【現パロ】大学生の斜堂さん+座敷わらし少女「お座敷暮らし」


 都心から少し離れているとはいえ、一応東京都内。
 最寄り駅まで徒歩五分だと不動産屋から紹介された時は信じていなかったが、歩いてみれば本当に徒歩五分、おまけにコンビニまでは徒歩三分という奇跡的な立地に建てられた古いアパート。

 その日当たりの悪い部屋に住む大学生、斜堂は、レポート作りに追われるパソコンを前に渋い顔をしていた。
 几帳面で真面目な彼の性格だ。レポートの提出期限にはまだ余裕がある。
 それよりも今鬱陶しくてしょうがないのは、ここ連日の夏日だった。

 引っ越し準備を進めていた当初に決めていた予算よりやや割高だったが、そんな日差しすらきっちりと塞いでくれる遮光カーテンで防御するも、暑いものは暑い。それはあまり変わらない。

 冷房が効いた涼しい図書館にでも行こうか、とも思った。が、そもそも図書館に行くまでの間に晴れ間を歩くことすら嫌になる。
 レポート作りを始める際に淹れた冷たい麦茶に浮かんでいた氷だって、いつのまにかほぼ溶けてぬるくなった麦茶と同化している。

 地元にいた時はまだしも、ここは都内のアパートだというのに、どこからともなく遠くから蝉の鳴き声が聞こえてくるのは気のせいだろうか。

 ああ、鬱陶しい。

 なにが楽しくってあんなに鳴くのだろうか。
 そんなに同種が、仲間が共鳴してくれるのが楽しいのだろうか。

 自分にはまったく理解できない感情だ。

 自分が一言、人前で暑いと呟こうものなら、返ってくるのは共鳴なんかじゃない。
 やれその長い髪を切れだの、半袖を着ろだの、余計なおせっかいと批難めいた言葉だけだ。

 半袖を着たら着たで、今度はもっと食べて筋肉をつけろだの、不健康に色白すぎるから少しは陽に当たってこいだの、色々と面倒なことを言われる、というのを斜堂は知っている。体験済みだ。

 そうしていくら真夏日だろうが、外出する際はずっと長袖の襟付きシャツを着続けていたら、今度はこっそりと「大人しい顔してるけど、本当は刺青でも入れてるのか?」なんて見当違いなことを訊かれる。
 
 なにを言ったって面倒事にしかならない。
 だから夏は嫌いなんだ。
 強いて好きなところを挙げるとすれば、日差しを嫌い、日陰に逃げ込むことを正当化できる、という部分しか思いつかない。

 それに梅雨明けをした、という悲報を今年はまだ聞いていない。
 それならまた明日にでも、うんと暗い雲と共に雨が景気よく降ってくれればいいのに、なんて無駄なわがままが思いつく。

 そうやってしばらくちゃぶ台に伏し、夏への恨み言をぐるぐる考え込んでいると、どこからともなく柔く涼しい風が当たる感覚に気がついた。

 どこかの窓を開けっ放しにしていただろうか、と体を起こすと、隣には赤い着物に切り揃えた黒髮――市松人形。ではなく、この部屋に取り憑く幽霊であり、すっかり斜堂の同居人として過ごしている墓乃上が正座していた。

「おはようございます、斜堂さん」

「……おはようございます、墓乃上さん」

 今日はまだ押入れで眠っているかと思っていたが、いつの間に隣にいたのだろうか……まったく気が付かなかった。
 なんとなく情けない場面を見られたようで気恥ずかしいものだ。「随分と参っているようですけど、」

「大丈夫ですカ? 体調、悪いんですカ?」

「ああ……大丈夫ですよ、ちょっと暑くて嫌になってただけなんで……心配ありがとうございます」

「そうですカ、ならよかったです」

 彼女はそういって手にしていた扇子をこちらに向け、上下に揺らしては風を作って送ってくれた。
 白地に猫の影絵がプリントされたその扇子は、斜堂が買い物に寄った百均で見かけ、墓乃上に似合うだろうからあげよう、と買ってきたものだった。
 
 ああ、さっきの風はこれか――。

「どうです? 少しはましになりますカ?」

 そう首を傾げる彼女の様子に、ええ、と一言頷く。

「そういえば、墓乃上さんは暑くないんですか?」

 外では意地でも長袖を着る主義。だが、さすがに自室の中ではラフな格好をする斜堂ですら暑いのに、襟元ひとつ乱れることなく綺麗に着込んだ着物姿の墓乃上は涼しい顔をしている。

「幽霊に暑いも寒いもありませんヨ。でもまぁ、斜堂さんが暑いと言うなら今日は暑いんでしょう」

 ぱたぱた、ゆらゆら、と自分に向けて少しでも鬱陶しい熱気が避けられれば、と健気に扇子を振ってくれるその姿と、余計なおせっかいも、嫌味のひとつすらなく自分に同意してくれる言葉に胸を熱く撃ち抜かれたような感覚がした。

 な……なんて良い子なんだ、この子は……。

 自分で悪霊を名乗ってはいるが、斜堂が彼女を悪い存在だと思ったことは今まで一度だってない。
 むしろ前向きで素直であり、自由気ままで奔放な性格に見えるが、その中身は幼いなりに礼儀作法にも気を使い、自分が教える勉強にだって一生懸命に取り組む真面目な子なのだ。

 その上、幽霊の身では分からない感覚を相手の立場になって理解し、彼女なりの方法で気遣ってくれるなんて……斜堂は墓乃上の親でもないし、もちろん兄妹でもない。が、この六畳一間で暮らす上での保護者として断言したい。

 こんなに素直で可愛くて良い子、そうそういない。

 ああ、きっと彼女は生前もこうやって他人へ慈悲を分け、慕われていたに違いない。
 それがこんな、こんな幼い内に死すなんて……自分だったら耐えられない。身を引き裂かれる思いとはきっとこういうことを言うのだろう。
 そうして残りの一生をこの子の薄命に嘆いて過ごすだろう。
 未だ彼女から誰かと親しい付き合いがあった、という話を聞いたことはないが、かつて絶対にいたであろう彼女を見守っていた人間へ心から同情してしまう。

 死後約五百年、気が遠くなるほどの永い時間のせいでひとりぼっちになってしまったこの子へ、ほんの僅かでも楽しい時間を作ってやれるのは他でもない、今はこの自分しかいない。

「……墓乃上さん、」

「はい、なんでしょう」

 鼻歌交じり、機嫌よく揺れていた扇子が止まる。

「……今日の夕飯、なにがいいですか?」

 なんでも作ります、と付け足すぐらいしかできなかった。
 本当ならば、彼女が本で知ったばかりの遊園地や、夏に咲く向日葵や大輪の花火、それが鮮やかに見える場所にだって連れて行ってやりたい。
 夏という鬱陶しさを覆い隠すように賑わう祭りや海にだって。
 斜堂ひとりでは正直あまり興味がないが、墓乃上が望むのだったらどんなに眩しい日向にでも行けるような気がした。

 でもそれらは全て絵空事もいいところだ。

 こんな古ぼけた狭い一間から出られない箱詰めの身なのに、それでも一切卑屈にならない彼女のためにできること。
 それはそんな六畳一間に幸せを詰め込んでやることしかできない。

 自分という素人がレシピの見様見真似で作った料理がそれに役立つなら、こんなに嬉しいことはない。
 なんでも作る、と言った言葉に嘘はない。
 ……さすがにカレーをスパイスを合わせるところから作れ、とか、生地から捏ねてピザを焼け、とか言われたら困ってしまうが、墓乃上はそんな突拍子もないわがままを言うような子ではない。

 暫し天井を見上げるように悩んだ彼女は、やや不安そうな顔を斜堂に見せた。

「あの……えっと、無理だったら別にいいんですけど、実は前々から食べたいものがありまして……」

「前々から……?」

「時計が鳴ったらできる不思議なうどん……あれがまた食べたくて……」

 時計が鳴ったらできる不思議なうどん……まさかカップうどんのことか?

「えっと……私は構いませんけど、本当にそれでいいんですか?」

 赤飯だ! といって感動していたオムライスでもなく、毎回毎回満面の笑みで食べている卵焼きでもなく、まさかのカップうどんを希望されて戸惑ってしまう。

 再度、なんでもいいんですよ、と念押しすると、墓乃上は手にしていた扇子で顔を隠し、小さく呟いて答えた。「しゃ……」

「斜堂さんが初めて私にくれたご飯なので……あの時本当に嬉しくって……それでまた食べたいな、って……」

 後半はもうほぼほぼ消え入りそうなぐらいの声で、扇子の隙間から少し見えたその顔は赤くなっている。

 そうだ、思い出した。
 初めて彼女に食事がしたいと言われた時、まだ引っ越しの片付けが終わっていなくてろくな食材も買い込んでいなかったあの時、極々普通のカップうどんを「お供え」したのだ。

 それをまだ「嬉しかったこと」として覚えてくれているなんて……ああもう、本当にこの子はなんて良い子なんだ……!

 アスファルトすら溶かしかねん勢いでぎらぎらと輝く日差しから成る嫌な暑さではなく、部屋に住み憑く同居人の健気で純朴な可愛さから顔が熱くなる感覚がした。

「……そうだ、お茶の時間にしましょうか」

 そう大人ぶり、彼女に赤面を見られる前に席を立っては冷蔵庫から出した氷をコップへ落としていく。

 自分という奴は本当にずるい奴だ。
 自分を格好良く見せるために、いつだって冷静で穏やかな保護者ぶったことをする。
 そうして彼女の愛らしさに撃ち抜かれた情緒を隠そうとする――実際はどこまで隠しきれているかわからないが。

 しかしまぁ、こんなに暑いのならしょうがない。
 冷たい麦茶を淹れるのに台所に立ち、居間にいる墓乃上へ背を向け顔を隠す形になってしまうことだってしょうがないことなのだ。

 我ながら呆れるほど無茶苦茶な責任転嫁をしているとは自覚している。
 が、そうでもしないとあの可愛さに思わず緩んでしまう顔を隠しきれないのだ。

 ……あの子は本当に良い子だ。
 
 蝉のように周りから共鳴も共感もしてもらわなくていい。
 むしろ斜堂ひとりで持っていたいその気持ちに唯一共鳴、のような音を出したのは、冷蔵庫から出した麦茶を注がれた氷から鳴る、ぱきっ、という微かな音だけだった。
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