前編
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賑やかな音楽、賑やかな歌。
シャンパンを開ける音にグラスのぶつかり合う音。
オペラ座は今日、年に一度の大賑わい。そう、年の始めの仮面舞踏会だ。
招待されたお客は身分など関係無くグラスを交わし、歌い、朝まで踊り明かす。
誰が誰かなんてわかる筈もない。
王様に道化、猫だって踊ってる。
だって皆、仮面で顔を隠しているんだから。
本当の顔はどこへ?
いや皆、本当の顔なんて無いんだ。
「…マスカレード、仮面に隠れよう」
私は一人、賑やかな室内から逃げるように背を向け、バルコニーにいた。
廊下をすれ違った時に、道化の姿をした男女が歌っていた曲を口ずさみながら。
お祭りごとは大好きだけど、どうも人混みには慣れないのよね。
一人だからっていうのもあるんだけど。
一人で来るのが嫌だったからクリスティーヌやメグを誘ってみたんだけど、本人達は行きたがったけど保護者であるジリー先生からは許可がおりなくて。
「お土産よろしくー♪」ってメグに言われちゃった。
まぁ、話によれば来年の仮面舞踏会には連れて行って貰えるみたいだから、辛抱ってところよね。
「はぁ…」
顔の上半分を隠していた青色の仮面を頭の上に移動させると、溜め息をついた。
吐いた息は少し白く、夜風に当たる体は少し冷えてきたが先程まで賑やかな室内にいたせいか、火照った体にはそれが心地よかった。
来なきゃ良かった...とは考えたくない。何故なら、私はこの仮面舞踏会に招待された身だからだ。
嫌なら断れたはずだけど私はそうはしなかった。断れなかった、という言い方も正しいかもしれないけど、私は嬉しかったのかもしれない。
あの男からの招待だったから。
その日の待ち合わせは、あろうことか私の部屋だった。
急な指定だったから掃除なんてできるはずもなく、普段作業をしているままの散らかりようで、やって来たあいつが溜め息をつかなかったはずもない。
言い訳じゃないけど、これでも私はキレイ好きだ。今回はついさっきまで作業をしていたからで、いつも汚いわけじゃない。
「...で、今日はまたどうして私の部屋なの?何かしたいことでも??」
目に入るゴミや楽譜などを片付けながら、私は彼に椅子に座るよう促した。
でも彼は立ったままで、手に持った何かを私に差し出してこう言った。
「明日は何の日か知っているか?」
「明日?あ、そういえば皆楽しそうに色々話してたな...」
私が受け取ったそれは茶色い紙に包まれており大きいわりには軽かった。
ガサゴソと紙をめくり中身を確認するのと同時に、また彼は口を開く。
「仮面舞踏会だ。一緒に来い」
私の方は見ずに、机の上に散らばった工具や木片を手に取りながらそう言った彼。
何も反応しない私が気になったのか、チラッと私の方を見た彼と目があってしまった。
慌てて視線を落としてみるものの、そこには茶色い紙からはみ出す薄い青色のドレスがある。というか、私がそれを抱いてるのだけれども。
「何故、急に?仮面舞踏会だなんて...」
「別に、オペラ座のゴーストもお祭りを楽しみたい時だってある。それに、お前は舞踏会なんて行ったことが無いのではないかと思っただけだ。以外に楽しいぞ、ふざけた芸術ばかりある。それに、お前がどんな感想を言うのか興味があるんだ」
木片をコロコロと手の中で転がしながら、彼が少し微笑んだ様に見えた。
確かに舞踏会なんて、私には無縁だった。興味が無いと言えば嘘になる。
だけど複雑な心境なのは確かだ。
「...私とは行きたくないか?」
「そんなことない!ちょっと驚いただけよ」
何も言わない私にしびれを切らした彼から自身を皮肉んだ言葉が出た。
もちろん、私はそれを否定する。
「わかった、行くわよ。あなたの気まぐれに付き合ってあげる。そのかわり!」
私はビシッと、人差し指を顔の前で立てる。
ドレスが落ちてしまわないように、もう片方の腕でしっかりと抱いて。
「問題は起こさないでよね!」
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そして今、私は彼に貰ったドレスを着て仮面舞踏会に来てるのだけれども。
このドレスがまた、気持ち悪いくらいに私のサイズにピッタリなのよね。
彼にそういう能力(能力と言えるかは別として)があるのはこの何ヵ月か会って気づいてはいたけど、こう私が対象になるとまた...複雑。
さらにその時は言えなかったけど、私だってドレスの一つくらい持っているわよ!
まぁ、衣装係のおばさんから貰ったお古だけど…こんな賑やかな舞踏会には向かないものだけど。
「失礼、お一人かな?」
私がバルコニーの手摺に寄りかかりながらボーッとしていると、ワイングラスを両手に持った男が隣に並んだ。
白いタキシード姿のいかにも貴族って感じの男。
私はあまり人とは関わりたくなかった───しかも、こんな下心丸出しの男となんて尚更。
「一杯、一緒にいかがかな?」
「……結構です。お酒は飲めないもので」
差し出されたグラスを手で押し返すと、私はその場を立ち去ろうとした。黙っててもいなくならなそうだったし。
だけど男は持っていたグラスの片方を手摺の上に置くと、私の手を掴み引き寄せたのだ。
「じゃぁ、お酒の飲み方を教えてあげるよ。楽しく一緒にね」
金色に輝く仮面を付けていたからどんな顔をしているのかはわからなかったけど、仮面に隠れていない口から見える白い歯が眩しい。
「…結構です!」
急に近くなった男の顔を遠ざけるように押し返すと、あろうことか男のその手が私の顔に当たりその瞬間、男の表情が信じられないものでも見たかのように豹変した。
「き、気持ち悪い女だっ!」
頭に付けていた仮面は地面に落ち、私の左目は露になっていた。
言われなれた言葉だったけど、やっぱり辛い。
「私の連れに、酷い言葉を言ってくれたものだな」
音もなく私の背後に現れたもう一人の男。
優しく私の肩に触れると、「大丈夫だ」と私だけに聞こえるように呟いた。
遅い。本当に遅い。
「消えろ、貴様に用はない」
私の頭上から響く声に何か身の危険を感じたのか、目の前の男は急いで広間の方へと戻っていった。
「私が何故お前を誘った舞踏会が仮面舞踏会なのか理解しているか?」
足元に転がっている私の仮面を拾いながらエリックはそう言った。
「顔など気にせずに楽しめるからだ。私も人混みに紛れ活動しやすい」
差し出された仮面を受け取り、やっと彼の姿を確認することができた。
普段とあまり変わらない姿のエリック。違うところと言えば、マントを羽織っていないこと。
そして、顔半分を覆っていた仮面は口以外全てを隠す形のものに変わっていたこと。
「...遅れて来ておいて説教ですか」
仮面を付け直すと、キッと睨み付けてやった。
だけどエリックは意味がわからないというような表情(と言っても目と口でしか判断出来ないんだけど)でポケットから取り出した自身の懐中時計を開いて見せた。
「良く見ろ、まだ待ち合わせの時間になっていないではないか。##NAME1##、お前が早く来すぎただけだ。まさか、初めての舞踏会で気持ちが高ぶっていたのではないだろうな?」
見下ろしながら鼻で笑うエリック。
「そんなっ...そ、それに高ぶってなんかいないわ!...あなたと合流する前に様子を見たかっただけよ」
ちらっと私の時計を見てみると、明らかに現在の時刻とは違う時刻を指し、更に壊れてしまったのか全く針は動いていなかった。
そんな高価な物じゃないけど、少しショック。
「お前を救ってやったんだ、感謝してもらいたいところだな」
「わかってるわよ...感謝してる。ありがとう」
エリックが珍しく目を丸くした。仮面をしててもはっきりわかるぐらいに。
「随分と素直だな、今日は」
そんな目をしなくたっていいじゃない。
何時ものように馬鹿にすればいいのに。
「ちょっと落ち込んだだけよ、気にしないで」
そう、本当にあなたが気にするような事じゃないのよ。
</font>
「...来い」
「ちょ、えっ!待って!!」
何を思ったのか、急に私の手をとり歩き出したエリック。
流石に引きずられはしなかったけど、仮面で何時も以上に視界が狭い中、転ばないように着いていくのがやっとだった。
バルコニーから私達が移動した先は、今まさに最高の盛り上がりを見せようとしている大階段前広間。
そして、タイミング良くオーケストラの演奏が新しい曲に移ったところだった。
「舞踏会なんだ、踊れ!」
男女二人がペアで集まる広間の中心まで来ると、エリックは高らかにそう言った。
「む、無理よ!ダンスなんてしたことないっ!」
命令口調なのにも腹が立つけどそんなことよりも今、自分が周りから注目を浴びていることに耐えられそうにもない。
仮面があって良かったとは思うけど、初めての舞踏会で着なれていないドレスをまとい、初めてのダンスなんて信じられない!
「私が合わせてやる、大丈夫だ。##NAME1##...顔を上げて」
さっきは気づかなかったけど、彼の手袋は今日は黒ではなく白色だった。
その白い手が、私の顎を優しく持ち上げた。
そしてそれは流れるように腰へと移動し、エリックと目があった。
仮面の下から覗く瞳は細められ、覆われていない口は三日月のような形に変わった。
「...楽しんでない?」
彼の足を踏まないように、転ばないように。
それでも視線は逸らさずに。
「何のことかな。祭りとは楽しむものだろう?」
不適な笑みを浮かべながらエリックはそう言ったけど私が転びそうになったり、変な方向へ行こうとした時、私を優しく丁寧にリードしてくれていた。
彼と踊っている最中はまわりのことなんか全く気にならなくて、今まで別の世界にいたんじゃないかと思ってしまうくらいだった。そして気づくと演奏は終わっていた。
そんなに激しく踊ったつもりはないのに、私は肩で息をしている。運動不足なのを思い知らされた感じがして、なんだか落ち込んでしまったのは秘密だ。
「どうだ舞踏会は?まるで乱暴に描きなぐられたキャンバスの様だろう?」
「その発想、間違ってはいないかも...統一感がありそうで無かったり、その逆だったり」
再びバルコニーに戻ってきた私達。
私の左隣に立ったエリックに私は向かい合った。
邪魔な仮面は取り、彼を見上げる。期待はしてなかったけど、もちろん彼は仮面は取らなかった。
「やはり##NAME1##、お前は面白い考えをする...お前といると飽きん」
「別にあなたの暇潰しの為に付き合ってるわけじゃないんだけど」
「ふっ...そうか」
エリックは笑った。
小さくだけど、確かに笑った。
「そうだ、これをお前に」
笑ったのが見間違いだったかのように、何もなかったように内ポケットから何かを取り出したエリック。
それは彼が愛用している金の懐中時計だった。
「お前のは壊れてしまっていただろう、代わりにこれを使いなさい」
「そ、そんな。貰えないわ!あなた今だって使ってるでしょ?」
たとえ今使っていなかったとしても、こんな高価な物を貰うなんて正直気が進まない。
だけどエリックは時計に繋がった鎖を持つと、スルスルと時計盤を下ろしていく。
長い鎖から垂れた丸い本体。良く見ると細かい模様が彫られていた。
「壊れてしまった時計に愛着があるならば無理にとは言わない。だが、貰ってくれないか?今日の記念に...」
一瞬、耳を疑った。
彼の口からそんな言葉が出るなんて。
熱でもあるの?と言いそうになってしまったけど、きっと彼は怒るだろう。
なんとなく想像はできた。
「...わかった。遠慮しないで貰うことにするわ」
差し出した手の中に、彼のそれは落ちた。
見た目からは想像できないくらいに重く、今まで彼のポケットの中にあったからか少し温かかった。
「...壊すなよ?」
「こ、壊さないわよっ!あ、それよりあなたは何か欲しいものは無い?私なんかがあげれるものなんて、限られてくるけど...何か欲しいものがあったら言って!」
そう、貰ってばかりでは申し訳ない。このドレスだって彼が作ったものだし、何かお返しが必要よね。
「欲しいもの...か?」
「そうよ、何かない?」
エリックが言う言葉に少し興味があった。
欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れてきた彼が、こんなちっぽけな女から何を望むのかって。
何を言い出すかわからない恐さもあったけど、興味の方が強かった。
「##NAME1##...、私は...」
でも、何故かエリックの瞳は戸惑いに揺れていた。
何かを言おうとして途中でやめてしまう。
私と目を合わそうとしないし、無意識なのか左手がしきりに小さく動いていた。
「...##NAME1##、私は.........またこうして私の気まぐれに付き合ってくれることを、お前に望むよ」
何かを振り払うかのように、深いため息をついたエリック。
「ただ一つ、今叶うなら...お前を招待したい。私の...王国へ」
謎の多い彼が。
決して自身のテリトリーに他人を近づけさせなかった彼が。
強要されたわけでもなく、自ら放ったその言葉。
首を横に振る理由は、あるはず無い。
やっぱり私は......
彼に恋してる。
賑やかな音楽、賑やかな歌。
シャンパンを開ける音にグラスのぶつかり合う音。
オペラ座は今日、年に一度の大賑わい。そう、年の始めの仮面舞踏会だ。
招待されたお客は身分など関係無くグラスを交わし、歌い、朝まで踊り明かす。
誰が誰かなんてわかる筈もない。
王様に道化、猫だって踊ってる。
だって皆、仮面で顔を隠しているんだから。
本当の顔はどこへ?
いや皆、本当の顔なんて無いんだ。
「…マスカレード、仮面に隠れよう」
私は一人、賑やかな室内から逃げるように背を向け、バルコニーにいた。
廊下をすれ違った時に、道化の姿をした男女が歌っていた曲を口ずさみながら。
お祭りごとは大好きだけど、どうも人混みには慣れないのよね。
一人だからっていうのもあるんだけど。
一人で来るのが嫌だったからクリスティーヌやメグを誘ってみたんだけど、本人達は行きたがったけど保護者であるジリー先生からは許可がおりなくて。
「お土産よろしくー♪」ってメグに言われちゃった。
まぁ、話によれば来年の仮面舞踏会には連れて行って貰えるみたいだから、辛抱ってところよね。
「はぁ…」
顔の上半分を隠していた青色の仮面を頭の上に移動させると、溜め息をついた。
吐いた息は少し白く、夜風に当たる体は少し冷えてきたが先程まで賑やかな室内にいたせいか、火照った体にはそれが心地よかった。
来なきゃ良かった...とは考えたくない。何故なら、私はこの仮面舞踏会に招待された身だからだ。
嫌なら断れたはずだけど私はそうはしなかった。断れなかった、という言い方も正しいかもしれないけど、私は嬉しかったのかもしれない。
あの男からの招待だったから。
その日の待ち合わせは、あろうことか私の部屋だった。
急な指定だったから掃除なんてできるはずもなく、普段作業をしているままの散らかりようで、やって来たあいつが溜め息をつかなかったはずもない。
言い訳じゃないけど、これでも私はキレイ好きだ。今回はついさっきまで作業をしていたからで、いつも汚いわけじゃない。
「...で、今日はまたどうして私の部屋なの?何かしたいことでも??」
目に入るゴミや楽譜などを片付けながら、私は彼に椅子に座るよう促した。
でも彼は立ったままで、手に持った何かを私に差し出してこう言った。
「明日は何の日か知っているか?」
「明日?あ、そういえば皆楽しそうに色々話してたな...」
私が受け取ったそれは茶色い紙に包まれており大きいわりには軽かった。
ガサゴソと紙をめくり中身を確認するのと同時に、また彼は口を開く。
「仮面舞踏会だ。一緒に来い」
私の方は見ずに、机の上に散らばった工具や木片を手に取りながらそう言った彼。
何も反応しない私が気になったのか、チラッと私の方を見た彼と目があってしまった。
慌てて視線を落としてみるものの、そこには茶色い紙からはみ出す薄い青色のドレスがある。というか、私がそれを抱いてるのだけれども。
「何故、急に?仮面舞踏会だなんて...」
「別に、オペラ座のゴーストもお祭りを楽しみたい時だってある。それに、お前は舞踏会なんて行ったことが無いのではないかと思っただけだ。以外に楽しいぞ、ふざけた芸術ばかりある。それに、お前がどんな感想を言うのか興味があるんだ」
木片をコロコロと手の中で転がしながら、彼が少し微笑んだ様に見えた。
確かに舞踏会なんて、私には無縁だった。興味が無いと言えば嘘になる。
だけど複雑な心境なのは確かだ。
「...私とは行きたくないか?」
「そんなことない!ちょっと驚いただけよ」
何も言わない私にしびれを切らした彼から自身を皮肉んだ言葉が出た。
もちろん、私はそれを否定する。
「わかった、行くわよ。あなたの気まぐれに付き合ってあげる。そのかわり!」
私はビシッと、人差し指を顔の前で立てる。
ドレスが落ちてしまわないように、もう片方の腕でしっかりと抱いて。
「問題は起こさないでよね!」
</font>
そして今、私は彼に貰ったドレスを着て仮面舞踏会に来てるのだけれども。
このドレスがまた、気持ち悪いくらいに私のサイズにピッタリなのよね。
彼にそういう能力(能力と言えるかは別として)があるのはこの何ヵ月か会って気づいてはいたけど、こう私が対象になるとまた...複雑。
さらにその時は言えなかったけど、私だってドレスの一つくらい持っているわよ!
まぁ、衣装係のおばさんから貰ったお古だけど…こんな賑やかな舞踏会には向かないものだけど。
「失礼、お一人かな?」
私がバルコニーの手摺に寄りかかりながらボーッとしていると、ワイングラスを両手に持った男が隣に並んだ。
白いタキシード姿のいかにも貴族って感じの男。
私はあまり人とは関わりたくなかった───しかも、こんな下心丸出しの男となんて尚更。
「一杯、一緒にいかがかな?」
「……結構です。お酒は飲めないもので」
差し出されたグラスを手で押し返すと、私はその場を立ち去ろうとした。黙っててもいなくならなそうだったし。
だけど男は持っていたグラスの片方を手摺の上に置くと、私の手を掴み引き寄せたのだ。
「じゃぁ、お酒の飲み方を教えてあげるよ。楽しく一緒にね」
金色に輝く仮面を付けていたからどんな顔をしているのかはわからなかったけど、仮面に隠れていない口から見える白い歯が眩しい。
「…結構です!」
急に近くなった男の顔を遠ざけるように押し返すと、あろうことか男のその手が私の顔に当たりその瞬間、男の表情が信じられないものでも見たかのように豹変した。
「き、気持ち悪い女だっ!」
頭に付けていた仮面は地面に落ち、私の左目は露になっていた。
言われなれた言葉だったけど、やっぱり辛い。
「私の連れに、酷い言葉を言ってくれたものだな」
音もなく私の背後に現れたもう一人の男。
優しく私の肩に触れると、「大丈夫だ」と私だけに聞こえるように呟いた。
遅い。本当に遅い。
「消えろ、貴様に用はない」
私の頭上から響く声に何か身の危険を感じたのか、目の前の男は急いで広間の方へと戻っていった。
「私が何故お前を誘った舞踏会が仮面舞踏会なのか理解しているか?」
足元に転がっている私の仮面を拾いながらエリックはそう言った。
「顔など気にせずに楽しめるからだ。私も人混みに紛れ活動しやすい」
差し出された仮面を受け取り、やっと彼の姿を確認することができた。
普段とあまり変わらない姿のエリック。違うところと言えば、マントを羽織っていないこと。
そして、顔半分を覆っていた仮面は口以外全てを隠す形のものに変わっていたこと。
「...遅れて来ておいて説教ですか」
仮面を付け直すと、キッと睨み付けてやった。
だけどエリックは意味がわからないというような表情(と言っても目と口でしか判断出来ないんだけど)でポケットから取り出した自身の懐中時計を開いて見せた。
「良く見ろ、まだ待ち合わせの時間になっていないではないか。##NAME1##、お前が早く来すぎただけだ。まさか、初めての舞踏会で気持ちが高ぶっていたのではないだろうな?」
見下ろしながら鼻で笑うエリック。
「そんなっ...そ、それに高ぶってなんかいないわ!...あなたと合流する前に様子を見たかっただけよ」
ちらっと私の時計を見てみると、明らかに現在の時刻とは違う時刻を指し、更に壊れてしまったのか全く針は動いていなかった。
そんな高価な物じゃないけど、少しショック。
「お前を救ってやったんだ、感謝してもらいたいところだな」
「わかってるわよ...感謝してる。ありがとう」
エリックが珍しく目を丸くした。仮面をしててもはっきりわかるぐらいに。
「随分と素直だな、今日は」
そんな目をしなくたっていいじゃない。
何時ものように馬鹿にすればいいのに。
「ちょっと落ち込んだだけよ、気にしないで」
そう、本当にあなたが気にするような事じゃないのよ。
</font>
「...来い」
「ちょ、えっ!待って!!」
何を思ったのか、急に私の手をとり歩き出したエリック。
流石に引きずられはしなかったけど、仮面で何時も以上に視界が狭い中、転ばないように着いていくのがやっとだった。
バルコニーから私達が移動した先は、今まさに最高の盛り上がりを見せようとしている大階段前広間。
そして、タイミング良くオーケストラの演奏が新しい曲に移ったところだった。
「舞踏会なんだ、踊れ!」
男女二人がペアで集まる広間の中心まで来ると、エリックは高らかにそう言った。
「む、無理よ!ダンスなんてしたことないっ!」
命令口調なのにも腹が立つけどそんなことよりも今、自分が周りから注目を浴びていることに耐えられそうにもない。
仮面があって良かったとは思うけど、初めての舞踏会で着なれていないドレスをまとい、初めてのダンスなんて信じられない!
「私が合わせてやる、大丈夫だ。##NAME1##...顔を上げて」
さっきは気づかなかったけど、彼の手袋は今日は黒ではなく白色だった。
その白い手が、私の顎を優しく持ち上げた。
そしてそれは流れるように腰へと移動し、エリックと目があった。
仮面の下から覗く瞳は細められ、覆われていない口は三日月のような形に変わった。
「...楽しんでない?」
彼の足を踏まないように、転ばないように。
それでも視線は逸らさずに。
「何のことかな。祭りとは楽しむものだろう?」
不適な笑みを浮かべながらエリックはそう言ったけど私が転びそうになったり、変な方向へ行こうとした時、私を優しく丁寧にリードしてくれていた。
彼と踊っている最中はまわりのことなんか全く気にならなくて、今まで別の世界にいたんじゃないかと思ってしまうくらいだった。そして気づくと演奏は終わっていた。
そんなに激しく踊ったつもりはないのに、私は肩で息をしている。運動不足なのを思い知らされた感じがして、なんだか落ち込んでしまったのは秘密だ。
「どうだ舞踏会は?まるで乱暴に描きなぐられたキャンバスの様だろう?」
「その発想、間違ってはいないかも...統一感がありそうで無かったり、その逆だったり」
再びバルコニーに戻ってきた私達。
私の左隣に立ったエリックに私は向かい合った。
邪魔な仮面は取り、彼を見上げる。期待はしてなかったけど、もちろん彼は仮面は取らなかった。
「やはり##NAME1##、お前は面白い考えをする...お前といると飽きん」
「別にあなたの暇潰しの為に付き合ってるわけじゃないんだけど」
「ふっ...そうか」
エリックは笑った。
小さくだけど、確かに笑った。
「そうだ、これをお前に」
笑ったのが見間違いだったかのように、何もなかったように内ポケットから何かを取り出したエリック。
それは彼が愛用している金の懐中時計だった。
「お前のは壊れてしまっていただろう、代わりにこれを使いなさい」
「そ、そんな。貰えないわ!あなた今だって使ってるでしょ?」
たとえ今使っていなかったとしても、こんな高価な物を貰うなんて正直気が進まない。
だけどエリックは時計に繋がった鎖を持つと、スルスルと時計盤を下ろしていく。
長い鎖から垂れた丸い本体。良く見ると細かい模様が彫られていた。
「壊れてしまった時計に愛着があるならば無理にとは言わない。だが、貰ってくれないか?今日の記念に...」
一瞬、耳を疑った。
彼の口からそんな言葉が出るなんて。
熱でもあるの?と言いそうになってしまったけど、きっと彼は怒るだろう。
なんとなく想像はできた。
「...わかった。遠慮しないで貰うことにするわ」
差し出した手の中に、彼のそれは落ちた。
見た目からは想像できないくらいに重く、今まで彼のポケットの中にあったからか少し温かかった。
「...壊すなよ?」
「こ、壊さないわよっ!あ、それよりあなたは何か欲しいものは無い?私なんかがあげれるものなんて、限られてくるけど...何か欲しいものがあったら言って!」
そう、貰ってばかりでは申し訳ない。このドレスだって彼が作ったものだし、何かお返しが必要よね。
「欲しいもの...か?」
「そうよ、何かない?」
エリックが言う言葉に少し興味があった。
欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れてきた彼が、こんなちっぽけな女から何を望むのかって。
何を言い出すかわからない恐さもあったけど、興味の方が強かった。
「##NAME1##...、私は...」
でも、何故かエリックの瞳は戸惑いに揺れていた。
何かを言おうとして途中でやめてしまう。
私と目を合わそうとしないし、無意識なのか左手がしきりに小さく動いていた。
「...##NAME1##、私は.........またこうして私の気まぐれに付き合ってくれることを、お前に望むよ」
何かを振り払うかのように、深いため息をついたエリック。
「ただ一つ、今叶うなら...お前を招待したい。私の...王国へ」
謎の多い彼が。
決して自身のテリトリーに他人を近づけさせなかった彼が。
強要されたわけでもなく、自ら放ったその言葉。
首を横に振る理由は、あるはず無い。
やっぱり私は......
彼に恋してる。