【現パロ】大学生の斜堂さん+座敷わらし少女「お座敷暮らし」
この世で最も残酷な生き物、それは中学生だ。
若さ故に怖いもの知らずな反抗心と好奇心、生意気に煙草や酒をやたらと欲しがる残念な頭なのに、少年法という無敵の防御の意味だけは無駄に知ってる狡猾な生き物、それが中学生。
未熟な頭と精神が知恵を働かせる相手は期末テストなどではなく、いかに気に入らない相手をいじめてやろうか、というくだらない遊びだ。
始業式が終わり教室に戻った今、二年二組と札がついたこの教室の中では、そんな遊びで盛り上がっていた。
幸い私は一番後ろの目立たない席が自分の居場所になった。視線を上げず、手元の本を読み、黙っていれば少なくとも「ターゲット」になる可能性は少ないだろう。
生徒の数が少ないこの学年では、クラス替えというある意味救済処置のようなものは存在せず、一年生の時からなにも変わらない人間関係がそのまま二年生まで引き継がれてしまった。
いや、なにも変わらない、というのは過言かもしれない。
一年生の中頃には不登校になってしまった生徒が二人もいた。原因はいじめ。
そしてそんな現状をどうにかしようと日々奔走していた担任教師も、ある日突然来なくなってしまった。
本来ならば今年もこのクラスの担任を続ける予定になっていたが、いきなり辞表を叩きつけたとか、首を吊ったはいいが死にきれなくて入院しただとか、あっという間にいろんな噂が学校中を駆け抜けたが、結局これも原因はいじめなのだ。
教師間のいじめではない。
倫理と常識を外れれば外れるほど面白い奴、という頭の悪い価値観がエスカレートし、ついには学級崩壊と呼ぶのがふさわしいほど荒れたこのクラスの餌食になってしまった……ただそれだけ。
それを黙って見ていただけのお前も同罪だ、と指差し糾弾されるかもしれない。
しかしよく考えてほしい。もう既にライオンに噛みつかれ、あとはもう食われるだけになってしまったシマウマを助ける勇気なんて誰が持ってる?
これが弱肉強食、自然の摂理、仕方のないこと、と身の安全を選ぶことのなにが悪い?
今ここにいるライオンたち――中途半端に髪をブリーチし、自慢のヘアワックスで髪を一束一束丁寧に整えるくせに、落書きだらけでみっともない上履きのかかとを踏み、なにが格好いいのか分からないが制服のズボンを腰まで下げて履いた彼らは、この教室に新しくやってくるシマウマ――新任教師の登場を今か今かと待っている。
始業式の舞台上で挨拶をした気弱そうで、臆病そうな教師の自己紹介はマイクのハウリングより小さく、なにを言っているのかは正直よく聞き取れなかったが、それでも十分にライオンたちは面白そうだと思ったのだろう。
いったい誰がわざわざこんなもの持ってきたんだ、と不思議に思うと同時に呆れてしまうが、教卓の上には新任教師の歓迎――ジュースの空き瓶に白菊を一輪挿したものが用意してある。
黒板消しを入り口に仕掛けるような、古臭くて直接的な嫌がらせなんて今時誰もやるつもりはない。
じっくりと、じわじわと、それでいて相手が勝手に病むのを待つようにするのが最近この地獄では流行っているらしい。
……可哀想に。
しかし同情の表情なんか見せたらこちらも巻き添えになってしまう。
黙って、大人しく、それでいて他人事だと思って過ごしていればそれでいい――そう思った時、教室に満ちていた騒がしい声がさっと収まった。
廊下からこの教室に近づいてくるのは、教師の足音――あの気弱そうな教師の足音。
「――おはようございます」
マイクに混ざる雑音がない分、始業式で聞いた時よりもほんの少し聞きやすい声で彼は一言、そういって教室に入ってきた。
皺のひとつもない真っ白なカッターシャツに反した、幽霊みたいにくるくるうねった黒髪を邪魔そうに耳元へかける。
そんな彼をまず迎えたのは、生徒からの沈黙と教卓の白菊――それを見た彼は「あら、」とほんの少し呟いただけで、特に不快だといった顔ひとつせず出席簿を花瓶の隣に置き、まずは挨拶から始めた。
「えー……今日からこのクラスの担任になりました、斜堂影麿と申します。担当教科は国語をやらせて頂きますので、どうぞ皆さん、よろしくお願い致します」
始業式で見せた臆病っぽさのひとつもなく、猫背に見えた背を伸ばし穏やかな調子でそう名乗る先生の様子。その予想外な様子に対し、あれだけ嫌がらせの作戦をあれこれ楽しそうに話し合ってた男子たちも驚いたように黙っていた。
「……なるほど、」
そういって自身の前に置かれた花を見たが、やはりどう見ても不快だとか、悲しいだとか、そういった感情は感じていないようで――彼はなぜかティッシュでチョークの持ち手をくるみ、指が汚れるのを嫌うように持っては黒板へ「白菊」と綺麗な字で書いた。
「……怪我や病気のお見舞いに花を持っていく、ということ自体は一般的ですが、白菊をお見舞いに持っていくことは非常識とされています。それはなぜか……」
「白菊」の右隣に「葬儀」「日本」と書き、誰ひとり相槌打たぬ教室であることも気にしていないように話を続ける。
「この日本において白菊とは、お葬式で使うことが多い花なんです。だからお見舞いで持っていくと不謹慎だ、と非常識扱いされますが……しかし海外では違うようです。えーっと……たしかイギリスとかだったかな……」
今度は「白菊」の左隣に「イギリス」と書き込んだ後、今度は赤いチョークへ持ち変える。
なぜかまた律儀にティッシュで持ち手をくるむその様子に、内心、教師が素手でチョーク一本触れないのか? と呆れてしまう。
そして「イギリス」には赤い丸を、「日本」には赤いバツをつけるが、その時ようやく彼はほんの僅かに顔をしかめた。が、それは今更嫌がらせを不快に思ったわけではなく、多分チョークの粉が指先にでもついてしまったのだろうか。
「たしかイギリスでは菊の花がお見舞いに人気の花だそうで……花ひとつに込められたメッセージというものは、国によって真反対に変わることもある。……というのをまず前提としましょう」
一番後ろの席から見ても分かるほど、きっちりと綺麗にアイロンがかけられたハンカチで指先を念入りに拭いている。まさか本当にチョークの粉すら駄目なのだろうか? 仮にも教師が?
――……この白菊をここに持ってきてくれた子には、「この花は縁起が悪い、不謹慎だ、死を連想させる花だ」という教養があったわけですし、それを受け取る私にもその知識があるはずだ、暗に込められたメッセージが分かるはずだ、と思ってくれたわけですよね?
……だって私にその知識がなかったら、「綺麗なお花をありがとうございます」で終わっちゃって、嫌がらせは成り立たないんですから。
……先生、嬉しいですよ。この花、よければ持ち帰っていいですか?
言葉を絶やすことなく、終始穏やかで落ち着いた様子で語りつつも、胸ポケットから出した香水のアトマイザーのような小瓶からワンプッシュ、その手に吹きかけていたそれは香水などではなく、窓からの風に紛れて香るこれは――消毒液?
チョークの粉程度で消毒液を持ち出してくる神経質さと、歓迎の嫌がらせを皮肉ではなく本当に嬉しいとばかりに語る新任教師は、正直言ってここにいる生徒全員が異様な奴だと思ったのだろう。
いつもは教師どころか世の大人全員を小馬鹿にしたような物言いしかできないライオンの内、ひとりが戸惑った様子で「ど、どうぞ……」と一言だけ答えるのに精一杯だった。
「……ありがとうございます。えーっと、知識と教養の共有……私は皆さんと勉強していく上で、これを大事にしていきたいと思っています。とても極端な例えですが、これができれば生まれた時代が何百年違えど、心から分かりあえることだってできる。……と、私は思っていますが……ああ、そうだ、そういえば……」
すみません、私の家、花瓶なんてなくて……この瓶ごと持って帰っていいですか?
……ありがとうございます、大事にしますね。
ようやく本当に困ったような顔をして訊いてくるこの人は……いったいなんだ?
気弱そうで腰が低く、丁寧に、生徒相手でも敬語で話す上、神経質な潔癖症なのが覗える新任教師なんて、なによりも誰よりもいじめ甲斐がありそうな者なのに、なぜか得体の知れぬ余裕が滲む「斜堂先生」に、もう誰ひとり言い返すことなかった。
「――さて、それじゃあ二年二組の良い子の皆さん。教科書を使った授業を始めましょうか」
開けっ放しにしていた窓から入る風が大きくカーテンを揺らす教室の中、「斜堂先生」の異質さに言葉を失うこのクラスをからかうよう、どこからかくすくすと笑う女子の声が聞こえた。
なぜか不思議とそんな気がした。