赤き幻影
足早に廊下を抜け、殴りつけるように扉を開けた。自室に戻り、カウチに身を投げ出す。
もとより騙しきることなどできぬと思っていた。真実を知れば、どれほどの恨み言をぶつけられるのか、ある程度は覚悟していた。だが、あいつのあんな目を見たことはなかった。軽蔑をふくんだ憎悪の目。あんなものが俺に向けられたことはなかったはずだ。
(あなたなど兄ではない)
激しい怨嗟も慟哭も、すべて思い描いていたとおりのもの。剣を抜き、刃を向けてくるのはさすがに想定外だったが、あいつに俺を傷つけることなどできるはずもない。
あのまま剣をふりおろし、その胸に突き立てることができていたなら、このいらだちも少しはおさまっただろうか。
(国を守るため? 違うでしょう?)
(マムクートの手下となってでもアカネイアに仇を返したいだけでしょう?)
(父上はこうおっしゃったのよ、ミシェイルは耐えることを知らない、だから危ういのだと)
まったく、よく剣がそれたものだ。石床の上を流れる血を見てやっと正気に返った。
一線を越えずにすんで安堵している。だが、俺があいつを手にかけたところで、なにかが変わるわけではない。多少の不都合はあろうが、どうせやつらは口をつぐむ。保身にまみれた卑小な貴族どもを御すことなどたやすい。
すでに五人を手にかけたのだ。今後それが何人増えようと、そのうちの一人にあいつが加わろうと大差はない。悔いることなどなにもないのだ。すべては俺の望みどおりに事は運んだ。
「殿下」
開け放したままの扉から、オーダインが進み出てきた。腰に下げた剣がゆれて、やけにうるさい音を立てた。
呼びかけたくせに、目の前に立つオーダインは無言のままだった。責め立てるような鋭い眼光が遠慮なく俺に突き刺さる。
「いったいなんだ」
耐えかねて半身を起こし、にらみかえす。
「言いたいことがあるならはっきり言え」
「なぜ王女に明かされたのです」
「明かしてはいない」
勝手に気づいたのだ。
帰城したときすでに俺がドルーアと同盟を結んだことを勘づいていた。そこまでわかっていながら、父を殺めたのはアカネイアの刺客だと信じようとしていた。
ばかなやつだ。おまえは父とはまた別の意味で盲目なのだ。否定を求めてわかりきったことを問う。
真実にたどりついたなら黙っていればよいものを。そうすれば、俺もおまえを傷つけずにすんだというのに。愚かなふりもできぬ小利口者め。
違う、誤解だ、俺は父上を殺めてなどいない。
そう言えば信じただろうか。
あいつなら信じたかもしれない。そう思うと、こらえきれず笑いがもれた。
「酒を」
「なりません」
言下に退けられ、乱暴に立ちあがった。
頭の固い老将軍の横をすり抜け、小卓におかれた酒瓶をとり、手ずから杯にそそぐ。にごりのないすきとおった紅色。香り高く、聖王国の民の口に合うよう改良に改良を重ねられた美酒。
こんなもので酔えはしない。
一気に飲み干したとき、かたわらから大仰なため息がもれた。
「それほど気に病んでおられるのなら、王女にすべてをお話しになってはいかがです」
横目で凄んでも、まるで頓着せずにつづける。
「オズモンド王の真意を……あなたさまへの仕打ちをお知りになれば、やむをえぬこととご理解なされるはず。あなたを責めはしますまい」
「……どうだかな」
からになった杯に酒をそそぎ、手の中で転がす。
「王女は陛下を敬愛しておられたが、それはあくまで父君に対する情愛ゆえのもの。あの方が真にマケドニア王として求めておられたのは殿下、あなただ」
「不要だ」
「しかし――」
「黙れ、二度とこの件に口をはさむな」
「では、これだけは申し上げておきたく」
威圧をふくませた双眸が俺を見すえた。
「お気をしかと持たれよ。血塗られた道を進むと決められた以上、もはや引き返すこと叶いませぬゆえ」
子供を諭すかのような声音に、頬がかっと熱くなるのを感じた。オーダインは憤る俺を意に介すそぶりもなく、嫌みなほどに慇懃に礼をとって身を返した。
扉が閉まる音が響くと、唇がふるえた。喉元が灼けるように熱くなる。
風が窓を激しく叩いた。また嵐か。ここ数日、急に天候が崩れる日がつづいている。父を殺めた夜も、雷が鳴り響いていた。
雨が叩きつける窓によりかかり、酒を一口ふくむ。
(このような小国ではなく世界を手にしたいとは思わぬか)
愉悦にみちた、しわがれた声が頭のなかで響く。
(そなたはわしに似ておる。ゆえにわかるのだ。そなたの望みがな……)
なにもかも見透かすような黒い瞳を思い出し、逃れるように目を閉じた。
もとより騙しきることなどできぬと思っていた。真実を知れば、どれほどの恨み言をぶつけられるのか、ある程度は覚悟していた。だが、あいつのあんな目を見たことはなかった。軽蔑をふくんだ憎悪の目。あんなものが俺に向けられたことはなかったはずだ。
(あなたなど兄ではない)
激しい怨嗟も慟哭も、すべて思い描いていたとおりのもの。剣を抜き、刃を向けてくるのはさすがに想定外だったが、あいつに俺を傷つけることなどできるはずもない。
あのまま剣をふりおろし、その胸に突き立てることができていたなら、このいらだちも少しはおさまっただろうか。
(国を守るため? 違うでしょう?)
(マムクートの手下となってでもアカネイアに仇を返したいだけでしょう?)
(父上はこうおっしゃったのよ、ミシェイルは耐えることを知らない、だから危ういのだと)
まったく、よく剣がそれたものだ。石床の上を流れる血を見てやっと正気に返った。
一線を越えずにすんで安堵している。だが、俺があいつを手にかけたところで、なにかが変わるわけではない。多少の不都合はあろうが、どうせやつらは口をつぐむ。保身にまみれた卑小な貴族どもを御すことなどたやすい。
すでに五人を手にかけたのだ。今後それが何人増えようと、そのうちの一人にあいつが加わろうと大差はない。悔いることなどなにもないのだ。すべては俺の望みどおりに事は運んだ。
「殿下」
開け放したままの扉から、オーダインが進み出てきた。腰に下げた剣がゆれて、やけにうるさい音を立てた。
呼びかけたくせに、目の前に立つオーダインは無言のままだった。責め立てるような鋭い眼光が遠慮なく俺に突き刺さる。
「いったいなんだ」
耐えかねて半身を起こし、にらみかえす。
「言いたいことがあるならはっきり言え」
「なぜ王女に明かされたのです」
「明かしてはいない」
勝手に気づいたのだ。
帰城したときすでに俺がドルーアと同盟を結んだことを勘づいていた。そこまでわかっていながら、父を殺めたのはアカネイアの刺客だと信じようとしていた。
ばかなやつだ。おまえは父とはまた別の意味で盲目なのだ。否定を求めてわかりきったことを問う。
真実にたどりついたなら黙っていればよいものを。そうすれば、俺もおまえを傷つけずにすんだというのに。愚かなふりもできぬ小利口者め。
違う、誤解だ、俺は父上を殺めてなどいない。
そう言えば信じただろうか。
あいつなら信じたかもしれない。そう思うと、こらえきれず笑いがもれた。
「酒を」
「なりません」
言下に退けられ、乱暴に立ちあがった。
頭の固い老将軍の横をすり抜け、小卓におかれた酒瓶をとり、手ずから杯にそそぐ。にごりのないすきとおった紅色。香り高く、聖王国の民の口に合うよう改良に改良を重ねられた美酒。
こんなもので酔えはしない。
一気に飲み干したとき、かたわらから大仰なため息がもれた。
「それほど気に病んでおられるのなら、王女にすべてをお話しになってはいかがです」
横目で凄んでも、まるで頓着せずにつづける。
「オズモンド王の真意を……あなたさまへの仕打ちをお知りになれば、やむをえぬこととご理解なされるはず。あなたを責めはしますまい」
「……どうだかな」
からになった杯に酒をそそぎ、手の中で転がす。
「王女は陛下を敬愛しておられたが、それはあくまで父君に対する情愛ゆえのもの。あの方が真にマケドニア王として求めておられたのは殿下、あなただ」
「不要だ」
「しかし――」
「黙れ、二度とこの件に口をはさむな」
「では、これだけは申し上げておきたく」
威圧をふくませた双眸が俺を見すえた。
「お気をしかと持たれよ。血塗られた道を進むと決められた以上、もはや引き返すこと叶いませぬゆえ」
子供を諭すかのような声音に、頬がかっと熱くなるのを感じた。オーダインは憤る俺を意に介すそぶりもなく、嫌みなほどに慇懃に礼をとって身を返した。
扉が閉まる音が響くと、唇がふるえた。喉元が灼けるように熱くなる。
風が窓を激しく叩いた。また嵐か。ここ数日、急に天候が崩れる日がつづいている。父を殺めた夜も、雷が鳴り響いていた。
雨が叩きつける窓によりかかり、酒を一口ふくむ。
(このような小国ではなく世界を手にしたいとは思わぬか)
愉悦にみちた、しわがれた声が頭のなかで響く。
(そなたはわしに似ておる。ゆえにわかるのだ。そなたの望みがな……)
なにもかも見透かすような黒い瞳を思い出し、逃れるように目を閉じた。
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