赤き幻影
九の月八日。
ベーサに戻った俺をミネルバが出迎えた。驚く俺に、三日前からすでに床を離れ、負傷兵の看護にあたっていると言った。そして、俺がいるだけで兵は勇気づけられるのだとうれしそうに笑いかけてきた。
起きあがれるようなら王都へ連れて帰るつもりだったが、その話を切り出すことができなかった。素直に聞くはずもないだろうし、なにより砦の将兵らが妹の存在に希望を見いだしているのがよくわかった。
その日の夕刻、ドルーア南部の偵察に向かわせていた部隊の一つがベーサに戻った。可能であれば、ドルーア城周辺を探れればよかったのだが、野生の飛竜が無数に飛びかうドルーア中央部に侵入することは容易ではなく、成果は微々たるものだった。
斥候が命からがら砦に帰還してから一夜明けて、ふたたびドルーアの軍勢が南下しているとの報が入った。ドルーア軍と名乗る兵士はならず者ばかりで、そんな寄せ集めの雑兵を束ねるのがメディウスに従うマムクートだ。先の大戦でマムクートは大きく数を減らしているはずだが、いまだマケドニア軍を壊滅させるには十分な力を有しているのだろう。
俺はただちに部隊を率いて迎撃に向かった。ミネルバも当然のように戦列に加わった。
妹ともに戦場を駆けるのはこれが初めてだ。
戦乱の世は遠ざかって久しい。老将も新兵も、ひとしく本物の戦場は知らず、実戦といえば北方の蛮族や賊徒の討伐ばかり。これは他国の軍隊もそう変わりはしないだろうが、このようなおぞましい化け物と対峙した軍隊など、われらのほかにはいない。そして、この化け物と互角に渡りあえるのもわれらのみだ。
初めて目にする火竜は、伝え聞き、想像していたものよりはるかに異形と呼ぶべき風体をしていた。飛竜を見慣れている者であっても、まずその大きさに驚かされる。一歩、また一歩と歩みを進めるごとに大地がゆらぎ、大気までも振動した。まき散らす灼熱の炎は天をも焦がさんばかり。飛竜と比べれば、その獰猛さは犬と狼ほどの差があるだろう。
まずはベーサへ突進する雑兵どもの群れを蹴散らし、一気に飛翔した。ならず者の相手ならば騎兵で足りる。
上空から火竜を見おろし死角を探ろうとしたが、翼や前脚、そして長い尾が四方八方に繰り出され、なかなか背後をとらえることはできなかった。
ならば、と正面きって攻撃を仕掛けた。火竜がブレスを吐きかけてくると、俺は口元をゆるめた。それが狙いだった。野生の飛竜はブレスを吐く瞬間、かならず隙ができる。火竜もおなじだった。押し迫る熱気をからくも避け、額に槍を突きいれた。
火竜はうなり声をあげて暴れた。そこへ二騎が攻勢に転じ、両側から挟むように突進したが、棘におおわれた尾が容赦なく彼らを襲った。薙ぎはらわれた二人は崖に叩きつけられ、岩肌を転がり落ちていった。
あれではもう助からない。ばかめ、あれほど油断するなと。
主を失った飛竜は狂ったように火竜に向かっていったが、あえなく鋭い五爪に引き裂かれて地に墜ちた。
マムクートは、悪しき竜族が神の罰を受け、人の姿に変えられたと伝わっている。その邪悪なる竜の本性は神に封じられたものの、一時的に解放することができるという。それがいま目の前にいる火竜というわけだ。
神もずいぶんと半端なことをしてくれたものだ。なぜこやつらを影も形もなく滅してくれなかったのか。この化け物はわれらをなぶり殺しにしようとしている。だからわれらはマムクートどもを始末せねばならぬ羽目になる。
いまも、そして百年前もだ。
われらの先祖は遺跡の発掘のためにマムクートどもにこき使われ、鞭打たれ、働けなくなれば野生の竜によって四肢を引きちぎられたという。これでは神の罰を受けているのはマムクートではなくわれらのほうではないか。
守護神ナーガよ。天に座すおまえが苦しみあえぐ者を救わんというのなら、いますぐここに顕現し、この悪しき魔を滅してみるがいい。
今度は火竜の背に一撃を叩きこんだ。跳ね返されるような鈍い感覚が手に響いた。
竜騎士たちはみな殺竜石を埋めこんだ槍を所持している。解放戦士たちが竜を屠るさいに用いたと伝わるものだが、その槍をもってしても頑強にすぎる皮膚を傷つけるのは容易ではなかった。
化け物め。
火竜を睨みつける俺の視界を、あざやかな赤が舞った。
弧を描くように飛翔し、火竜の首を鋭く切り裂く。火竜は咆哮し、前脚をふりまわしたが、ミネルバはそれを難なくかわした。
速い。火竜の動きを読んで先回りしているのだ。
まだ傷は癒えていないはずだ。それであれほどの芸当を見せるとは。
頸部を切り裂かれ、弱った火竜は隙だらけとなった。狂ったようにブレスを吐きつづけるものの、もはや炎にいきおいはない。
とどめの一撃をくわえると、火竜は断末魔の咆哮をあげ、赤く光る眼で俺をねめつけてきた。
火竜がゆっくり倒れると、あたりには地鳴りが轟いた。やがてその巨体が淡い光におおわれ、光が消えると干からびた痩躯の老人が残された。
俺は飛竜から飛びおり、マムクートに近づいた。肩を蹴って仰向けにさせ、さらに胸を踏みつけたが反応はない。息絶えていると悟ったとき、ほとんど無意識に剣に手を伸ばしていた。これからドルーアと同盟を結ぼうというのに、それはあまりに軽率な行いかもしれなかった。だが、俺にためらいはなかった。剣を抜きさるや、マムクートの皺首を一打のもとに刎ね飛ばした。
無残に殺された騎士の遺体を回収し、ベーサへ帰還した。塔の階段を降りようとしたとき、後をついてきているはずの妹の足音が止まった。不審に思ってふりかえったとき、妹は脇腹のあたりを押さえて石壁に寄りかかっていた。顔色は悪く、細い眉がよせられている。
そこからさらに二歩歩いたが、身体がかしいだ。あわてて支えると、ようやくあきらめたように身をあずけてきた。
将兵らの前では倒れるわけにはいかぬと気力だけで立っていたのだろう。強情なやつだ。こいつは昔からそうだ。
「無茶をする」
「……身の丈に……合わぬことをしていることは……わかっています」
とぎれとぎれに言って、青ざめた顔に微笑がうかべた。いまだ人目を気にしているのがわかり、ここからもっとも近くの司令官室に連れて行った。すぐに軍装をとかせ、続き部屋の寝台に横たわらせた。額に汗がうかんでいる。傷が開いたのではないかと思ったが、脇腹に血はにじんでいなかった。
「たいしたことはないの。時折、急に痛みが襲ってくるだけ。少し休めば――」
「黙っていろ」
つい、きつい声になる。
ミネルバは天井をみつめ、遠くを見るような目をした。
「今日は、二人……ドナートとガットよ」
「ああ」
「彼らのことは……忘れずにいたいわ」
「忘れはせぬさ。今日あの場にいた者ならば誰も」
「そうね」
ほほえんだまま目を閉じた。汗がこめかみを流れた。
そのやつれた顔は、病床の母を思い起こさせた。
母はミネルバを産んでから病がちになり、以後、公の場に出てくることはめったになくなった。アイオテを曽祖父に持つ母は、その血を誇るがゆえに気位が高い女だった。病み衰えた姿を見られるのを嫌い、ごくわずかな女官しかそばにおかず、俺たちが見舞ったときでさえ厳格な態度を崩さなかった。
そんな母の病について、毒を盛られた可能性があることをのちに知った。姪を王妃にすえ、ますます王の厚い信任を得ていたメスト公は、貴族たちの絶大な支持のもと、軍備の拡張をつづけていった。それに危機感を抱いたアカネイアが駐留軍の増員とその費用負担を迫り、遠回しに軍拡を阻止しようとしたが、宰相はその要求を頑として拒んだとされる。母が病に倒れたのはちょうどそのころのことだ。王と宰相への警告として、王妃が標的にされたとささやかれている。母の死後、父が後添いとしたのが下級貴族の未亡人だったのも、なるほどうなづける選択だと思った。
真実はさておき、それ以後の宰相は国益のためとしてアカネイアの方針に迎合するようになった。そして八年前の大飢饉のおり、父も宰相もろくな方策をとらず、多くの民を見捨てるにいたった。
たしかに母の病状に不審な点はあった。ミネルバが生まれた翌年には馬を駆れるほどに恢復していたというのに、数か月後に急に倒れ、その後の病状は一進一退。二度と床を離れることはできなかった。あのころ俺はまだ五歳だったが母の異様な弱り方を鮮明におぼえている。そして年をへるごとに母の病状は悪くなり、十年前の夏に逝った。
宗主国の掌で踊らされる属国の宿命とでも言うのか、王家にはこの手の噂がいくつも聞かれる。第二代イルテアス王はアカネイアの方針に逆らったがゆえに時の宰相の手を通じて暗殺されたと伝わっているし、三年前の父の病もそうだ。大飢饉の痛手をようよう乗り越えたころ、父はアカネイアと合意を取り付けたうえで、軍備の増強に着手した。その矢先に発病したために毒殺未遂を疑う声があった。眉唾物の噂がはびこるほどにわが国のアカネイアへの憎しみは強い。
だが、もはや真相などどうでもよい。噂が事実であれ、虚構であれ、この国がアカネイアの間接支配を脱することが叶えば、このような噂にわずらわされることもなくなる。かの国を滅ぼさぬかぎり、この国に未来はないのだ。
翌日――九の月十日の昼、急使がやってきた。
ガーネフが言っていたとおり、メディウスの使者がふたたび王城を訪れた。ベーサ砦でその知らせを受けた俺は急ぎ飛竜を駆って帰城し、使者と面会した。
使者は、父には既知の要求を告げた。
「メディウス陛下は、われら竜族とも互角にわたりあえる貴国の力にいたく感嘆されている。ついては、ドルーアと連合する意思があるのなら、貴国を対等な同盟国として遇する用意があるとの仰せ」
臨席していた宰相は驚きを見せなかった。すでに父から聞いていたのだろう。一方でシモンは始終いらただしげにしており、何度も小声で悪態をついていた。
俺は父のかたわらに立ち、その返答を待った。これはわが国にもたらされた希望の光なのだ。使者の弁をじかに聞くことで、かたくなな心が動けばいい。そう願ってみたものの、父は使者の提案を歯牙にもかけなかった。
「かようなことを伝えるためにわざわざ出向いて来たのか。足労であったな」
父の返答は予想どおりものだったが、やはり落胆をおぼえた。
使者にとっても想定どおりだったのか、どこか愉快げに笑った。
「メディウス陛下は、大陸の各地で暮らしていた竜人族をドルーアに集められた。みな偉大なる皇帝陛下に忠誠を誓う者たちである。マケドニアの王よ、そなたの返答いかんによってはドルーアに集結させている竜族をすべて王都に差し向けることとなろう。猶予は、九の月が終わるまでである。よく熟考されよ」
「同盟を望み、叶えられぬとあらば滅ぼす、か。まことおまえたちはわれらとは相容れぬ魔の化身よ。疾く去るがよい」
父が使者を早々に追い返してのち、俺は、ドルーアとの同盟はマケドニアが生き残る最良の手だと父に説いた。
「わたしのもとへ来たメディウスの使者もおなじことを申していたのだ。時が来れば、王都に総攻撃をかけると。やつらの言う猶予までにアカネイアが動くとは思えぬ。このままではベーサが突破され、王都に侵攻されるのは時間の問題だ。父上、あなたはこの国の民がふたたびマムクートの奴隷となってもよいと?」
「やつらの申す同盟とやらが対等なものと? 国土はドルーアに併合され、騎士団もマムクートどもによって使役されるだろう。それが奴隷となにが違う?」
どれほど言葉を尽くそうとも、父は俺の言葉にまったく耳を貸そうとはしなかった。それどころか、さもうんざりしたようにこう告げた。
「おまえはいつからメディウスの使者となったのだ?」
見えぬ目が、じっと俺にそそがれていた。無言で責め立てられているかに思えた。父にすれば、こたびの使者は俺が手引きしたようなものなのだろう。国をドルーアに売り渡しているかに思えるのだろう。
徒労感をおぼえ、俺は父に背を向けた。
部屋を出るなり、数人の騎士たちが駆けよってきて、口々に父の考えを聞き出そうとした。王は使者の申し出を却下したと告げると、安堵の表情を見せる者、落胆の色を隠せぬ者、半々といったところだった。
使者が同盟を求めてきたことは、すでに宮廷人らに知れわたっているようだった。同盟を締結すればドルーアとの戦争を回避でき、積年の恨みがつのるアカネイアへの報復が叶う。それを侮辱と感じるか、甘い蜜と感じるかは人それぞれのようだ。
同盟に賛同する者が増えはじめたことで、宮廷はさらなる混乱に陥っていた。この混乱は俺の望むところであった。暗闇にとざされていた視界に光が射し、道が拓けてゆくかに思えた。
その夜、中庭に面する回廊を通りかかったとき、またしても貴族どもの密談を耳にした。そこでようやく、先だっての不愉快な視線の意味を知るにいたった。
目まぐるしく変わりゆく情勢のなか、やつらも生き残りに必死だったのだろう。ところかまわず味方と信ずる者たちと意見を交わし合い、利がある道を模索していた。
「――では王位はどうなる? 姫君が王となった前例などない」
「そんなもの、いかようにでもなろう。メスト公は摂政の座におさまる腹づもりであろうし、いまとなにも変わらぬ」
「陛下はミネルバ姫を世嗣となさりたいのだ。それを方々に認めさせるべく、泣く泣く前線にお立たせになったのだろう。女だてらに竜騎士。ご期待には十二分に応えられた。その才覚は疑うべくもない」
「しかしまた廃嫡とは、陛下も思いきったことをなさる」
「陛下はもう何年も前から王太子には辟易とされていたゆえな。顔を突き合わせるたびに罵り合いになるとなれば、いっそ耳が聞こえぬほうがよかったとすらお思いであろう。われらとて王太子の戯言なぞ聞くに堪えぬわ」
「先日の軍議でもいまにも斬りかかりそうな目で宰相らをにらみつけておられたな。青二才が無分別な下級貴族を従えて青臭い考えをまき散らすさま……なんとも見苦しいことよ」
「ああ、ラディス・シェンケルのことか。あやつは王太子に取り入ろうと必死なのだろう。王太子も取り巻きらに〈アイオテの再来〉などと誉めそやされていい気になっておられるのだろうが、いったいご自分をどれほどの者と思っておられるのやら」
「まこと、思いあがった若造ほど手に負えぬものはない」
廃嫡。
その言葉を、はっきりと耳がとらえたとき、足元がゆれているかに思えて柱によりかかった。立っている感覚さえなかった。
なぜだ。なぜ父上が――
そう思う頭の片隅で、ありえぬ話ではないと冷静に考える自分がいた。宰相一派が俺を排除したがっていることは以前からわかっていたことだ。そして父が側近らを諫めることもせず、野放しにしていることも。あいまいだった父の心が傾いたのは、ドルーアとの同盟を主張したことで不信を招いたことが要因なのやもしれぬ。
部屋に戻った俺のもとに、シェンケルが訪ねてきて、ためらいがちにこう告げた。
オズモンド王はあなたを廃し、代わりに妹君を王太子とするつもりでおられる、と。
それはあくまで噂の域を出ぬものだった。誰から聞いたか訊ねても、はっきりとはわからずじまいで、わずか数日ほどのあいだに宮廷でささやかれるようになっていたようだ。噂など概してそんなもの。だが、シェンケルは真実と信じているようだった。
なにより俺自身が真実と確信していた。
……ミネルバを跡取りに、か。
苦笑がもれる。
あれほど過酷な戦場で恐れも見せず、兵を鼓舞するさまには驚嘆をおぼえた。女に生まれたことを惜しむ声が聞かれるのも当然のことだ。
俺がいずれ王となったなら、その片腕とし、いつまでもそばにおいておきたいと思う。他国にくれてやるにはあまりに惜しい。父もそう思っていたのだろう。アカネイアから持ちこまれた縁談であっても難色を示したが、そのころから先を見すえていたのだろうか。グイドに目をかけていたのも、娘の夫にと望むがゆえだったのか。
「殿下」
シェンケルは険しく眉をよせて俺を見た。
「もはや、王に同盟締結を承諾させることは不可能と存じます」
「もとより、父を説き伏せることなどできぬとわかっていたのだ。しかし、できうるかぎり筋をとおしたかった。迷ったために、無駄な時間を過ごしてしまったようだな」
それでは、と先をうながすシェンケルに告げる。
「是非もない。父上には王座を降りていただき、代わって俺がこの国の王位につく。そのうえでドルーアと同盟を結ぶ」
「ですが殿下、いかがなさるおつもりです?」
俺はしばし黙したが、すでに考えは定まっていた。
ガーネフが同盟を持ちかけてきてから十日あまり。この国の中枢に居座る者たちを一挙に消し去る方法を探っていた。同盟の賛同者が少数にとどまるいま、目的は常道で成し遂げられるものではない。
ならば――
「……仮に、父が翻意してドルーアとの同盟を決意したなら、アカネイアはどう出ると思う?」
「むろん、同盟を阻もうとするでしょう」
「いかにして?」
「それはシモンら配下の貴族に指示をし――」
シェンケルはそこで言葉を止めた。
「よいか。父オズモンドは、ひそかにドルーアとの同盟を進めていた。そんな父を抹殺するために、アカネイアから刺客が送りこまれた。われらは暗殺の首謀者であるシモン・ネイヤール、ならびにその協力者である宰相エラルド・メストを討ちとる」
「われらの行いは王への叛逆にあらず、ということにございますね」
「そうだ。大逆を働いたのは宰相とその取り巻きどもにほかならぬ。叛逆者どもを一掃し、その暁に俺は王位を手に入れる」
シェンケルは満足げにうなづいたものの、神妙な顔で問いかけてきた。
「王はいかように?」
「命までは奪う必要はない。……殺す価値もない」
ベーサに戻った俺をミネルバが出迎えた。驚く俺に、三日前からすでに床を離れ、負傷兵の看護にあたっていると言った。そして、俺がいるだけで兵は勇気づけられるのだとうれしそうに笑いかけてきた。
起きあがれるようなら王都へ連れて帰るつもりだったが、その話を切り出すことができなかった。素直に聞くはずもないだろうし、なにより砦の将兵らが妹の存在に希望を見いだしているのがよくわかった。
その日の夕刻、ドルーア南部の偵察に向かわせていた部隊の一つがベーサに戻った。可能であれば、ドルーア城周辺を探れればよかったのだが、野生の飛竜が無数に飛びかうドルーア中央部に侵入することは容易ではなく、成果は微々たるものだった。
斥候が命からがら砦に帰還してから一夜明けて、ふたたびドルーアの軍勢が南下しているとの報が入った。ドルーア軍と名乗る兵士はならず者ばかりで、そんな寄せ集めの雑兵を束ねるのがメディウスに従うマムクートだ。先の大戦でマムクートは大きく数を減らしているはずだが、いまだマケドニア軍を壊滅させるには十分な力を有しているのだろう。
俺はただちに部隊を率いて迎撃に向かった。ミネルバも当然のように戦列に加わった。
妹ともに戦場を駆けるのはこれが初めてだ。
戦乱の世は遠ざかって久しい。老将も新兵も、ひとしく本物の戦場は知らず、実戦といえば北方の蛮族や賊徒の討伐ばかり。これは他国の軍隊もそう変わりはしないだろうが、このようなおぞましい化け物と対峙した軍隊など、われらのほかにはいない。そして、この化け物と互角に渡りあえるのもわれらのみだ。
初めて目にする火竜は、伝え聞き、想像していたものよりはるかに異形と呼ぶべき風体をしていた。飛竜を見慣れている者であっても、まずその大きさに驚かされる。一歩、また一歩と歩みを進めるごとに大地がゆらぎ、大気までも振動した。まき散らす灼熱の炎は天をも焦がさんばかり。飛竜と比べれば、その獰猛さは犬と狼ほどの差があるだろう。
まずはベーサへ突進する雑兵どもの群れを蹴散らし、一気に飛翔した。ならず者の相手ならば騎兵で足りる。
上空から火竜を見おろし死角を探ろうとしたが、翼や前脚、そして長い尾が四方八方に繰り出され、なかなか背後をとらえることはできなかった。
ならば、と正面きって攻撃を仕掛けた。火竜がブレスを吐きかけてくると、俺は口元をゆるめた。それが狙いだった。野生の飛竜はブレスを吐く瞬間、かならず隙ができる。火竜もおなじだった。押し迫る熱気をからくも避け、額に槍を突きいれた。
火竜はうなり声をあげて暴れた。そこへ二騎が攻勢に転じ、両側から挟むように突進したが、棘におおわれた尾が容赦なく彼らを襲った。薙ぎはらわれた二人は崖に叩きつけられ、岩肌を転がり落ちていった。
あれではもう助からない。ばかめ、あれほど油断するなと。
主を失った飛竜は狂ったように火竜に向かっていったが、あえなく鋭い五爪に引き裂かれて地に墜ちた。
マムクートは、悪しき竜族が神の罰を受け、人の姿に変えられたと伝わっている。その邪悪なる竜の本性は神に封じられたものの、一時的に解放することができるという。それがいま目の前にいる火竜というわけだ。
神もずいぶんと半端なことをしてくれたものだ。なぜこやつらを影も形もなく滅してくれなかったのか。この化け物はわれらをなぶり殺しにしようとしている。だからわれらはマムクートどもを始末せねばならぬ羽目になる。
いまも、そして百年前もだ。
われらの先祖は遺跡の発掘のためにマムクートどもにこき使われ、鞭打たれ、働けなくなれば野生の竜によって四肢を引きちぎられたという。これでは神の罰を受けているのはマムクートではなくわれらのほうではないか。
守護神ナーガよ。天に座すおまえが苦しみあえぐ者を救わんというのなら、いますぐここに顕現し、この悪しき魔を滅してみるがいい。
今度は火竜の背に一撃を叩きこんだ。跳ね返されるような鈍い感覚が手に響いた。
竜騎士たちはみな殺竜石を埋めこんだ槍を所持している。解放戦士たちが竜を屠るさいに用いたと伝わるものだが、その槍をもってしても頑強にすぎる皮膚を傷つけるのは容易ではなかった。
化け物め。
火竜を睨みつける俺の視界を、あざやかな赤が舞った。
弧を描くように飛翔し、火竜の首を鋭く切り裂く。火竜は咆哮し、前脚をふりまわしたが、ミネルバはそれを難なくかわした。
速い。火竜の動きを読んで先回りしているのだ。
まだ傷は癒えていないはずだ。それであれほどの芸当を見せるとは。
頸部を切り裂かれ、弱った火竜は隙だらけとなった。狂ったようにブレスを吐きつづけるものの、もはや炎にいきおいはない。
とどめの一撃をくわえると、火竜は断末魔の咆哮をあげ、赤く光る眼で俺をねめつけてきた。
火竜がゆっくり倒れると、あたりには地鳴りが轟いた。やがてその巨体が淡い光におおわれ、光が消えると干からびた痩躯の老人が残された。
俺は飛竜から飛びおり、マムクートに近づいた。肩を蹴って仰向けにさせ、さらに胸を踏みつけたが反応はない。息絶えていると悟ったとき、ほとんど無意識に剣に手を伸ばしていた。これからドルーアと同盟を結ぼうというのに、それはあまりに軽率な行いかもしれなかった。だが、俺にためらいはなかった。剣を抜きさるや、マムクートの皺首を一打のもとに刎ね飛ばした。
無残に殺された騎士の遺体を回収し、ベーサへ帰還した。塔の階段を降りようとしたとき、後をついてきているはずの妹の足音が止まった。不審に思ってふりかえったとき、妹は脇腹のあたりを押さえて石壁に寄りかかっていた。顔色は悪く、細い眉がよせられている。
そこからさらに二歩歩いたが、身体がかしいだ。あわてて支えると、ようやくあきらめたように身をあずけてきた。
将兵らの前では倒れるわけにはいかぬと気力だけで立っていたのだろう。強情なやつだ。こいつは昔からそうだ。
「無茶をする」
「……身の丈に……合わぬことをしていることは……わかっています」
とぎれとぎれに言って、青ざめた顔に微笑がうかべた。いまだ人目を気にしているのがわかり、ここからもっとも近くの司令官室に連れて行った。すぐに軍装をとかせ、続き部屋の寝台に横たわらせた。額に汗がうかんでいる。傷が開いたのではないかと思ったが、脇腹に血はにじんでいなかった。
「たいしたことはないの。時折、急に痛みが襲ってくるだけ。少し休めば――」
「黙っていろ」
つい、きつい声になる。
ミネルバは天井をみつめ、遠くを見るような目をした。
「今日は、二人……ドナートとガットよ」
「ああ」
「彼らのことは……忘れずにいたいわ」
「忘れはせぬさ。今日あの場にいた者ならば誰も」
「そうね」
ほほえんだまま目を閉じた。汗がこめかみを流れた。
そのやつれた顔は、病床の母を思い起こさせた。
母はミネルバを産んでから病がちになり、以後、公の場に出てくることはめったになくなった。アイオテを曽祖父に持つ母は、その血を誇るがゆえに気位が高い女だった。病み衰えた姿を見られるのを嫌い、ごくわずかな女官しかそばにおかず、俺たちが見舞ったときでさえ厳格な態度を崩さなかった。
そんな母の病について、毒を盛られた可能性があることをのちに知った。姪を王妃にすえ、ますます王の厚い信任を得ていたメスト公は、貴族たちの絶大な支持のもと、軍備の拡張をつづけていった。それに危機感を抱いたアカネイアが駐留軍の増員とその費用負担を迫り、遠回しに軍拡を阻止しようとしたが、宰相はその要求を頑として拒んだとされる。母が病に倒れたのはちょうどそのころのことだ。王と宰相への警告として、王妃が標的にされたとささやかれている。母の死後、父が後添いとしたのが下級貴族の未亡人だったのも、なるほどうなづける選択だと思った。
真実はさておき、それ以後の宰相は国益のためとしてアカネイアの方針に迎合するようになった。そして八年前の大飢饉のおり、父も宰相もろくな方策をとらず、多くの民を見捨てるにいたった。
たしかに母の病状に不審な点はあった。ミネルバが生まれた翌年には馬を駆れるほどに恢復していたというのに、数か月後に急に倒れ、その後の病状は一進一退。二度と床を離れることはできなかった。あのころ俺はまだ五歳だったが母の異様な弱り方を鮮明におぼえている。そして年をへるごとに母の病状は悪くなり、十年前の夏に逝った。
宗主国の掌で踊らされる属国の宿命とでも言うのか、王家にはこの手の噂がいくつも聞かれる。第二代イルテアス王はアカネイアの方針に逆らったがゆえに時の宰相の手を通じて暗殺されたと伝わっているし、三年前の父の病もそうだ。大飢饉の痛手をようよう乗り越えたころ、父はアカネイアと合意を取り付けたうえで、軍備の増強に着手した。その矢先に発病したために毒殺未遂を疑う声があった。眉唾物の噂がはびこるほどにわが国のアカネイアへの憎しみは強い。
だが、もはや真相などどうでもよい。噂が事実であれ、虚構であれ、この国がアカネイアの間接支配を脱することが叶えば、このような噂にわずらわされることもなくなる。かの国を滅ぼさぬかぎり、この国に未来はないのだ。
翌日――九の月十日の昼、急使がやってきた。
ガーネフが言っていたとおり、メディウスの使者がふたたび王城を訪れた。ベーサ砦でその知らせを受けた俺は急ぎ飛竜を駆って帰城し、使者と面会した。
使者は、父には既知の要求を告げた。
「メディウス陛下は、われら竜族とも互角にわたりあえる貴国の力にいたく感嘆されている。ついては、ドルーアと連合する意思があるのなら、貴国を対等な同盟国として遇する用意があるとの仰せ」
臨席していた宰相は驚きを見せなかった。すでに父から聞いていたのだろう。一方でシモンは始終いらただしげにしており、何度も小声で悪態をついていた。
俺は父のかたわらに立ち、その返答を待った。これはわが国にもたらされた希望の光なのだ。使者の弁をじかに聞くことで、かたくなな心が動けばいい。そう願ってみたものの、父は使者の提案を歯牙にもかけなかった。
「かようなことを伝えるためにわざわざ出向いて来たのか。足労であったな」
父の返答は予想どおりものだったが、やはり落胆をおぼえた。
使者にとっても想定どおりだったのか、どこか愉快げに笑った。
「メディウス陛下は、大陸の各地で暮らしていた竜人族をドルーアに集められた。みな偉大なる皇帝陛下に忠誠を誓う者たちである。マケドニアの王よ、そなたの返答いかんによってはドルーアに集結させている竜族をすべて王都に差し向けることとなろう。猶予は、九の月が終わるまでである。よく熟考されよ」
「同盟を望み、叶えられぬとあらば滅ぼす、か。まことおまえたちはわれらとは相容れぬ魔の化身よ。疾く去るがよい」
父が使者を早々に追い返してのち、俺は、ドルーアとの同盟はマケドニアが生き残る最良の手だと父に説いた。
「わたしのもとへ来たメディウスの使者もおなじことを申していたのだ。時が来れば、王都に総攻撃をかけると。やつらの言う猶予までにアカネイアが動くとは思えぬ。このままではベーサが突破され、王都に侵攻されるのは時間の問題だ。父上、あなたはこの国の民がふたたびマムクートの奴隷となってもよいと?」
「やつらの申す同盟とやらが対等なものと? 国土はドルーアに併合され、騎士団もマムクートどもによって使役されるだろう。それが奴隷となにが違う?」
どれほど言葉を尽くそうとも、父は俺の言葉にまったく耳を貸そうとはしなかった。それどころか、さもうんざりしたようにこう告げた。
「おまえはいつからメディウスの使者となったのだ?」
見えぬ目が、じっと俺にそそがれていた。無言で責め立てられているかに思えた。父にすれば、こたびの使者は俺が手引きしたようなものなのだろう。国をドルーアに売り渡しているかに思えるのだろう。
徒労感をおぼえ、俺は父に背を向けた。
部屋を出るなり、数人の騎士たちが駆けよってきて、口々に父の考えを聞き出そうとした。王は使者の申し出を却下したと告げると、安堵の表情を見せる者、落胆の色を隠せぬ者、半々といったところだった。
使者が同盟を求めてきたことは、すでに宮廷人らに知れわたっているようだった。同盟を締結すればドルーアとの戦争を回避でき、積年の恨みがつのるアカネイアへの報復が叶う。それを侮辱と感じるか、甘い蜜と感じるかは人それぞれのようだ。
同盟に賛同する者が増えはじめたことで、宮廷はさらなる混乱に陥っていた。この混乱は俺の望むところであった。暗闇にとざされていた視界に光が射し、道が拓けてゆくかに思えた。
その夜、中庭に面する回廊を通りかかったとき、またしても貴族どもの密談を耳にした。そこでようやく、先だっての不愉快な視線の意味を知るにいたった。
目まぐるしく変わりゆく情勢のなか、やつらも生き残りに必死だったのだろう。ところかまわず味方と信ずる者たちと意見を交わし合い、利がある道を模索していた。
「――では王位はどうなる? 姫君が王となった前例などない」
「そんなもの、いかようにでもなろう。メスト公は摂政の座におさまる腹づもりであろうし、いまとなにも変わらぬ」
「陛下はミネルバ姫を世嗣となさりたいのだ。それを方々に認めさせるべく、泣く泣く前線にお立たせになったのだろう。女だてらに竜騎士。ご期待には十二分に応えられた。その才覚は疑うべくもない」
「しかしまた廃嫡とは、陛下も思いきったことをなさる」
「陛下はもう何年も前から王太子には辟易とされていたゆえな。顔を突き合わせるたびに罵り合いになるとなれば、いっそ耳が聞こえぬほうがよかったとすらお思いであろう。われらとて王太子の戯言なぞ聞くに堪えぬわ」
「先日の軍議でもいまにも斬りかかりそうな目で宰相らをにらみつけておられたな。青二才が無分別な下級貴族を従えて青臭い考えをまき散らすさま……なんとも見苦しいことよ」
「ああ、ラディス・シェンケルのことか。あやつは王太子に取り入ろうと必死なのだろう。王太子も取り巻きらに〈アイオテの再来〉などと誉めそやされていい気になっておられるのだろうが、いったいご自分をどれほどの者と思っておられるのやら」
「まこと、思いあがった若造ほど手に負えぬものはない」
廃嫡。
その言葉を、はっきりと耳がとらえたとき、足元がゆれているかに思えて柱によりかかった。立っている感覚さえなかった。
なぜだ。なぜ父上が――
そう思う頭の片隅で、ありえぬ話ではないと冷静に考える自分がいた。宰相一派が俺を排除したがっていることは以前からわかっていたことだ。そして父が側近らを諫めることもせず、野放しにしていることも。あいまいだった父の心が傾いたのは、ドルーアとの同盟を主張したことで不信を招いたことが要因なのやもしれぬ。
部屋に戻った俺のもとに、シェンケルが訪ねてきて、ためらいがちにこう告げた。
オズモンド王はあなたを廃し、代わりに妹君を王太子とするつもりでおられる、と。
それはあくまで噂の域を出ぬものだった。誰から聞いたか訊ねても、はっきりとはわからずじまいで、わずか数日ほどのあいだに宮廷でささやかれるようになっていたようだ。噂など概してそんなもの。だが、シェンケルは真実と信じているようだった。
なにより俺自身が真実と確信していた。
……ミネルバを跡取りに、か。
苦笑がもれる。
あれほど過酷な戦場で恐れも見せず、兵を鼓舞するさまには驚嘆をおぼえた。女に生まれたことを惜しむ声が聞かれるのも当然のことだ。
俺がいずれ王となったなら、その片腕とし、いつまでもそばにおいておきたいと思う。他国にくれてやるにはあまりに惜しい。父もそう思っていたのだろう。アカネイアから持ちこまれた縁談であっても難色を示したが、そのころから先を見すえていたのだろうか。グイドに目をかけていたのも、娘の夫にと望むがゆえだったのか。
「殿下」
シェンケルは険しく眉をよせて俺を見た。
「もはや、王に同盟締結を承諾させることは不可能と存じます」
「もとより、父を説き伏せることなどできぬとわかっていたのだ。しかし、できうるかぎり筋をとおしたかった。迷ったために、無駄な時間を過ごしてしまったようだな」
それでは、と先をうながすシェンケルに告げる。
「是非もない。父上には王座を降りていただき、代わって俺がこの国の王位につく。そのうえでドルーアと同盟を結ぶ」
「ですが殿下、いかがなさるおつもりです?」
俺はしばし黙したが、すでに考えは定まっていた。
ガーネフが同盟を持ちかけてきてから十日あまり。この国の中枢に居座る者たちを一挙に消し去る方法を探っていた。同盟の賛同者が少数にとどまるいま、目的は常道で成し遂げられるものではない。
ならば――
「……仮に、父が翻意してドルーアとの同盟を決意したなら、アカネイアはどう出ると思う?」
「むろん、同盟を阻もうとするでしょう」
「いかにして?」
「それはシモンら配下の貴族に指示をし――」
シェンケルはそこで言葉を止めた。
「よいか。父オズモンドは、ひそかにドルーアとの同盟を進めていた。そんな父を抹殺するために、アカネイアから刺客が送りこまれた。われらは暗殺の首謀者であるシモン・ネイヤール、ならびにその協力者である宰相エラルド・メストを討ちとる」
「われらの行いは王への叛逆にあらず、ということにございますね」
「そうだ。大逆を働いたのは宰相とその取り巻きどもにほかならぬ。叛逆者どもを一掃し、その暁に俺は王位を手に入れる」
シェンケルは満足げにうなづいたものの、神妙な顔で問いかけてきた。
「王はいかように?」
「命までは奪う必要はない。……殺す価値もない」