【現パロ】大学生の斜堂さん+座敷わらし少女「お座敷暮らし」


【7月22日】

 今日から日記を書くようにした。
 斜堂さんが辞書と、紙を買ってくれた。
 文を書くと、文を読むのがうまくなるらしい。
 たくさん本を読んで、少しでも昔の思い出に近づくことができればいいと思う。

【7月23日】

 今日は、斜堂さんがお仕事でいなかった。
 寺子屋のお仕事は、夏が忙しくなるらしい。
 お手伝いしたいけどできない。

【7月24日】

 今日も斜堂さんはお仕事。
 たくさん本を読んだけど、なにか思い出すことはなかった。
 辞書を使いながら読むのは大変だ。
 でも、人間失格という本が面白いと言ったら、斜堂さんはとっても喜んでいた。
 斜堂さんも好きだと言っていた。
 空腹を知らない、と書いたこの人は幽霊だろうか。
 私も斜堂さんに会うまで忘れていた。
 私も人間じゃないから。

【7月25日】

 昨日の続きを読んだ。
 恥の多い人生だ、と思えるこの人がうらやましい。
 私は恥すら忘れてしまった。
 斜堂さんに言ったら、それを思い出して寝れないよりいい、と言っていた。
 斜堂さんが寝る前に飲むお薬は、恥を閉じ込めるお薬なのかな。

【7月26日】

 今日は斜堂さんがお休みで家にいた。
 辞書を引いても分からなかった言葉を教えてもらった。
 物覚えがいい、と言ってくれた。
 本当はよくない。
 本当に物覚えがよかったら、自分の死因ぐらい覚えといてほしい。

【7月27日】

 斜堂さんが小さい幽霊をくっつけて帰ってきた。
 この人は本当に幽霊が寄りやすい。
 言うと怖いだろうから黙って消した。

【7月28日】

 斜堂さんがオムライスを作ってくれた。
 変わった赤飯に卵焼きを乗せた人は天才だと思う。
 生きていた頃、赤飯なんて食べたことないかもしれない。
 死んでから縁起ものを食べるなんて、思いもしなかった。

【7月29日】

 昨日の夜、斜堂さんが寝る前のお薬を買い忘れたと困っていた。
 あれがないと不安で寝れないらしい。
 ずっと起きて一緒に本を読んだ。
 斜堂さんはそのまま朝まで起きてから買い物に行った。心配になる。

【7月30日】

 斜堂さんがハンカチを買ってきてくれた。
 前にもらった扇子と同じ、猫の絵が可愛い。
 似合うと思って、と言ってくれた。
 ずっと大切にしたい。

【7月31日】

 人間失格も、けっこう読むことができた。
 
 正直、辞書で調べながら読んでも難しくてよく分からない部分が多い。
 それでも空腹を知らない、という部分や、自分のことを生れた時からの日蔭者、という部分は、他の本よりずっと面白い。なぜか何度も読んでしまう。

 無垢の信頼心は、罪なりや。
 
 これは私のことだと思った。
 悪霊はこの世に残ってはいけない。
 斜堂さんに頼りきりなものいけない。
 いけないことばかりしているのに、斜堂さんはアイスを買ってきてくれた。
 この人はなんでこんなに優しいんだろう。

【8月1日】

 先生、除霊、依頼、仕事、霊媒師、きりばこ、夏、晴れ。

 久しぶりに昔の夢を見た。
 思い出せる言葉はこれだけ。
 先生は誰だろう。
 きりばこ、ってなんだろう。
 

【8月3日】

 丸一日眠ってみた。
 でもよく分からなかった。
 斜堂さんには夜起こしてもらうように言ったけど、怖くなって途中で起きてしまった。

 最近よく眠れない。

【8月4日】

 昨日の夜は寝れなかった。
 起きた時にまた時代が変わっていたら怖い。
 斜堂さんは静かに寝てた。
 この人はたまに、本当に生きているのか心配になる。

【8月5日】

 髪が伸びた、といって、斜堂さんは自分の髪の毛先を少し切っていた。
 私はなにも変わらない。
 この人は生きているんだな、と思った。

【8月6日】

 斜堂さんはお仕事でいない。
 最近、窓の外にいる幽霊が増えた気がする。
 夏だからだろう。

 夏はあの世とこの世が溶ける。

【8月7日】

 斜堂さんに触れるようになった夢を見た。
 こっそり斜堂さんの腕に触ってみた。
 
 触れなかった。

【8月8日】

 最近は斜堂さんが夢によく出てくる。
 私が本当に探している過去の思い出は、私より先に死んだのかもしれない。

【8月9日】

 今日も斜堂さんはお仕事でいない。

 また夢の中で、誰かのことを先生と呼んだ気がする。
 もしそれが斜堂さんみたいに勉強を教えてくれる先生なら、せっかくの勉強を無駄にする若さで死んで申し訳ないと言いたい。
 
 だけど思い出せない。
 きっと嫌われたんだろう。
 私も私が好きじゃない。
 先生もきっとそうだろう。

【8月10日】

 斜堂さんの様子がいつもより明るかった。
 体調が良くないのだろう。
 最近はずっと天気がいいから、斜堂さんの体には合わないらしい。
 暗い押入れにいれば落ち着くかと思って、押入れに少し入れてみた。
 
 少しすると体が痛いと出てきた。
 斜堂さんは背が高いから狭いのか。
 可哀想なことをした。

【8月11日】

 斜堂さんが勉強を教えている子どもたちの間で、折り紙やあやとりが流行っているらしい。
 げーむ、は寺子屋に持っていけないから、持っていけるもので遊ぶのだと言っていた。

 折り紙は苦手だ。きれいに折れない。
 あやとりはやったことがない。本で読んで知った。

 斜堂さんが今度教えてくれると言ってくれた。
 楽しみだ。

【8月12日】

 斜堂さんは明日、ずっと行きたかった場所へお出かけするのだと話してくれた。

 神保町、という場所は、街中どこを見ても本屋だらけで、斜堂さんはずっと行きたくて憧れていたらしい。

 ついでに買ってくるから、なにか欲しい本はありませんか、と聞かれた。
 本屋だらけの街だったら、ひとつぐらい昔の私を思い出せる本があるかもしれない。
 けど、それがどういうものか分からない。

 だから断った。
 斜堂さんの楽しみを邪魔したくない。

【8月13日】

 斜堂さんは片手で引くだけでかんたんに動く荷車を引いて出かけていった。
 きゃりいけーす、というものだと教えてくれた。
 その荷車いっぱいに本を買うらしい。
 斜堂さんが楽しそうなのを見ると、私も嬉しい。

【8月14日】

 部屋にたくさん本が増えた。
 斜堂さんが神保町で買ってきた本。
 斜堂さんは楽しそうに整理している。
 しばらく退屈しませんね、って言ったら、私と会ってから退屈したことはありません、って言われた。
 とても嬉しい。

 だけど、無垢の信頼心は、罪なりや。

 優しい言葉を全部そのまま信じるのはいけないことだ。
 気をつけたい。

【8月15日】

 墓乃上さんが、を投げる姿勢はとてもきれいですね、
 今度私の、

 夢の中で誰かに言われた。先生?
 なんだかとてもまぶしい晴れの日だった気がする。
 私はなにを投げたんだろう。
 誰に言われたんだろう。

 思い出せなくてむかつく。
 斜堂さんからもらったハンカチを見る。
 可愛い猫の絵。いらいらしているところを斜堂さんに見られたくない。心配かけたくない。
 ハンカチをもらった時の嬉しい気持ちを思い出す。

【8月16日】

 窓の外は幽霊だらけだ。
 夏はあの世とこの世が溶けるから。

 また斜堂さんが幽霊をくっつけて帰ってきた。
 今度は3体も同時に。
 墓地にでも行ったのかと聞いたら、別に行っていないと言われた。
 そっちのほうが怖い。

【8月17日】

 家に変な家具が増えた。
 羽根がくるくる回って風が出る家具。
 せんぷうき、という名前らしい。
 夏を涼しくするための家具で、この時代には欠かせないという。
 羽根が回って風が出る。
 嬉しそうな斜堂さんに涼しいですかって聞かれたけど、死んでいるから分からない。
 でも涼しいって答えた。

【8月18日】

 斜堂さんはお仕事でいない。
 もう一度人間失格を読む。

 この本の中にいる人間には、幸福も不幸もないらしい。
 それが人間らしくないというなら、斜堂さんと一緒にいて楽しい自分は人間になれるのだろうか。

 お風呂場の鏡を見た。
 私はそこにいない。やっぱり幽霊だ。

【8月19日】
 
 日記は楽しいですか、と聞かれた。
 紙が足らなくなりそうだったら言ってほしい、と。

 楽しいのか、楽しくないのかは分からない。
 でも今のところ止める気はないから紙が欲しい、とお願いした。

 無垢の信頼心は、罪なりや。
 無垢の信頼心は、罪の原泉なりや。

 自分の死因すら忘れてしまう残念な頭に自覚させるには、繰り返し書いたほうがいいと思う。
 でも、そのために斜堂さんにお使いを頼んでいるのはおかしいと思う。
 悪霊だからおかしくて当然かもしれないけど。

【8月20日】

 先生、霊媒師、この墓乃上、仕事、依頼、手紙、夏、きりばこ、除霊、清め。

 誰かに向けて、待っていてくださいと言った気がする。なにを待たせたのかは分からない。
 言った相手も分からない。
 
 斜堂さんがうっかりお皿を割った。
 きれいな丸いお皿がばらばらになった。
 元の形が分かんないぐらいばらばらに。

 今までいろんなご飯を乗せていたきれいなお皿は、一回落としただけで死んだ。
 もう使えない。
 私の思い出もそうかもしれない。
 一回死んだからもう戻らない。

【8月21日】

 斜堂さんに怒られた。
 
 成仏しなくても姿を消すぐらいはできる。
 いつか私がそれを選んでいなくなった時は、私の私物を全部捨ててほしい、忘れてほしいと言ったら怒られた。

 無責任。人の人生を楽しくした責任を取ってほしいと言われた。
 意味がよく分からない。

 本を読む量が足りないのか、私の頭が足りないのかな。
 申し訳ないことをした。

【8月22日】

 斜堂さんが着物を着ている夢を見た。
 似合っていると言う前に起きてしまった。
 この時代はみんな洋装を着ていて、着物を着ることはめったにないらしい。残念。

 私のこの着物は誰にもらったんだろう。
 思い出の中の私は、つぎはぎだらけの古い着物を大事に着ていた。
 他にもなにか着ていた気がするけど思い出せない。

【8月23日】

 また夢に、きりばこ、という言葉が出てきた。

 辞書を引いたら、桐という名前の木を切って作った箱だと分かった。
 それ以外は分からない。

 斜堂さんに聞いてみたら、あとで詳しく調べてくれると言ってくれた。

 ぱそこんとすまほ。なんでもできるらしいけれど、悪霊の死因探しをさせられるのは可哀想だ。

 無垢な信頼心は、罪なりや。

 忘れないようにまた書かないと。



「――続いてますね、日記」

 ドライヤーの音が止み、しばらくして洗面所から斜堂が居間へ戻ってきた。
 猫がプリントされた筆箱とノート、そして辞書、すっかりセットになった彼らがちゃぶ台の上にあるのを見て、その持ち主である墓乃上に訊いてみた。「けっこう楽しいでしょう?」

「読むだけじゃなくて、自分でなにか書いてみるのも」

 もう日付が変わりそうな夜更け。
 今日の分の日記は書き終え、襖に寄り掛かるようにして本を読んでいた墓乃上が顔を上げる。

「そうですネ、覚え書きにもいいですし……本も少しずつ、読みやすくなった気がしますネ」

「そう、それならよかったです。……私、仕事先では国語を教えてるので、生徒の子たちによく日記を書くよう勧めるんですよ」

 穏やかな夜更しを邪魔するカフェインが一切ない麦茶を温かく淹れ、彼女お気に入りのマグに注いでやる。
 ここ最近の彼女は、斜堂が思っていたよりも随分と熱心に本を読み、日記をつけていた。
 読書はまだしも、正直、日記のほうは飽き性な墓乃上のことだから数日で終わるかと思っていた。

 それが彼女の記憶探しに役立つか、それがままならない現実からの逃避として役に立つか、それは分からないが、人間という生き物は文字と言葉がないと生きていられない生き物。

 今後、より多くの本を読めるようになれば、それはきっと墓乃上の、生徒の助けになってくれるだろう――「……それで、実際に始めてみたよって言ってくれた子がいるんですけどね、」

「お家の都合で引っ越すことになっちゃいまして……今日でお別れだったんです、その子」

「なんと……それは残念ですねェ……」

「ええ、とても……ああ、でも、引っ越しても先生のこと忘れないよ、ってプレゼントくれたんですよ!」

 傷心した面持ちで話していた斜堂の顔がぱっと明るくなり、待っててくださいね、と玄関へ行った。
 そうしていつも出かける時に背負っている鞄から出した紙袋をちゃぶ台の上へ逆さまにする。
 
 お供えします、お供えします、お供えします。
 彼女も触れるようにと唱える言葉とともに茶無地の質素な袋からばらばらと落ちたのは、色とりどりの折り紙細工――鶴、カエル、魚、うさぎ、鳥、そんな鮮やかな生き物に混ざる大小ばらつく数多の折り細工は――手裏剣。

「凄いでしょう、これ……その子、折り紙が好きな子なんですけど、先生はなんか忍者っぽいからたくさん手裏剣あげるよ、って……ふふ、」

 生徒思いの優しい斜堂が笑う声も、手元の麦茶の香りも、全部、全部消え失せた。

 今墓乃上が見ている光景は、突然脳裏に目覚めた光景は――炎暑の陽が眩しい元、円が描かれた木の的を真っ直ぐと見つめる。
 そうして右手に構えた無機質な重さ――手裏剣をその的の中心へ鋭く投げ入れる。
 一投、二投、三投――そのどれもが全て、糸で引かれているかのように綺麗な線を描き、無骨な鉄の反射を輝かせながら的の中心に吸い込まれていく。

――いつ見ても墓乃上さんが手裏剣を投げる姿勢は綺麗ですね。

 今度私の、

「――……今度私の、一年ろ組の良い子の皆さんに教えてあげてください」

 目が眩む日差しに照らされる中、そう後ろから誰かの声がして振り返る。
 ああ、この声――知っている! 覚えてる!
 ああ、なのになんで顔が、名前が思い出せないのか!

 せんせー? 先生? じゃあ私はなに?
 私は天下の霊媒師。誰かに教わることなんてなかったはず!
 私はなにを学んでいたの? 先生ってなに?
 先生って誰? 私の……私のなにを知る人?

――ああ、痛い、痛い! 「やだ、やめてよ!」
 思い出さないで!

 頭が痛い……いやだ、「死にたくない!」
 「思い出さないで!」

 あれ? ここどこ? せんせー?
 狭い、……暗い、嫌だ! 出して!
 私まだ死にたくない! 生きたいの!
 
――綺麗な死より醜く足掻いた生、ですか……あなたからその言葉が聞けるなんて、先生、嬉しいです。

――……にとって一番大事なことは、生き延びることです。どんな手を使ってでもいい。汚い、ズルいと批難されようが、まずは生き延びなくては話になりません。
 誰よりも死を知るあなただからこそ、この意味を分かってほしいんです。

 そう、だって私、まだなんにも……うう、痛い!

――思い出さないで!
 
 お願い! 殺さないで!
 殺さないでください! ねぇ!

 ねぇ、なんで私が死ぬの!――「――……墓乃上さん!」

 墓乃上さん!――強く呼びかけられた声にやっと気づいた。
 まるで海に溺れた人間のようだ。
 顔は涙でずぶ濡れ、ようやくまともに息を吸えた過呼吸気味の喉から苦しい声で呟く。

「斜堂さん……?」

 あの息苦しい夏の日差しも、木の的も、なにもない。誰もいない。
 あるのは見慣れた居間と、蒼白した顔で自分を心配してくれる同居人の姿――なんだか現実味がなく、ぼんやりした目で彼を見つめる。

「だ、大丈夫ですか墓乃上さん……! どうしたんです、急に……」

「……斜堂さん、……すみません、驚かせちゃって……」

「いえ、そんなこといいですから……!」

「……」

 目に鮮やかな色で作られた折り紙細工の手裏剣をひとつ、震える指で手に取る。
 吹けば飛ぶような小さな紙の手裏剣――しかし、右手に感じるのはあの無機質で、無骨で、武器として洗練された鉛の重み。

 いつの間にこんなに泣いていたのだろう。
 頭から水を被ったかのように濡れた顔を手で拭い、手に持った手裏剣を壁へ一投した。

 そうして壁に当たり、そのままぽとりと落ちる。
 とんっ、と躊躇いなく円が描かれた的へ突き刺さる音なんかしなかった。

 でも覚えている。
 投げる時の視線、持ち方、誰かに綺麗だと褒められた姿勢も――体が覚えている!

 思い出さないで!

「……斜堂さん、」

 思い出さないで!

「――……私、もしかしたら、」

 思い出さないでってば!

「――私、忍者だったかもしれません」

――これ以上思い出さないで!

 もう死にたくないの!

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