赤き幻影
主宮西の広間は、かつては王と高官が集う会議場だった。しかしここ数年、大半の決めごとは父の私室で行われており、王が出向くことがなくなったこの広間は手入れが行き届いておらず、長卓はうっすら埃をかぶっている始末だった。そんなうらぶれた部屋に集った協力者たちは十人にも満たなかったが、それで充分だった。下手に人を増やせば、かえって計画にほころびが生じる。
「再度、計画を申し伝えておく」
俺は早々に口を切った。
「すでにドルーアとの密約は整っている。同盟締結の条件は、俺が国の実権を握ること。そのために父を拘束し、弁務官ならびに宰相を宮廷から排除する。ドルーアとの同盟をもって、われらとマムクートの戦いは終結することとなるが、そなたらのなかにも同盟締結を心から歓迎できぬ者もいよう。たしかにこれは国をドルーアに売り渡す行為にひとしいのやもしれぬ。だが俺は父のようにいつ来るかもわからぬ援軍を待つことはできぬ。同盟こそ、わが国が生き残るための最良の手であると信じている。すでに聞きおよんでいる者もいようが、父は明後日、宰相とともにアカネイア王に援軍を乞うべくパレスに向かうつもりだ」
それを知らなかった者たちは目をおよがせた。
「先触れは昨夜のうちに王都を発ったようだが、あの者たちがパレスにたどり着くことはない。すでに追っ手は差し向けた。そして、父と宰相がパレスに向けて王都を発つこともない。決行の日は、九の月十二日の深夜――明日だ」
騎士たちの顔がこわばる。
「これは王への叛逆ではない。われらは、ドルーアとの同盟を決意した王を暗殺すべく送りこまれたアカネイアの刺客を討つだけのこと」
「陛下が、ドルーアと……?」
騎士の一人がつぶやいた。計画を知らぬ者もいたようだ。すかさずオーダインが言葉をつづける。
「そうだ。陛下は秘密裏にドルーアとの同盟を推し進めておられ、それゆえにアカネイアは王暗殺を企てたのだ。暗殺の首謀者はシモン・ネイヤール、そして宰相エラルド・メストの二名と発覚している」
「それは……シモンと宰相を叛逆者に仕立て上げると?」
「さよう。われらは正義を遂行するまでのことだ」
正義の遂行。その耳に心地よい言葉は、騎士たちの胸のつかえをわずかながら取りのぞいたようだった。
しかしシェンケルの言葉が場の空気を変えた。
「いっそ王を殺めてしまえばよろしいのでは?」
驚愕の声に、不敬をたしなめる声。一気に部屋が騒がしくなったが、シェンケルは頓着せずにつづけた。
「殿下、そこまでなさるのならば、王暗殺もアカネイアの刺客によるものとされればよい。城の奥に幽閉したとて、王を生かしておくかぎり、いずれ真実を知る者も出てきましょう。後顧の憂いを絶つべく、オズモンド陛下には宰相とともに死んでいただくべきかと」
押し黙ったままの俺に、シェンケルはさらにたたみかけてくる。
「病を得て光を失い、下肢も萎え、この有事に戦えもせぬ王など死んだも同然。いま、オズモンド陛下を真に頼りにしている者などおりませぬゆえ、あなたさまの企みを知ろうとも咎める者などおらぬはず」
「そこまでにせよ」
オーダインが低い声でさえぎった。
「ラディス・シェンケル、そなたもわかっていようが、ドルーアと手を組んだとて、ことがそれで終わるわけではない。アカネイアを滅ぼすべく、マケドニアは一丸とならねばならぬのだ。見てのとおり、われらの味方はごくわずか。宰相らに反発心を抱く者たちを取りこんでゆかねばならぬ。この国を二つに分かつようなこととなればドルーアの思うつぼ。いまはわずかなほころびも許してはならぬのだ。必要なのは、殿下が王となられること。そのために葬り去るべきは、宰相メスト公と弁務官シモンのみで足りる。すでに亡き者同然のオズモンド陛下にまであえて手を下し、殿下のお立場を悪くすることもない」
シェンケルは不満げであったが、他の者は安堵しているようだった。以前から反発していた宰相や弁務官を陥穽にはめることは望んでも、王を弑逆するとなると恐怖をおぼえるのだろう。そうなれば明日を待たずにこのなかから裏切り者が出るやもしれない。
だから、これでよい。
会合は早々に解散となった。長引かせれば不審に思う者も出てくる。われらが一堂に会する姿は見られぬほうがよい。
退室するさい、シェンケルに声をかけた。
「メスト公は油断がならぬ。くれぐれも用心せよ」
「心得てございます」
「おまえを頼りにしている」
シェンケルは味方と呼べるほどの者でもない。叩き上げの実力者ではあるが王家と縁故を持たぬゆえにグイドら同年代の貴族に鬱屈した想いを抱え、王や宰相に恨みつらみを向けるようになったのだ。
ここに集まった者たちも、個々の背景に多少の違いはあれどシェンケルと似たようなものだ。だがそんなことはどうでもよい。あやつらは俺が餌を与えてやれるかぎり裏切りはせぬだろう。不確かな忠義などというものより、利害でつながっていられるほうがよほど信頼できる。
(わたしはアリティアを信じているのです)
希望を語るまっすぐな目を、俺は直視できなかった。
父がすでにアリティアに助力を願い出たと知ったとき、このまま計画を進めることに迷いをおぼえなかったと言えば嘘になる。
(コーネリアス王は名将と名高き方。アカネイアの言いなりとはならず、きっとわれらの力となってくださるはず)
きっとおまえの願うとおりとなるだろう。マケドニア王みずから乞えば、アリティアは確実に動く。オレルアンもそれにつづくはずだ。アカネイアごときの助けを得られずとも、われらの希望は絶たれはしない。むしろこれはひとつの好機ともいえる。われら新興国が先陣を切りマムクートどもを一掃できたなら、聖王国の権威を貶めることもできる。諸国の台頭により、俺とおまえが渇望した間接支配からの脱却も叶うだろう。おなじ賭けに出るならば、正道を征くべきなのやもしれぬ。
だがミネルバ、俺の望みはおまえとは違う。胸に秘めた内なる願いは正道では叶えられはせぬ。父が俺を排除せんとするなら、俺は父を手にかけることさえも厭わぬ。腐った土台の上に絢爛たる城を築いてもいずれは崩れ去る。高みにのぼるために土台から打ち壊さねば。そしてすべてが崩れ去った瓦礫のうえにあらたなる秩序を築きあげるのだ。
だから選ぶべき道はひとつのみ――
その日はひどく疲れ、部屋に戻るなり寝台に倒れこんだ。しかし気が昂っているのか、どうにも寝つけなかった。明日のために早く眠らねばと思うほどに、焦慮に駆られるばかりだった。
どのぐらい時がたったのか、寝室の扉が開く気配があり、起きあがった。殿下、と手の者がそばに寄り、前線の様子を耳打ちした。告げられた内容に、全身が粟立つのを感じた。
先ほどベーサ砦を二匹の火竜が襲撃し、十を超える死傷者が出ているとのことだった。同盟が成るまで攻撃の手はゆるめるとは言ってはいなかった。しかしよもや深夜に奇襲を仕掛けるとは。
忌々しいマムクートどもめ。
「……引きつづき監視をつづけ、動きがあれば知らせよ」
扉が静かに閉まるや、掛布にこぶしを叩きつけた。
その後もなかなか眠りは訪れなかった。少しは眠れたようだが、朝日が昇るころに目覚めた。どうにも目が冴えてしまい、仕方なく露台に立った。光につつまれゆく王都をそぞろに眺めていると、竜騎士と天馬騎士の一群が北に向かって飛び立ってゆくのを見た。
ミネルバは前線に残してきた兵のことをひどく気にかけていた。一刻も早く戻らんと、ろくに休息もとらずに戦場へ戻ることを選んだ。幼い王女一人が留まったところでなにをなせるものでもないというのに、当人は前線に身をおくことを望み、兵士らもそれを望んでいる。
見送りに行ってやってもよかった。ガーネフはああ言ったものの、戦場では不測の事態も起こる。もしかしたらこれが最後の別れとなるかもしれない。だが、後ろ暗さから見送りには行けなかった。ミネルバは昼前にベーサに着くのだろうが、砦の惨状に嘆くさまが容易に想像できる。なにも知らぬ妹を憐れに思った。
きっと父は見送りに出向いたことだろう。見えぬ目に涙をうかべて抱擁する姿が目にうかぶ。そんな父のねぎらいに満面の笑顔でこたえる妹の姿も。
父は卑怯だ。
傷をおして戦場に身を投じてゆく娘さえ、あの人にとっては都合のよい駒なのだ。いかに竜騎士といえど十四の王女を前線にやるなど愚行の極み。すなわちそれがわが国の異常な状況を諸国に知らしめることにつながる。
あいつも父の心などすべてわかったうえで受けいれている。だからお手軽な情愛をむけられるだけで、父のために命を捧げんとする。
すべては、愛ゆえに。
あいつがみずから志願してドルーア前線に身をおいたのは父のためだ。このひと月というもの、戦えぬ父の代わりを果たさんと命を張ってきた。一度死ぬ目に遭っても引こうとしなかったのだから、いまさら俺が引き止めようと決意を変えるはずもない。グイドの死もあいつのかたくなさに拍車をかけている。
だから、ここで終わらせる。
おまえが戻ってくるときにはすべてが一変している。そのときおまえはどうするのだろうな? どんなに嘘で塗り固めようと、俺にはおまえを騙しきる自信はない。
真実を知ったとき、おまえは俺を恨むのだろう。憎悪し、なじるのだろう。
父を王座から引きずりおろし、物の道理もわからぬ幼子を――おまえの大事なマリアを捨て駒とする俺を。
ああ。
大きく息をつき、顔を両手でおおう。
いっそ、あいつが戻ってこなければよいとさえ思う。
その日は九の月とは思えぬ寒い日だった。朝日は射したが空は厚い雲が立ちこめており、正午には雨が降り出した。
風が吹き荒れる昼下がり、オーダインとシェンケルがやってきて、計画の最終調整を行った。
現在、五部隊で編成されている竜騎士団のうち、第一、第三、第四部隊が前線に派遣されており、第五部隊が王都北のスミルス要塞に駐屯し、国境周辺の村々の警護に当たっている。北部国境の民の避難などもはや不要とわかっているが、王都から竜騎士団を遠ざけるべく無駄な役目を与えた。
王都に逗留しているのは、シェンケル率いる第二部隊のみ。父と宰相がパレスに向かう護衛部隊として、シェンケル麾下の竜騎士団が留め置かれたのだ。宰相は邪魔なシェンケルたちを王城から引き離さんとし、あえて第二部隊を選んだのだろうが、これはわれらにとって好都合だった。王の近衛を始末し、シモンらアカネイアの官吏を拘束する手勢として充分すぎる戦力だ。
カウチに身を沈め、窓の外を見た。
晩夏の陽が沈みかけている。決行の刻限が迫っている。
計画に加担する者たちは互いに監視し合っており、裏切り者は容赦なく屠れと厳命してある。遂行前に露見する可能性はかぎりなく低い。
あと数刻だ。もうじき長い一日がはじまり、なにごともなければ朝にはすべてが終わっているはずだ。そうだ、すべてが――
にわかに眠気に襲われ、目を閉じた。体が重い。昨夜は一睡もできなかったのだから無理もない。
それからしばし眠りに落ちていたようだった。夢さえ見ない深い眠りだった。
目覚めたとき、部屋が妙に明るいことに気づいた。目の前の卓には一基の燭台がおかれていた。体を起こそうとすると、蝋燭の炎が激しくゆれ、ひときわ大きく燃えあがった。驚いて身を引いたとき、禍々しい黒い影が視界をおおった。
断りもなく部屋に入りこんだガーネフは、不躾に口をひらいた。
「憐れな王子よ」
「この俺が、憐れだと……?」
「廃太子」
目を見ひらくと、ガーネフはくっと喉を鳴らした。
「この期におよんでそなたを排除しようとするとはな。あのような愚かな男を父にもつそなたが不憫でならぬ」
言いかえす気にもならず、顔をそむけた。
「まあよいではないか、たとえ父に気に入られんと従順でいたところで、その行く末は父の二の舞ぞ。聖王国の役人に這いつくばって情けを乞う。そのような未来は望んではおらなんだのだろう? ならばこれでよかったではないか」
「……知ったふうな口を。貴様ごときになにがわかる」
「そなたこそ、よくわかっておらぬではないか。おのが望みを。そして、その望みを叶えるすべを」
「なにを……」
「なぜ苦しみが生まれるかわかるか」
黒いまなこが金色に光る。
「迷いゆえだ。そなた、いまだ決めかねておるのだろう?」
息をのむと、嘲笑が降りかかる。
「その甘さ、いずれ命取りとなろう」
俺が真に望むこと。
その望みを叶えるすべ。それは――
「そなたの望みを阻むものがなにか、わかっていよう? それを排除するのだ。迷いを断ち切り、欲望を解き放てば楽になれる。そなたなればたやすいことではないか。さすれば望みにも手がとどこう」
「たやすいだと? ばかを申せ」
「たやすいことなのだよ、王子」
ガーネフの長い爪が迫り、首に触れた。かすかな痛みが走る。
「わしに苦しみはない。迷いがないゆえな。不惑こそ、高みに上るためにもっとも肝要となる。ミシェイルよ、いまこそおのが望みを阻むしがらみを断ち切れ。わしが手を貸してやろう――」
突如、目を焼くほどの閃光があたりにみちた。
ようやく光が消え、目をひらいたとき、俺は月明りの射しこむ薄暗い部屋に立っていた。
ここはどこだ。自室ではない。だが見覚えがある。そうだ、父の書斎だ。
ふらりと暖炉わきの石壁にまで歩を進め、タペストリーの端をつまむ。そこにはいつもは隠されているが、こぶし大の穴が設けられている。いつだれが作ったのか定かではないが、王の私室を隣室からうかがうためののぞき穴だ。
幼いころ、この書斎に忍びこんではタペストリーの奥をのぞき、シモンらアカネイアの役人が父に屈辱を加えるさまを目に焼きつけていた。
ある嵐の夜、いつものように書斎にいたところ、眠っていたはずのミネルバに見つかった。幼い妹は俺の真似をして穴をのぞき、シモンの靴に口づける父の姿を見てしまった。思えば妹の父への盲目的な愛はあの嵐の夜に起因するのだろう。憐れな父の姿に耐えきれず、恐怖に駆られるあまり、自分が父を扶けねばと思いこむようになった。
あの一件からほどなくして、こののぞき穴を使うことはやめ、妹にも近づけさせなかった。俺の行動は父やシモンに勘づかれていると気づいたからだ。
十年ぶりに見るのぞき穴は、思ったよりもずいぶん低い位置にあった。幼いころはちょうど目の高さにあったが、いまではみぞおちのあたりにある。
腰をかがめて穴をのぞくと、円卓を囲んで座る父と宰相、そして二人の側近――テレンス・ヴェーリとバルトロ・プラージの姿があった。王の私室に集う、いつもの者たちだ。
病を得てのち、父は人を寄せつけなくなった。目が見えぬうえに、自由の利かぬ衰えた体を臣下にさらすのを厭ったのだろう。俺もその遠ざけられた臣下のうちの一人で、重臣らの集う会合から外されることもしばしばだった。こうして聞き耳でも立てなければ知りえぬことも多い。
「――ところで陛下」
宰相メスト公が神妙な顔で父に問うた。
「くだんの噂にございますが」
「噂?」
「お隠し立ては無用にございます。主だった貴族の耳にはすでに届いておりますゆえ。驚きの声も聞かれますが、おおむね陛下のご決断に理解を示しております」
胸がふるえた。固唾をのんで父の出方を見守ったが、父はなにもこたえず、ただ眉根をよせていた。
テレンス・ヴェーリが焦れたように口早に言った。
「先だっても申しあげましたが、王太子殿下のおふるまい、ことに陛下への無礼の数々、見過ごせるものではありませぬ。宮廷を混乱させるのみならず、あれでは聖王国との協調も望めず、この有事において国に不利益をもたらすのみ」
「……その話はもうよい」
「しかし陛下!」
「もうよいと言っている」
食い下がるヴェーリに、父はさも大儀そうにさえぎった。
「あれにはこれ以上口は挟ませはせぬ。それでよかろう」
父の答えに、メスト公が満足げにうなづいた。
タペストリーを持つ手がふるえた。こぶしを握りしめ、ふるえを抑えようとした。喉元が灼けるようだ。噛みしめた歯のすきまから熱い吐息がもれる。
壁から離れようとしたとき、雷鳴が響いた。同時に、あたりに光がみちた。目をひらくと、そこは先ほどまでいたおのれの部屋で、すでにガーネフの姿はなかった。あれはやつの使う魔術のたぐいか。粋な真似をしてくれる。
痛みの残る手のひらをひらいてみると、食いこんだ爪の痕がはっきりと残っていた。
あれは夢でも幻でもない。俺はたしかにあの場所にいて、父と宰相たちの会話を盗み聞いてしまったのだ。
体の力が抜け、カウチに寄りかかった。そのまましばらく体を起こすことができなかった。
なにを気落ちする必要がある。この段になって、なにに迷っているというのか。やつらは俺を廃嫡し、抹殺しようとしているのだ。そしてミネルバを王太子とし、宰相の息子をあてがい、権勢をほしいままにせんともくろんでいる。さすれば国はひとつにまとまるだろう。だが、たとえドルーアを滅ぼすことができたとしても、まやかしの平和がふたたび戻るにすぎない。アカネイアを滅ぼさぬかぎり、宗主国にへつらい、搾取される歴史がこれから先もつづくのだ。
だからこそ、おのが手で変革を起こさねば。
決意を阻むしがらみは、幼いころからずっと自分に言い聞かせてきた言葉。
この身はもっぱら父のため、国のために捧げると誓う。そのためにはいかな屈辱をも呑みこもう。
ばかばかしい。そんなもの、偽りの願いだ。
すべてはおのれのために。思い描く理想のために――!
雷光が走った。遠雷が鳴り響くなか、無造作に壁に立てかけていた剣を手にとった。ふらりと部屋を出る。
まだ決行の刻限ではない。いったいなにをしている。独りで動くべきではない。
そう押しとどめる声が身のうちから響いた。だが、父のもとへと向かう足は歩みを止めなかった。
先ほど部屋にいたのは父をふくめ四人。だが父は盲い、宰相は手練れといえど老人、あとの二人は権力闘争の果てに剣の扱いを忘れた者たち。いかようにでもなる。俺が神に見放されていなければ。
は、と笑いがもれた。
神などと、虫唾が走る。
剣を鞘から抜き去ると、父の私室の扉をいきおいよく開けた。父をのぞく三人の目がいっせいに俺に向いた。俺が手にする抜き身の剣をまっさきに見とがめたのはテレンス・ヴェーリだった。
「王太子、乱心されたか!」
うろたえたヴェーリが椅子を倒して立ちあがった。プラージは父をかばうように立ちはだかった。
四人の姿に、順に目をはせていく。身に着けているものは先ほど見たものとまったくおなじ。やはりあれは夢幻ではない。
円卓へとゆっくり歩を進める。
「狂っているのは貴様らのほうだろう。この有事にくだらぬ密談に花を咲かせて、宮廷に混乱をきたす源がどこにあるかもわからぬと見える」
「くだらぬなどと……なにを言われる! われらがどれほど苦心し諸国に援軍を取り付けておるかも知らずに――」
ヴェーリの言葉をさえぎったのは宰相メスト公だった。鷹揚に立ちあがり、じっと俺を見すえる。
「まことに残念なこと。やはりあなたにマケドニア王たる資格はない。憎しみから血気にはやり、進むべき道をあやまり、国を破滅に導く者であられたようだ」
「どうとでも言うがいい。俺は父とは違う」
「……ならば、やむをえませんな」
メスト公が腰の剣を抜き、切っ先を俺に向けた。
おもしろい。エラルド・メストよ。貴様なれば相手に不足はない。俺は笑いながら斬りこんでいった。宰相は俺の一打を易々と受けとめた。片手で押しかえし、すばやく斬りこんでくる。
切っ先が左腕をかすめた。上衣が裂け、血がにじむ。
その狂いのない太刀筋。重い剣戟。やはりこの男が一番厄介だ。
メスト公からは六つの時から十年にわたって剣と槍の手ほどきを受けてきた。幼少のころ、いつかはこの男を超えねばならぬと研鑽を積んだ。長じてのちは、純粋な憧れであったものに侮蔑がまじるようになった。
おまえはほんとうに父の味方なのか、と。
おまえもまたシモンとおなじく国を蝕む存在なのではないか、と――
渾身の力をこめて剣を押しかえす。
メスト公の剣がいきなり鈍りはじめた。息が上がっている。王の懐刀と呼ばれた男も時の流れには逆らえぬということか。耄碌したものだ。幼き日の誓いが、このような形で結実するなどと――
逆巻く激情にまかせ、メスト公の喉元を切り裂いた。よろめき、のけぞった男の胸にめがけ、さらなる一打を叩きこんだ。メスト公は口から血をあふれさせて膝をつき、そのまま倒れ伏した。剣は手に握られたままだった。
金の装飾がほどこされた片手剣。その柄には、メスト家の家紋が刻印されている。
ああ、名案がうかんだ。
この剣で名誉を汚してやればいい。
宰相の手から長剣をもぎとり、側近たちに向きなおった。
二人は倒れ伏す宰相を見てやっと、自分たちの置かれている状況を理解できたようだった。よもや俺が本気ではないと思っていたのか。ようやく腰の飾りと化した剣を抜いたが、おぼつかぬ手つきだった。
バルトロ・プラージ。おまえもかつて竜騎士だったというのに、一線を退いて十年でこれほどまでに衰えるとは。
二十歳で竜騎士団の第一部隊長となった息子とは違う。戦場で果敢に戦い、散ったグイドとはなにもかも。メスト公とも比べるべくもない。もはやこいつはただの佞臣にすぎぬ。
宰相と同様にプラージの喉を切り裂いた。食いしばった歯の奥からうめき声がもれた。吐いた血が泡立ち、床に広がる。
もはや立ちあがれまい。
プラージを一瞥したのち、ヴェーリを見やった。
盟友の死に恐慌をきたしてか、ヴェーリは壁際まで後じさった。ヴェーリは少年のころに騎士となっているが、家の力に物を言わせた叙勲であったと言われている。そんなヴェーリの剣技は、斬り伏せるのがばからしくなるほど稚拙で、幼少のころの妹にも劣るほどだ。
名ばかりであろうと騎士の意地を見せてみるがいい。一歩引いて剣を下ろす。隙を作ってやると、ヴェーリはすばやく斬りこんできた。渾身の一撃でこの程度か。遊びもこれまでだ。
がら空きの胴を斬りつけると、痛みと恐怖に顔を引きつらせ、ヴェーリは剣を手放した。まったく、こんなところまでメスト公とは違うのだな。喉を切り裂き、きびすをかえした。
これで残るはあと一人。
心臓が早鐘を打っている。呼吸が乱れる。
人を斬ったのはこれが初めてではない。賊討伐には十をすぎたころから加わっている。とはいえ幼いころからよく見知った者たちを手にかけることに抵抗がないわけではなかった。
荒い息を押し殺して父ににじりよる。
父は杖を支えに、木偶のごとく佇立している。盲いであれど、宰相らの身に起こったことなど察しているだろうに顔色ひとつ変えはしない。
思えばこの人はいつもそうだった。いかな屈辱を加えられようとも怒りも見せず、ただ耐えることだけを美徳としていた。
「あなたはよく言っておられたな。おのれの代では叶わぬがゆえ、次代に……俺とミネルバに国を託すと」
父に一歩近づく。
「あなたにそう言われるたびに、俺は不可解に思っていた。あなたは王だというのに、偉大なる祖先の血を濃く継ぐ者だというのに、おのが手で成し遂げたいとは思われぬのかと」
長剣を父の喉元に突きつけた。引っかくように切っ先をすべらせると、たやすく皮膚は裂け、血が首筋をほそく流れた。痛みは感じているだろうにまるで表情は変わらない。
剣先を、そのまま胸のあたりにおろす。
「その不具の身では、なにかを望むこともおできにならぬのだろう? 望みとはすなわち、おのが目的を成し遂げんとする意思だ。この不遇な国の行く末から目をそらし、栄光ある未来を望むことすらやめたときすでに、あなたは王たる資格を失っていたのだ――」
父の手が、刃をつかんだ。
突然のことに驚き、思わず怯んだ。
父は刃を握りしめたまま、微動だにしない。剣を押しかえすでもなく、奪いとるでもなかった。鮮血が白銀の刃をつたい、俺の手にまでしたたり落ちてくる。
「シモンがパレスに派遣した使節、手にかけたのはおまえであろう?」
父をにらみつける。
いつから気づいていたのだ?
「そして、おのが野望のためにわれを殺す、か。それがおまえの出した答えなのだな」
まぶたは閉じられているというのに強い視線を感じた。父は凶刃から逃れようともせず、恐れさえも感じていないようだった。
そのことが俺に恐れを抱かせた。
ばかな。なにを恐れることがある。相手は臆病な盲いではないか。
無言の攻防はしばしつづいた。やがて手から力が抜け、知らずのうちに柄から指が離れた。同時に父も刃から手を放した。
がつ、と音を立てて宰相の剣は床に落ちた。
「過ぎた望みはおのれの身を滅ぼす」
父を仰ぎ見る。
「おのが身の卑小さもわきまえぬ愚か者めが」
愚か?
この俺が愚かだと?
身体がわななく。
「……愚かなのは、あなたのほうだ」
ためらいなく短剣を抜いた。いつも懐に忍ばせている護身用の短剣。その柄にすばやく指をかけ、父の背に腕をまわす。筋肉の削げ落ちた痩躯を押さえこみ、噴出する怒りのままに刃を胸へと突き立てた。
腕のなかで、父の身体がびくりとふるえた。
高い音を立てて、杖が床を転がっていった。
おのれの鼓動が、一瞬とまった気がした。
固唾をのみ、ゆっくりと息を吐きだす。二度、三度と深い呼吸をくりかえすごとに、ついいましがた沸きあがった怒りが急速に冷えてゆくのを感じた。
静寂が部屋をみたすなか、短剣をにぎる手がふるえはじめる。必死に抑えようとしても、ますますふるえは激しくなるばかりだった。
ふいに笑いそうになったとき、父の手が俺の腕をつかんだ。思いもかけぬほど強い力だった。
父は背をのばし、頭をもたげようとしていた。なにも映せぬ目が向けられた刹那、父の体が倒れかかってきた。
くずおれる父を支えきれず、ともに床へと倒れこんだ。馬乗りになる形で父を押さえつけていると、父の手がこちらにのばされた。さまよう指が、ひたりと頬をつつむようにふれた。そのぬくもりを感じるいとまもなく、指が頬の上をさっとすべり落ちていった。
それを最後に、父は動かなくなった。
雷光が走った。轟音が響きわたった。
俺は身体を起こし、根元まで父の胸に埋まった短剣を引き抜いた。血濡れの刃を、じっと見つめる。
なんとあっけない。
こんな女子供が持つような短剣に貫かれ、息絶えたというのか。これが父の、第四代マケドニア王の最期だと?
鮮血が切っ先に溜まり、大きな粒となってしたたり落ちていった。その鮮やかな赤は、かつて母の耳元でゆれていた紅玉のひとかけらを思わせた。
「再度、計画を申し伝えておく」
俺は早々に口を切った。
「すでにドルーアとの密約は整っている。同盟締結の条件は、俺が国の実権を握ること。そのために父を拘束し、弁務官ならびに宰相を宮廷から排除する。ドルーアとの同盟をもって、われらとマムクートの戦いは終結することとなるが、そなたらのなかにも同盟締結を心から歓迎できぬ者もいよう。たしかにこれは国をドルーアに売り渡す行為にひとしいのやもしれぬ。だが俺は父のようにいつ来るかもわからぬ援軍を待つことはできぬ。同盟こそ、わが国が生き残るための最良の手であると信じている。すでに聞きおよんでいる者もいようが、父は明後日、宰相とともにアカネイア王に援軍を乞うべくパレスに向かうつもりだ」
それを知らなかった者たちは目をおよがせた。
「先触れは昨夜のうちに王都を発ったようだが、あの者たちがパレスにたどり着くことはない。すでに追っ手は差し向けた。そして、父と宰相がパレスに向けて王都を発つこともない。決行の日は、九の月十二日の深夜――明日だ」
騎士たちの顔がこわばる。
「これは王への叛逆ではない。われらは、ドルーアとの同盟を決意した王を暗殺すべく送りこまれたアカネイアの刺客を討つだけのこと」
「陛下が、ドルーアと……?」
騎士の一人がつぶやいた。計画を知らぬ者もいたようだ。すかさずオーダインが言葉をつづける。
「そうだ。陛下は秘密裏にドルーアとの同盟を推し進めておられ、それゆえにアカネイアは王暗殺を企てたのだ。暗殺の首謀者はシモン・ネイヤール、そして宰相エラルド・メストの二名と発覚している」
「それは……シモンと宰相を叛逆者に仕立て上げると?」
「さよう。われらは正義を遂行するまでのことだ」
正義の遂行。その耳に心地よい言葉は、騎士たちの胸のつかえをわずかながら取りのぞいたようだった。
しかしシェンケルの言葉が場の空気を変えた。
「いっそ王を殺めてしまえばよろしいのでは?」
驚愕の声に、不敬をたしなめる声。一気に部屋が騒がしくなったが、シェンケルは頓着せずにつづけた。
「殿下、そこまでなさるのならば、王暗殺もアカネイアの刺客によるものとされればよい。城の奥に幽閉したとて、王を生かしておくかぎり、いずれ真実を知る者も出てきましょう。後顧の憂いを絶つべく、オズモンド陛下には宰相とともに死んでいただくべきかと」
押し黙ったままの俺に、シェンケルはさらにたたみかけてくる。
「病を得て光を失い、下肢も萎え、この有事に戦えもせぬ王など死んだも同然。いま、オズモンド陛下を真に頼りにしている者などおりませぬゆえ、あなたさまの企みを知ろうとも咎める者などおらぬはず」
「そこまでにせよ」
オーダインが低い声でさえぎった。
「ラディス・シェンケル、そなたもわかっていようが、ドルーアと手を組んだとて、ことがそれで終わるわけではない。アカネイアを滅ぼすべく、マケドニアは一丸とならねばならぬのだ。見てのとおり、われらの味方はごくわずか。宰相らに反発心を抱く者たちを取りこんでゆかねばならぬ。この国を二つに分かつようなこととなればドルーアの思うつぼ。いまはわずかなほころびも許してはならぬのだ。必要なのは、殿下が王となられること。そのために葬り去るべきは、宰相メスト公と弁務官シモンのみで足りる。すでに亡き者同然のオズモンド陛下にまであえて手を下し、殿下のお立場を悪くすることもない」
シェンケルは不満げであったが、他の者は安堵しているようだった。以前から反発していた宰相や弁務官を陥穽にはめることは望んでも、王を弑逆するとなると恐怖をおぼえるのだろう。そうなれば明日を待たずにこのなかから裏切り者が出るやもしれない。
だから、これでよい。
会合は早々に解散となった。長引かせれば不審に思う者も出てくる。われらが一堂に会する姿は見られぬほうがよい。
退室するさい、シェンケルに声をかけた。
「メスト公は油断がならぬ。くれぐれも用心せよ」
「心得てございます」
「おまえを頼りにしている」
シェンケルは味方と呼べるほどの者でもない。叩き上げの実力者ではあるが王家と縁故を持たぬゆえにグイドら同年代の貴族に鬱屈した想いを抱え、王や宰相に恨みつらみを向けるようになったのだ。
ここに集まった者たちも、個々の背景に多少の違いはあれどシェンケルと似たようなものだ。だがそんなことはどうでもよい。あやつらは俺が餌を与えてやれるかぎり裏切りはせぬだろう。不確かな忠義などというものより、利害でつながっていられるほうがよほど信頼できる。
(わたしはアリティアを信じているのです)
希望を語るまっすぐな目を、俺は直視できなかった。
父がすでにアリティアに助力を願い出たと知ったとき、このまま計画を進めることに迷いをおぼえなかったと言えば嘘になる。
(コーネリアス王は名将と名高き方。アカネイアの言いなりとはならず、きっとわれらの力となってくださるはず)
きっとおまえの願うとおりとなるだろう。マケドニア王みずから乞えば、アリティアは確実に動く。オレルアンもそれにつづくはずだ。アカネイアごときの助けを得られずとも、われらの希望は絶たれはしない。むしろこれはひとつの好機ともいえる。われら新興国が先陣を切りマムクートどもを一掃できたなら、聖王国の権威を貶めることもできる。諸国の台頭により、俺とおまえが渇望した間接支配からの脱却も叶うだろう。おなじ賭けに出るならば、正道を征くべきなのやもしれぬ。
だがミネルバ、俺の望みはおまえとは違う。胸に秘めた内なる願いは正道では叶えられはせぬ。父が俺を排除せんとするなら、俺は父を手にかけることさえも厭わぬ。腐った土台の上に絢爛たる城を築いてもいずれは崩れ去る。高みにのぼるために土台から打ち壊さねば。そしてすべてが崩れ去った瓦礫のうえにあらたなる秩序を築きあげるのだ。
だから選ぶべき道はひとつのみ――
その日はひどく疲れ、部屋に戻るなり寝台に倒れこんだ。しかし気が昂っているのか、どうにも寝つけなかった。明日のために早く眠らねばと思うほどに、焦慮に駆られるばかりだった。
どのぐらい時がたったのか、寝室の扉が開く気配があり、起きあがった。殿下、と手の者がそばに寄り、前線の様子を耳打ちした。告げられた内容に、全身が粟立つのを感じた。
先ほどベーサ砦を二匹の火竜が襲撃し、十を超える死傷者が出ているとのことだった。同盟が成るまで攻撃の手はゆるめるとは言ってはいなかった。しかしよもや深夜に奇襲を仕掛けるとは。
忌々しいマムクートどもめ。
「……引きつづき監視をつづけ、動きがあれば知らせよ」
扉が静かに閉まるや、掛布にこぶしを叩きつけた。
その後もなかなか眠りは訪れなかった。少しは眠れたようだが、朝日が昇るころに目覚めた。どうにも目が冴えてしまい、仕方なく露台に立った。光につつまれゆく王都をそぞろに眺めていると、竜騎士と天馬騎士の一群が北に向かって飛び立ってゆくのを見た。
ミネルバは前線に残してきた兵のことをひどく気にかけていた。一刻も早く戻らんと、ろくに休息もとらずに戦場へ戻ることを選んだ。幼い王女一人が留まったところでなにをなせるものでもないというのに、当人は前線に身をおくことを望み、兵士らもそれを望んでいる。
見送りに行ってやってもよかった。ガーネフはああ言ったものの、戦場では不測の事態も起こる。もしかしたらこれが最後の別れとなるかもしれない。だが、後ろ暗さから見送りには行けなかった。ミネルバは昼前にベーサに着くのだろうが、砦の惨状に嘆くさまが容易に想像できる。なにも知らぬ妹を憐れに思った。
きっと父は見送りに出向いたことだろう。見えぬ目に涙をうかべて抱擁する姿が目にうかぶ。そんな父のねぎらいに満面の笑顔でこたえる妹の姿も。
父は卑怯だ。
傷をおして戦場に身を投じてゆく娘さえ、あの人にとっては都合のよい駒なのだ。いかに竜騎士といえど十四の王女を前線にやるなど愚行の極み。すなわちそれがわが国の異常な状況を諸国に知らしめることにつながる。
あいつも父の心などすべてわかったうえで受けいれている。だからお手軽な情愛をむけられるだけで、父のために命を捧げんとする。
すべては、愛ゆえに。
あいつがみずから志願してドルーア前線に身をおいたのは父のためだ。このひと月というもの、戦えぬ父の代わりを果たさんと命を張ってきた。一度死ぬ目に遭っても引こうとしなかったのだから、いまさら俺が引き止めようと決意を変えるはずもない。グイドの死もあいつのかたくなさに拍車をかけている。
だから、ここで終わらせる。
おまえが戻ってくるときにはすべてが一変している。そのときおまえはどうするのだろうな? どんなに嘘で塗り固めようと、俺にはおまえを騙しきる自信はない。
真実を知ったとき、おまえは俺を恨むのだろう。憎悪し、なじるのだろう。
父を王座から引きずりおろし、物の道理もわからぬ幼子を――おまえの大事なマリアを捨て駒とする俺を。
ああ。
大きく息をつき、顔を両手でおおう。
いっそ、あいつが戻ってこなければよいとさえ思う。
その日は九の月とは思えぬ寒い日だった。朝日は射したが空は厚い雲が立ちこめており、正午には雨が降り出した。
風が吹き荒れる昼下がり、オーダインとシェンケルがやってきて、計画の最終調整を行った。
現在、五部隊で編成されている竜騎士団のうち、第一、第三、第四部隊が前線に派遣されており、第五部隊が王都北のスミルス要塞に駐屯し、国境周辺の村々の警護に当たっている。北部国境の民の避難などもはや不要とわかっているが、王都から竜騎士団を遠ざけるべく無駄な役目を与えた。
王都に逗留しているのは、シェンケル率いる第二部隊のみ。父と宰相がパレスに向かう護衛部隊として、シェンケル麾下の竜騎士団が留め置かれたのだ。宰相は邪魔なシェンケルたちを王城から引き離さんとし、あえて第二部隊を選んだのだろうが、これはわれらにとって好都合だった。王の近衛を始末し、シモンらアカネイアの官吏を拘束する手勢として充分すぎる戦力だ。
カウチに身を沈め、窓の外を見た。
晩夏の陽が沈みかけている。決行の刻限が迫っている。
計画に加担する者たちは互いに監視し合っており、裏切り者は容赦なく屠れと厳命してある。遂行前に露見する可能性はかぎりなく低い。
あと数刻だ。もうじき長い一日がはじまり、なにごともなければ朝にはすべてが終わっているはずだ。そうだ、すべてが――
にわかに眠気に襲われ、目を閉じた。体が重い。昨夜は一睡もできなかったのだから無理もない。
それからしばし眠りに落ちていたようだった。夢さえ見ない深い眠りだった。
目覚めたとき、部屋が妙に明るいことに気づいた。目の前の卓には一基の燭台がおかれていた。体を起こそうとすると、蝋燭の炎が激しくゆれ、ひときわ大きく燃えあがった。驚いて身を引いたとき、禍々しい黒い影が視界をおおった。
断りもなく部屋に入りこんだガーネフは、不躾に口をひらいた。
「憐れな王子よ」
「この俺が、憐れだと……?」
「廃太子」
目を見ひらくと、ガーネフはくっと喉を鳴らした。
「この期におよんでそなたを排除しようとするとはな。あのような愚かな男を父にもつそなたが不憫でならぬ」
言いかえす気にもならず、顔をそむけた。
「まあよいではないか、たとえ父に気に入られんと従順でいたところで、その行く末は父の二の舞ぞ。聖王国の役人に這いつくばって情けを乞う。そのような未来は望んではおらなんだのだろう? ならばこれでよかったではないか」
「……知ったふうな口を。貴様ごときになにがわかる」
「そなたこそ、よくわかっておらぬではないか。おのが望みを。そして、その望みを叶えるすべを」
「なにを……」
「なぜ苦しみが生まれるかわかるか」
黒いまなこが金色に光る。
「迷いゆえだ。そなた、いまだ決めかねておるのだろう?」
息をのむと、嘲笑が降りかかる。
「その甘さ、いずれ命取りとなろう」
俺が真に望むこと。
その望みを叶えるすべ。それは――
「そなたの望みを阻むものがなにか、わかっていよう? それを排除するのだ。迷いを断ち切り、欲望を解き放てば楽になれる。そなたなればたやすいことではないか。さすれば望みにも手がとどこう」
「たやすいだと? ばかを申せ」
「たやすいことなのだよ、王子」
ガーネフの長い爪が迫り、首に触れた。かすかな痛みが走る。
「わしに苦しみはない。迷いがないゆえな。不惑こそ、高みに上るためにもっとも肝要となる。ミシェイルよ、いまこそおのが望みを阻むしがらみを断ち切れ。わしが手を貸してやろう――」
突如、目を焼くほどの閃光があたりにみちた。
ようやく光が消え、目をひらいたとき、俺は月明りの射しこむ薄暗い部屋に立っていた。
ここはどこだ。自室ではない。だが見覚えがある。そうだ、父の書斎だ。
ふらりと暖炉わきの石壁にまで歩を進め、タペストリーの端をつまむ。そこにはいつもは隠されているが、こぶし大の穴が設けられている。いつだれが作ったのか定かではないが、王の私室を隣室からうかがうためののぞき穴だ。
幼いころ、この書斎に忍びこんではタペストリーの奥をのぞき、シモンらアカネイアの役人が父に屈辱を加えるさまを目に焼きつけていた。
ある嵐の夜、いつものように書斎にいたところ、眠っていたはずのミネルバに見つかった。幼い妹は俺の真似をして穴をのぞき、シモンの靴に口づける父の姿を見てしまった。思えば妹の父への盲目的な愛はあの嵐の夜に起因するのだろう。憐れな父の姿に耐えきれず、恐怖に駆られるあまり、自分が父を扶けねばと思いこむようになった。
あの一件からほどなくして、こののぞき穴を使うことはやめ、妹にも近づけさせなかった。俺の行動は父やシモンに勘づかれていると気づいたからだ。
十年ぶりに見るのぞき穴は、思ったよりもずいぶん低い位置にあった。幼いころはちょうど目の高さにあったが、いまではみぞおちのあたりにある。
腰をかがめて穴をのぞくと、円卓を囲んで座る父と宰相、そして二人の側近――テレンス・ヴェーリとバルトロ・プラージの姿があった。王の私室に集う、いつもの者たちだ。
病を得てのち、父は人を寄せつけなくなった。目が見えぬうえに、自由の利かぬ衰えた体を臣下にさらすのを厭ったのだろう。俺もその遠ざけられた臣下のうちの一人で、重臣らの集う会合から外されることもしばしばだった。こうして聞き耳でも立てなければ知りえぬことも多い。
「――ところで陛下」
宰相メスト公が神妙な顔で父に問うた。
「くだんの噂にございますが」
「噂?」
「お隠し立ては無用にございます。主だった貴族の耳にはすでに届いておりますゆえ。驚きの声も聞かれますが、おおむね陛下のご決断に理解を示しております」
胸がふるえた。固唾をのんで父の出方を見守ったが、父はなにもこたえず、ただ眉根をよせていた。
テレンス・ヴェーリが焦れたように口早に言った。
「先だっても申しあげましたが、王太子殿下のおふるまい、ことに陛下への無礼の数々、見過ごせるものではありませぬ。宮廷を混乱させるのみならず、あれでは聖王国との協調も望めず、この有事において国に不利益をもたらすのみ」
「……その話はもうよい」
「しかし陛下!」
「もうよいと言っている」
食い下がるヴェーリに、父はさも大儀そうにさえぎった。
「あれにはこれ以上口は挟ませはせぬ。それでよかろう」
父の答えに、メスト公が満足げにうなづいた。
タペストリーを持つ手がふるえた。こぶしを握りしめ、ふるえを抑えようとした。喉元が灼けるようだ。噛みしめた歯のすきまから熱い吐息がもれる。
壁から離れようとしたとき、雷鳴が響いた。同時に、あたりに光がみちた。目をひらくと、そこは先ほどまでいたおのれの部屋で、すでにガーネフの姿はなかった。あれはやつの使う魔術のたぐいか。粋な真似をしてくれる。
痛みの残る手のひらをひらいてみると、食いこんだ爪の痕がはっきりと残っていた。
あれは夢でも幻でもない。俺はたしかにあの場所にいて、父と宰相たちの会話を盗み聞いてしまったのだ。
体の力が抜け、カウチに寄りかかった。そのまましばらく体を起こすことができなかった。
なにを気落ちする必要がある。この段になって、なにに迷っているというのか。やつらは俺を廃嫡し、抹殺しようとしているのだ。そしてミネルバを王太子とし、宰相の息子をあてがい、権勢をほしいままにせんともくろんでいる。さすれば国はひとつにまとまるだろう。だが、たとえドルーアを滅ぼすことができたとしても、まやかしの平和がふたたび戻るにすぎない。アカネイアを滅ぼさぬかぎり、宗主国にへつらい、搾取される歴史がこれから先もつづくのだ。
だからこそ、おのが手で変革を起こさねば。
決意を阻むしがらみは、幼いころからずっと自分に言い聞かせてきた言葉。
この身はもっぱら父のため、国のために捧げると誓う。そのためにはいかな屈辱をも呑みこもう。
ばかばかしい。そんなもの、偽りの願いだ。
すべてはおのれのために。思い描く理想のために――!
雷光が走った。遠雷が鳴り響くなか、無造作に壁に立てかけていた剣を手にとった。ふらりと部屋を出る。
まだ決行の刻限ではない。いったいなにをしている。独りで動くべきではない。
そう押しとどめる声が身のうちから響いた。だが、父のもとへと向かう足は歩みを止めなかった。
先ほど部屋にいたのは父をふくめ四人。だが父は盲い、宰相は手練れといえど老人、あとの二人は権力闘争の果てに剣の扱いを忘れた者たち。いかようにでもなる。俺が神に見放されていなければ。
は、と笑いがもれた。
神などと、虫唾が走る。
剣を鞘から抜き去ると、父の私室の扉をいきおいよく開けた。父をのぞく三人の目がいっせいに俺に向いた。俺が手にする抜き身の剣をまっさきに見とがめたのはテレンス・ヴェーリだった。
「王太子、乱心されたか!」
うろたえたヴェーリが椅子を倒して立ちあがった。プラージは父をかばうように立ちはだかった。
四人の姿に、順に目をはせていく。身に着けているものは先ほど見たものとまったくおなじ。やはりあれは夢幻ではない。
円卓へとゆっくり歩を進める。
「狂っているのは貴様らのほうだろう。この有事にくだらぬ密談に花を咲かせて、宮廷に混乱をきたす源がどこにあるかもわからぬと見える」
「くだらぬなどと……なにを言われる! われらがどれほど苦心し諸国に援軍を取り付けておるかも知らずに――」
ヴェーリの言葉をさえぎったのは宰相メスト公だった。鷹揚に立ちあがり、じっと俺を見すえる。
「まことに残念なこと。やはりあなたにマケドニア王たる資格はない。憎しみから血気にはやり、進むべき道をあやまり、国を破滅に導く者であられたようだ」
「どうとでも言うがいい。俺は父とは違う」
「……ならば、やむをえませんな」
メスト公が腰の剣を抜き、切っ先を俺に向けた。
おもしろい。エラルド・メストよ。貴様なれば相手に不足はない。俺は笑いながら斬りこんでいった。宰相は俺の一打を易々と受けとめた。片手で押しかえし、すばやく斬りこんでくる。
切っ先が左腕をかすめた。上衣が裂け、血がにじむ。
その狂いのない太刀筋。重い剣戟。やはりこの男が一番厄介だ。
メスト公からは六つの時から十年にわたって剣と槍の手ほどきを受けてきた。幼少のころ、いつかはこの男を超えねばならぬと研鑽を積んだ。長じてのちは、純粋な憧れであったものに侮蔑がまじるようになった。
おまえはほんとうに父の味方なのか、と。
おまえもまたシモンとおなじく国を蝕む存在なのではないか、と――
渾身の力をこめて剣を押しかえす。
メスト公の剣がいきなり鈍りはじめた。息が上がっている。王の懐刀と呼ばれた男も時の流れには逆らえぬということか。耄碌したものだ。幼き日の誓いが、このような形で結実するなどと――
逆巻く激情にまかせ、メスト公の喉元を切り裂いた。よろめき、のけぞった男の胸にめがけ、さらなる一打を叩きこんだ。メスト公は口から血をあふれさせて膝をつき、そのまま倒れ伏した。剣は手に握られたままだった。
金の装飾がほどこされた片手剣。その柄には、メスト家の家紋が刻印されている。
ああ、名案がうかんだ。
この剣で名誉を汚してやればいい。
宰相の手から長剣をもぎとり、側近たちに向きなおった。
二人は倒れ伏す宰相を見てやっと、自分たちの置かれている状況を理解できたようだった。よもや俺が本気ではないと思っていたのか。ようやく腰の飾りと化した剣を抜いたが、おぼつかぬ手つきだった。
バルトロ・プラージ。おまえもかつて竜騎士だったというのに、一線を退いて十年でこれほどまでに衰えるとは。
二十歳で竜騎士団の第一部隊長となった息子とは違う。戦場で果敢に戦い、散ったグイドとはなにもかも。メスト公とも比べるべくもない。もはやこいつはただの佞臣にすぎぬ。
宰相と同様にプラージの喉を切り裂いた。食いしばった歯の奥からうめき声がもれた。吐いた血が泡立ち、床に広がる。
もはや立ちあがれまい。
プラージを一瞥したのち、ヴェーリを見やった。
盟友の死に恐慌をきたしてか、ヴェーリは壁際まで後じさった。ヴェーリは少年のころに騎士となっているが、家の力に物を言わせた叙勲であったと言われている。そんなヴェーリの剣技は、斬り伏せるのがばからしくなるほど稚拙で、幼少のころの妹にも劣るほどだ。
名ばかりであろうと騎士の意地を見せてみるがいい。一歩引いて剣を下ろす。隙を作ってやると、ヴェーリはすばやく斬りこんできた。渾身の一撃でこの程度か。遊びもこれまでだ。
がら空きの胴を斬りつけると、痛みと恐怖に顔を引きつらせ、ヴェーリは剣を手放した。まったく、こんなところまでメスト公とは違うのだな。喉を切り裂き、きびすをかえした。
これで残るはあと一人。
心臓が早鐘を打っている。呼吸が乱れる。
人を斬ったのはこれが初めてではない。賊討伐には十をすぎたころから加わっている。とはいえ幼いころからよく見知った者たちを手にかけることに抵抗がないわけではなかった。
荒い息を押し殺して父ににじりよる。
父は杖を支えに、木偶のごとく佇立している。盲いであれど、宰相らの身に起こったことなど察しているだろうに顔色ひとつ変えはしない。
思えばこの人はいつもそうだった。いかな屈辱を加えられようとも怒りも見せず、ただ耐えることだけを美徳としていた。
「あなたはよく言っておられたな。おのれの代では叶わぬがゆえ、次代に……俺とミネルバに国を託すと」
父に一歩近づく。
「あなたにそう言われるたびに、俺は不可解に思っていた。あなたは王だというのに、偉大なる祖先の血を濃く継ぐ者だというのに、おのが手で成し遂げたいとは思われぬのかと」
長剣を父の喉元に突きつけた。引っかくように切っ先をすべらせると、たやすく皮膚は裂け、血が首筋をほそく流れた。痛みは感じているだろうにまるで表情は変わらない。
剣先を、そのまま胸のあたりにおろす。
「その不具の身では、なにかを望むこともおできにならぬのだろう? 望みとはすなわち、おのが目的を成し遂げんとする意思だ。この不遇な国の行く末から目をそらし、栄光ある未来を望むことすらやめたときすでに、あなたは王たる資格を失っていたのだ――」
父の手が、刃をつかんだ。
突然のことに驚き、思わず怯んだ。
父は刃を握りしめたまま、微動だにしない。剣を押しかえすでもなく、奪いとるでもなかった。鮮血が白銀の刃をつたい、俺の手にまでしたたり落ちてくる。
「シモンがパレスに派遣した使節、手にかけたのはおまえであろう?」
父をにらみつける。
いつから気づいていたのだ?
「そして、おのが野望のためにわれを殺す、か。それがおまえの出した答えなのだな」
まぶたは閉じられているというのに強い視線を感じた。父は凶刃から逃れようともせず、恐れさえも感じていないようだった。
そのことが俺に恐れを抱かせた。
ばかな。なにを恐れることがある。相手は臆病な盲いではないか。
無言の攻防はしばしつづいた。やがて手から力が抜け、知らずのうちに柄から指が離れた。同時に父も刃から手を放した。
がつ、と音を立てて宰相の剣は床に落ちた。
「過ぎた望みはおのれの身を滅ぼす」
父を仰ぎ見る。
「おのが身の卑小さもわきまえぬ愚か者めが」
愚か?
この俺が愚かだと?
身体がわななく。
「……愚かなのは、あなたのほうだ」
ためらいなく短剣を抜いた。いつも懐に忍ばせている護身用の短剣。その柄にすばやく指をかけ、父の背に腕をまわす。筋肉の削げ落ちた痩躯を押さえこみ、噴出する怒りのままに刃を胸へと突き立てた。
腕のなかで、父の身体がびくりとふるえた。
高い音を立てて、杖が床を転がっていった。
おのれの鼓動が、一瞬とまった気がした。
固唾をのみ、ゆっくりと息を吐きだす。二度、三度と深い呼吸をくりかえすごとに、ついいましがた沸きあがった怒りが急速に冷えてゆくのを感じた。
静寂が部屋をみたすなか、短剣をにぎる手がふるえはじめる。必死に抑えようとしても、ますますふるえは激しくなるばかりだった。
ふいに笑いそうになったとき、父の手が俺の腕をつかんだ。思いもかけぬほど強い力だった。
父は背をのばし、頭をもたげようとしていた。なにも映せぬ目が向けられた刹那、父の体が倒れかかってきた。
くずおれる父を支えきれず、ともに床へと倒れこんだ。馬乗りになる形で父を押さえつけていると、父の手がこちらにのばされた。さまよう指が、ひたりと頬をつつむようにふれた。そのぬくもりを感じるいとまもなく、指が頬の上をさっとすべり落ちていった。
それを最後に、父は動かなくなった。
雷光が走った。轟音が響きわたった。
俺は身体を起こし、根元まで父の胸に埋まった短剣を引き抜いた。血濡れの刃を、じっと見つめる。
なんとあっけない。
こんな女子供が持つような短剣に貫かれ、息絶えたというのか。これが父の、第四代マケドニア王の最期だと?
鮮血が切っ先に溜まり、大きな粒となってしたたり落ちていった。その鮮やかな赤は、かつて母の耳元でゆれていた紅玉のひとかけらを思わせた。