【現パロ】大学生の斜堂さん+座敷わらし少女「お座敷暮らし」
「――墓乃上さん、墓乃上さん、」
桜の開花を急かすかのような陽気の昼下がり。
そんな春に上京してきた斜堂影麿は、新居である自室の押し入れ、その閉じた襖へ呼びかけながら数回軽くノックした。
他人から見れば奇妙な光景かもしれないが、それでも斜堂はさらに呼びかける。「……あの、」
「起きてます……? お菓子買ってきたんで、もしよかったら一緒にいかがですか?」
もの言わぬ襖にそう声をかけると、ガタガタと立て付けの悪いその戸が内側から開く。
お菓子、という言葉に反応したのか、それとも自分の問いかけが鬱陶しくて起きたのかは分からないが、この押し入れの住人――座敷わらし、ではなく幽霊の少女、墓乃上みつよが、気だるそうにあくびをしつつ出てきた。
「すみません、起こしちゃったみたいですね」
「いや……別に構いませんヨ。いくら寝たって人間みたいに元気になったりしませんし」
それよりも、となにか言いたげな大きな瞳と目が合い、斜堂はその意味を察する。「――ああ、」
「さっき買い物行った時にお菓子買ってきたんですよ。今お茶淹れますので……ちょっと待っててくださいね」
そう言って湯沸かしケトルに水を入れるこの部屋の主に、取り憑いているというよりはもはや居候のようになっている幽霊は、大人しくちゃぶ台を前に正座しては彼を待つ。
生前は数多の霊と関わる霊媒師を務めてはいたが、まさか自分がここまで人間に干渉する悪霊と成り、おまけに人間と変わらぬ扱いを受けようとは――「斜堂さんって、」
「変わってるね、なんてよく言われません?」
「え? ……ええ、まぁ」
もう言われすぎて慣れっこです、という苦笑と共に、茶の香ばしい湯気が立つ湯呑と、菓子が乗った皿が目の前に置かれる。
「――お供えします、お供えします、お供えします」
両手を合わせ、幽霊の身でも飲食ができるように、と教えた言葉を唱えてくれる家主が出してくれたその菓子に釘付けになる。
綺麗に焼き目の付いた表面と、黄金色に輝く生地、甘い香り――「かすてら?」
思わず呟いたその言葉に、斜堂は驚いて彼女へ聞き返す。
「ええ、そうですけど……墓乃上さん、カステラは知ってるんですか?」
「……懐かしいですネ。あの頃はまだ南蛮から入ったばかりで高くて……金平糖も好きでしたし、除霊の仕事の報酬に貰ったりしてましたねェ……」
「南蛮……」
彼女の生前を懐かしむ言葉――初めて聞いたそれに、斜堂は衝撃を受けた。
どの時代に生きていたのか、死んだのか、いつから魂だけが現世に残ってしまったのか……彼女へ抱いていた疑問の大きな部分が、彼女が何気なく口にした「南蛮」という単語から察することができてしまった。
「……もしかして、墓乃上さんって室町時代に生きていたんですか?」
「むろまち?」
初めて聞いた言葉だ、というように首を傾げ、しばし沈黙する。
が、なにかを思い出したのかぱぁっと表情が明るくなり、その輝いた瞳で頷く。「――そういえば、」
「そういえば思い出しましたヨ。だって私、生前はたしか『この室町の世にて最強の霊媒師とはこの私、墓乃上みつよのこと!』って名乗ってましたヨ!」
「で、最強すぎて現世まで残っちゃったんですか……? 今は令和ですよ、令和。墓乃上さんが生きていた時代は大体……そうですね、五百年ぐらい前でしょうか……」
「五百年……!?」
あまりの年月に衝撃を受けたのか、言葉を失う彼女を前に、しまった、と斜堂は焦る。
五百年ほど成仏できずに残ってしまっているなんていきなり言われてもショックが大きいだろうに、そこまで気を使えなかった自分――あれこれ考える前に、思わず頭を下げていた。「すみません、」
「い……いきなりそんなこと言われても困りますよね……ごめんなさ」
い、と顔を上げると、彼女はショックを受けたようでも、動揺しているわけでもなく、リスのように口いっぱいにカステラを頬張っていた。
「え……」
「いやぁ、そう考えるとカステラって凄いですねェ。そんな昔から未だに残ってるなんて」
懐かしい、美味しい、と満面の笑顔で食す彼女に、自分が思っていたようなショックはあまりなかったらしい。
まぁ多分そのほうがいいのだろうが……よかった、と胸をなでおろす。
とりあえずの安心感に茶を飲むと、今度は彼女から問いかけられる。
「斜堂さん、」
「はい、なんですか?」
「なんで私のほうが菓子が多いんです? そこまで気を使わなくても呪ったり祟ったりしませんヨ」
彼女の皿には三切れ(一つはもう食べて無いが)、自分の皿には一切れ、ということに彼女は呆れたように言う。「というか斜堂さん、」
「もうちょっとしっかり食べたほうがいいですヨ? この前だって風邪で寝込んでましたし、なにより痩せすぎですヨ」
「すみません、昔から少食でして……それに私、呪いとか祟りとか関係なく、墓乃上さんには美味しいものをたくさん食べてほしいんですよ」
「なぜ? 私は子供ですが……幽霊ですし、いくら食べてももう成長することはありませんヨ」
「んー……なんというか……そういうわけじゃないんですよねぇ……」
「?」
「……墓乃上さんが美味しそうに食べてるのを見るのが嬉しい、って言ったら分かりますか……?」
――正直、寂しいひとり暮らしになると思っていた。
離れた地元は新幹線に乗らないと行けない距離、もちろん見知らぬ東京という土地に知り合いがいるわけでもなく、学校に行っても、己の消極的で閉じこもった性格では友人ひとり作れないだろうと思っていた。
好きな分野の勉強をさせてもらえるだけありがたい身なのだ。贅沢は言わない。遊びに来ているわけでもないし、元よりひとりで過ごすほうが好きなのだ。
だからといって寂しくないのか、と聞かれれば、我ながら寂しい奴だと思っていたが――あまりにも予想外な展開で始まったこの奇妙なルームシェアは、そんな寂しい奴の日常を一転させたのだ。
一緒に住んでいる子が楽しそうに話し、遊び、美味しそうに食べてくれるのを見ることが、今の自分にとっては孤独を忘れられるほど嬉しいことだ、というのは、なかなか言葉にしづらいらしい。
「――本当に変わったお人ですねェ」
やれやれ、といった感じのため息を付かれるが、そんな彼女の口元はご機嫌に笑っている。
「本当にいいんです?」
「ええ、お好きにどうぞ」
その言葉に彼女は目を輝かせ、その小さな口を大きく開けては美味しい、美味しいと再度リスみたいになる。
その幼い顔を見ながら、斜堂は自身の幼い頃を思い出していた。
そうだ。そういえば祖母も母も昔、なぜか自分にばかり菓子を渡してきたものだ。
なぜ自分にたくさん寄越し、買ってきた本人は少ししか食べないのか――不思議に思って訊いたことがある。
けれど答えを聞いてもよく分からなかった。
美味しいものなら平等に分け、一緒に食べるほうが良いのではないか。美味しく食べている自分を見るほうが良い、というのは下手な気遣いじゃないのか――大人になって、ちょっと変わった同居人と接するようになって、今ようやくその意味を理解した。
独りっきりで過ごしていたらずっと分からなかったであろう幸せが、今目の前で笑っている。
「美味しかったです! ごちそうさまでした!」
あっという間に綺麗に平らげた彼女は自分を見ると、再度手を合わせて一礼した。
「ごちそうさまでした、斜堂さん。カステラなんて何年ぶりか……あ、あとこの変わった楊枝、使いやすいですねェ。とっても食べやすかったですヨ」
「ああ、それはフォークというんですよ」
「ふぉーく……なるほど、楊枝ひとつでもどんどん便利になっていくんですねェ。面白いものですネ」
興味深そうにフォークを眺めている彼女の姿がなんだか面白くて、可愛らしくて、思わずからかうように声を掛ける。「――墓乃上さん、」
「もっと面白いものがあるんですよ」
*
「なにをするんです?」
居間から風呂場へ彼女を連れ、椅子に座らせる。
小さな風呂場に赤い着物、黒髪の少女がぽつんと座っている光景は不思議なもので、なんとなく売れないヴィジュアル系バンドのCDジャケットみたいだ、なんてくだらないことを考えてしまう。
「いいですか? よく見ていてくださいね」
なにがしたいのか分からない、と首を傾げる彼女の前で、あらかじめ『お供え』を唱えていたダイソーで買ってきたシャボン玉セットを開ける。
安っぽいボトルに入ったシャボン液を、これまた安っぽいトレーへ少し注ぐ。
そして付属していたストローの先端にシャボン液を付け、未だに首を傾げたままの彼女へ渡してやる。
「墓乃上さん、これをこう……口に咥えて、ふーってゆっくり息を吹いてみてください」
「……?」
「ああ、吸っちゃダメですよ。吹くだけです」
「なるほど……?」
ようやくぎこちない手付きでストローを口にし、恐る恐るといった感じでゆっくり吐かれる息と共にストローの先端からはシャボン玉が生まれ、そして先端から離れては風呂場の空に浮き漂う。
「なんと……!?」
「ふふ、もっと吹くとたくさんできますよ」
信じられない、驚いたと目を丸くしたまま、再度シャボン液を付けたストローからぷかぷかと鮮やかな玉が生まれる。「――シャボン玉、っていうんです」
「墓乃上さん、気に入るかなって思いまして」
「しゃぼん、さぼん……あれ……? 南蛮のものだったような……」
「え、墓乃上さんの時代にはもうあったんですか?」
あとでネットで調べよう、と内心思いながら訊くと、彼女はふわふわ浮いていたシャボン玉ひとつに指先を当て、それは音も立てずに鮮やかな色は弾け消えた。
「……さっき、私が生きていた時代は五百年も前かもしれない、って言ってましたよネ?」
「え、ええ……それがどうかしましたか……?」
「……私はあの押し入れで寝ている間、生きているんです」
誰かと話して、育って、誰かを……誰か、大事な人を追って、好きになって、別れて、霊媒師の仕事をするために色んな場所に行って……なんで死んだのかは、夢の中でも思い出せません。
でも眠っている間だけは、たしかにあの時代を……斜堂さんからすれば五百年も前の時代に、私は生きているんです。
……でも起きたら、全部忘れているんです。
もしかしたら、幽霊に成りたての頃は覚えていたかもしれません。
でももうあまりにも永い時間に取り残されて……本当に忘れてしまったのか、忘れようと思って忘れているのか、その区別すら忘れてしまいました。
私の中にあった歴史と人生は、記憶は本当にあったはずなのに……このシャボン玉と一緒です。
今ここに浮かんで綺麗な色を持っていたのに、消えたら『存在した』ことさえ分からなくなってしまいます。
……それでも夢見ることを止められないんです。
死因と成仏できない心残りを探しているのか……もう名前も顔も思い出せないけれど、ずっと追いかけていたはずの好きな人にまた会おうとしているのか……目的すら弾けて消えちゃったんですけど、それでも諦め切れなくて、気がついたらいつの間にかあの押し入れにいて、五百年も経ってしまいました。
……でも後悔してませんヨ。
むしろ、これもなにかの縁かもしれませんネ。
斜堂さんとこうやって過ごす内、もしかしたらまたなにか思い出すかもしれませんし……何百年ぶりかは忘れてしまいましたが、そうやって生前の夢を追うことも、心残りを探すことも、久しぶりに前向きな気持ちになれましたヨ。
また吹いて生まれ、消える儚いシャボン玉に囲まれながら笑う彼女と目が合うと、彼女は驚いた声を上げた。
「えっ……ちょっと、なんで斜堂さんが泣いてるんです?」
「す……すみません、だって……その……私、今日墓乃上さん起こしちゃったりしたじゃないですか……もしもあの時、墓乃上さんが夢の中で楽しく生きているのを……なにか思い出せそうだったところを邪魔しちゃったんじゃないかと思って……」
「ああ、別にそんなこと気にしなくていいのに……きっと、そんなすぐには大事なことも思い出せませんヨ。それにね斜堂さん、」
「はい、」
「私……今は夢の中に独りで潜っているより、斜堂さんとこうやってお話したり、一緒におやつ食べたりしているほうが楽しいです。五百年も残って良かったって思うぐらいに」
だからそんな泣かないでくださいヨ。
私、美味しいお茶を飲んで笑ってる斜堂さんのほうが好きなんですから。
*
「……さっきはすみませんでした、逆に心配かけちゃって……」
「別にいいですヨ、それよりもなんでいきなりシャボン玉なんか持ってきたんです?」
日は暮れ、春とはいえ少し肌寒さが残る夕方。
緑茶を注いだ湯呑に『お供え』を唱え、本日二度目のお茶会に彼女が訊く。
「ああ、あれは墓乃上さんにあげようと思いまして……私、明後日から学校が始まりますし、バイトも始めるので帰りが遅くなる、といいますか……家にいる時間がかなり減りますので、墓乃上さんの暇つぶしになればいいなと思いまして……」
「がっこう? ばいと?」
「えっと……学校は寺子屋、バイトはお仕事、ですね」
「へぇ、なんのお仕事するんです?」
「塾の講師です。勉強を教える先生……って言ったら分かりますか?」
「凄いじゃないですカ、じゃあ斜堂せんせーになるんですねェ」
……あれ? 斜堂せんせー……?
どこかで聞いたような、口にしたような……ああ、頭が痛い。ダメだ。思い出せない。
記憶という脆くて儚いシャボン玉の破片なんか、いくら探したって見つからない。分からない。
そもそも本当に存在したかどうかすら分からない。
……まぁ今は悪霊の自分なんかを同情して泣いてくれるお人好しで、変わり者の同居人がいるのだ。
あるかどうかも分からないものを探すより、今はそんな同居人と話しているほうが楽しいのだから――「墓乃上さん、」
「よかったらこれも暇つぶしに使ってくださいね」
買い物袋から出てきたのは折り紙、色鉛筆、画用紙、ビー玉……室町生まれの墓乃上から見れば、かろうじて折り紙だけは分かるが、その他はそもそもどういうものか分からない。
が、ひとつだけはっきりと分かることがある。
「全部百均っていうところで買った安物なんですけど、墓乃上さんが気に入ってくれたらいいなと思いまして……あ、もちろん全部『お供え』してありますよ」
「……斜堂さん、」
「はい、なんでしょう?」
「斜堂さんって寂しがり屋ですよネ……ここまで幽霊に懐く人間、そういないですヨ」
「え、」
「私は嬉しいですけど……明後日から学校行くんでしたっけ……人間とのお話、頑張ってくださいネ……」
(推定)五百年前から現代まで残る悪霊に、まさかそんなことを本気で心配されるとは――。
ぱちんと弾け飛ぶなんて優しいものじゃない。
頭をがつんと殴られたかのようなショックだった。
今までの人生、自分ひとりの時間が好きだからとあまり他者と関わらなかった斜堂は、その日初めて己のコミュニケーション能力に危機感を覚えた。