「お座敷暮らし」
――それは突然のことだった。
日当たりが悪い悪いと不動産屋から言われたこの部屋の窓からも、ああ、今日は暖かいんだろうなと思える陽気の週末。
ちゃぶ台にノートパソコン、淹れたばかりの茶を置き、大学の授業をまとめたノートを作っている中、インターホンが一度鳴り響いた。
しかしこのアパートは古く、インターホンが鳴ったからといってなにかを映してくれるような便利なモニターなんか付いていない上、誰かが訪ねて来るような予定もない。
恐る恐るドアに近寄ると、扉の向こうから「すみませーん」と女性の明るい声がする。
どうしよう、本当に心当たりがない。
しかしドアの向こうにはまだ人がいる気配がする。
こちらはまだなにも反応していないというのに、それでもなお帰る様子がしない。
――なにかの間違いだろうか……?
たとえば部屋番号を間違えて訪ねてきたとか、この部屋に住んでいた前の住人宛に来たとか……もしそうなら訂正してあげないと、と思ってしまったのが運の尽き。
そんなお人好しの斜堂を待ってましたとばかりに、ドアを開けるなり食いついてきたのはふたりの中年女性――「あらぁこんにちは!」
「ごめんなさいねぇ、急に来ちゃって!」
「え、いや、その……」
「あらぁお兄さん、顔色が悪いわよ? 大丈夫?」
なんだ、なんなんだこの人達は。
どうやら自分が思っていたような、部屋番号を間違えたような人たちではない、ということだけは分かった。
「お兄さん学生さん? 騙されちゃって可哀想に……」
「騙され……?」
「そうよ! この部屋ね、前々から悪霊が取り憑いてるって有名で……ネットとかでも有名なのよ? 知ってた? 不動産屋さんにちゃんと説明された?」
「いえ、特には……」
「ならお兄さんは知らず知らずの内に悪霊と一緒に住んでいることになっているのよ! そうなるとどんどん生命オーラを蝕まれて病気になっちゃったりするの!」
「はぁ……」
知らず知らず、というか、ほぼ同居しているようなものなんですが……とは流石に言い返せず、そして彼女らの強い物言いに怯んでいると、横から寝ぼけ半分の声が聞こえた。
「うるさいですねェ……なんの騒ぎです?」
「あっ……!」
ぱっつんと綺麗に切り揃えた黒髪に鮮やかな紅の着物――市松人形のような彼女が起き、自身の横に並んだことに思わず焦るも、彼女は呆れたような顔であくびをひとつする。「大丈夫ですヨ、」
「このおばさんたちに私の姿は見えませんヨ」
「え……」
たしかに今目の前にいる宗教勧誘たちは、目の前に人形のような子が現れたというのに、まったく様子が変わる様子がない。
彼女という幽霊を前に、清めの塩だの、水だの、ありがたくて偉い先生を紹介してあげるだのと騒いだままだ。「ふーん、」
「ねぇ斜堂さん、今ここにどんな幽霊がいるのか聞いてみてくださいヨ」
からかうようににやにやと笑う彼女の声に、厄介事は勘弁してほしい、と内心思いながらも、人が良い斜堂は言われた通りに聞いてみる。
「あの……ちなみに、ここにはどんな悪霊がいるんですか……?」
「あら、お兄さんやっぱりなにも知らないのね! これよ、これ!」
そういって鼻息荒く目の前に突きつけられたスマホの画面には、なんともチープなサイトが映っていた。
そこには一応「○○駅から徒歩すぐ、○○丁○番地にあるアパート」と、ここの住所に近いものが書いてあったが、その下に書いてある記事を読んでみる。
「えっと……『約二十年前、不景気の煽りを受けて事業に失敗し、一家離散。借金を抱えた男性が首を吊って死亡』……」
「そう! それで奥さんにも子供にも逃げられた男の怨念がまだこの部屋にいるのよ!」
「ぷっ…ふ、ふはははははは!」
気迫迫るこの答えに、斜堂の隣にいる少女の幽霊はお腹を抱えて笑い出した。
自殺をするどころか、今この場にいる者の中で一番元気よく彼女は笑っては、なんとおかしいものか、と斜堂の背中を叩くも、幽霊の身ではその手はすり抜ける。「いやぁ面白い!」
「実に面白いですねェ斜堂さん! 男の幽霊なんて……ふふ、そんなものいないのに……あはは、」
なにが面白いものか。今目の前にいる彼女らは、手提げのトートバッグから大事そうに塩が詰まった袋と、筆文字でなにか経のようなものが書かれたパッケージのペットボトルを取り出しては、それらを清めの水、清めの塩、どんな悪霊も祓える崇高な先生からパワーをもらったものだと言い始めた。
「これね、本当は四万円するんだけどね、先生はとても慈悲深い人だから二万円で良いですよってお分けしてくださるの」
「慈悲を分ければ命の徳が上がってね、人よりもうんと生命オーラが強くなって病気にもならないし、悪霊だって祓えるのよ」
「お兄さん、学生さんでしょう? しかも今は悪霊に生命オーラを取られててそんな青白い顔色になっちゃって……可哀想に、」
いや、これは元からですので、なんて突っ込みを入れるタイミングすらない。
「慈悲を分け与えて、人の助けになるようにするのが私たちの使命なの。だからこの清めのお塩とお水のセット、一万円でいいわよ」
「――なるほど、それはそれは随分とお得ですねェ」
斜堂という人間は争いを好まないし、人になにか強く物を言うのも得意ではない。
なんと断れば角が立たないか、と困る横でそう笑ったのは墓乃上だった。
「だったらその清めの塩と水とやら、いかほどか見せてもらいましょうかネ」
彼女の細い指がぱちんっ、と明るい音を立てて鳴る。
未だ引き下がらず、斜堂へいかに生命オーラなるものが大切なのか、それを高めるには清めの塩が必要なのか、と問いていた内のひとりが、その喧しい口を止め、斜堂の背後を指差しては言葉にならない悲鳴を上げる。「いっ……」
「い、今人がっ……」
「え?」
連れのただならぬ様子にもう片方も、その差した指のほうを見ては引きつった悲鳴を上げる。
「い、いやっ、こっち……こっち来ないでっ……」
その様子に斜堂も振り返ってみるも、いつもとなにも変わらぬ自分の部屋があるだけで、なにもおかしい様子はない。
しかしあれほどしつこかった勧誘、押し売りも嘘だったように、蜘蛛の子を散らすようにあっという間に走って帰っていったその姿を見送りながら斜堂は問う。
「……墓乃上さん、なにかしたでしょう?」
「別に……わざわざ人の家にまで来て清めの塩とお水を自慢しに来るぐらいですから、それを使う機会を作ってあげたんですヨ。ほら、私って優しい幽霊なんで」
「使う機会って……本当に悪霊を呼んだりしたんですか?」
先程までの騒ぎなどなかったように、穏やかな日差しだけが残った玄関の戸を閉めようとし、床に清めの塩が詰まった袋が落ちていたことに気づく。
これもまたパッケージに胡散臭い経のようなものが書いてあるが、本当にこんなもので霊が祓えると信じていたのだろうか。
「そんなこと、わざわざする必要もないですヨ。私の霊能力はそこらの幽霊とは格が違うんです。相手に自分の霊感の一部を飛ばし……さっきのおばさんたちが自分たちの中で意識して作り上げていた『悪霊』の姿をそのまま幻影として見せる。……これぐらい簡単なことですヨ。あ、それただの食塩ですネ」
なるほど、どうりであんなに怖がっては一瞬で帰るわけだ。
悪霊がいる、しかし安心してほしい、この塩や生命オーラやらで祓える、と口で勇んでも、実際の幽霊から悪霊の幻覚を見せられては震え上がってしまうだろう。
「本当は相手に直に触れたほうがより強く力を流し込むことができるんですが……まぁ一般人には十分だったようですネ」
「直に触れる、って……墓乃上さん、もしかして生前からそんな力使えたんですか?」
「ええ、室町の世にて最強の霊媒師だったものですから」
さて、もうひと眠りしますかネ、と押し入れに入っていく彼女の姿を見ながら、斜堂は手元に残った清めの塩(偽物)にひとつため息を吐いた。
――この塩、どうしよう……。
なんとなく料理に使う気にはなれず、気がつけばスマホで「塩 掃除」と検索していた。
どうやらガスコンロやレンジの掃除に向いているらしい。
正真正銘、本当の悪霊からも偽物だと鼻で笑われた清めの塩は、綺麗好きな斜堂の掃除用具入れに放り込まれた。