【現パロ】大学生の斜堂さん+座敷わらし少女「お座敷暮らし」
『――斜堂さん、あれからどうですか?』
大学の授業の合間、久しく着信に震えたスマホにかかってきた電話の相手は、この東京で部屋を探す時に頼った不動産屋だった。
今住んでいる六畳一間のアパートの家賃は、立地から考えれば破格的に安い。安すぎる。
床は今や人気のない畳張り、不動産屋も客へ勧めるのを渋るほどの日当たりの悪さ――入居してから知ったことだが、あまりにも家賃が大きく引かれているのはあの部屋、そう、自分が今住んでいるあの部屋だけらしい。
『――あの部屋、思ってたより日当たりが悪すぎるって言ってすぐに引っ越しする人が続いてたんですけど……』
「ああ……いえ、自分は特に……なんの不便もありませんよ」
『――本当ですか? いや、どうにも人間、ある程度日に当たらないとおかしくなるみたいで……幽霊が出た、他の部屋を紹介してくれって駆け込んできた人も多いんですが、』
今更なにを言いたいのか、なにを聞きたいのか分からなかったが、幽霊、という言葉に全てを察する。
なるほど、あの部屋だけが特別格安だったのはそういうわけか。
ただえさえ人気のない要素に加え、今まで入った人間がみんな口を揃えて「幽霊が出た」と逃げていくようでは、これはもう家賃を下げに下げ、自分のような金のない学生にでも貸すしかないのだろう。
それでもどうせまたすぐに引っ越すか、クレームが入るのかと思えば、なんの音沙汰もないのだ。
一周回って不気味に感じるかもしれない。
『――いえ、斜堂さんが不便してないならいいんですよ。ただまぁ、もし引っ越ししたくなったらまたご連絡ください』
「ああ、はい、それはどうも……では、」
なんだ、結局はただの営業か、とため息と一緒に通話を切る。
少し肌寒い曇空の下、大学の中庭は思っていたより人が少なく、遅めのランチを静かに過ごしたい斜堂からすれば居心地のいい場所だった。
ベンチに腰掛け、鞄から今朝自分で詰めた弁当と、自販機で買ったばかりの温かい茶を取り出す。
特に節約に追われている、というわけではないが、周りが騒がしい中で食べる学食に使う金があるならば、寂しいぐらい静かな中庭で慎ましく自作の弁当を食べるほうが好きだ。
弁当箱の蓋を開けながらふと思い出す。
今日もあの幽霊が出る部屋――の幽霊へ、同じように弁当を置いてきた。
随分と卵焼きを気に入ったらしく、彼女のほうには卵焼きを多めに詰めてみたが、彼女はもう食べただろうか? 気に入ってくれただろうか?
料理に自信があるわけではないが、実家にいた頃は看護師として忙しかった母が不在の時、簡単なおかずを作っては祖母と一緒に食べていた。
その時、少し焦げ目が付いてしまった不格好な卵焼きも美味しい、と言ってくれる祖母を見ると嬉しかった。
そんな地元と実家を離れ、上京してひとり暮らしを始めることにした孤独なこの春、そんな幸せを再び感じることができるとは夢にも思わなかった。
お腹を空かせたリスのように口いっぱい詰めては、美味しい、美味しい、と笑う幽霊の顔を思い出し、スマホのメモ帳へ買い物メモを打ち込む。
――卵、10個入。
*
「――あの、斜堂さん、」
お話があるんですけど、と深刻な顔をして斜堂の帰宅を出迎えた墓乃上に、彼は首を傾げる。
「どうしたんです、いきなり……」
慎ましいひとり暮らしには十分だが、ふたり暮らしにはやや小さいようなちゃぶ台にはもう慣れた。
そこにぽつんと乗っているのは、今朝彼女宛てへ置いていった弁当箱と箸、水筒だ。
「……お弁当、今日もとっても美味しかったです」
「そうですか、それならよかったです」
「でも……」
「でも?」
いつもははっきりきっぱりと物言う彼女が口ごもる様を前に、斜堂は内心焦る。
なにが言いたいのだろうか? なにか気に触っただろうか? なにか口に合わなかったのだろうか――「……真っ白なご飯、」
「おかずも豪華ですし、こんなに毎日真っ白なご飯を頂いちゃって……申し訳なさが凄くて……」
「え?」
「だって真っ白なご飯ってすっごく高いやつじゃないですカ!」
真っ白なご飯、という単語に暫し考えたが、そうか、と彼女が言いたいことがなんとなく分かった。
この墓乃上という幽霊は、だいたい室町時代に生きていたらしい。
令和という現代からは遠くなったその歴史の価値観を持ったままの彼女からすれば、混ざり物のない純粋な白米というのは高級品なのだろう。
「斜堂さん、私になにか仕事させてくださいヨ!」
「仕事……?」
「働かざる者食う前に死すべし、と言いますし、なんの仕事もしてないのに美味しいご飯頂くなんて申し訳なくて……」
「なんですかその物騒な言葉……言いませんよ。というか墓乃上さんは幽霊なんですから、人間と違ってお仕事なんかしなくてもいいんですよ?」
「そんな……! これでも私は霊媒師ですヨ?」
「そう言われましても……」
彼女の真面目な気持ちは嬉しいが、だからといって急にそんなことを言われても困ってしまう。
いくら生前は実力のあった霊媒師だといっても、今この六畳一間から出られないなら意味がない。
かといってそれをそのままはっきりと伝えるには気が引ける……。
少し考え、斜堂は財布とスマホを手に取り立ち上がる。「――分かりました、」
「墓乃上さん、ちょっとお勉強しましょうか」
「勉強?」
「ええ、墓乃上さんはもう既にお仕事しているんだって分かるように。……だからちょっと買い物行ってきますね、10分程度で帰ってきます」
*
「――これが今、この時代で使われているお金です」
コンビニのATMで下ろしたお札と、彼女宛てへ買った菓子の会計で崩してきた小銭――財布から出し、紙幣、硬貨、その全ての種類をそれぞれ1枚ずつちゃぶ台に並べる。
「……なんだか小判が随分と小さいですねェ」
興味深そうに首を傾げながら小銭を見つめる彼女に、斜堂は説明を始める。
「えっと……まずはこの一番小さい小判、一円玉が、今の時代では一番小さな小判です。で、この一円玉が五枚集まると、今度はこの穴が空いた茶色い小判、五円玉になります」
「なるほど……」
「じゃあこの五円玉が二枚あったら、いくつになりますか?」
「えっと、十ですかネ……」
「ええ、そうです。で、これが十円玉です」
室町生まれの身、現代とは価値観も、金銭感覚も、常識も違うことを知ろうと、その猫のように大きな瞳は小銭を見つめたままだ。
十円玉が五枚集まれば、今度は穴が空いた銀の小判、五十円玉に、五十円玉が二枚集まれば百円玉に、と斜堂は優しく教えていく。「――ちなみに、」
「この百円玉が三つ……三百円あれば、墓乃上さんが好きなカステラが買えます」
「なんと……ならその百円玉をたくさん稼げばいいのですネ?」
「まぁそうなんですけど……もうちょっと説明が残ってるんです。もう少し聞いてくださいね」
「……今の世は随分と小判の種類も多いですねェ」
「はは、確かにそうかもしれませんね」
百円玉が五枚集まれば、この一番大きな小判、五百円玉になる、と言えば、ちゃぶ台を前にちょこんと正座していた生徒から、はい、と質問が飛んでくる。
「だったらこの紙はなんです? これもお金なんですか?」
「ええ、そうですよ。この五百円玉が二枚あると、五百足す五百……千円になって、この紙のお金になります」
「じゃあこっちは……五千円?」
「はい、千円札が五枚集まったものです。墓乃上さん、漢数字は読めるんですね」
「馬鹿にしないでくださいヨ、これでも最強の霊媒師だったんですから。祓いに必要な清めの酒や塩の量を計算したりしてたんですヨ」
「へぇ、霊媒師にも計算は付き物だったんですね……それなら話が早くて助かります。この五千円札が二枚集まったら、一万円札……今の時代では一番大きなお金になります」
「なるほど、じゃあさっそくどうにかして私の霊能力でその一万円札とやらを稼ぎましょうかネ」
「いえ、その必要はないんですよ。……だって墓乃上さん、もう稼いでくれているんですから」
「?」
幽霊の身でありながら仕事をしたい、稼げぬ身で贅沢な食を口にし続けるのは気が引ける、と義理堅く、真面目な彼女へ紹介できる仕事、というものはいくら考えても思いつかなかった。
元々物欲が薄い上、他人と出かけることなど一切ない斜堂からすれば、自分の分のついでで作る彼女宛の弁当やら、たまに買って帰る菓子やら、大した出費だとも考えてもいなかった。
極端な話、むしろ寂しい独り暮らしに現れた救いに対し、自ら進んで尽くすことは楽しい趣味に近い。
が、それに対して彼女が負い目を感じているとなれば、彼女が納得してくれるように話し合うのも大事なのだろう。「――いいですか墓乃上さん、」
「このアパート……長屋の部屋ですが、本当は一ヶ月で八万円の家賃がかかります。この一万円札が八枚もいるんです。でもこの部屋だけはうんと安い四万五千円だけで借りていいよ、って言われてるんですよ。なぜだか分かりますか?」
「日当たりが悪いから……ですカ?」
「まぁそれもありますが……墓乃上さん、この部屋に引っ越してきた人みんなに話しかけたりしてたでしょう?」
「ええ、当然ですヨ! 一緒に住むんですから、挨拶は大事ですからネ!」
「でもみんなすぐに引っ越していなくなっちゃったんでしょう?」
「……はい、」
「世の中、幽霊が出るってみんなが怖がる部屋は家賃が安くなるんです。つまりこの部屋がとっても安く借りられるのは、墓乃上さんのお陰なんですよ」
墓乃上さんがいるから家賃が大きく値引きされる、だからこの家の家計は大助かり、墓乃上さんも私も美味しいご飯やおやつが食べられる……そう考えたら、墓乃上さんはある意味もう働いているんですよ。
人になにかを説明する、ということはあまり得意ではないが、なるべく分かりやすいようにと落ち着いて話す。
一応現代の通貨を一通り説明し、「幽霊が出る」という理由で値引きされる額の大きさを伝えたかったのだが――「なるほど、」
「斜堂さんのお役に立てているということは分かりました」
「そうですか、分かって頂けたようでなによりです」
言いたいことがきちんと伝わった安心感に笑い、席を立っては湯沸かしケトルに水を入れる。
「お勉強で疲れちゃいましたよね、今お茶淹れますので――」
そう言って彼女がいる居間へ振り返った時だった。
ばちんっ、となにか鈍いものが弾けるような音と、それに混ざって「ぅ゛あっ、」と呻くような声が一瞬だけ耳元で聞こえ、理解できないそれに身体が固まる。
「――斜堂さん、さっき買い物行った時……なにか事故でもあった場所、通りました?」
綺麗に切り揃えた黒髪、その前髪からこちらを見る瞳は、今まで見たことがない鋭さがあった。
そして狙い撃つようにこちらを指す彼女の手に、言葉に、そういえば、とひとつ頷く。
「近道になる裏道を通ったんですけど……途中、花が置かれている場所が……」
「ダメじゃないですカ」
「ダメ……?」
「斜堂さん、ただえさえ幽霊がくっつきやすい体質なんですから気をつけないと……まぁでも安心してくださいヨ! だって斜堂さんにはこの室町の世にて最強だった霊媒師、この墓乃上が憑いてるんですから! 今みたいに悪霊になりかける奴だろうがなんだろうが一瞬で祓ってみせますヨ!」
い、今みたいに、ということは……今「なにか」が憑いていたのか……幽霊にはもう慣れた、とは思っていたが、その幽霊から指摘されると正直怖い。
「……墓乃上さん、」
「はい、なんでしょう」
「墓乃上さんのお陰で家賃が安く済んでるのも大変ありがたいんですが……もし私がまた『なにか』を憑けてきたら祓ってくれませんか……?」
「ええ、いいですヨ。ふふ、それじゃあそれが私のお仕事ですネ!」
ようやく自身の能力を活かせる仕事が見つかった、恩が返せると喜ぶ少女と、それを微笑ましいとは思うが、今さっき耳元で弾けた「なにか」の小さな呻き声が忘れられず立ち尽くす大学生――できれば彼女に「仕事」をしてもらうような事態は勘弁願いたい……と内心思っていることを、室町の世にて最強だった霊媒師は知らない。