マケドニア598(本編)

 主宮の東翼、謁見の間に面する広大な内庭は、式典のおり民にも開放される。今日もまだ夜が明ける前から、王都の民のみならず、郊外からも多くの民が十八歳の若き新王を一目見んと押しよせていた。
 澄みきった空から陽光が降りそそいでいる。粉雪は白い花びらに似て、新王の即位を祝福するかのように舞い散っていた。
 まばゆい光を浴びながら、ミシェイルとミネルバは並び立って露台に出た。待ちわびていた大群衆の熱気が怒涛となってふたりに押し迫る。
 しばしミシェイルは万を超える民を睥睨していたが、やがて彼らに挑むように露台の中央に進んだ。昂然と胸を張る。
「マケドニアの民よ」
 朗々たる呼びかけに、あたりは静まりかえった。
「降臨節の今日この日、われは王となる。これはわれの望む形ではない。われの望みは父を支え、マケドニアを大国へと導くことであったのだ。しかし父は志なかばで逝った。アカネイアの凶刃に倒れたのだ。ゆえに、われはこの宿命を受けいれねばならぬ。父の遺志を継ぎ、その無念を晴らすべく剣をとる。これは神がわれに与えた試練であり、祝福でもあろう。この身に流れる血が叫ぶのだ。権威に屈することなかれ、悲願にむけて飛翔せよと。わが望みは、祖アイオテの築きあげたマケドニア、この豊かなるマケドニアを、独立不羈の国としてよみがえらせることである。この大地と民への不当な支配はけっして許さぬ。マケドニア第五代国王ミシェイルの名において、それをここに宣言する」
 割れんばかりの歓声が巻き起こった。恐ろしいほどの熱狂がそこにあった。
 これこそが、民の待ち望んだ瞬間だったのだろう。たとえ偽りであろうとも、かりそめにすぎずとも、恐れも迷いもかき消す絶対的な力の象徴がこの国には必要だった。怒りに沸き、悲しみに浸るマケドニアの民が求めるのは神の加護ではない。ただひたすらに強き指導者を欲していた。神とはすなわち、絶対的な力である。天に座すのみで救いを与えぬ存在を、民は求めはしない。
 民に手をふるミシェイルを、ミネルバはみつめた。その顔は誇らしげに笑んでおり、うつくしい双眸からは兄王への敬意がみちあふれていた。
 そんな妹にミシェイルも、威厳をそこなわぬ程度にほほえみかえした。ミネルバの手を引き、中央へとうながす。
 前に進み出たミネルバは、息を吸い、凛と背筋をのばした。自分にそそがれる無数の視線を、なべてひとしく見わたす。
「降臨節最終日の今日、わが兄ミシェイルの王即位式を迎えられたこと、まことに喜ばしく思う」
 張りのあるよく通る声が静寂を切り裂く。
「しかし、この日を迎えるまでは多難の日々であった。生涯を国の発展のため捧げられたわが父は、卑劣なる者どもの手にかかった。……聖アカネイアは長きにわたりわが国を苦しめ、それに飽き足らず、この国難においてはわれらを見捨てた。アカネイアがわれらに与えたは慈悲ではない。穢れた凶刃だった。これまでわれらは偽りの聖王国による支配に耐えてきた。ひたすら耐え忍ぶだけであった。しかし屈辱に耐えるときは終わった。われらが悲願は、アイオテの再来の御代にて成就されるであろう。わたくしは若輩の身なれど、あたうかぎりの力をもって兄王陛下をお支えする所存である」
 盛大な歓呼の声につつまれながら、ミネルバは両腕をひろげる。
「マケドニアの民よ。この身はわたくしのものであって、わたくしのものではない。この身に流れる一滴の血にいたるまで、このマケドニアの大地、そして民のいつくしみによって育まれたもの。ゆえに、わたくしはあなたがたに誓う。この身命を国家と民のために捧げると」
 すさまじい歓声が天を衝かんばかりに上がった。時折、声を上ずらせながら真摯につむがれる言葉は、民の琴線にふれ、祖国を愛する心に火をつけた。内庭は、興奮の坩堝と化していた。民衆は酔ったように新王と王妹の名をくりかえし叫んでいる。
 夢心地の民にこたえんと、ミネルバは手をふった。そのとき、ミシェイルが満足そうに口元をゆるめた。それは勝利の笑みだった。
 ミネルバの目はその一瞬をとらえていたが、怜悧な美貌には苛立ちや悲しみの気配はなかった。ただ、おだやかな笑みだけを口元にうかべている。しかし、その双眸――微笑に細められた瞳の奥には、溶けぬ氷のごとき冷徹が宿っていた。(了)
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