【現パロ】大学生の斜堂さん+座敷わらし少女「お座敷暮らし」


 ここしばらく降っては止み、降っては止み、と不安定だった梅雨模様の合間、天気予報を見れば今日は一日明るい晴れ模様らしい。

 日当たりが悪い、と不動産屋から嫌われていたこの部屋の窓からも、その晴れ間の空気を十分に感じることができた。

 こんな眩しい天気の中、外を出歩くなんて心底嫌になるが……部屋の掃除をするとなったら、こんなに都合のいいことはない。

 玄関を開け、部屋中の窓を開け、まずは目一杯換気できるよう風通しを良くする。
 そして使い捨てマスクをし、昔ながらのハタキで部屋の天井辺りから丁寧にホコリを落としていく。
 しばらくそうやって地道に作業していると、今日は今まで物音ひとつしなかった押し入れが内側から開いた。「――あ、」

「おはようございます、墓乃上さん」

「おはようございます、斜堂さん……なにやってるんですカ?」

「なにって……部屋の掃除ですよ。今日は天気がいいので、久しぶりに大掃除でもしようかなと思いまして……ああ、もしかしてうるさかったですか?」

 寝起きの猫のように目元をこすっていた悪霊が、「掃除」という言葉に反応し、「あ、」と思い出したかのように斜堂へ問いかける。

「――そうだ! 私、斜堂さんに前々から言いたいことがあったんですヨ!」

「言いたいこと、ですか…?」

「私、斜堂さんには色々とお世話になってますし、ご飯やお菓子だって頂いちゃってて……今まで言う機会逃しちゃってましたが、私にもなにか家事をさせるべきだと思いませんカ!?」

 言いたいことがある、なんて啖呵切って言い出すものだから何事かと思えば……まったく、この悪霊はとんでもなく律儀な子だ。

「墓乃上さんのお気持ちは嬉しいですが……正直、そんなこと思っていませんよ」

「はぁ? どうしてです、」

「私、家事は別に苦じゃないと言いますか……まぁ、趣味も兼ねているようなものなんです。掃除に没頭していると、昔言われた嫌なこととかも全部綺麗になくなるような気がしまして……」

「あー……斜堂さん、そういう『トラウマ』から逃げる趣味が基本ですものねェ……読書だったり、掃除だったり、早くよく眠れるようにするお薬とか……」

「市販の睡眠薬を飲むのは別に趣味じゃありませんが……まぁ、お恥ずかしながらそういう事情ですので、ひとりで家事をやっている方が気が楽なんです」

 だいたい墓乃上さん、幽霊じゃないですか。
 家事を手伝ってくれる幽霊なんて前代未聞ですよ。
 
 そう返したのがまずかったのか、この墓乃上という幽霊の中でも特殊かつ、プライドが高い彼女は「馬鹿にしないでください!」なんてさらに不服を申し立てる。
 今まで斜堂と彼女とは友好的な関係だったが、だからこそなのか、今回の墓乃上はなかなか引く様子がない。

 部屋の隅に置いていた掃除機のノズルの先端、そこに細かい部分のホコリでも難なく吸い取れる付属のパーツを取り付ける斜堂に対し、墓乃上の異議申し立ては止まらない。

「だいたいですねェ! おかしいとは思いませんカ!?」

「なにがです?」

「私は斜堂さんが『お供え』して下さったらご飯も、お茶も、お菓子も玩具も、なんでも持てるようになるんですヨ?」

「まぁ……それは私も不思議だとは思ってますよ」

「そうじゃなくて! だったらお掃除に使う道具だって『お供え』して下さったら持てるようになりますし、少しぐらいお手伝いできるじゃないですカ!」

「そう言われましてもねぇ……」

 普段の斜堂なら彼女の言い分に対し、ここまできっぱりと断るようなことはなかった。
 が、今回はそう言われても正直困ってしまう。
 元々神経質で、まだ軽度……だと自分では思っているが、やや潔癖症気味の斜堂にとって、掃除というものは本当に趣味なのだ。
 掃除以外の家事も、今まで苦だと思ったことは本当に微塵もない。
 あるとすれば、天気がいい日に外へ買い出しに行くのが面倒なぐらいで、この家の中で完結する家事に困ったことなどないのだ。
 さて、どうしたものか……。

「墓乃上さんのそういう義理堅い性格は、本当にしっかりしていて偉いと思いますよ? ですが……さっきも言いましたが、家事は私の趣味のようなものなんです。私が趣味に没頭しているからといって、墓乃上さんがなにか負い目を感じる必要はないんですよ?」

「ですが……働かざるもの食う前に腹を斬り詫びろ、と言いますし……」

「言いませんよ、なんですかその物騒なことわざは……前にも言いましたが、墓乃上さんのお仕事は、私が気づかない内に幽霊をくっつけて来ちゃったらお祓いをする、という話になりましたよね?」

「まぁ……そうですが……」

 さっきまでの勢いはどこへやら、徐々に萎れていく彼女の威勢に多少罪悪感はある。しかし申し訳ないが、今回ばかりは折れてもらう他ない。「――それに墓乃上さん、」

「せっかくそんな綺麗な着物着ているんですから……お掃除で汚れちゃったら勿体ないですよ」

 さすがに着物はうちにある洗濯機じゃ洗えないだろう――いや、そもそも幽霊って着替えができるのか?

 何気なく言った自分の発言から生まれた疑問に考えていると、さっきまで不満そうに斜堂を睨んでいた墓乃上の表情が固まった。「――え、」

「……着物……」

 固まった表情のまま、俯いては自身の身体を、それを包む真っ赤な着物を見つめている。

 品のある唐紅の生地に咲く、金糸で縫われた鮮やかな花、その色に合わせた金茶に染まった帯と、そこに輝く琥珀の帯締め、汚れのひとつも無い純白の足袋が踏む、傷ひとつ無い草履――「……知らない、」

「――こんな着物、持ってた覚えない!」

「えっ、」

 急に様子が変わった墓乃上に心配になり、隣でなんと声をかけてやればいいのか伺っていた斜堂はその言葉に驚く。

「こんな着物……なんで……? 私が着ていたのはもっと、普通の……あ、ああ、肩と裾に継ぎ当てをした……普通の着物と……あと……桃色と、黒の……頭巾……? あれ、なんだっけ……あれは着物じゃなくて……」

 青ざめた顔でぶつぶつと呟いたかと思うと、分からない、と頭を抱えて座り込んでしまった墓乃上に、斜堂は思わず混乱する彼女の背をさすろうと手を伸ばしたが、その手は空気を掴むようにすり抜けてしまった。「……は、」

「墓乃上さん、大丈夫ですか……?」

「斜堂さん……すみません、びっくりしちゃいましたよネ……」

 そう謝り、少し笑う青い顔色はちっとも大丈夫そうに見えない。
 もしやとんでもなく酷い地雷を踏み抜いてしまったのだろうか――斜堂も内心動揺していたが、今一番混乱しているのは墓乃上本人だ。
 同居人としてできることを考え、「……少し落ち着きましょう、今、お茶淹れますので」と台所に立つのが精一杯だった。



「……さっきは取り乱してすみませんでした」

 落としたホコリは取り急ぎ掃除機で吸い、それから温かいほうじ茶を「お供え」するなり、彼女は対面に座る斜堂へ深々と頭を下げ、その言葉に斜堂もその頭を下げていた。

「いえ、私のほうこそ……その、嫌なこと思い出させてしまったみたいで……」

「嫌なこと? ……いえ、むしろありがたいですヨ。もう死んでからずっと着ているものだったので……違和感なんてすっかり忘れてました」

 そういってマグカップに口をつける様子と言葉は、いつもと変わらない穏やかな墓乃上だ。
 内心は分からないが……少しばかりでも落ち着いてくれたその姿に安堵する。

「『こんな着物、持ってた覚えない』って言ってましたけど……その、亡くなった後に家族のどなたから着せてもらった、とかですかね……」

「ああ、それはありえません」

「えっ、そうなんですか?」

「一般人にはよく勘違いされていることですが……幽霊というのは、『死んだその時の姿』で成るものなんですヨ。なので、頭に矢が刺さって死んだら、そのまま矢が刺さった姿で幽霊に成り……反対に、死んだ後、死体をいくら斬ろうが、刺そうが、……着替えさせようが、まったく意味がないんです」

「そうなんですか……なんとなく幽霊って死装束を着ているイメージでしたが……」

「それは間違いですネ。そう成るためには、死装束をあらかじめ着た状態で死なないと成りません」

――つまり私は、まったく覚えのない着物を着た状態で死んだ、というのが分かりました。

 カステラひとつで生きていた時代を思い出したように、今回は本当に何気ない一言から死因に関する記憶に大きく一歩近づいたらしい。
 誰よりも動揺するべき本人の墓乃上は、自身の着物の袖をまくり、その白くて細い腕を出して見せる。

「それにですネ、軽く確認した限りでは……致命傷になりうるような外傷が、私にはひとつもないんです」

「じゃあご病気……とかですかね……?」

「病で死んだ人間の幽霊はもっと酷いもんですヨ。やつれ細っちゃって……まぁ、突然死ならそうはなりませんが……」

 知らない着物を着た状態で、外傷なく死ぬ――かなり不可解な死だ。
 そして斜堂は、墓乃上の足元――純白の足袋に、傷ひとつ無い草履を思い出す。

 もし日常的にこの着物で、姿で過ごしていたとすれば、どんなに気をつけていても足元なんて汚れのひとつ、傷のひとつでもありそうなものだが、彼女の姿にそれらが一切ないのだ。
 まるで新品を穿いたばかりかのような――これはいったいなにを意味するのだろうか。

「――斜堂さん、」

 そう一言呼びかけられ、つい考え込んで俯いていた顔を上げると墓乃上の笑みと目が合う。

「たまたま偶然とはいえ……私が探している記憶に大きく近づけたような気がします。これも全部、斜堂さんのおかげですヨ」

「いえ、私は別になにも……ねぇ墓乃上さん、」

「はい、」

「家事なんて……私がやりたくてやってるんですから気にしないでいいんですよ。墓乃上さんにはもっと他にやるべきことがあるんですから……そうでしょう?」

 誰かに会いたかったはず、誰かを好きになっていたはず、なにかを成し遂げたかったはず――そう信じて、もう遥か彼方に置いてけぼりにされた記憶に対し、僅かな一歩でも近づこうと記憶の海に潜ることができるのは、悲しいかな、墓乃上自身しかいないのだ。

 だったらせめて、彼女がそんな底なしの海から一旦息継ぎに浮かんでくるその時、少しでも手を伸ばして繋ぎ止めておきたい――そのための支えなら、いくらだって苦にはならない。「……斜堂さんはなんで、」

「なんでここまで私に付き合ってくれるんですカ?」

 なによりも分かりやすく、それでいて戸惑いをまとった純粋な問いを口にする墓乃上に、斜堂は迷わず返してやるのだ。

 晴れた陽気が僅かに差し込む部屋に、開けっ放しの窓から吹き込んだ風が重たい遮光カーテンを僅かに揺らす影――ああ、こんなに明るい天気の下に、世界に、自分の居場所なんて本当は無いのに――「……だって私は、」

――墓乃上さん、あなたに救われているんですから。

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