【現パロ】大学生の斜堂さん+座敷わらし少女「お座敷暮らし」
――参ったなぁ……。
アルバイト先の進学塾のスタッフ控室。
そこで斜堂は自身のノートパソコンを開き、それを前にひとつため息をついた。
先日の夜、同居する幽霊、墓乃上が言った言葉――もしかしたら自分は忍者だったかもしれない、という言葉を元に、パソコンへ色々と打ち込んでは検索をかけてみる。
「忍者って……じゃあ、墓乃上さんは女の子だから……くノ一、ってことですよね?」
「……たぶん」
「でも墓乃上さん、霊媒師さんだったんじゃないんですか?」
「霊媒師をやりながら、くノ一をやっていたとしか……その理由は分かりませんが……」
そう頭を抱えながら、誰よりも混乱し、苦しそうに話した彼女の表情から、それが単なる嘘や思いつきから出る話ではない、と思った。
実際あれから斜堂は図書館で忍に関する本をいくつか借り、墓乃上へ見せてみた。
すると今までなんで思い出せなかったのか、と不思議になるほど墓乃上はその本の内容をすぐに理解し、そこに載っている所謂忍術、武器や戦法、火薬の種類まで事細かに斜堂へ解説をしたのだ。
その様子を前に、今度は斜堂が戸惑ってしまう。
紛れもない。これは、いつかの彼女が「思い出そうとすると弾かれる」と表現した記憶の一部だ。
でもなぜ忍であることを彼女は忘れ……否、記憶の底に埋め続けたのか。
このままこの部分を掘り進めた時、彼女はいったいどうなってしまうのか。
本人は無意識だったのだろうが、忍であると思い出し錯乱したあの時――墓乃上がずっと繰り返し口にしていた言葉が忘れられない。
死にたくない!
もう思い出さないで!
――それがなによりもの本音だろう。
今まで散々理解者ぶっては協力すると言ってきたくせに、その言葉が未だ胸に強く刺さり、抜けない。
パソコンに検索ワードひとつ打ち込む毎に、突き刺さったままの痛みが疼く感覚がする。
それでも一番苦しいはずの墓乃上は涙を拭い、そうして宣言したのだ。
このまま諦めるわけにはいかない、と。
「逃げ続けた先にもなにかあるはず」だと言った彼女のその宣言は、その「なにか」を逃さず、捕まえることを選んだのだ。
本人がそう言っているのに、自分が気弱になってどうする!
……とは思ったものの、そう簡単に事が進むほど現実は都合よくないらしい。
墓乃上が何度か口にしていた「桐箱」という言葉が、いくら調べても忍に結びつかないのだ。
せいぜい木材の性質上、古来から貴重な書物や着物を入れておくのに適切だった、というぐらいの情報しか出てこない。
あとはペットの棺桶や骨壷入れによく使うらしく、あっという間にパソコンの画面はペット葬に関する広告で埋まってしまった。
そういえば自分の祖母の友人が飼っていたオウムのマーくんも、先日寿命で息を引き取ったらしい。
けっこう大きな鳥だったからか、桐箱を棺代わりに火葬したと母から聞いた。
ついそんなどうでもいいことを思い出してしまうほど、欲しい情報に辿り着けないパソコンを前に白旗を上げてた。
「斜堂くん、顔色悪いよ? ……っていつもか。今日は中学部に体験入塾の子がいるから、どこまで理解してるかヒアリングしてあげてね」
無神経なのか気遣っているのか、どちらとも取れる所長の言葉にひとつ返事をした。
……墓乃上さん、今頃なにしてるんだろう……。
*
「――ああ、斜堂さん! おかえりなさい、ちょうどいいところに……」
重い気持ちを内心抱えながら帰宅すると、思っていたよりも随分と明るい声が返ってきた。
「お仕事帰りで申し訳ないんですが……これ、どうにかしてくれませんカ?」
そう困る彼女は自身の両手を斜堂へ見せた。
なにをどうしたらこうなるんだ、と思うほど、赤い毛糸がぐちゃぐちゃと彼女の白い両手に、指に絡んでいる。
ちゃぶ台の上には、図書館で借りてきたあやとり遊びをまとめた本と、斜堂が百均で買って「お供え」した毛糸玉、鋏があるが……。「あらら……」
「墓乃上さん、これ……いったいなにをしたらこうなるんですか……」
「気分転換ですヨ、せっかくですし、気晴らしにあやとりでも、と……」
「うーん……これ、もう切ったほうが早いと思いますが……」
そう呆れながら手を伸ばしたその時だった。
――この時、この瞬間、斜堂と墓乃上は、この絡まった赤い毛糸に対し、「同時に触れる」ことができたのだ。
一閃。
強い静電気の如く弾けた感覚が走り、毛糸に触れた斜堂の指を刺し、それと同時に思わず痛みに閉じた目を開けた彼は表情が固まった。
……?
え……な、なんか……変なのが部屋に浮いてる……!?
なにかの見間違いかと思った。目が霞んだだけかと思った。が、淡い浮雲のような靄の塊が、いくつも連なっては部屋の宙をふよふよと漂っている光景を前に唖然としてしまう。
指先はまだ墓乃上の手に絡まった糸に触れたままだ。急に様子が変わった斜堂の目線、表情を前に、今なにが起こったのか、起きているのか――まさか!
霊媒師として瞬時に理解した墓乃上はひとつ叫んだ。「――斜堂さん、」
「ねェ、今っ……今なにか見えたでしょう!?」
そう言いながら墓乃上は斜堂から自身の手を離し、絡まっていた毛糸は乱雑に取っては床に投げ捨て、斜堂へ詰め寄った。
そうして彼女と共に触れていた糸が手元からなくなり、それと同時に目の前で浮いていた靄も一瞬で見えなくなる。「――……い、」
「今のは、いったい……」
弾ける電気に刺されたかのよう。僅かな痺れを残した指先と、もうなにも見えなくなった部屋を見比べる。
「えっと……その、なんか……く、雲のようなものが……? が、部屋に浮いていまして……」
「やっぱり……斜堂さん、それは浮遊霊です!」
「え、あれが幽霊なんですか……?」
加湿器から吐き出される蒸気のように儚げなあの雲が幽霊?
墓乃上という特殊かつ、姿も自我もはっきりとしている幽霊に慣れている斜堂からすれば、そう言われてもあまり理解できない。
「ええ、大抵の命は亡き後、ああいった自我の薄い浮遊霊となり、自然に溶けて成仏を迎えるもの……斜堂さんが今見た光景は、そんな浮遊霊が漂っている空間ですが……つまり、」
「つまり……?」
「――この私が見ている視界、感覚、……私の霊感の一部が、斜堂さんに伝わったんです!」
この糸を通して!
――重く、停滞していた事態が、歯車がひとつ、大きく進んだ。
「……ああ、ああ! そうだ……なんで気づかなかったんだ……元々一般人に触らず霊感を飛ばせるなら……物体を通しての共有は必然的に……斜堂さんの体質を合わせたら……無意識下での……それもできるはず……でも……」
墓乃上は暫し俯き、ひとり考え込むように小声で忙しなく思考を呟いていた。
所々聞こえる単語からするに、「霊媒師」として色々と気づきを得たのだろう。
しかしそれは彼女にとって、本当に良い方向へ進むものなのだろうか?
「……墓乃上さん、」
「……でも、霊媒体質の……性質の負荷力は……違うな、潜在的意識なら……」
「……墓乃上さん、」
「……あ、すみません、つい……なんでしょう」
「……いえ、特には……夕飯にしましょう。墓乃上さんが好きなお魚、ありますよ」
返事を待たずに台所へ立つのが精一杯だった。
本人は無意識で覚えていないかもしれないが、自らの口から思い出さないで、死にたくないと叫んだ記憶に進む彼女の姿も、応援してやりたいと決めたはずなのに、なにひとつ役立つどころか、そんな彼女をもう止めてやりたいと思ってしまう臆病な自分も、全て無かったことにしてしまいたいほど。
もういいじゃないか、忘れたままでも。
人間、誰だって忘れたいことがあるのだ。
解離性健忘。
弾かれる記憶。
きっと彼女の精神は、彼女自身を守るために「なにか」を深く深く埋めたのだ。
それを墓乃上本人が無理やり掘り起こし、こじ開けたところで、本当になにか救われることがあるのだろうか――。
視界、感覚、霊感の共有――今までずっと彼女唯一の理解者でありたいと願っていた自分にとって、本当は喜ばしいはずなのに、今はその感覚を一緒に受け止めてやれる自信がない。
彼女は前に言ってくれた。
「ふたりで現実逃避しよう」と。
一緒に逃げて、今まで通り彼女とふたり、慎ましくも平和に過ごせる六畳一間のままでもいいじゃないかとすら思ってしまう。
……情けない考えだ。
振り向いて居間を見ると、彼女は熱心に鉛筆を日記へ走らせていた。一縷の希望を掴んだとばかりの明るい表情で。
きっと今起こったことを書き記しているのだろう。
もし仮に、仮に――彼女のこの前向きで不屈な部分から死に繋がったとしたら……。
……もうやめよう。
勝手に無闇な想像を膨らませ、彼女の足を引っ張るような真似はしたくない。
まな板の上に出した鯵の虚ろな瞳と目が合った。
臆病者、と言われた気がし、現実から、そんな目から逃げるため、包丁でその頭を切り落とした。
*
「――あれ、斜堂さん寝ないんですカ?」
夕食も済み、シャワーも済み、墓乃上はデザートのオレンジゼリーに喜び、そうしていつもと変わらぬなんともない雑談を過ごした夜。
いつもならそろそろ布団を敷き始める時間だというのに、そんな気配はなく本をちゃぶ台の上に出したままの斜堂に問いかける。
「明日お休みです?」
「ええ、バイトもないですし……この前買ってきた本でも消化しようかと……」
「えっと……じんぼうちょう、でしたっけ? たくさん買ってきましたもんねェ」
本棚と押入れの収納ケースに入り切らず、部屋の隅に高く積まれた本の山を見て墓乃上が笑う。
「まぁたしかに……こんなにあったら夜更ししたくなっちゃいますネ」
「墓乃上さんはどうします? 起きてるならお茶淹れますが……」
「いえ、私は少し寝ようかと……ああ、用事ができたら起こしてもらって構いませんヨ」
そういって丁重に夜更しを断り、おやすみなさい、と一言残して幽霊は押入れの戸を内側から閉めた。
本棚の上に置いている墓乃上の筆記用具や辞書、ノートを仕舞うファイルトレーから、彼女の日記帳だけがない。
今の彼女にとっては希望と手がかりが詰まっているのだ。
きっと今頃、押し入れの中でそれを抱いて眠りにつくのだろう――希望が輝けば輝くほど、それが一転、落ちた時の影が深くなることを教えてやるべきだろうか?
しかしそれは親切ぶった横槍でしかないかもしれない。
ここ暫く落ち着くことのなかった情緒と思考はなんとも不格好に血迷っていて、我ながらそんな状態をどうにかさっさと整えないと、と呆れてしまう。
なにを悲劇ぶっているんだ。
一番つらいのも、それを押し殺して頑張っているもの墓乃上であって、現状、自分はなんにもしてやれないじゃないか――適当に積んだ古本を選ばす一冊手に取る。
自由気まま、自由奔放、気まぐれ屋、マイペース、一見そんなように見えるが、もう一緒に暮らし始めてから随分と経った。あの子の性格だって随分と知った。
実際はなによりも他人を気遣える繊細な子なのだ。
そんな彼女へ、今のまま不安定な自分の姿を、内心を見られたくない。彼女へ余計な心配をかけたくない。
読書という行為は、自分みたいな臆病者にとってなんとも都合がいいものだ。
情けなく丸くなる背も、現実逃避に下がる視線のやり場も、全て読書が肯定してくれる。
目の前に並んだ文字列を指先で一行一行なぞり、そこから成り立つ表現を、世界観を飲み込んでいく内、忙しなく乱れていた精神が緩やかに落ち着いていく感覚を実感していた。
墓乃上は押入れで静かに眠り、重たい遮光カーテンに塞がれた窓の外からも、なにひとつ物音が鳴らない。
斜堂が本のページをめくる音と、壁にかかった時計の秒針のみが僅かな音を進める部屋――もう何十年も前に生まれた手元の古本が教えてくれるのは、全国各地で口伝されてきた伝説、神話、逸話、儀式をまとめた民俗学の浪漫だ。
今の自分にはなんとも丁度いい。今のメンタルで乱歩や太宰を読む気にはなれない。
自分の手元に来るまでに随分と日焼けし、傷んだページに書かれるその世界観、事実――暫しそれを堪能していると、とあるページで手が止まった。心が凍った。「……え、」
――「桐箱伝説」
単純な四文字で記された題名を目にした途端、まるで鼓動が警告するように速く、速く喧しく鳴り始める。
――夢によく出てくる人とか、物とか……なにかあれば手がかりになりそうですが……なにかあります?
――そうですねェ、覚えている限りだと……やっぱり幽霊とか、除霊とか……ああ、そういえば「きりばこ」っていうのがたまに出てくるんです。
――「きりばこ」? ……木で作った箱ですか?
――たぶんそうなんでしょうけど……なんで出てくるのかはよく分からなくて……。
――そうですか……分かりました。私のほうでもできる限り調べておきますよ。
――そんな……悪いですヨ。
――ふふ、なにを今更……私もお手伝いするって言ったじゃないですか。
墓乃上さんのためになるなら嬉しいんですよ。
全てが変わる。
日付が変わる。
時計の針が全て天を指したその時、斜堂が見下ろしてたのは――「桐箱伝説」という名の付いた悪夢。