前編
薄暗い道。
地図なんて必要無い、歩きなれた道。
だがいつもと違うのは、私のすぐ後ろに##NAME1##がいるということ。
自分でも信じられないが、この状況を作ったのは自分であり、彼女が道に迷わないようにと手をひいてるのも私の意思だ。
あぁ、この高まる気持ち!
どうにかなってしまいそうだ!
人をこの裏道(地下へ通じる秘密の通路)に招いたことなど一度も無かった。
これからだってそんな予定は無かったはずなのに、私は彼女を招いてしまった。
だがこれは##NAME1##が悪い。
彼女があんなことさえ言わなければ...私は普通でいられた!
見返りを求めたわけではない。期待していたわけでもない。
なのに彼女は、あんなことを聞いてきたんだ。
『何か欲しいものは無い?』
何故##NAME1##はこうも簡単に、私が求めていること言うのだろうか。
欲しいものだと?
私が求めるものなど決まっている!
忘れたことなど無い。
生みの母にさえ拒絶されたそれのことを。
だが、言えなかった。
##NAME1##に言えなかった。
彼女ならと、思っていた自分がいたにも関わらず。
キスが欲しい、だなんて...
##NAME1##に拒絶されることだけは避けたかった。
最初は気にもしていなかった彼女が、今ではいなくてはならない存在になっていたのだ。
あの時の##NAME1##はどんな顔をしていただろう。
怪しまれなかっただろうか?
今まで触れられることを避けていた場所に彼女を招待したのだ、不思議がられてもおかしくはないが...
今も##NAME1##を振り返り、その表情を確認したい。
だが、何故かそれができない。
一体、私はどうしたというんだ!
「エリック、ちょっとストップ!」
急に手を引っ張られ、私は何事かと足を止めた。
今振り返ることは不自然じゃない、と自分に言い聞かせながら##NAME1##の方を振り向く。
暗闇になれた私の目は、彼女の姿をはっきりととらえていた。
地上では口に出さなかったが、いつもとは違うドレス姿の##NAME1##に驚いていたのは事実だ。
そして、美しいという言葉は今日の彼女に相応しいと思っていた。
「...どうした?」
「ごめん、ちょっとこの靴じゃ歩きづらくて...ほら、結構薄暗いでしょ」
そう言って、彼女は足元を指差しながら苦笑した。
当然だ。
こんな岩を削っただけでできた道を、ヒールの高い夜会靴で歩くなど考えただけでも嫌になる。
あぁ、私はなんて愚かだ。
##NAME1##を私の家へと招待できた喜びが強すぎて、彼女のことを気づかってやることが出来なかったなんて。
「すまない、##NAME1##...」
「あ、別に謝らなくても...。ほ、ほら!先に進む、進む」
そう言って、##NAME1##は私よりも先をゆっくり歩き出した。
「それにしてもビックリしたわよー。エリックが家に招待してくれるなんて」
「だろうな...私でも信じられない」
私が小さくそう呟くと、視界の隅で##NAME1##がこちらを振り返ったように見えた。
「やっぱり...いかない方が良い?」
彼女の発言に私は驚いたと同時に焦りも覚えた。
「そ、そんなことはっ──」
「冗談よ、招待してくれて嬉しいわ」
##NAME1##は楽しそうに一人笑っている。
あぁ、彼女のペースに乗せられていた自分が恥ずかしい。
今の私は、やはり本調子ではないんだ。
他愛もない話をしながら、私達が地下水道の脇を通り抜けようとしたその時だった。
もう後悔しても遅い。
一旦##NAME1##の呼び掛けで止まった時に、彼女の靴について何か解決策を考えれば良かったんだ。
だが、その時の私にはそんな余裕は無かった。
「##NAME1##!」
不安定な足場で躓いた##NAME1##は、そのまま地下水道へとバランスを崩した。
彼女を助けようと伸ばした私の手はなんとか彼女のドレスを掴むことは出来たが、支えてやることは叶わず、私もそのまま地下水道へと落ちてしまったのだ。
落ちた場所が水の浅い場所だったのは幸いだった。
さらに、落ちる直前に##NAME1##を抱えることができ、私が下になり彼女が下敷きにならなかったことも幸いだった。
「##NAME1##...大丈夫か?」
打った場所が悪かったのか少し背中が痛んだが、自分よりも彼女が心配だった。
私の上にうつ伏せの状態で落ちた##NAME1##は右目を抑え、なんだか落ち着きがない。
どうしたのかと、私は少し上体を起こそうとした時初めて、自身の異変に気づいた。
顔がやけに涼しい。
仮面が...無い。
私は反射的に右半分の顔を隠し、##NAME1##の方を見た。
だがその瞬間、一気に血の気が引いた。
彼女の、手で隠れていない白い目が恐ろしいほど真っ直ぐこちらを見ていたのだ。
嫌な汗が流れる。
完全に##NAME1##に素顔を見られてしまったのだ。
もう、絶望しか考えられない。
彼女は他の人間達と同じように悲鳴をあげ、化け物だと叫ぶのだ。
だが、##NAME1##は何も言わなかった。いや、言えなかったの方が正しいのかもしれない。
私達は互いを見つめ合ったまま、動けないでいたのだ。
最初に動いたのは##NAME1##だった。
キョロキョロとあたりを見回しながら、頻りに自身の右目を気にしている。
「エリック...だ、大丈夫??」
そんな彼女は私の方は見ずにそう言った。
彼女の行動と言っていることが一致しない。
さらに、彼女は何も触れない!
私の素顔について、何も言わない!
いや、少し声は震えていた。だがそれは地下水道へと転んだ驚きや、浅いが水に浸っているという戸惑いであるようにも見える。
私は混乱した。
顔の右側を隠しているその手で、ただれているであろう頬を触ってみる。
窪んでひきつっているであろう頬を触ってみる。
あぁ何も変わりはない、私の顔だ。
ふと視界に、私の顔から外れて水に沈んでしまっていた仮面を発見した。
手を伸ばせば届く位置にあるそれを静かに拾い、あるべき場所へと戻す。
冷えたそれとは対称的に、焦りと混乱、緊張から体温がかなり上がっていたことに気づいた。
落ち着くんだエリック。
##NAME1##は逃げ出していない、悲鳴だってあげていないじゃないか。
恐怖に怯えた表情だってしない!
彼女は普通だ!!
彼女は私の素顔を見た。
そして受け止めてくれたんだ、そうしか考えられない!
いくら薄暗かったとしても、こんなに近くのものが見えないわけがないではないか。
「エリック...あ!ご、ごめん...私ずっと上に乗ってたんだ」
ゆっくりと私の上から降りた##NAME1##は、苦笑しながらこちらを見ていた。
両手で乱れてしまったドレスや髪を直している。
水分を含んだドレスは彼女の体にピタリとくっついてしまっていた。
「ご、ごめん。私がバランスを崩したせいで...」
やはり私は彼女の行動が理解できない。
何故触れない!
何故話さない?!
「お前は何とも思わないのか?私の素顔を見たんだぞっ!何故そうやって笑っていられる、何故恐れない?!」
私は不安に駆られた。
私の声に一瞬驚いた表情を見せた##NAME1##だったが、急に視線をずらし複雑な表情を浮かべ始めた。
いつもならすぐに答えを返してくるはずなのに、今の彼女はいつもと違う。
あぁ、やはり彼女は私に怯えているのだ。
だから何も言えないのだ。
「...無理をしなくていい。恐ろしいものは恐ろしいんだ。醜いものは───」
「そ、そんな気にするもんじゃないじゃないっ!私は気にしない!気にしないからっ!」
一体彼女は何を言っている?
気にしない?
私を受け入れてくれるということか?!
「お前は...本気か?」
あぁ、声が震える!
寒いわけじゃない、不安?
いや、これは嬉しいんだ。
本当の私を見てくれる女性に出会えて私は感激しているんだ!
「...本当よ。...私は気にしないわ」
##NAME1##は確かにそう言った。
何なのだろう!
例えようもないこの気持ち...
だがいつも私を悩ましているものとは全く違う。
これは...温かい。
「ちょっ...エリック?!」
私は気づくと##NAME1##を抱き締めていた。
強く、これが夢ではないと確かめるように。
その時の私は幸せに満ちていたのだ。
だから、彼女の異変なんて気づくことも出来なかった。
いつも目をそらさない彼女が、全く私の目を見ていなかったことなど、気づくはずもない。