今から約150年程前から起きたことらしいが、幾度重なる火災で消失した風雷神門跡地に足を運ぶとまっさらな土地で茫然と星の散らばる空を見上げる。一面を藍染めしたかのように薄暗い、風雷神門が現存していたならば光が昇り空はもっと明るく見えたのだろうか。しかし、集約した地上からの灯がないからこそ、空の先にあるものが此処から見えるということでもあり、中々甲乙つけがたい。
何も無い言葉通りの更地を後にして、ポツポツと街灯が点る大きな通りへ出る。月が出ていない夜でも人工的な暖色がやわらかく足元を照らしてくれて、日の光に似た橙色は背後へと影法師を伸ばした。
「あの・・・」
どのくらいそうしていたことだろう。自分の影とにらめっこするという傍から見れば珍妙な光景を映してみせる女におずおずと誰かが声をかけてくれる。目があった時、あまりの衝撃に心臓が止まりそうだった、内から外へ明るくなり外へ跳ねた髪、露になった額には痣が伸びていて、両耳に山から日が昇ったような耳飾りを下げている。黒い隊服に身を包み市松文様の羽織の下にはベルトに差した刀が一つ。女よりも二回りは大きい少年が心配そうにこちらを見ている。
「はい、何か御用？」
「突然声を掛けてしまってすみません、大丈夫かなと思って…すごく悲しそうな匂いをしてたから」
冷静を装って返すも更に返されたことに少しばかり目を剥く、押し殺していた筈なのに匂いで探られるとは、全く今時の若い子は悟りやすくて嫌になる。
そしてカタカタと彼の背から引っ掻くような音を聞き留めると私はすっと目を細め、一つ瞬いた。
「…大丈夫だよ。ありがとう少年」
「…」
自分よりも頭一つは小さいだろう女に少年などと呼ばれては相手は少し怪訝そうに環を見た。それに気付いた彼女は早々に言葉を付け足す。
「こんな身なりだが、君よりは年上だ。先輩を労わってくれてありがとう」
「…先輩？」
「自己紹介が遅れたね。まずは挨拶だ。私は鬼殺隊の箏谷環という。君達（・）は何というんだい？」
くるりと体を回し少年に改まって向きなおしたところ、彼は突然顔を覆ったかと思えばギュッと目を瞑ったまま、環の羽織を一つに重ねて前を締めた。別に体に合わないものだからきつくはないけども・・・。はて。

＊

虚ろな中にそろりと流れる風の中には虚しさを孕んだ悲しい匂いが微かにあって、思わず声をかけたという少年は竈門炭治郎という。二年前家族を鬼に殺されて、唯一生き残った妹も鬼に変化してしまった。妹を人間に戻しこれ以上人々が悲しまなくて済むように彼は鬼殺隊へ時をかけ入隊を果たす。浅草で鬼が出るという情報が出ると指令を受け事を済ませた体は消耗が激しく休息を欲するも烏が突いて許さない。傷む体を無理をおして新たに南南東へと向かえばその先にいたのは、地を見つめる年端もいかない少女。身の丈に合わない大振りな羽織はうっすら日の出のような淡い黄色に染まっており儚い印象を持ってしまっては声を掛けずにいられなかった。
こちらへ向き直った少女の全貌が明かりに照らされて露になって咄嗟に目の前に両手を広げた。鬼殺隊の隊士だと言ったのに、明らかに場違いな格好をしているからだ。顎舌まで伸びた襟が首を覆い隠す様にしているにも関わらず裾は胸下できれており鍛え抜かれた腹筋とその下に臍がちらりと見えてしまう。縊れのある腹にぐるりと巻いたベルトの下にはスカートを履いているもののこれがまた短い。女子らしい柔らかな肉付きながら引き締まった太腿が晒されて炭治郎は叫んでしまうのを必死にこらえたながら、自身の視界を塞いだうえで少女の前を羽織を拝借し締めたのだった。体の内から噴き出す熱に苛まれながらもカッカと熱のこもってしまった顔で説明すれば、少女は声を荒げて笑った。炭治郎は至極真面目に年相応に女の体に反応したわけで、更に熱くなってしまった。
「なになに、破廉恥だって？そんなことないよ、君は悪くないさ、こんな格好をしている私に非はあるのだから君は紳士的な行いをしてくれたまでだよ。私の貞操を守ってくれてありがとうねえ」
「てッ！…でも、俺……」
「大丈夫大丈夫！分け合ってこんな格好をしているんだが、鬼殺隊に入ったんじゃお医者様にお世話になるんだからもう体のあちこち見られるんだから恥は捨ててるし、それなりに歳いってるのにこんな風貌だからさ胸ねえなとか言われるわけ。あ、なんか殺したくなってきた」
見えない存在に目をギラつかせる環を見た炭治郎は得体の知れない危機感を覚えた。
「だ、駄目です殺しては・・・」
「そうだね、隊士同士のやりあいはご法度だから手だし出来ないのが余計にむかつく・・・おっとごめん、話が脱線したけど周りにそういう目は向けられてたから君が気に病むことは無いよ」
まるで気にしていないという環の言葉に二の次が言えず、もう一度だけ謝った。下げた頭は視界も下げる。戒めているのかそうでないのか、すらりと伸びる軽く日に焼けた足を追ってしまうと地と接する面は何も履いていない。素足で舗装された道で立っていた。隊服とは鬼からの攻撃を防ぐ特殊な繊維で出来上がっている謂わば身を守る甲冑のような役割を放っている。通気性はよいが濡れにくく燃えにくい使い勝手もいいため着て然るべきものだと新人として考えを提唱するのだが、本当に隠すべきところを覆う役割しか成し遂げておらずそこまで露出することに何の意味があるのか問いたくて口を開いたのだが、
「ところで、君たちの名前を知りたいんだが、聞いてもいいかな」
「あ、はい！俺は竈門———」
改めて名を問われて、急いで思考を変えたのだが開けた口がそこで止まってしまった。思えば彼女が名乗った後にも行っていたことだ。「君たち」。達とは、事物を表すものの後について複数であることを示す言葉だ。今彼女の前に立っているのは彼一人。ここは大通りだが街灯は殆ど消えかかっている。怪我もあって街の中心からそれほど離れていない中、あれほど喧騒とする人の声は今やなりを潜めている。だが夜更けの中ポツリと点いた街灯の下でこの女性は一体、何をしていたというのか。
誰もいない通りにいるのは、環という女性と炭治郎、そして、背負った箱で休む者だけだった。
炭治郎は咄嗟に後ろに飛んだ、距離を取り一旦落ち着き話を聞く、そのような算段を立てて。しかし、全くの徒労に終わる。視界から遠ざかったはずの環は炭治郎が足を地に着ける前に、眼前に迫っていたのだ。
「なっ…！」
「コラ、聞いたことには答えなさいって親に教わらなかったのか?それとも何か、名乗られはしたけれど得体の知れない女と口は利かないと？」
抑揚のない声音であるのにこの状況を楽しんでいるように笑みを浮かべていて、得体の知れなさに皮膚が粟立った。情けなく躓いて尻もちをついた炭治郎をみずして、しょうがないなあと言って右の袖口を天へ向ければスルスルと羽織の袖が肘程まで下がる。さらに細い腕が表に出たかと思えば彼女はしゃがみ込み自身の右手を炭治郎の前に突き出したのだった。じわじわと右手の甲に浮かび上がったのは甲の文字。
「最終選別を通過した者だけが施される仕様だ。十ある階級のうち最も高い甲を指す。君も一回やってみろ。私が言うことが正しければ君にも浮かぶはずだし、そうでなければ何も起きない。疑うのはその後でもいいだろう。そうそう、浮かび上がらせたいときはこう言うんだ「階級を示せ」ってね、そのまんま。グッと握ってー」
鬼のような殺意も感じない、鼻を刺すような腐臭も、さっき嗅いだ悲しみも感じられずこのまま拮抗していては拉致があかないと環の言う通りにすることにした炭治郎。握りこぶしを作って習ったことを唱えれば同じようにして癸の文字が浮かび上がる。
「ありゃ、君癸かぁ。それにしては複数の鬼の気配を感じる。大分苦労を強いられているようだねえ」
「え」
炭治郎の来た道を察してたかのような口振りに思わず彼は声を漏らす。其の様を見てクツクツと笑う彼女。
「なんでわかるんだって顔しているね。君だってさっき匂いで私のことを感じ取ったようなのと同じさ。私は目が悪い分空気の揺らぎに敏感でねえ、なんとなく違うっていうのが分かるんだよ」
ちゃんと目を合わせてみれば、街頭で少しわかりにくいが丸く開いた双眸は白濁としていた。夜明けに近しい色に見えたのは街灯の下にいたからだったらしい。目が合うところを見ると全く見えないというわけではないようが、どこか寂しい匂いがする。それが何なのかわからないけれど、本当だと感じた炭治郎は警戒の色を薄めた。
「…すみません、俺、出会ってすぐ疑うような真似を」
「鬼が蔓延る世界だ。疑り深いことに越したことはない。それに君、夜中にも移動するなんて相当コキ使われているんだね。足も肋も痛めている」
「…はい、今は南南東に行くよう指示されて向かっていたところなんです」
鬼になった妹を連れ、鬼をつくる元凶に会い、最低でも二百年以上生きていながら呪いを外している鬼と話をした、と経緯を伝えることはまだはばかられた。
「そうか、移動中に足を止める真似をしてしまってすまなかったね」
嘘のない謝罪だった。どこか慮る優しい匂いがする。
長男だから我慢しよう、痛くても頑張らなくてはと自分自身を鼓舞して進み続けて。
「どうやらそのご自慢の鼻で私の方まで来てくれたのだろう。ご足労をおかけいたしまして」
「いえ、とんでもないです！俺が気になって箏谷のところへ来たようなものですから…」
「環でいいよ。氏で呼ばれるのは慣れていないんだ」
出会う前の戦闘でも、己の弱さを目の当たりにして。決して一人では今ここに立っていることも出来なかっただろう。
「———環さん。
俺は、鬼殺隊、階級癸の竈門炭治郎といいます」
気が付けば、あれほど頑なに締めていた口から自己の紹介が漏れていた。目先の女は突然の内容にきょとんとした様子でいる。
「後ろに背負った箱にいるのは、俺の妹です」
言っていいのだろうか。明かしてしまって大丈夫なのだろうか。皆が皆竈門兄弟を結果として救った冨岡義勇のように殺さないで見逃すとは限らないし、鱗滝左近次のように２年もの間傍にいて時を待つ優しさを持っているとは一概に言えない。
それでも、彼女は待ってくれている。出会ってから一度も腰に差しているであろう刀に手を触れずにいる。隙を見て斬るという手も無きにしも非ずだが今は少し頭の片隅においやる。
炭治郎自身、匂いで鬼の気配を察することが出来る。甲ともなれば、気づいていてもおかしくないのではないか、妹の正体に。
「妹は人です。ですが二年前、家族が殺された中で一人生き残って、突然鬼になりました」
言葉を選びながら発する。目の前の彼女は微動だにしない上、薄らと笑みを浮かべたのが余計に心をざわつかせた。
「生まれた時から人間です。これまで人を一人も喰っていない。俺は、俺自身と禰豆子の命を懸けて、禰豆子が人間に戻る方法を探すことを決めて、鬼殺隊に入りました」
重ねて妹の潔白を主張するが、表情一つ変えない環。
鬼になった人間が人食いにならないと考える方が難しいというのは、これまで見てきた非情な現実から理解しているものの、自分の望みを絶ちきるわけにはいかなかった。
「——信じて、ください」
「うん、信じるよ」
震える体で頭を下げた矢先、うんともすんとも言わなかった彼女は即答したのは肯定。つまり、信用してくれるとのことだった。あっけらかんとした答えに炭治郎はあわてふためき本当かと何度か尋ねてしまうものの環は一貫して信じるといいきった。
「君が嘘をついているとは思わない。それにしてもドがつくほどの正直ぶりだねえ、君は人が良すぎる……妹の件では誰かと揉めたのかな？」
「は、はい。義勇さん、冨岡義勇という人に、色々助けてもらって」
「驚いた、義勇が引き金か。ちょっと聞きたいんだけど炭治郎、君の呼吸法は？」
「水の呼吸で、鱗滝さんという方の所で修得しました」
ペラペラと、話してしまってよかったのだろうか。話し終えた口を閉ざした時少しばかり後悔したのだが、環の表情を見る限り杞憂だったら良いのに。
昔を懐かしむように、柔らかな笑顔。
「話してくれてありがとう」
弧を描いた口唇から発した言葉には感謝が込められていた。
「腹心が分からない中で胸の内を明かすのは怖かっただろう。ありがとう、教えてくれて」
穏やかな笑みを浮かべてくれた環に炭治郎の胸の奥が熱くなり目の内から数滴の雫が零れていく。兄が泣いていることに気づいたのか、キイっと音を立てて扉を開けた箱から飛び出した陰に環の目は穏やかな弧を描く。
「その子が、妹か」
麻の葉紋様の着物に兄の羽織と同じ市松紋様の帯を巻き、上から黒い羽織を着ている髪の長い少女は炭治郎よりいくらか小柄だ。気になるのは口に咥えた竹筒だが、人を襲わないための呪いだろうと環の中で完結。
兄を守ろうとしてか彼の前に立ちこちらを睨む鬼の少女を見て、環は静かに微笑んだ。悪意の欠片一つ見えないそれに警戒を緩めた炭治郎は妹の手を自身のそれで包み込む。
「禰豆子といいます」
「ほう、珍しい。初対面であれだが、鬼になっても人としての優しさが失われていないようだね。誰かを思いやっている。可愛らしい名だ」
「えへ、えへへ」
妹のことを褒められて嬉しくない兄はいないだろう。顔の筋肉が緩んでしまってだらしのない笑みを浮かべてしまう炭治郎だった。
「こんばんは、禰豆子。私は環という」
「…ﾑｰ？」
口枷があるのもあるがどうやら人の言葉を話せない禰豆子は毬の会話に首を傾げていた。
兄が泣いていたのは何故だったのか。兄が突然後ろへ飛んだわけは、この人が脅威ではなかったからか。
悶々と自答を繰り返すも得られる答えが無く、悩んでいると、頭頂部がひんやりとして禰豆子は視線を下げた。彼女より少し低い環が手を伸ばして頭を撫でているのである。
自分より小さいものが髪を梳いている事実にぽかんとしてしまうも、一定に揺れる手が心地よい。
「ム－・・・」
さっきまで見せた警戒心はどこへやら、するすると体を環よりも小さくして撫でられるがままになっている。撫でやすいなあと笑った環はその手を止めない。
「なるほどこうして箱の中に入っているというわけか。便利な体だねえ」
「ﾑｰ!」
「兄の背に抱かれるのは少しの間だけだぞ。しっかり堪能するんだ」
よしよしと変わらず禰豆子の面倒を見てくれる環をみて、炭治郎の心は和らいだ。
誰もが鬼と知れば殺してしまうのだと思った。決して人は皆炭治郎のように鬼に情けを向けられるわけではないのだから。
だから安心してしまった。
するりと隊服の中に忍び込んできた冷たくも柔らかいものに。
「えっ」
「はい大声出さなーい。今は夜中だからね———」
「ふふふ、ふざ、揶揄わないでください！」
発狂モノだった。禰豆子が環を肩車しているとか目を疑うような光景もすっ飛んでしまう程強烈な現象。環が炭治郎の隊服の内側へ手を刺し込んだのだ。いつの間に首元のボタンを外した上に襟を緩めたのか、その手腕に感服するとかそういうことではない。鳩尾付近だったため余計に肝が冷えて発狂しそうなとき、目前に幼いながらも端麗な顔が差し迫ったものだから必死に言葉を飲み込む、これで年上だというのだからもう訳が分からなくなっていた。不満をぶつけるも抑えに抑えた笑い声がケラケラと夜闇に響く。バクバクとする心臓の向こうから離れていく手は、夜に冷えたわけではなく体温自体が低い印象を受けた。氷よりも多少熱があれども人とは思えない体温。
「低体温の上冷え性でね、びっくりしただろう。ましてや心臓なんて。寒い川に飛び込むときは心臓から遠い足先からゆっくり入るんだよ」
「そんなことしません！！！」
掠れた声で最大限に非難する。
よっこらせと掛け声一つで禰豆子から降りた環はありがとうと幼子の髪を梳いてやればもっとやってくれと禰豆子がねだっている。また一つ撫でると小さな右手は羽織の中へ引っ込んだ。
「頭から浸かってもいいけど鼻から水入って蒸せるのがおちだ」
「やりませんって！！」
「そうかい、其れは良かった、それじゃあね」
「突然のお別れですか？！」
じゃっ、と手を挙げてそのまますたこら歩いてしまった環を思わず追いかける。
聞きたいほどは山ほどあるのに、飄々とふざけて見せる口は果たして答えてくれるのだろうか。
「引き留めてしまったし、無理に身の上話をさせてしまったのも申し訳ないと思っているが私も任務に向かっている最中でね、向かわなければならないんだ」
「あ、そうだったんですね・・・ってそうじゃなくて！いやそれはいいんですけども」
「大丈夫さ、炭治郎の貞操を破ったわけではあるまいし。ちょっと心臓の外が気になったものだからおまじないをかけておいたよ」
「貞操ってなんなんですか！おまじないだからって直前に言ったり別のやり方も何かあったでしょう！」
ここまでの会話、夜中である事を配慮してコソコソと言い争っているのだが、その囁きもヒートアップするうちにそれなりに雑音と変わりないものになっていく。
「まあまあ、またきっと会えることだし、その時に文句は聞こう。それじゃあ炭治郎、禰豆子、無理だけはしていけないよ」
「文句は今言いま・・・」
全て言い終わらぬうちに、炭治郎と禰豆子の前から環は忽然と姿を消していた。足音一切なくどこかへ去ってしまい、まるでこれまでの出来事が夢だったかのように思う程のあっけない会話の終わり。
言葉の捌け口が無くなってしまって肩を落とした兄は妹に心配されるもこんなことで気を落としている暇はない。呼吸一つで気持ちを切り替え、炭治郎は禰豆子の手を引いて歩き出す。目指すはどこかへいった鎹烏のいう南南東。
鬼を生む元凶と遭遇し、呪いを解いた鬼たちとの一時ののち鬼舞辻の配下と戦闘、一難去ってまた一難、足先に伸びた影法師と何ら変わらない、はっきりとしない女隊士。
ここ数日で目まぐるしく状況が変化するも足を留めてはならない。向かう先に何が待ち受けていても立ち向かわなくてはならない、それが己の選んだ道だから。たとえ折れていようとも・・・・・・・。
「あれ・・・？」
既に自身の熱がこもる心臓の上に隊服を通して手を重ねる。可笑しい、おかしいぞ、さっきまで確かに。
足を止めた兄を見やり、禰豆子は再度首を傾げた。対する炭治郎は大きな瞳をさらに開いて動揺を隠し切れない。
「…ない、痛くない・・・折れてた胸が、全然痛くない」

＊

聳える山の天辺に、一つ高い高い気が空に向かって伸びている。何にも妨げられることのない針葉樹の上でたった一本の枝に腰掛ける少女から昇るのは灰色の煙。先ほどまで羽織っていたモノは傍らにおいて、胸と股以外露出したところは陽光を浴びては焼けただれていく。もう何度と繰り返したそれは何の痛みを感じずしてすぐに再生し、また焼けては治るの連動。日が昇る前からそこにいた環が腰を上げたのは、太陽が完全に全貌を露にしてからだった。体のあちこちから煙が立ち上る。それを気にも留めず羽織を纏えば、全身を刺すような違和感は緩和される。
「さて、参りましょうか。鬼退治」
太陽を背に向け、羽織の襟元に縫い付けられたフードを深く被れば顔までしっかり影がかかった。
道中数刻前に出会った兄弟を思い返しクスクスと一人笑う、影の下から除く笑みは、酷くゆがんでいた。長く伸びた襟の下で首元がジクリと疼く。
「あぁ、転機が来た。やっと、やっとだ。新月を迎える時、必ずこの怨嗟を終わらせる」
永遠と続く地獄を見る女は、少年に残った残滓に思いを馳せた。
「待っていろ鬼舞辻無惨」





————貴方の終わりは共にここだ。