【現パロ】大学生の斜堂さん+座敷わらし少女「お座敷暮らし」
くだらぬ戦のために御神木を切り倒してしまうなんて、なんて馬鹿なことを。
初めに話を聞いた時、まずはそう叱りたかったのを我慢しました。
この夏休みはできる限りいろんな地に向き、幽霊を助け、人も助け、お金を貰うついでに霊媒師としての実績を積みつつ顔を売れればいい、と思っていたのですが、なんとまぁこの村は酷いものです。
旅の途中で貰った手紙では、簡単な儀を手伝ってほしい、としか書かれていなかったのに、こんな状態、この天下の墓乃上以外の霊媒師が請け負ってくれるとは思えません。
土地が痩せ細り、食べ物に困り、この夏の日照りに苦しむ貧しい村というのは珍しくないでしょう。
しかしこの村の領主とかいうヒゲが自慢の偉そうなおじさんは、勝ち目のない領地争いを勝手にけしかけ、邪魔になるからと御神木を切ってしまったのです。
御神木というのは神様のお姿、神様と魂の拠り所。
そして人の信仰を集め、安心感を与えるもの。
そんなものを身勝手に切ってしまうような奴から、今さらこの村に立て続く厄災をどうにか治めてくれ、なんて言われても正直困ります。
先生に出会う前の私なら、自業自得だ、勝手に苦しめ、と断っていたでしょう。
でも、今の私はどうにも放っておけません。
たしかに領主のおじさんは悪い人間です。
しかし、そこに住む村人が全員悪いという訳じゃありません。
人間全てが必ずしも全員悪いわけではない、ということを、私は先生と一緒にいて学んだのですから。
日照りでヒビ割れが走る畑でうなだれ枯れる稲に、ちっとも魚が取れなくなってしまった河、子供たちの間では酷い風邪が流行り、程度の差はあれど、毎日誰かしらがケガをしています。
これは私の考えなのですが、神様や幽霊というものは、実際は人間に対してなにもしてくれません。
そもそも人間には触れないんですから。
神様を信じることと、呪いを信じることは同じだと私は思っています。
呪いというものは、信仰と罪悪感から生まれるものです。
あの人にうんと悪いことをしてしまった、もしかしたら手酷くやり返されるかもしれない、という罪悪感と、悪いことをしたら呪われる、という漠然とした信仰。
それがちょっと転んだだけでも、ああ、これは呪いだ、やっぱり恨まれているんだ、と恐怖を生むのです。
今回この村も同じです。
御神木という神聖なもの、それを切ったせいで村中に厄災が満ちてしまった、やっぱり切ったりなんかしなければよかった、これは神様が怒っているんだ、という罪悪感で村人たちは怖がり、困っているのです。
本当は日照りも、病も、ケガも、全ては単なる不幸な偶然が重なっただけのことです。
でも、ここに住む人達がそれを呪いと呼び、私を霊媒師として頼るなら、私は呪いなんかもう治まったよと安心させてあげなきゃいけません。
この夏休み最後のお仕事は、そんなお仕事で終わりそうです。
この村には厄払いの意味を込めた人形納め という儀が代々あるらしく、村人や、そこに漂う死者の気持ちや願いを人形に移して祀るのだと聞きました。
この村の巫女はとうの昔に病で亡くなってしまったらしく、今や儀をするにあたって頼れるのは私しかいない、と言われてしまいました。
この儀をしてあげれば、ここの人たちが抱える不安と罪悪感が軽くなるのでしょう。
わざわざ依頼の手紙まで貰ってしまっている以上、ここまで話を聞いて断るような真似、この墓乃上にはできません。
しかし安心してください。
一年ろ組の良い子たちに手裏剣の補習を手伝う、というとても大事な役目もしっかりと覚えています。
どんなに仕事が忙しかろうと、先生から教わったこと、頼まれたことを忘れるような墓乃上ではありません。
この手紙が学園に着くのが早いか、私が学園まで帰るのが早いのか、それは分かりません。
もし私よりこの手紙のほうが早く学園に届いたら、いつものように日陰の元でこれを読んで、どうか安心してください。
この墓乃上、いつどんな時だって先生を想い、自分の使命を成しながら強く生きていると。
忍にとって一番大事なことは、生き延びること。
先生が教えてくださったそのお言葉が、どんな場所でも私を守ってくれるのです。
これも信仰の一種でしょう。
恋という名前のついた信仰は、なによりも強いものなのです。
*
「――とても綺麗ですネ」
宿代わりにと案内された寺院の中で、丁重に包まれた桐箱の蓋を開け、そこに横たわる人形を見下ろしてみる。
代々祀ってきたと聞いたその人形の着物は鮮やかな唐紅で、白く塗られた顔と黒髪によく似合っていた。
大きさは墓乃上の小さな手でも片手で持ち上げられてしまうほどのものだが、中になにが詰まっているのだろうか、石か鉛かが詰められているかのような重みを感じた。
「これをこの箱に入れ……そのまま埋めるのですカ?」
少し勿体ない気もするが……人形をそっと箱に戻し、対面へ視線を上げる。
手紙の中では偉そうなおじさん、悪い人、とこっそり書いた領主が、その自慢の髭を撫でながら語る。
もうじき夕暮れが来そうな頃合い、耳を刺す蝉の音に混じる、酒焼けした声。「ええ、」
「かつての始まりはそこらに転がっている石を風呂敷で包み……神木の根本に埋めたのが始まりでしてな。飢饉に嘆く民の……まさに神頼み、というやつです。それが長い移ろいの中で少しずつ変わり……石ころから枯れ枝を組み合わせた藁人形もどき、次は本当の藁人形、粘土で仏像もどきを作った時もありましたが……今は毎年その人形を埋め、掘り起こし、また埋め……と扱っています」
「なるほど……人間の感情を移す先は、より人間らしいものへ、という考えですネ。よくある話ですが、そのほうが村人の方々もやりやすい……といいますか、感情移入がしやすいですからネ。こういった儀にはぴったりでしょう」
「……さすが墓乃上さま。その若さで天下を名乗るだけありますなぁ」
「……どうも、」
見た目はたらふく下品に獲物を食ったばかりの熊のような体躯だが、薄っぺらいお世辞を口にするその目は卑しい蛇の目だ。
寂れた墓場で育ち、そこに憑く幽霊たちを家族として生きてきた。他者からは理解し難いその生き方にずっと纏わりついてきた人間からの迫害にはもはや飽きている墓乃上から見れば、領主のそんな目もさほど気にならなかった。
結局のところ、勝ち目のない戦を勝手に仕掛け、負け、民が大事にしてきた神木を切ってしまったことによる反感と怒りを、この儀とやらで収めたいのだろう。
もう安心しろ、迷える民たちよ!
この儀によって全ての厄災が終わるのだ!
皆の想いを込め、祀った人形がそれを成してくれるのだ!――きっとそう高らかに宣言でもするのだろう。
信仰と恐怖心を利用したその振る舞いには嫌悪を抱くが、あくまでここの村人たちは身勝手極まる領主の被害者だ。
霊媒師、という身分の自分で少しでも救えるのなら、放って置くわけにもいかない――「――して、墓乃上さま、」
「こんなことを言うのは失礼ですが、儀をするのにその身なりは……」
箱の中から天井を、覗き込む自分の視線を見上げる、人形の無機質な目。
それを見ていると、領主から言葉を曖昧に濁された苦言を向けられる。
今だってこう話している間にも、村の人達は痩せ枯れた畑を前に今日の食事すらどうしようかと頭と腹を抱えているというのに、領主の身なりは悪趣味に華美なものなのだから、墓乃上は内心嫌悪を積み重ねつつある。
しかしそう言われてもしょうがないのでは、いや、たしかにそうかもしれない、と自身の着物を見て思う。
元々上等なものだったわけではない上、夏休み中各地を歩く旅、しかも野営までしていたのだ。
小豆色と言えば聞こえはいいが、泥と土埃でくすんだ色に、肩や裾、いたる所に当て継ぎがあり、どう見たって粗末な格好だ。
「この地にいた巫女や神主はもう随分と昔に病でこの世を後にしましたが……装束や仏具などは、私が継いで管理しています。後で着替えの手伝いに数人、女手を遣わせましょう」
もう陽がほぼ落ちかけているというのに、未だに鳴り叫ぶは蝉の絶叫。地を焼き焦がす陽から、影すら作らぬ新月の元に落ちる夜。
手入れのされぬヒビと苔が這い、寂れた寺院の中で墓乃上はひとつ、頷いた。
*
「――どういうことですカ!」
切り替わった夢。時間――深い深い夜闇。
村人たちが持つ松明の灯りが照らすのは、装束として着込んだ唐紅の着物に輝く金糸の刺繍、琥珀の帯留め、神木に向かうように組まれた祭壇に祀られた人形、そこに続くよう地に敷かれた紅き布――今まで様々な儀式を見てきた墓乃上からすれば最低限十分なものだったが、問題はそこではない。
黒子のように顔を隠した装束を身に、祭壇の両側に四人ずつ座り並んだ者を指しては領主へ詰め寄る。
「あの人達、全員霊能力者ですよネ? なんで私以外の能力者がいるんです? 私、聞いてませんヨ!」
「申し訳ありません、てっきりもうお伝えしていたと勘違いを……たしかに彼らは全員、霊媒師ですが……なにか問題でも?」
そう答える領主の口ぶりは下手に出ているが、顔にはそんな様子、微塵たりともない。
姑息な奴め! と掴みかかりたい衝動をぐっと堪える。
ただえさえ日々の暮らしに重い不安を抱え過ごしている村人たちが見ている前で、そんな荒事をして要らぬ不安を追加する訳にはいかない。
「……余計な力は私にとって集中力を乱すもの。邪魔なだけです。私の力を信じていないんですカ?」
「いえいえ、そんなことは全く……墓乃上さまの邪魔をするようなことはさせませんよ。……ただ、この儀にはどうしても囃子が必要でして」
「囃子……?」
その言葉に再度並んだ霊媒師たちを見るが、全員、なんの変わりもない数珠を片手に持っているだけだ。
囃子に使うような笛や太鼓のひとつもない。
「――……墓乃上さま、」
慇懃無礼な態度が鼻につく領主の物言いにもう一言、二言噛みつきたかったが、後ろから呼ばれた弱々しい声に振り向いてみる。
小さく背を丸め、枯れ枝で組んだ案山子に服を着せたような霜篷の老人――ここの村長だと名乗る彼の後ろには、地に頭をつけ深々と礼をする老若男女、村人たちの姿。
「この度は本当に……本当にありがとうございます。まさか噂で聞いていた天下の霊媒師さんが来てくださるとは……我々一同、感謝してもしきれません」
彼が片手に持つ松明の揺らめく火は、礼を口にしながら悲壮に苦しむ彼の顔を照らした。
そうだ。胡散臭くていけ好かないのは領主であって、ここに住む彼らにはなんの罪もないのだ。
今回自分が成すべき仕事は、身勝手な理由で神木を切り倒してしまうような領主を糾弾することではない。
祀ってきた神木がなくなり、ここに降り注ぐ厄災は全て呪いではないか、と恐怖に惑う民のため、その暗澹たる不安を解消してやることだ。
その方法が今から始める儀なのだ。
これでもう大丈夫、と誰かが見せて、言ってやらねばならぬ役目を、霊媒師として引き受けたのだから。「私は……」
「私は生まれながらの霊媒師です。こうやって皆さんのお手伝いをすることも使命のひとつなんですヨ。……大丈夫、安心してくださいネ」
――ありがとうございます、墓乃上さま。
さぁ、人形納めの儀を始めましょう!
*
楽器のひとつも持たぬ囃子とはなんぞと思えば……。
――お供えします、お供えします、お供えします。
祭壇に座る人形に向かい、装束と共に渡された、まだ真新しく履き慣れない白足袋で、草履で、紅く敷かれたその道をゆっくりと踏み進む。
――お供えします、お供えします、お供えします。
顔を伏せたままの黒子の合唱。
これがこの儀の囃子なのだろうか――なんと奇っ怪。
しかし、本来こういった儀に関し、全国共通である明確な作法、規定というものは存在しない。
たとえそれがどんなに不思議で、不合理だろうが、それを信仰する者がいる限り、それを否定するというのはなんたる侮辱になろうものか。
綺麗に着付けられた、着慣れぬ着物を纏う身。
それには重苦しく感じる夏夜の蒸し暑さに思わず顔をしかめそうになるが、この儀に独りで立つ者として澄ました表情を崩すわけにはいかない。
ここに伏す民の想いを背負うよう、一歩、一歩、歩を進め、祭壇に突き当たるそこに用意された御膳の前に座る。
松明のみの薄闇でも分かる、混じり物なしの姫飯に漬物、澄まし汁と清酒――よく見れば人形の前にも全く同じものがあるが、この日照りの飢饉の中、内心申し訳なさでいっぱいだ。
しかしこれを人形の前で食すのも儀のひとつの内だと聞いている。
そういう話なら無闇に遠慮するほうが悪いだろう。安易な遠慮で儀式を壊すことなどできない。
両手を合わせ、人形に視線を合わせ、頂きます、と頭を下げる。
――お供えします、お供えします、お供えします。
冷たい新月の元でじゃりじゃりと絶え間なく鳴り響くのは、乱れぬ囃子を唱える黒子たちがそれぞれ手に持つ数珠を擦り鳴らす音だ。
箸を持ち、茶碗を持っては姫飯を一口口にする。この食事を済ました後は、今ここで儀を見守っている村人ひとりひとりの願いを聞き、この場に漂う浮遊霊などからも希望を聞き、それを唱えながら人形を箱に納めると聞いているが――おかしい。なぜ浮遊霊が一体たりとも視えないのか。
幽霊が好む地、嫌う地、というものはある。
特に今回は神木を切り倒してしまったのだ。
神聖たるものを大事にしない、ないがしろにする土地だと思われたのだろう。この村に訪れたその時からもう既に、霊体を見かけることはなかった。
しかし今、この瞬間にも全く視えないというのはおかしい話なのだ。
大抵こういった儀をすれば、灯りに魅せられた蛾の如く、近くに漂う霊が引き寄せられてくるというのに――お供えします、お供えします、お供えします。
やはり自分以外の霊媒師――黒子の奴らの余計な力が邪魔しているのだろうか。
その喧しい口を止めろ、帰れ、と今すぐにでも追い出したいが、これがここの仕来りだというのなら、墓乃上に文句を言う権利などない。
――なにを困る、私よ。
この天下を名乗る力なら、あんな程度の低い奴らがいくら固まろうが困ることはなにもない。
簡単な話だ。
霊がいないなら、この力で引き寄せればいいだけのこと――漬物と共に姫飯を一粒残さず食し、澄まし汁を口にしながら自身に言い聞かす。
御膳の残りは清酒のみ――酒は苦手だが、だからといって一口も飲まぬということはできない。
酒というものは、浄化、清め、邪気を払うといった意味が込められ、儀に使われるもの――ふたくち、みくち、我慢しながらゆっくりと喉へ流し込んでいくそれは、熱を持って身体へ染み渡っていく。
ああ、酒特有のこの熱、じんわりと鼻を抜ける嫌な香り、眩む苦味!
しかし耐えろ墓乃上。
古来より神聖たる儀に酒は欠かせないと、お前は霊媒師として誰よりも知っているじゃないか――天下を自称する者としての誇り、根性でなんとか飲み干せば、供えられた御膳はなにひとつ残らず綺麗に片付いた。
「――ご馳走様でした」
再度両手を合わせ、祭壇へ、人形に向かい頭を下げる。
月が新月の夜、松明だけで照らされる祭壇にいる人形の瞳。それはまるでこの夜のように底なしに真っ暗で、この世への未練に醜く爛れた姿の怪異を数多見てきた墓乃上は、なぜかその人形の目に少し、気味の悪さを感じた。
用済みとなった御膳は村人の内の婦人が手早く片付けてくれた。
そこから立ち上がり、今度は祭壇を背にするよう立ち上がる。
やはり酒の酔いが脚を引っ張るように少しふらつくが、それも耐える。耐えてみせねば、この儀で不安が、恐怖が少しでも晴れればと願う民への安心感を与えてやることができぬのだ!
さぁ、神木を失い、ありとあらゆる不幸、不条理に押し潰されそうな日々に迷い、この地は呪われているのではないかと怯える民よ!
今度はこの紅き布を再度踏み歩き、両端に控える村人たちからの嘆願を直接聞き、また祭壇へ戻り人形へそれを伝えてやる――そうして人形を桐箱に入れ、地に埋め、祠を立て祀ればこの儀は終了するらしいが――じゃりじゃり、じゃりじゃり、ああ、数珠が止まぬ暗闇のなんと薄気味悪いものよ。お供えします。未だに乱れひとつなくそう唱え続けるのは、地蔵のようにぴくりとも動かぬ黒子の霊媒師たち。
唯一手元で擦り鳴らし続ける数珠の耳障りな音に、墓乃上はもう鬱陶しくて鬱陶しくてたまらなかった。
やっぱり酒は合わないらしい。
耳障りな霊媒師たちの囃子、ぎりぎりと強く杭を押し込まれるかのような頭痛、それに付き添う目眩に足元の感覚がゆらゆらと力抜けていくような――「――あっ、」
「いたっ……」
石につまづいた訳でもなく、不安定な酔いに縺れた脚で前のめりに転んだ。
幸い地に敷かれた紅い布の上だ。今夜限りの借り物として着ている、この上等な着物を汚さずに済んだ。
身体の内側から沸いて来るような熱も、吐き気も、囃子も、もう全てが鬱陶しい!
――立て、私よ!
引き受けた仕事を放り出すような真似、できるわけないだろう?
「――大丈夫ですか?」
立て、立て、と念じる気持ちとは反対に、純白の足袋を着けた足元にはなぜかもう感覚がなかった。
……酒の酔いというものは、こんなものだっただろうか?
痛みに鈍り、理解の追いつかぬ頭で首を傾げた目の前に、領主の手が差し伸べられる。
灼熱の昼間から一転、肌寒く吹く風に揺れる松明の灯りだけが紅き道を、祭壇を、墓乃上を照らす。
「……すみません、お見苦しいところを……」
「いえいえ、大丈夫ですよ。たとえ何度転ぼうが、その黒髪にそのお着物……どこからどう見ても愛らしく、美しい」
まるで人形かのように。
差し出された手を掴もうと伸ばした腕が、止まぬ囃子の中で聞こえたその一言に止まる。
――なるほど……人間の感情を移す先は、より人間らしいものへ、という考えですネ。
ふと思い出した自身の言葉、意味が脳裏に浮かんだその瞬間――血の気が引く感覚とともに、護身に忍ばせた懐剣を抜き領主の鼻先へ突きつける。「――お前っ……」
「謀ったな!? この私を!」
この蛇め、と吐き捨てる侮蔑と冷たい刃の切っ先が目の前にあるというのに、その自慢気に威張る髭を撫でながら、恐れるどころか呆れ困るように見下ろし笑うのだ。
お供えします、お供えします、お供えします――これはなんだ、本当はなにを供える?
「謀るもなにも……お前の役目は最初からなにも変わらない」
親代わりの猿に育てられた人間の子がやがて成長するも、飯は木ノ実だけを食い、木の上で眠り、四足で走ったら……それはもはや人間ではなく、人間の皮を被った猿だと思いませんかな?
墓乃上さま、……いや、墓場に住み憑く幽霊たちのお嬢さま、だったかな……お前だって同じだ。
たまたま人間の身体を持ち、名を持っただけの人間気取りの悪霊よ……それがお前だ。
お前は最初から生きてなどいない。
話聞かずな子供に言い聞かせるよう、嫌味なほど優しく語りかけてくる。
耳元で張り裂けんばかりに鳴る鼓動。それは速く、速く、恐怖と毒を巡らせてゆく。
もはや立てぬ脚、そして刀を向ける手に、腕に流れ込んできた痺れ――ふざけるな!
もはや怒りと意地だけで握るこの刀、これでその肥えた首を斬り裂き、なにがなんでも生きて帰ってやる!
「違う! 私は……私は霊媒師、兼、忍術学園、くノ一教室の墓乃上みつよだ! お前に悪霊呼ばわりされる筋合いはっ、」
ない! と断言しようとした口から出たのは、殺意でも、根性でもなく、血だった。
思わず刀を落とし、咄嗟にうずくまる。口を押さえるも震える指の間から少し漏れたそれは、紅き布に交じるよう落ちていった。
……血? 血が……ありえない、ありえない!
こんな、こんなところで無様に死ぬわけにはいかない!
だって私、約束したんだから!
この夏休みが明けたら、手裏剣の補習を手伝うって……!
「――ふざけるな! 私は贄になるために来たんじゃない! 話が違う!」
鉄と死の味がする血を吐き捨て、手荒に口元を拭う。が、その指先まで凍ったようにもう感覚が死んでいる。
落ち着け、落ち着け自分よ!
忍にとって一番大事なことは、生き延びること――あの人がそう教えてくださったのだ。
徐々に感覚が殺されていく身体に悲観なんぞ、絶望なんぞしている暇などない!
「――……人間の感情を移す先は、より人間らしいものへ、と言ってましたが……もうこの地は駄目だ。終わってるんです。あんな人形なんかじゃこの地の……私の戦は勝てない。勝てなければ民は苦しむ。そうだろう?」
人間気取りの悪霊よ、お前は死して初めて世の役に立つのだ!
なぜだろうか。こんな事態になっても未だ乱れぬ囃子のほうが喧しいのに、身勝手で理解し難い領主の語りのほうが聞こえるなんて。
「私は死ねない! だって私はまだあの人に――」
「そう苦しむな、桐箱に納める人形よ。もうじき済むのだから……さぁ、この哀れな悪霊の人間ごっこに引導を!」
――お供えします、お供えします、お供えします。
ああ、私は馬鹿だ!
私が納めるのではない!
この私自身がお供えものなのだ!
新月の元だというのに、ちかちかと火花が眩しく弾ける視界。そんな視界で、暗闇で見えたのはまさに桐箱――否、棺桶。
着物を着付けてくれた婦人らも、金平糖を分けてやった子供も、地に頭をつけ救ってくれと頼み込んできた村人たち、その内誰ひとりとして助けてくれない。
ただただ黙って、それでいてこの期に及んで善人ぶりたいのか、うんと哀れんだ視線で刺してくるだけだ。
囃子を唱える霊媒師たちもだ。なにひとつ変わらない。
誰も助けてくれないどころか、人間ひとり入るには十分な箱を傍まで運んできたのは他でもない、彼ら村人だ。
嫌だ……嫌だ、嫌だ! 死にたくない!
ねぇ、私死ぬの? 嫌だ、ありえない!
――忍にとって一番大事なことは……生き残ることです。どんなにズルくてもいい、生き延びることだけを一番に考えてください。
そう、そう! あの人がそう言ってたの!
だから私が死ぬなんて……ねぇせんせー!
私、間違ってたの? 出来損ないだったの?
だから死ぬの? 立てないの? 苦しいの?
そんな……そんなの嫌だ! ああ、立って! 立て墓乃上!
刀がないなら全力で霊感を飛ばせ、刺せ! 地獄を見せて……あれ? なんで? なんで!
ああ、ああ、そうか、あの黒子の連中、私の力を抑えつけやがって……!
もうなんでもいい!
ここにいる奴、全員殺してでも生きて……うう、まずい、気持ち悪い……血? やっぱり私の血……?
――お供えします、お供えします、お供えします。
ああ、うるさい! やめて! 殺さないで!
「――……せめてもの慈悲です。お前が学園まで届けてほしいと渡してきた手紙……あれは一緒に納めてやるから安心なさい」
慈悲? 慈悲なんて……ああ、でもそうかもしれない。
なにが儀だ、霊媒師の誇りだ、使命だ!
まんまと間抜けに騙されて、こんな馬鹿な死に方した生徒からの手紙なんて……
斜堂せんせーに渡せない。