【現パロ】大学生の斜堂さん+座敷わらし少女「お座敷暮らし」
【ドライヤー】
「――いいなぁ、」
「え?」
夕飯も済まし、あとは明日学校に持っていく教本やレポートを鞄に入れたか確認し、ほんの少し本を読んでから寝る、というだけの夜。
風呂上がりにドライヤーをかける斜堂の背後から小さな声が聞こえた気がして、お世辞にも静かとは言えない手に持った機械のスイッチを止める。
「どうしました?」
そう問いかけると、綺麗に切り揃えた黒髮の同居人、墓乃上という幽霊がそっと指してくる。「それ、」
「その……風が出る機械? 格好良いなぁと思いまして」
「ああ、これはドライヤーと言いまして……強い風を出して、髪の毛を乾かすための道具なんです」
いつもは高い位置でひとつにまとめて結い上げているが、ひとつヘアゴムを取ってしまえば、肩につくほど長く伸び、おまけにうねうねと自由気ままにハネる斜堂の癖っ毛を見て、またも墓乃上は羨望のため息をつく。「斜堂さんって、」
「長毛の猫みたいな髪で可愛いですよネ。そのドライヤー? がそうさせるんですカ?」
「そんな風に言われたのは初めてですが……これは生まれつきですよ、むしろちゃんと乾かさないととんでもなく広がっちゃって大変なんですから……私からすれば、墓乃上さんの真っ直ぐな髪が羨ましいです」
そう言うと彼女は指先で自身の黒髮を触るが、隣の芝は青く、無いものねだり、というやつだろう。
「でもなぁ、」と不服そうにその小さな唇を尖らせる様子に、斜堂は彼女へひとつ提案してみる。
「そうだ……なら、墓乃上さんも使ってみますか?」
この墓乃上という幽霊は特殊なのか、この部屋の家主である斜堂が「お供えします」と唱えたものなら、食べ物も、飲み物も、本だって、なんら人間と変わりなく触れることができるのだ。
「私、まだ乾かしきってないので……ちょっと待っててくださいね」
そう言ってやるときらきらと明るい瞳と笑顔、元気が良い返事を残し、幽霊は脱衣所をあとにした。
長毛の猫みたい、か……。
今までワカメだの、昆布だの、オバケだの、なんとも気の抜けた陰口は何度も言われてきたが、純粋に羨ましがられる目で褒められたのは初めてだ。
ああ、子供の表現力とはなんて面白いものか。
*
「――お待たせしました、」
そう居間に戻ると、ご馳走に待ってはそわそわした黒猫が明るく返事をする。
「『お供え』してありますので、墓乃上さんでもちゃんと持てますよ」
そう言ってなんの変哲もないドライヤーを渡してやると、特撮ヒーローものの玩具を買ってもらった子供のような顔をする。「おお……!」
「これがドライヤー……! けっこう重たいんですネ、武器みたいで格好良いです……!」
「コンセント繋げたので、そこの持ち手にあるスイッチ……ああ、それです、それを上に上げると温かい風が出ますよ」
「なんと……! ではさっそく……」
かちっ、とスイッチが入ったと同時に大きな音を立てて風を出すそれに、墓乃上は斜堂がやっていたように片手で持ち上げ、自身の頭へ当ててみる――が。
「あれ……?」
「え?」
それはなんとも不思議な光景だった。
轟音を上げるドライヤーはたしかに力強い風を墓乃上に、彼女の黒髮に当てているはずなのだが……。
その黒髮、一本たりとも動かず、なびかないのだ。
そんな光景を前に、斜堂はあることに気づく。
たしかに墓乃上へ「ドライヤー」という本体そのものは「お供え」してあるのだ。
だからこそ今こうやって持てているのだが……「ドライヤーから出される風」というものは無形のものなのだ。
もしかしたら幽霊の身である墓乃上の身体をすり抜けているのではないだろうか――この考えが正しいかどうかなんて、斜堂には分からない。
墓乃上は幽霊の中でも特殊な存在である上、そもそも幽霊という非科学的な存在に対してまっとうな理論を求めるほうが無理な話だろう。
ただひとつ確実に分かるのは、斜堂と同じように自分の髪がなびくのを、風を感じることを楽しみにしていた彼女の期待通りにはならなかった、ということだ。「……なるほど、」
「幽霊とは相性が悪かったみたいですネ」
スイッチを切られ、力なく勢いを弱めてはあっという間に黙ったドライヤー片手に呟く墓乃上に、なんと声をかけていいやら――「あ、」
「そうだ、墓乃上さん、たしかに墓乃上さんとは相性が良くなかったかもしれませんが……墓乃上さんが持って、私に風を当ててみたら良いんじゃないでしょうか?」
せっかくですし付き合いますよ、と言ってやると、興に冷めたという顔をしていた彼女が驚く。
「いいんです? そんなことして……」
「ええ、いいですよ、私は櫛で梳かしてますので……お好きなように」
そう答えると、やった、と弾む声とともに再度スイッチが入った音がする。
ここを押すと冷たい風になるので、今回はこっちにしてくださいね、と教えてやれば、後ろから派手な音に合わせて涼しい風が当たる。
もしかしたら前々から斜堂が自身でブローする様子をこっそり見ていたのだろう。
一箇所に当てるだけではなく、右に、左に、とゆっくり風が動くをの感じながら、うねうねと好き勝手ハネる髪にブラシを通してやる。「墓乃上さん、」
「楽しいですか?」
背後でご機嫌にドライヤーを持つ彼女へ聞こえるよう、普段より少し大きい声で聞いてみる。
「はい、とっても!」
きっと満面の笑顔で、あの大きな瞳を細めて言っているのだろう。そんな彼女から純粋に言われた褒め言葉を再度思い出していた。
長毛の猫みたいな髪で可愛い。
今まで内心、鬱陶しくて邪魔だと思っていた自分の髪を、斜堂はその日初めて好きになれた。
【先客~とある悪霊の場合~】
「――ただいま、墓乃上さん、」
壁にかかった時計は20時をもう半分以上回っている中、ようやく帰宅した家主の声に幽霊は押し入れから出てきた。
今日は19時頃には帰りますね、と言い残していたのに一向に帰ってこないものだから、なにごとかと心配していたのだが――斜堂の姿、否、その背後にある者を見て、おかえりなさい、なんて普通の挨拶をする前に、墓乃上は思わず訊いてしまう。「あの、」
「なにがあったんですカ、いったい……」
「え? ああ……電車が人身事故で止まっちゃって……」
「電車、ってたしか……ヘビみたいに長い金属の箱で、たくさんの人とかを乗せて走るっていうやつですよネ……?」
「ええ、よく覚えていますね。さすが墓乃上さん」
帰宅ついでに寄ったスーパーで買った野菜を冷蔵庫に仕舞いながら、斜堂は墓乃上の勉強熱心な姿勢を褒める言葉を口にした。
いつもならとても嬉しいのだが、今の墓乃上にはそれどころではないのだ。
ああ、まったくもう……まーた変な幽霊くっつけて帰ってきっちゃたよ、この人……。
そう、かつては室町時代にて天下を取った(と自称している)霊媒師であった幽霊、墓乃上の目には、なかなか洒落にならない雰囲気の霊が斜堂の背に取り憑いているのが見えるのだ。
幽霊というものは、死んだその瞬間の姿で成る存在だ。
頭を矢で射抜かれて死んだのなら、そのまま頭に矢が深く刺さった姿で幽霊に成るし、反対に、絶命してからいくら斬られようが、食われようが意味はない。
今斜堂に取り憑いている霊の姿は……なかなか悲惨だ。
皮一枚でぎりぎり繋がっているだけの腕が、首がゆらゆら揺れて、おまけに顔は原型を留めていない。
一見は男なのか、女なのかも分からなかったが、この現代では女のみが着るという「スカート」を穿いているところから察するに、この幽霊は女だろう。
単なる奇声でも呻き声でもなく、なにかぶつぶつと言葉を呟いている様子からして、強い自我がまだ残っている状態……つまり、死んでからそう時間が経っていないらしい。「……あの、」
「『人身事故』ってどういうものなんですカ?」
風呂に入ろうと髪をほどき、支度をする家主にそう訊くと、彼はちょっとだけ困ったような顔をしてから答える。
「えっと……そうですね、色々あって、電車と人がぶつかっちゃう事故、ですかね……」
なるほど。
斜堂は精一杯言葉を選んでくれたようだが、その背後に憑く幽霊の雰囲気からすると、その電車にわざとぶつかるように自殺でもしたのだろうと墓乃上は「彼女」を見る。
斜堂が気づいている様子は一切ないが、この人は元々の体質なのか、なんの因果があるのか、幽霊を惹き寄せやすい人間なのだ。
今までも何度か浮遊霊や極々弱い悪霊をくっつけて帰ってきたことがあるが、その度に墓乃上がさり気なく祓っては消していたため、自分がそういう体質だ、ということすら斜堂本人はあまり自覚していないだろう。
以前に一度だけ「そういう体質なのだから気をつけろ」と教えたこともあったが、霊感皆無の人間にとってそう簡単に理解できるものでもないらしい。
――しかしそれでいい。
彼が見てくれる幽霊なんて、自分だけで十分だ。
死にたてのところ悪いが、この人には私という悪霊が先に憑いているんですから――さようなら。どうか安らかに。
霊媒師としての義務感か、人の優しさに飢えた悪霊としての独占欲か……墓乃上自身ももうよく分からない情で、いつものように音ひとつ立てず祓って消した。
そんなことなど全く知らない斜堂は墓乃上へ一言声をかける。
「今日のご飯は鮭の塩焼きにしますよ。墓乃上さん、お魚好きですもんね」
それじゃあ少し待っててくださいね、と脱衣所のドアを閉めたお人好しに、彼への独占欲が徐々に生まれている悪霊はため息をひとつ吐くのだ。
ああもう、そんなふうに優しいから幽霊にばっかりモテちゃって……。
勝手にやきもちを焼いて、勝手に祓い、勝手に拗ねているなんて我ながら身勝手だと思う。
……けどまぁ私、悪霊だし……。
ちょっとぐらいわがままでも当然でしょう、とまたも勝手に開き直った悪霊兼気難しい同居人は、(幽霊に)モテる優しい彼が風呂から出てくるのを退屈に待つことにした。
【先客~とあるコンビニ店員の場合~】
「――あーもう、マジで客全員嫌いです」
酒の勢いを借りてなお口から出るのは、そんな平凡でありきたりな愚痴だったりする。
上司にぐちぐち言われない程度に明るいメッシュを入れたばかりの髪に煙草の煙が付くのも構わず、居酒屋の席でジョッキに入っていたビールを飲み干しては机にがつんと置く。
彼女は音楽という夢を追って上京したものの、今や自慢のベースを弾くよりもレジ金のチェックのほうが速く鮮やかになってしまった哀れなコンビニ店員。
ああ、愛しのパンクロッカー、シドよ。
貴方に憧れてベース片手に地元という小さな世界から飛び出したつもりでいたけれど、結局今はここから隣の駅前にある平凡なコンビニでちまちま働いています。
「客ねぇ……なんかもう店に来るだけで嫌いだもんね」
隣の席でそう同調したのは、同じく夢追い人だったという先輩。彼女は秋葉原で夢を届けるアイドルになろうとしたらしいが、今は枝豆を片手に焼酎を煽っている。
なんとも地味で夢も希望もない女ふたりの女子会で盛り上がるのは、恋愛話や美容の話なんかじゃない。
恨みだ。
「あの毎回毎回来る度に天気の話してくるオッサンいるじゃないですか?」
「ああ、いるねぇ」
「『今日はちょっと冷えるから、お布団暖かくして寝るんだよぉ。女の子は冷えが大敵だもんねぇ』とかきしょ過ぎて通報システム使いたかったですもんね」
「うける。使いてぇ」
「あといっつも小銭投げて渡してくるオッサン!」
「あー、いつも夜に東スポ買ってくハゲリーマンねぇ」
「全力投球で小銭投げ返したいですもんね、顔面に。で、あの脂べたべたなメガネ割ってやりたい」
「伝説のピッチャーになれちゃうじゃん」
もう言い出したらきりがない。ああだこうだと常連客の悪口大会と酔いが進んだ頃、そういえば、とふと思い出す。
それは店員がだし巻き卵ともつ煮を持ってきてくれた時のことだった。
「そういや、よくうちで卵とか牛乳買ってたおばあさんいたじゃないですか?」
「あー、『マダムさん』?」
「そうそう、そういえば最近見てないなって」
「えー? あの人ならちょい前に引っ越しちゃったよ」
「マジすか!? えー……あの人、良いお客さんだったからなんか残念……」
「ねー。いつも丁寧な態度で優しかったしねぇ……で、ついたあだ名が『マダムさん』って……」
「常連にあだ名つけるが生きがいですもんね、店員って」
「うける。過言すぎでしょ」
ああ、世の中なんて不条理なんだ。
モラル、思いやり、常識、それらが欠如していて尊大に振る舞う嫌味な客ばかりが常連になり、『マダムさん』のように品があり、接していて気分が良い常識人は遠くに行ってしまうなんて……。
お通しで出された安っぽい枝豆の塩っ辛さが身に染みる。
遠慮も恥じらいもあるもんか。
盛り合わせの串焼きにかじりついた先輩は、そのまま肉を噛みながら串を引き抜く。
ありとあらゆる方面からの非常識さを通常業務と合わせてこなさないといけないコンビニ店員に必要なものは、肉と、つまみと、安い酒だ。
「そういえばさぁ、あの……よく来るさ、髪の長い子いるじゃん?」
「髪の長い……?」
「ほら、色白でさぁ、髪の毛ポニテっぽくしてる男の子」
「ああ! いますね、たしか……えーっと、」
「『幽霊くん』」
「それだ!」
もうだいぶアルコールに溶けてきた頭の中でも、そのあだ名ひとつではっきりと思い出すことができた。
猫背な長身で、顔色悪くて、癖っ毛をいつもひとつにくくってて……それでいて、いつどんな時も物腰柔らかな態度のお客さん。
「たぶん大学生っぽいけど……あの子いいよねぇ、いつも丁寧でさぁ、マジで世の中のオッサンみんな見習ってほしいわ……あ、私レバー嫌いだから食べていいよ」
先輩の言葉に合わせるように、丁度追加で頼んだビールが机に届いた。
ジョッキ片手に先輩から嫌われたレバー串にかじりつき、その言葉に頷く。「めっちゃ分かります」
「私、前にあの人のお会計ミスっちゃって……その時にですね、」
「うん、」
「『勘違いだったら申し訳ありませんが、このお釣り、二百円多いですよ』ってレシートと一緒に返されて……チェックしたら本当に二百円多く渡しちゃってたんですよ」
「やば、良い子すぎる」
「大抵気づかないし、仮に気づいても多く渡されるんだったら損しないからわざわざ言ってくる客なんかいないですよねぇ」
「それな。そういやこの前夜勤の小林くんがさぁ、千円札と間違えておつりに五千円札渡しちゃったみたいで違算金やばいことになってたわ」
「いや、それはさすがに客も気づけよ、ってなりますね……ああそう、それでその時のお会計やり直して、新しいレシート出して『幽霊くん』に渡したんですよ。そしたらなんて言ったと思います?」
「えー……? 『次から気をつけてくださいね』とか?」
いつの間にか焼酎が入っていたグラスを空っぽにし、今度はホッピーの白なんてアイドルからはかけ離れた渋い酒を口にする先輩は、暫し考えてからそう答えた。
たしかにその答えだって十分紳士的だ。
怒鳴ったり、舌打ちなどせず、静かに言われただけでも「よかった、まともな客だった」と安心してしまう。
しかし彼はそれ以上の答えをさらっと嫌味なく言ったのだ。
「こちらの手違いです、申し訳ありませんでした、って言って頭下げたらですよ? 『いえ、こちらこそお手数おかけして申し訳ないです』って一礼して帰ったんですよ!」
「やば、人生何周目だよ……あーあ、付き合うならそういう丁寧で優しい子がいいなぁ」
「どんだけイケメンでも店員に態度悪いとマジで一瞬で冷めますもんね」
世の中結局顔なのだ、なんて悟ったのか、開き直ったのか、いずれにしろ人間の出来を顔の造形だけで判断する人間も多いが、みんながみんな、所謂イケメンを求めているわけじゃない。
実際、バンド活動するにあたって知り合った男はなかなかの美形で、付き合えた当初はそれだけでもう舞い上がっていた。
が、一緒に入ったファミレスで店員相手に「あのさぁ、俺が頼んだのは普通のグラタンじゃなくてシーフードグラタンなんだけど? なに間違えてんの?」と偉そうに振る舞うその姿に幻滅し、その場で別れを切り出した過去がある。
「『幽霊くん』さぁ、基本買っていくのスイーツだよね。プリンとかロールケーキとか……良いよねぇ甘党男子。しかもさぁ、ぱっと見はちょっと不気味だけどさぁ、よくよく見ると美人系の顔してるよね」
「そう言われればたしかに……あー、あと手がめっちゃ綺麗ですよね。指が細くてすらっとしてて……」
「そうそう……あーあ、あの子彼女いるのかな……割りと好みなんだよねぇ」
「彼女ですか……」
先輩のその言葉に、彼が買い物している時の姿を思い出す。
店に入ってから真っ直ぐスイーツコーナーに行き、どれにしようかと迷っているあの横顔――商品というより、なんだかその先にある誰かのことを想いながら選んでいるような気がする。
先輩は彼のことを「甘党男子」と言ったが、なんだか自分はそう思えなかった。
ただただなんとなく、という物凄く曖昧なイメージなのだが、きっと彼は毎回買っていくあの菓子を「誰か」にあげているのだろう。
そしてきっと、それを美味しそうに食べてくれる「誰か」を見つめるのが好きなのだろう――なんの確証もないただの決めつけかもしれないけれど、なぜかそんな風に思ってしまった。
「きっともう良い人がいるんじゃないですかねぇ」
なんていう呟きは、居酒屋のホールスタッフが元気に叫ぶ注文の声にかき消されて消えた。