【現パロ】大学生の斜堂さん+座敷わらし少女「お座敷暮らし」


――ふざけるな! 私は贄になるために来たんじゃない! 話が違う!

――桐箱に納める人形よ、

――人間ごっこに引導を、

――人間気取りの悪霊よ、

――お前は死して初めて世の役に立つのだ、

――私は死ねない! だって私はまだあの人に、

――お前は最初から生きてなどいない、

――違う! あの人は私も人間だって、大事な生徒だって……生きてせんせーに恩を返すために、

「――ねぇ墓乃上さん、」

 シャボン玉って綺麗でしょう?

――……「せんせー」って……あれ? 誰だっけ……。

 もう色褪せた記憶、永い時間に侵食されて虫食い状態になった記憶、それをさらに掻き消すように、かすかに聞こえたのは激しく降る雨の音。

 ぱちんと弾けるように意識が起きた。
 半ば寝ぼける頭が痛む。どうやらぐるぐると脈絡もなく巡る記憶の海に、眠る内深く沈み過ぎたらしい。
 起きた視界に映るは見慣れた狭い空間。明かりひとつないその狭い空間は、いつの間にか住み憑く安住の地にしていた長屋の押し入れ――その襖を開けてみる。

 一ヶ月も立たぬ前は物ひとつなかった殺風景な六畳一間の部屋には、今ではちゃぶ台やら本棚やら、人間が生活するものに満ちていた。

 この日当たりの悪い部屋をわざわざ好んで借りた部屋の主――押し入れから出、明かりが付いたままの部屋の中で斜堂の姿を探したが返事ひとつない。
 その代わり、ちゃぶ台に置かれていた弁当を見てはようやく思い出す。

 そうか、そういえば今日は学校とバイトとやらに行くから一日いないと言っていたな――「墓乃上さん、」

「明日なんですけど、お弁当作っておくので良かったら食べてくださいね」

「お弁当?」

「ええ。私、明日は学校とかで一日中いないんで……お昼ご飯用に置いておきますね」

「別にわざわざそんなことしなくても……幽霊は空腹を感じませんヨ?」

「そうかもしれませんが……お弁当って、ひとり分だけ作るほうが実は面倒だったりするんですよ。だから墓乃上さんの分もついでに作らせてください」

――ああ、そういえばそんなこと言ってたなぁ……。

 なんでも安価で買える「ひゃっきん」とやらで買ってきたと言っていた弁当箱の蓋には、可愛らしい猫の絵が描かれていた。
 几帳面な彼のことだ。しっかりと『お供え』してくれたその弁当箱の蓋を開けると、中には握り飯、卵焼き、あとは肉と野菜を炒めたようなものが綺麗に収まっていた。

 壁にかかった時計を見れば13時――斜堂から時計の読み方を教わったばかりだが、お昼ご飯を食べるには丁度いい時間だというのは分かった。

「……いただきます」

 誰もいない部屋で食事をするなんて何年、いや、何百年ぶりだろうか――最近はお人好しで変わり者の斜堂と一緒に食べていたからか、なんとなく寂しい味もする。

 人間の脳というものは弱く、独りになると無意識に考え事をしては孤独な時間を埋め合わせようとするらしい。

 起きた瞬間にはほぼ弾け、忘れてしまった僅かばかりの夢の記憶をなんとか思い出そうと頭を巡らせながら、斜堂が作ってくれた握り飯を口にする。

――桐箱?

 ようやく思い出せた欠片は、たったそれだけだった。

 その言葉がなんの意味を持つのか、自分の死因や人生にどう関わっているのか、未だ成仏できない理由に関わっているのか――いくら考えても、その先へ踏み出せることは無かった。

 その代わり鮮明に覚えているのは、先日貰ったシャボン玉がふわふわと浮く中で笑いかけてくれる斜堂の顔――色褪せすぎた過去の記憶とは反対に、あの鮮やかに光を反射するシャボン玉の輝きも、優しい口調も、全部鮮明に思い出せる。

 別に彼のことは嫌いではない。

 今までこの長屋に誰か住人が入るたび、もしかしたら自分となにか縁がある者が引き寄せられて来たんじゃないか、と淡い期待を抱き、毎回初日の晩には挨拶をしていた。
――が、その期待も虚しく、みな揃ってすぐに荷物をまとめて逃げるように退去していった。

 まぁ当然だ。誰だって幽霊がわざわざ挨拶に来る部屋なんかに住みたがるわけがない――それでも諦め切れず足掻いていた中でようやく出会えた理解者が斜堂なのだ。

 しかし彼はあまりにも優しすぎる。
 我ながら随分とワガママだと思ってしまうが、彼の優しさが、気遣いが、自分の記憶の中に侵食しているのを実感している。

 彼と過ごした楽しい記憶が夢に出るということは、反対に、本来探すべき過去の記憶がどんどん遠ざかるということ――本当にそれでいいのだろうか?

「……ごちそうさまでした」

 両手を合わせ、空にした弁当箱へ一礼する。
 その時、風呂場のほうから、だむ、だん、だん、と鈍く重たい音が聞こえ、思わず猫のように驚いてしまう。

「えっ……な、なんです……?」

 恐る恐る風呂場のほうへ行ってみる。
 真っ白で、大きな……樽? のようななにかが、ごん、ごん、とこれまた鈍い音を立てなから左右に揺れていた。

 これは斜堂がタイマーをセットして自動的に動くようにした洗濯機なのだが――室町時代生まれの墓乃上に分かるわけがなかった。

「霊障……? いや、この部屋に私以外の幽霊などいるはずが……」

 この世の不可思議なことは全て霊の仕業だと知っている墓乃上にとって、霊が干渉していないのに勝手に動き出すものなど恐怖の対象でしかなかった。

 一応念の為、とその大きな樽へ向け、壁に隠れながら彼女は自分の霊能力――人指し指を軽く振り、大抵の霊は捕縛できるその力を飛ばしてみる。
 が、洗濯機というものは人間が作り上げた無機質な家電であって、(自称)室町の世にて最強だった霊媒師の墓乃上に引っかかる霊など最初からいないのだ。

 と、止めたほうがいいのだろうか……しかし霊障じゃないならば、どうやって止めればいいのか……。

 ……そもそもこれ、私が触れるのか……?

 この樽の機嫌を損ねたらなにがどうなってしまうのか分からず、そっと指先だけゆっくりと当てる。
 しかし当たり前のことだが、斜堂が『お供え』していないものに墓乃上が実体として干渉できるわけがないのだ。

「さ……触れないならしょうがない……ですよネ……」

 完全に自分にはどうしようもできないそれに、半ば逃げるような形だが室町の世にて最強の霊媒師、墓乃上は脱衣所から撤退した。



 昨日、斜堂は大体遅くても20時には帰ると言っていた。
 時計を見ればまだ15時。
 20時に届くまでまだまだ遠い時計の針を見てはため息をついていた。

 室町に死してからだいたい500年ほど経った今世――令和、という時代まで取り残された幽霊として、時間という概念はほぼ死んでいた。
 一旦眠り、再度目覚めたら何年、何十年も経っていたなんてこともあっただろう。
 だからといって悲観することはなかった。
 なぜなら墓乃上という幽霊は、眠っている夢の中では生前と同じ時代を生きているのだから。
 そうして何度も何度も、夢の中で死因や心残りを、果たせなかったなにかを探すために生きている。
 だから現世でいくら時代が変わろうが、墓乃上にとって意味などなかった。

 しかし今はなんとも不思議なもので、たった数時間後に訪れる20時が待ち遠しくてたまらない。

 斜堂がくれた華やかな色のビー玉をかちん、かちんと軽くぶつけるように転がしては遊び、おやつにと『お供え』してくれた南蛮菓子の金平糖を懐かしみながら口にし、暇つぶしに話せる浮遊霊でも通りかからないか、と窓から雨が降りしきる外をぼんやり眺めてみる。

 今日から学校って言ってたのに雨だなんて可哀想……いや、あの人は雨のほうが好きか……。

 お弁当、美味しかったなぁ……なんとなく懐かしい味がしたけど、生きてた頃もあんなふうに誰かが作ってくれたご飯食べてたのかな……。

 ちっ、ちっ、ちっ……、と微かな音と共に時計の秒針は絶え間なく走るが、それでもまだまだ20時には届かない。

――ああ、思い出した。

――私、意外と寂しがり屋だったんだ。

 死してから初めて取り戻した「人恋しい」という感情。

 もしかしたら死ぬ直前の私も、誰かに会いたくて、会えなくて死にきれなかったんじゃないだろうか――。

 ……きっとその相手は、もしかしたら斜堂さんみたいに私なんかに優しくしてくれる変わり者だったりして……。

 いくら考えても未だ核心に指一本触れられない記憶と、未だ帰ってくる気配すらない部屋の主、そして悪霊としての威厳が減るにつれ随分と人間じみた自分に、大きなため息をついては机に突っ伏した。



「――墓乃上さん、ただいま」

 がちゃりと開く玄関の戸と自分を呼ぶ声――いつの間にか机に突っ伏したまま眠っていた身体が起き、気がつけば玄関へ寄っていた。

「いやぁ、けっこう酷い雨で……墓乃上さんは寒くなかったですか?」

 傘の露を払いながら自分を気にかけるその声に首を振る。「私、これでも幽霊ですヨ?」

「幽霊は気温も感じませんし、空腹だって感じません。……でも、」

「でも?」

「……お弁当、すごく美味しかったです」

 なんだか素直に言うのが恥ずかしくて、小声で言うのが精一杯だった。
 聞こえるか、聞こえないか、というぐらいの小声で言われたその言葉に、斜堂は思わず笑ってしまう。

「それならよかったです。まだ卵焼きの残りとかありますし……夕飯も一緒に食べましょうか」

 その前にちょっとお風呂入ってきますね、雨で結構濡れちゃって、と風呂場に行こうとする彼に、墓乃上は慌てて制止しようと彼の腕に手を伸ばす。が、霊体のその身では掴むことすらできず、さらに慌ててしまう。「えっ、ちょっと、」

「そっち行かないほうがいいですヨ!」

「え? なんでです?」

「な、なんか昼過ぎにいきなり白い樽が動き出して……霊障かと思ったんですけど、なんか違うみたいで……私、止められなくて……」

 あわあわと必死に説明する墓乃上の「白い樽」という単語に、斜堂は暫し考え込んだが、その答えもすぐに分かった。

「もしかしてこれのことです?」

 脱衣所で洗濯機を指差す斜堂と、壁に半身隠れながらそれを見ては頷く墓乃上――「ああ、」

「驚かせちゃったみたいですね……すみません。これ、『洗濯機』っていうんですよ」

「せんたく……」

「この機械に服を入れておくと、勝手に洗ってくれたり乾かしてくれるんですよ。で、この時間になったらお洗濯してください、って指示もできるので、今日のお昼に勝手に動き出したのは、そのお願いを聞いてくれたからなんですよ」

「なるほど、じゃあ霊障とかじゃないんですネ……」

「びっくりしちゃいました?」

「……少し」

「ふふ、そんな機嫌損ねないでくださいよ」

困ったように笑う斜堂が言う。

「さっきコンビニで美味しそうなゼリー見つけたんで……それで機嫌直してくださいよ」

「ぜりぃ?」

「ええ、美味しいおやつです。ちょっとお風呂に入ったら夕飯の準備するので……ご飯食べたら一緒に食べましょうね」

 そう言い残して脱衣所の戸を閉めたのを前に、墓乃上は無意識に呟いていた。

「……お人好し」

 たった数時間待ちくたびれて、やっと帰ってきたその顔を見た時、墓乃上はなによりも心の底から安心したのだ。

 さっきまでは独りで過ごしていた居間に戻り、相変わらずまだ雨が激しく地面を打ち付けるのを窓から眺める。

 かつて死んだ時に想い人に会えず、そのまま虚しさを、寂しさを抱えたまま、顔も名前も忘れているのに霊体として時代に取り残される悲しさは、もう飽くほど身にしみて知っている。

 今回、初めて斜堂がいない日常を独りで過ごし、その帰りを待てば待つほど、また生前のように別れも言えず会えなくなったらどうしよう、という不安がじわじわと募っていた。

 迷子になった幼子がようやく親を見つけた時、その安心感からぼろぼろと泣き出すように、墓乃上もまた、似たような感情が胸を占めていた。

 ……いっそ斜堂さん自体に取り憑いて、ずっと一緒にいられたら……。

 悪霊に成った身の性か、個人的な感傷がそう思わせるのか、ふと頭に浮かんだその考えに自分で驚き、いや、と強く否定する。

 時計を見れば19時20分――斜堂は自分で墓乃上に告げた時間通り、(むしろ早めに)帰ってきてくれたのだ。

 この人はちゃんと帰ってくる。
 私という悪霊が憑いている部屋にわざわざ手作りのお弁当まで置いたり、一緒に過ごそうと菓子まで買って来るお人好しはちゃんとここに帰ってくるし、なにより今の私はこれ以上死ぬことはないのだ。

 大事な人を記憶ごと再度失うのではという不安感と、そんな大事な人を信頼したい気持ち、悪霊の身を利用した自分のエゴで独占はしたくない、という理性――ごちゃごちゃとまとまらない気持ち。

――私は幽霊の救済のために生きていますが、それと同時に、今はせんせーへの恋にも生きているんですヨ。

――人間を好きになること、それが素敵だってことに教えてくれたのはせんせーですヨ?

――大丈夫ですヨ! この室町の世にて最強の霊媒師、墓乃上みつよはせんせーへの恋を叶えるまで死んだりしないんですから!

――だからせんせー、私の帰り、待っててくださいネ。

 ………ああ、まただ。「せんせー」って誰だろう?

 紛れもなくそう誇って言ったのは自分だ。
 生前の自分だ。

 誰か……「せんせー」と呼ぶ誰かから教わった感情に「恋」と名前が付いているなら、今この現世で一緒に住んでいる彼を想うこの感情は?

――ねぇ、私の記憶の片隅にもう僅かばかりしか残っていない「せんせー」とやら。

 私にも答え、教えてくださいヨ。

 虚しい願いだ。それでいてあまりにも哀れだ。

 そんな情けない自分と現実から逃避するため、墓乃上は口元に笑みを浮かべ、声に出して大きく呟いた。

「――ああ、卵焼き、美味しかったなぁ」

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