【現パロ】大学生の斜堂さん+座敷わらし少女「お座敷暮らし」


「――言わなくていい?」

 とうの昔に欠け落ちてしまった墓乃上の生前の記憶、死因、それに繋がってしまうかもしれない記述を古本の中に見つけてしまった斜堂は、対面に座る墓乃上へ思わず聞き返した。

 夕食を済ませ、シャワーを済ませ、ここまで来たらもう潔く腹をくくれ、「あの本」のことを――桐箱に赤い着物の巫女を入れたという話を、もう隠さずに墓乃上へ言うしかないんだ、と不安に圧される胸でいたのだが、墓乃上本人は意外なことを言い出したのだ。

「ええ。斜堂さんがなにを知って、なにを見つけたのか……それを『起きている状態の今の私』が知ることはあまり良いとは思えないな、と考え直しまして……しかしこの機会、逃すわけにはいきません」

 そういってちゃぶ台の上に彼女はスケッチブックを出し、「私」「斜堂さん」と分けて書かれた名前を赤いペンで繋ぐ。「……簡単に説明しますと……」

「斜堂さんは元々『霊媒体質』というやつでして……一般的な人間より幽霊との波長が合いやすく、幽霊を引き寄せる人なんです。日頃しょっちゅう軽い悪霊をくっ憑けて帰ってくるのもそのせいですネ」

「えっ、そんなに憑いてたんですか……?」

「ええ、怖がるかと思って黙って消してました」

「あ、ありがとうございます……」

 「斜堂さん」と書かれた部分に墓乃上は「霊媒体質」と書き加え、ペン先でその部分を軽く叩く。

「先日、あやとりの毛糸を通じて私の霊感が斜堂さんに流れ……浮遊霊をしっかりと視認できたのも霊媒体質だからでしょう。物体を介した霊感と視界の共有……斜堂さんの体質なら、これを無意識下でもできる。……と、私は考えています」

「そう言われましても……私は墓乃上さんみたいに自在に操れるわけじゃないんですよ?」

「ええ、だから斜堂さんはなにもしなくていいんです。先日のように毛糸で私と斜堂さんを繋ぎ、お互い眠る……人間、眠った無意識下は無防備なものです。私から流れる霊感が斜堂さんに伝わり、うまく波長が合わされば……私たちふたりで同じ夢を見れると思うんですヨ」

 同じ夢――墓乃上が独りで巡る、生前の記憶の中を?

 共有、同調、統一意識、と墓乃上は忙しなくペンを走らせながら書き込みつつ説明を続ける。
 その姿は普段の無邪気な子供、というより、それこそ「霊媒師」としての貫禄の一端のように見えた。「――問題はここからですネ、」

「斜堂さんが言ったように、私自身が無意識で避け続け、閉じ込めている記憶があるとしたら……と、仮定しましょう。……まぁ、今までの話を考えると必ずなにかしらあるとは思いますが……」

 そういって彼女は「私」「斜堂さん」と書いた間にひとつ、黒く塗りつぶした四角を書いた。
 その四角と「斜堂さん」を、今度は青いペンで結びつける。

「斜堂さんが今持っている手がかり……もしそれが、本当に私が避け続けた記憶に繋がるとしたら……私はきっと、いつものように無意識に避け……いつものように忘れることでしょう。夢の中でも自在に動ける明晰夢、というやつではありませんからネ……ただただ流れていくのを眺めることしかできません」

 手に持ったままの青いペンが、四角に対して大きなバツを重ねる。

「……だから、今はまだ言わなくていいんです。斜堂さんが言っていたように、なにも知らず、今までのように……まだ引き返せると思うんです。私だって……でも……」

 淀みなく説明をしていた口が、ペンが止まる。
 自分を変えてくれた優しい誰かがいたはず、せめてその人のことだけでも、と必死になっていた本人だが、その顔は浮かない色――斜堂と同じく、墓乃上も苦悶の葛藤を抱えていたのだ。

 まだ引き返せる、と自身を止めた時の斜堂の姿を前に墓乃上は、自身が死後ずっと抱えていた空虚の中身を察した。

 斜堂のように物好きで、優しい誰かがいて、自分はその人に生きる道を学んでいたのかもしれない、というなにひとつ根拠のない、淡い期待を望んでいたが、きっとそんなに明るいものではないのだろう、とその一瞬で理解した。

 パンドラの箱、というものを墓乃上は、斜堂が持っていた本で知った。

 開けてはならぬ禁忌の箱を開けてしまった結果……病苦、悲哀、猜疑、憎悪、ありとあらゆる絶望が溢れてしまったという。

 形も名前もない、ただただ虚しい穴だけが開いたままの墓乃上の過去。弾けては消える儚いそれを辿る内、いつの間にか酷く錆びついた箱に辿り着いたらしい。
 引き返せる? そう、開けなければいいのだ。

 今までと変わらず、開けず、思い出さず、なかったことにしていれば、中に詰まっているであろう醜い過去を知らず、斜堂と平穏な日常が過ごせるのだ。
 いつかの日、斜堂に対し「ふたりで一緒に現実逃避するもの悪くない」と言った時、彼は同意してくれたのだ。その言葉と斜堂の優しさに甘え、彼から貰える優しさだけを救いにできる、なにひとつ悲しみのない日々が過ごせるのだ。そんな日へ引き返せるのだ。

 斜堂がなにかしら知った手がかりを自分へ隠した意図も、墓乃上だってなにひとつ分からないわけじゃない。

 自分の弱い部分が、斜堂にずっと甘えていた心が痛む。彼から貰った楽しい日常を壊したくないと痛む。

 それでもどうしても諦めきれないのだ。

 パンドラの箱というものは、たしかに不幸と悲劇、絶望の詰め合わせだったかもしれない。
 それでもその箱の隅っこにあったという小さな希望――きっと自分にもそれがあるんじゃないか、と。
 
 穏やかな平穏を選ぶか、追い続けた「誰か」に向けて覚悟を決めるか――「……斜堂さん、」

「もし……もし、眠った先、夢の中の私が覚悟を決めて、この『箱』を開けたら……意識が統一されている状態ですので、きっと斜堂さんも同じ夢を見ます」

 ……私の運命、一緒に見てくれませんカ?

 ペンを置き、死後唯一出会えた理解者へ問うてみる。

 影と夜。月の下で溶け合う黒。切っても切れない黒。
 初めて彼の名を聞いた時に感じた縁は、どうやら本当に運命的だったらしい。
 今墓乃上がしようとしていることは極論、今まで築いてきたこの良縁が破綻しかねん大きな傷をつけるかもしれないことなのだ。彼女自身も当然躊躇いがある。

 いつか絶対思い出してみせる、と前向きに日頃言っていたが、いざ得体の知れぬそれを目の前にした今、正直怖くて怖くてたまらないのだ。
 
「……ええ。墓乃上さんがそう言うのなら」

 なによりも心の底から求めていた答えと、普段から惜しみなく貰っていた穏やかな笑みが返ってきた。
 たった一言、一言だけの返事なのに、それだけで墓乃上が重く抱え込んでいたものが軽くなったような気がする。「……墓乃上さん、」

「もしなにか辛かったり、嫌な夢だったら……またホットケーキでも一緒に作りましょうか」

「ああ、あの丸い……いいですネ。現実逃避にぴったりでしょう」

「ええ、それでまたチョコで変な猫描いたりとか……」

「変とは失礼な! 可愛く描いてるつもりですヨ!」

「ふふ、すみません、可愛いとは思ってますよ。でも……」

 そうして一言、二言、いつもと変わらぬ座敷での雑談にふたりで笑う。
 さぁ、緊張はほんの少しだけ解けた。
 時計の針全てが天辺を指すまでもう少し。

 普段は脳裏に残ったまま取れない些細なトラウマから逃げるために飲む情けない睡眠薬も、今夜限りは役目が違う。

 彼女の――墓乃上の記憶を追うため、深く、長く眠りの海に潜るために飲むのだ。

 台所で薬を飲み、シンクにコップを置き、居間に戻る。
 墓乃上は敷いた布団の上に正座し、前に「お供え」した赤い毛糸玉から一端指先でつまみ、そのまま大きく引く。もう一度引く。もう一度。
 白い布団カバーの上に長く広がる赤い糸は、花か、血か。

「……こんなもんでしょうかネ」

 毛糸玉はあっという間に一回り小さくなったように見える。鋏でぱつんと切り離し、その先端を墓乃上は自身の左小指に結びつける。
 それに合わせるように斜堂も糸をつまんだが、またも先日のように静電気が軽く弾けるような刺激が指先に走る。
 この感覚こそが唯一、彼女と繋がる霊感の証――同じく斜堂も左手の小指に巻きつけ、結ぶ。

「……なんか、ちょっと恥ずかしいですネ」

 彼女が呟くそれに聞き返すと、その猫に似た大きな目を伏せ、逸しながらの気弱な答えが返ってくる。

「いや、本当にたまたま……というか偶然なんですけど……その、本で読んだんですけど、現代だと好きな人との間には運命の赤い糸、っていうのがあって……こ、小指に結んであると書いてあったので……」

「なるほど、たしかに……」

 自身と墓乃上の小指に巻かれた糸はたしかに真っ赤だ。そう答える彼女の顔も赤らんでいるが、それはけっこう意外だ。こういった少女漫画的なもの、状態に対し、年相応に照れるとは……またひとつ墓乃上の微笑ましい一面を見れたようだ。「……いいじゃないですか、」

「今から同じ運命、見るんでしょう?」

 ならいいじゃないですか、という斜堂の言葉に、墓乃上は僅かに言葉を失った。改めて斜堂からそう優しく言われると、この先――眠りの先でパンドラの箱を開けるのも、なにひとつ怖くないように思えたのだ。

「――……ええ、そうですネ。ありがとうございます、斜堂さん」

 死後五百年。
 体温を持つ人間からすれば、途方もなく永い時。

 自身の隣に寄り添ってくれる影にようやく出会えた幽霊は、かつて置き去りにしたままの自分に会うため――いつものように押入れに入り、内側からその襖を閉じた。

「……おやすみなさい、斜堂さん」

「……おやすみ、墓乃上さん」

 灯りを消し、布団に入っては眠りにつくまで息を潜める。
 時刻は全てが零になるその時――物音ひとつ聞こえぬその部屋は、まるでどこかの深海のよう。

 お互いが離れぬように、一緒にいられるようにと赤い糸を結んだ幽霊と人間が沈む六畳一間の深海。

 そこに沈む禁忌の箱へ、幽霊が――墓乃上が鍵を刺すまで、あと少し。

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