マケドニア598(本編)

 王都東の丘に建つテミス聖堂は、遠目に見れば白一色の静謐な墓所だが、間近で見れば、列柱のすべてに瀟洒な彫刻がほどこされた壮麗な建物である。王家の霊廟がテミスの丘に造られたのはアイオテが崩御した八十年ほど前のこと。当時は無骨な石造りの建物で素朴な彫刻がわずかに刻まれているだけだった。
 それが第二代イルテアス王の時代、アカネイアの建築士を招聘し、聖堂の普請に取りかかった。当時、マケドニアは急速なアカネイア化が推し進められており、彫刻や建築にとどまらず、絵画や音楽、服飾にいたるまで、聖王国に軽んじられぬようにと、華やかな宮廷文化がそのまま取りこまれていた。テミス聖堂の変遷は、マケドニアの発展とともにあった。

「姫さま、よくぞ参られました」
 ミネルバが聖堂の前に降り立つと、杖をついた老齢の司祭が石段をゆっくりと降りてきた。代々王家の墓守をつとめるダナ家の当主ラキスである。
「わたしが来ると、よくおわかりになりましたね」
「こちらへ向かってくる飛竜が見えましたので」
 まなじりのしわをさらに深く刻み、それに、とつづけた。
「虫の知らせと申しましょうか、今日あなたがお越しになるような気がしていたのです」
「……こんなにも、遅くなってしまいましたが」
 ダナ司祭は微笑をたたえ、どうぞ、と丁重にうながした。しかし老司祭はずいぶんと弱っており、階段をのぼることに難儀しているようだった。つとめて隠してはいるものの、膝の痛みをこらえて一段一段足を運んでいる。
「司祭、わたしは一人でも霊廟に行けますので、ご無理はなさらず」
 思わずミネルバが声をかけると、ダナは柔和な、しかし厳格さをひそませた口調で言った。
「姫さま、これはわたしのつとめでございますよ」
 ラキス・ダナはすでに八十のなかばをすぎている。年を考慮すれば健脚ともいえようが、会うたびに衰えを感じられるようになった。
 ミネルバが最後に霊廟を訪れたのは、丘に百合が咲き乱れていた初夏――母の命日のころだった。まだドルーアの侵攻が始まる前である。そのころダナ司祭はまだかくしゃくとしていたが、ほんの数か月のあいだにずいぶんと老いが進んでいるようだった。
「足元にお気をつけください」
 ダナ司祭に導かれ、聖堂の地下へと降りていく。今日は冬にしてはずいぶんと暖かい日だが、光の差さぬ地下墓所は冷気がみちていて、厚手のマントをまとっていても肌寒さを感じるほどだった。
 地下墓所にたどり着くと、ダナ司祭は手にしていた燭台で、蝋燭に火を移していった。先祖たちの柩が次々と暗闇にうかびあがる。
「こちらが陛下の御柩にございます」
 ダナが指し示す先に、ミネルバは視線を向ける。
 オズモンド王の柩は、慣例に従い、十年前に亡くなったモイラ王妃の隣に安置されていた。病がちだった王妃は生前、おのれの死期が近いと悟り、信頼のおける石工に自分の柩をこしらえさせていた。名工が手がけた王妃の柩は飛竜と百合を組み合わせた見事な浮彫がほどこされているが、急ごしらえの王の柩に装飾はなにひとつない。歴代王の壮麗な柩のなかにある簡素な柩は、ひっそりとさびしく、もの悲しさをただよわせていた。それが父の死にざまであるかに思え、ミネルバは眉をゆがませた。目頭に熱い涙がにじんだ。しかし泣き崩れることはしない。背筋をのばし、凛然たる面持ちで柩の前へと進み出た。父の前で無様な姿をさらすわけにはいかない。
 黒檀の柩のうえに、華奢な手をのせる。
 父は温厚にすぎると、ミシェイルはよく罵ることがよくあった。だが、オズモンドの元来の気性はけっして温厚と呼べるものではなかった。彼もまた、幼いころよりおのが父に加えられる屈辱を目の当たりにして育った。数十年前のマケドニアはまだまだ発展途上の時代である。アカネイア人はマケドニアの民をおなじ人間とはみなしておらず、宗主国からの要求も苛烈をきわめていた。いつであったか、父王がミネルバに自嘲的に語った。少年のころの自分は義憤に駆られ、弁務官に不遜な言動をくりかえしていた。やがて刃傷沙汰を起こし、あわや戦争に発展する事態になったこともあったのだと。
 苦難の時代をへて、ミネルバが生まれたころには、マケドニアは強力な竜騎士団と豊かな国土をもつ大国へと成長しつつあった。南方の雄。その名は、竜騎士団の勇猛さとともに大陸にとどろかせるようになった。オズモンドは耐えがたきを耐え、マケドニアを強国とする礎をたしかに築いた。
 しかし、それが徒となった。間接支配を脱せんと画策するマケドニアをアカネイアは警戒していた。そんなころに起こった大飢饉は、王に無情な対応を迫ることとなった。多くの民が餓死すると知りながら、アカネイアの要求を受けいれたのは、少年の日に刻みつけられた恐怖ゆえであったのだろう。
 ミネルバは、父が身のうちに秘めた燃えたぎる怒りを知っていた。膝を屈してはいても、心は屈してはいなかった。這いつくばり、靴で手を踏みにじられながらもアカネイアの役人に慈悲を乞う姿。それは、勇壮を誇る竜騎士であり、一国の王たる者にふさわしいものではなかった。それでも、ただひたすらに民の幸福を願い、マケドニアを守らんとする姿だった。
 幼いころ、はじめてアカネイアの弁務官を前にひざまづく父の姿を見たとき、あまりの痛ましさに涙があふれた。早く大人になって、その苦しみを、痛みを、およばずながらも、ともに分かち合いたいと思った。
 それはミシェイルもおなじだった。おなじだったはずなのだ。父上をお支えし、かならずや間接支配を脱してみせる。力強く将来を語る兄の顔は、まばゆい輝きにみちていた。王太子ミシェイルは、長きにわたり虐げられてきたマケドニアの曙の光だったのだ。
 しかし、その目に宿る輝きは少しずつかげりをおび、鈍い光がうごめくようになった。昏い絶望と赤い憎悪。ついには、みずから父を手にかけるにいたった。いずれ王位を継ぐミシェイルにとって、憐れな父の姿はやがて来る自分の姿でもあった。父の姿におのれの行く末を重ねるがゆえに、激しく恨んだのだろうか。痛ましく思う気持ちが逆巻く怒涛となって、憎悪に変じてしまったのだろうか。それとも、マケドニアにまつわる負の歴史を、父とともに葬り去ってしまいたかったのだろうか。
「父上」
 百合の花束を、香りとともに供える。
「父上が守ろうとされたこの国を、わたしはかならず守りとおしてみせます。ですから、どうか……」
 安らかに。
 ミネルバはこうべをたれ、祈りと誓いをささげた。柩に手をおいたまま、しばらく微動だにできなかった。父との思い出は苦いものが多い、けれどそればかりではない。髪をなでるやさしい手。抱きあげる力強い腕。教え諭す、厳しくも慈しみ深い目……。これが最後の別れと思えば、いつまでもここを離れがたかった。
 茫然と立ちつくしていると、階段を下りてくる足音が響いた。誰か来たのだろうか。ふりかえったミネルバは、驚愕に息をのんだ。
「これは王太子さま」
 ダナ司祭は一礼した。ミシェイルは軽く手を挙げてこたえる。
「葬儀のとき以来だな。息災のようでなによりだ」
「後いくつ冬を越せるかわからぬ老いぼれにございますが、なんとかやっております」
 驚きを隠せないミネルバに、ミシェイルは笑みを向けた。
「ことのほか早く終わったのでな、迎えに来た」
 いったいなんのことかとミネルバは憮然としたが、この程度のことに腹を立てても仕方がない。
 ミシェイルはミネルバの隣に立ち、父の柩をなでる。
「墓の装飾にこだわるなぞ無益なことと思っていたが、こうして祖先の棺とのあいだに並ぶと早くどうにかして差しあげたくもなるな。母の柩を手がけた石工に頼んでいるが、まだずいぶん時間がかかるという」
「ミシェイルさま、父君はそのようなことをお望みではないでしょう」
 ダナはたしなめるように言った。
「あの方が望んでおられたのは国の発展と平和。オズモンドさまだけではありません。マケドニア王となられた方はみな、祖国の発展を希求し、心血をそそいだすえに、ここに眠っておられます」
 そして奥へと進み、先々王イルテアスの柩の前に立った。
「わたしはアイオテさまの御代に生まれ、ご子息イルテアスさまにお仕えしました。その後も王家の方々をおよばずながら見守ってまいりましたが、そのすべての死にも立ち会うこととなりました。わたしが長く生きすぎておるとはいえ、歴代のマケドニア王はみなご短命であられる。アイオテさまは七年におよぶ戦いでお身体をそこなわれておりましたが、イルテアスさまもビセンテさまもそしてオズモンドさまもご幼少のころよりお健やかでいらしたのに、いずれも四十ほどで、志なかばにてお亡くなりになられた」
「イルテアス王は、たしか毒殺の噂もあったな」
 ミシェイルが口をはさむと、ダナは眉間に深くしわをよせた。
「イルテアスさまの死は、あまりに突然であられました。グルニアがらみの方針に逆らったがゆえにアカネイアに毒殺されたのではないかとの噂もございました。しかしあくまで噂は噂。真相は闇のなかにございます。もっとも、オズモンドさまがあのような亡くなり方をしたいまとなっては……」
「皮肉なものだな。父上の死によって五十年来の謎が解けるにいたったのは」
 ミシェイルの放言に、ミネルバはそっと瞑目した。こうして虚偽が真実に塗り替えられていくのだろうか。
「いずれにしましても、アイオテさまをのぞいて、みな少年が王となられる。そしてミシェイルさま」
 ダナはふりかえり、ミシェイルにまっすぐ向き合った。
「あなたさまもお若くして王となられる」
「俺は歴代王ほど幼くはない。春には十九になる」
 そうでございましたな、とダナはミシェイルを静かに見すえた。杖を持つ手が小刻みにゆれていた。
「三年前にオズモンドさまが病を得られたときは、またしても少年王が即位されるのかと思いましたが、いやはや……あなたはご立派になられた」
 ミシェイルは口元をゆるませただけで、それにはこたえなかった。
「ではな司祭、また近々まいる」
 行くぞ、となかば強制的にうながされ、ミネルバは兄の後を追い、地下墓所の階段をのぼった。

 聖堂を出ると、二頭の飛竜がならんで主を待っていた。ミシェイルの愛竜メティスはイージスよりもひとまわり大きな雌で、角の数も多い。学者の推測では、二千歳はゆうに超えているとのことだった。イージスはメティスを昔から慕っており、鼻先をメティスの口や首に押しつけていた。さらには近づいてきたミシェイルに、無邪気に甘えるそぶりを見せる。ミシェイルに顔を軽くなでられると、イージスは気持ちよさそうに目を閉じた。それはあたりまえの光景だったというのに、いまのミネルバにとっては目をそむけたくなるものだった。
 ふたりが騎乗し王城に向けて飛び立とうとした、まさにそのときだった。
「――ミシェイルさま、ミネルバさま!」
 ダナが息を切らせて駆けつけてきた。杖ももたず、つねの沈着さもかなぐり捨て、決死の形相で口疾に語りかけた。
「わたしにはあなた方の末を見守ることは叶いませぬ。しかしわたしは信じております。あなた方ならば、おふたりならば、歴代の王が渇望された夢をかならずや叶えられると。これはオズモンドさまの願いでもあられた。それだけはどうぞ心におとどめください」
 ダナはその場で膝を折った。もう立ってはいられなかったか。それとも、ひざまづこうとしたのか。
 あまりのことにミネルバは驚き、飛竜から降りようとした。しかしミシェイルはそれを目で制した。またいつもの冷たいまなざしだった。
「ダナよ」
 手綱をとったミシェイルは、悠然と老司祭を見おろす。
「俺は祖先たちとは違う。けして志なかばで倒れることはせぬ」
 言うや、飛竜を駆って空に舞いあがった。
 ミネルバはダナに目礼し、兄につづいて飛竜を駆った。みるみるうちに遠ざかっていくダナを、その姿が見えなくなるまでミネルバはみつめていた。ダナもその場から動かず、蒼天を見あげていた。

 テミス聖堂から王城に戻るまで、ふたりは言葉をかわさなかった。主宮の露台に降りたち、世話係が飛竜を厩舎へ連れて行くさなかも、ミシェイルはミネルバと目を合わせようとはしなかった。なぜミシェイルは霊廟にやってきたのか。迎えに来たというのは明らかな噓である。ダナ司祭に用があったとしか思えなかったが、そのわりには司祭への態度は冷淡だった。
 居心地の悪さに耐えかね、部屋に戻ろうとしたミネルバをミシェイルが引きとめた。
「話がある」
 その声は、そっけない、というよりも、不機嫌そのものだった。なにか機嫌をそこねるようなことをしてしまったのか。ミネルバはため息を押し殺し、兄の後をついて部屋に向かった。
 第一王子と第一王女の部屋は、ともに東翼にある。子供のころは西翼の続き部屋を使っていたが、十をすぎたころ東翼に移った。以来、各自その部屋に住まっている。
 東翼には歴代王の居室があるが、ミシェイルは即位しようともそこへ移るつもりはないようだった。みずからが父を殺めたその部屋を、使う気になどなれないだろう。
 主室に入ると、ほのかに酒精のにおいがただよっていた。小卓には、赤葡萄酒の入ったデキャンタがおかれている。ミシェイルは葡萄酒を杯にそそぎ、半分ほどを一気にあおった。ミネルバにも酒を勧めてきたが、ミネルバはそれを断る。
「話とは、なんです」
「そこに座れ」
 ミシェイルは肘掛け椅子を指し示し、自身は長椅子に腰を下ろした。
 座ろうとしないミネルバを無視して話を切り出す。
「おまえ、ダナをどう思った?」
 意味を図りかね、ミネルバはまたたきをした。
「勘づいていると思うか」
「……なにをです?」
「俺が父を殺めたことを」
「まさか」
 ミネルバは笑いそうになった。
「あの方はむしろアカネイアによる暗殺と信じておられたではありませんか」
「おまえにすらそう見えたか」
 ミシェイルは含み笑いをし、杯をかたむけた。
 機嫌を直した兄をみつめたまま、ミネルバはさきほどの兄と司祭のやりとりを思い起こした。そしてようやく気づく。
 ダナ司祭は生涯をかけて仕えた王たちの追憶に浸っているかに見えたが、いまになって思えば、ミシェイルに対する言葉の端々になにやら当てつけのような棘がふくまれていた。
 イルテアス王暗殺の件もそうだ。たしかに王の死はアカネイアの手による毒殺との噂もあった。しかしそれは反アカネイア派が好む、眉唾物の異説にすぎない。事の真相はマケドニアにとって不都合なもので、アカネイアに強硬な姿勢をとるイルテアスに危機感をおぼえた宰相の手による暗殺と断じられている。当時の宰相オーレフ・リュッケはイルテアスの妹を娶り、宮廷で絶大な権勢を誇っていたが、王の死の直後に執務室で死を遂げた。懐剣で喉を突いていた。遺書はなかったが、一族の者はみな当主の行いは自裁と認めていたという。
 つまり、イルテアス王とオズモンド王の死にまつわる状況は非常によく似ている。ゆえにミシェイルはあえてイルテアス王の話題を持ちかけることでダナの出方を探ったのだ。一方のダナは真相を確信しており、だからこそ王太子の進む道を案じ、翻意をうながしたのだろう。
 あのとき、もしミシェイルが地下墓所を訪れなければどうなっていただろうか。ダナはミネルバから真相を訊きだそうとしただろうか。そのときミネルバはダナに兄の所業を明かしただろうか。
 そしてダナに、告発をうながしただろうか。兄の苛立ちは、それを恐れるがゆえなのか。
「もしも」
 ミネルバはかすれた声で問うた。
「司祭があなたを告発すれば、どうなさいますか」
「そうなれば厄介なことになるな。父殺しは死罪。いっさいの例外はなくな」
 ミシェイルはこともなげに言って、鼻を鳴らした。
「ラキス・ダナの告発となれば、老いぼれの戯言と片づけるわけにもゆかぬ。困ったことだ」
「その前に手を打つと?」
「勘違いをするな。俺はなにもする気はない。なによりあの男にその気があるなら、とうにそうしていよう。だが……」
 ミシェイルは葡萄酒を吞みほし、杯を卓においた。忌々しげにつぶやく。
「あれはわれらよりも濃いアイオテの血を引く者。ドルーアと手を組んだ俺をけっして許しはせぬだろう」
 公に語られることはないが、ラキス・ダナはアイオテの妾腹の子で、第二代国王イルテアスの異母弟である。アイオテ崩御時はまだ二歳。偉大なる父の記憶は持たないが、兄イルテアスの庇護を受けて育った。イルテアス王の死後、霊廟の管理者となったが、その後も甥にあたるビセンテ王、さらにその子のオズモンドの相談役をつとめてきた。十年ほど前、ちょうどモイラ王妃が亡くなったころに、墓守として隠遁生活に入ったが、それはダナにとって長い人生のほんの一部にすぎない。彼は七十年にわたりマケドニア宮廷の中心にいたのだ。小手先のごまかしが通じる相手ではない。
「あやつは俺にこう言いたかったのだ。アカネイアの羈絆を逃れんとするあまり、ドルーアの傀儡となる道を選んだ愚か者とな」
「傀儡とならぬ自信がおありなのですか」
 ミシェイルはゆっくりと顏をあげた。
 どこか獣じみた鋭い瞳が冷たくミネルバを射ぬく。かつてなら身がすくみそうになっただろうが、そのまなざしにもずいぶんとなれてしまっていた。
「あなたにとって大事だったのは、マケドニアがアカネイアより優位な立場で生き残ること。だから、ドルーアに抗うよりもドルーアとともにアカネイアを討つ道を選んだのでしょう?」
「そうだ」
「たとえ諸王国と連合しドルーアを滅ぼせたとして、わが国はアカネイアの支配を脱することはできない。ドルーアとまともに戦えば国が衰退し、アカネイアに対抗する力が失われる。だからマムクートの力でアカネイアを滅ぼすべくドルーアと手を組んだ。聖王国滅亡の先にしかこの国の未来はない、そう信じているのでしょう?」
「よくわかっているではないか」
 ミシェイルはひとしきり笑い、あきれたように問う。
「そこまでわかっていて、なぜおまえは俺に従わぬ」
「従っているでしょう!」
 ミネルバは泣かんばかりに声をあららげた。
「これ以上どうしろというの? いまのわたしには抗うすべもない。なにかを変える力ももたない。戦えと言われれば、そのとおりにするわ。どこの国のどのような軍とだって命じられるがままに。それでもまだ足りないというの」
「そんなことを言っているのではない」
 ミシェイルは立ちあがった。
「おまえが俺を受けいれぬのは、俺が親父を殺したからか」
「違うわ」
 即答したものの、鋭くにらまれ、ミネルバは逡巡した。視線を床に落とす。
「……違うと思うわ」
「なにが違う」
「きっとダナ司祭とおなじだわ。アイオテの裔たる者が、ドルーアに与するのが受けいれられない。それに……」
 ミネルバは兄を悲しげにみつめた。
「こんな道を選ばなくても夢は叶えられたはずだわ。父上だってそう期待されていたのに、あなたが父上の想いを踏みにじったことがわたしには許せない」
 ミシェイルは手のひらを目元にあてて笑った。低く響く、悲しい笑い声だった。酔いが回ったわけでもないだろうに、くずおれるように長椅子に座り、だらりと肘掛けによりかかった。やがて顔をあげ、つぶやくように言った。
「おまえにはわからんだろう」
「なにがわからないというの」
「親父のことだ」
「……父上が、なんだというの」
 ミシェイルは黙った。
「わたしが、なにをわかっていないというの……」
 途方に暮れたように、ミネルバは言いつのった。その声はほとんど吐息のようだった。
 しかしミシェイルはそれきり口を開かなかった。
 ミネルバもそれ以上はなにも聞けなかった。耳朶にいつまでも悲しい笑声が響いていた。

 ――その五日後。十二の月十八日。
 この冬初めて王都に雪が降った日、ダナ家当主ラキスは還らぬ人となった。テミス聖堂の地下、イルテアス王の柩の前でひざまづいたまま息絶えていた。
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