マケドニア598(本編)

「おお、姫さまがお戻りになられたぞ!」
 朱色に染まる上空に赤い騎影が現れると、王都の民は熱狂的な歓声をあげた。ミネルバは一刻も早く王城へ向かおうとしていたが、従者にうながされ、ひとまず城下に降り立った。我先にと押しよせる人々に取り囲まれ、矢継ぎ早に賛辞と感謝の言葉を受ける。
 討伐軍が派遣されてから、王都は暗澹たる空気につつまれていた。この国にはもうドルーア戦争を知る者はいない。誰も知らぬからこそ伝説が独り歩きし、民はドルーアの脅威に怯えていた。
 そんな空気を晴らすべく、第一王女の活躍がことさらに喧伝されていた。ミネルバは微笑をもって民衆にこたえていたが、その面持ちはどこかぎこちない。民の熱狂は恐怖の裏返しでしかないとわかっていた。なにより事態はなんら好転していない。

 一昨日、死闘のつづく前線に急使がもたらされた。メディウスの使者がふたたび王城を訪れたこと、使者との交渉中につき戦闘は一時中断されると書簡に記されていた。この知らせは火竜に心をくじかれた兵士たちにかりそめの平安を与えた。
 王太子ミシェイルはただちに王城へ戻ったが、ミネルバは要塞に留まり、戦闘の後処理を行った。そして今日の昼すぎ、部下に留守を任せて前線を後にした。ミネルバが国境の守りについてから、王城に戻るのはこれが初めてとなる。
 熱烈な歓待を終えて城に帰還すると、女官が待ちかねていたとばかりに駆けよってきた。飛竜から降りたミネルバは、出迎えた女官にマントを手渡した。
「父上はどちらに」
「いまは私室におられます。……ミシェイル殿下ととともに」
 女官の声には恐れがにじんでおり、ミネルバは顔をくもらせた。一足先にミシェイルが王城に戻ったことがひどく心にかかっていたが、その予感は的中したようだ。すぐさま主宮へむかい、王の居室へと通じる廊下を足早に進んだ。まだ癒えきらぬ脇腹の傷が、歩を進めるごとにしくしく痛んだ。

 暗黒竜メディウスの復活は、ドルーアと国境を接するマケドニアを混乱の極みに陥れた。
 突然の侵攻だった。しかし異変の兆しはあった。半年ほど前から、北部開拓民からマムクートと思しき一群を見かけたとの報告が相次いでいた。なにかよからぬ企みがあるのではないか。オズモンド王が飛行部隊を送りこみ、ドルーア南部一帯を監視させていたが、しばらくのあいだ異変は見られなかった。ただの杞憂であったか。王が部隊の引き上げを命じようとした矢先、メディウスの使者が国境警備兵の首級とともに王城に現れた。そして王に迫った。メディウス陛下に忠誠を誓い、ドルーアに服従せよ、と。
 アイオテの裔たる王は、毅然として要求を拒んだ。ただちにアカネイアに援軍を要請し、ドルーア討伐軍の派遣を決定した。ミネルバはみずから志願し前線に赴いた。ミシェイルは少し遅れて戦線に加わったものの、王城と国境をいくども行き来していた。
 兄は、当初より父王の方針に納得していなかった。アカネイアは援軍を出さない、マケドニアにすべてを押しつけ捨て駒とするつもりだと冷ややかに言い放った。
 そして十日前、待ちわびたアカネイア王からの返書が希望を打ち砕いた。派兵要請には応じるとあった。しかし具体的な方針はまったく示されていなかった。無慈悲な答えに気落ちする貴族に兄は言った。ドルーアの狙いはアカネイアである、アカネイアのためにわれらが流すべき血は一滴たりとてない、即刻前線の部隊を撤退させるべきであると。その主張は喝采をもって受け入れられたが、父王は兄の訴えをにべなく退けたという。
 そんな宮廷の様子をつづった書簡が、前線にいるミネルバのもとへ届けられていた。だから覚悟はしていた。出立の前より父と兄の関係は悪化しているはずだと。わかってはいたものの、廊下にまで響く兄の怒声に身をすくませた。
「――今日まで将兵らを捨て駒としておきながら、ようやくあなたが決断されたことが無様に哀訴に出向くことだと言われるのか! この期におよんでそのような無策をとられるならば、使者の前で膝を折り、ドルーアにも憐れを乞われればよかったのだ。お得意であろう!」
 扉においた手がびくりとふるえた。あまりに侮蔑にみちた暴言に、さすがに父の怒りを買うのではないかと思った。しかし父王はなにも言い返さなかった。
 ミネルバは取っ手にふれ、ほんの少し扉を押しひらいた。なかをのぞき見ると、兄は肘掛椅子に座る父と小卓をはさんで向かい合っていた。
 父の顔はよく見えた。しかしその心を表情から読みとることはできない。父はもともと感情を表に出さない人ではあったが、病を得て盲目となってからはわずかな心の機微さえ見えなくなった。
 ミシェイルの表情はここからはうかがえないが、その肩がわずかにふるえているのがわかった。抑えこんだ怒りの激しさを、ミネルバは痛いほどに感じていた。
「父上」
 意を決して、なかば押し入るように部屋の中央まで進んだ。ひりついた空間にひびを入れるべく、朗々と礼をとる。
「ただいま戻りました」
「おお、ミネルバよ。よくぞ戻った」
 父王は杖を手にし、おもむろにミネルバのいるほうへ歩みよった。
「ご苦労であったな。して、前線の様子は」
何事もなかったかのように話しはじめると、ミシェイルはいらだたしげに顔をそむけた。
 ミネルバはそんな兄を痛ましく思いつつ、言葉をつづけた。
「いまはまだ兵の士気も高く、再度の使者が訪れたことを知っても大きな混乱は見られません。ただ……」
「いかがした」
「攻撃の手がゆるんだことで、彼らは安堵しております」
「兵にはぬか喜びをさせることになろう。ドルーアからの申し出など信用のならぬものだ。われらを油断させ、奇襲をかける腹づもりであろうよ」
「警戒は怠らぬよう申し伝えております。それでも休める者にはいまのうちに休息をとらせています。過酷な戦闘がつづき、多くの兵は疲弊しておりますから」
「あの不意討ちから、もうひと月か」
 早いものだ、と王は嘆息した。
「おまえの活躍は聞きおよんでいる。メスト公も讃えておった。われも鼻が高い。しかし重い傷を負ったとも聞いた。その様子では大事にはいたらなかったようだが、一報を受けたときは肝が冷えたぞ」
「ご心配をおかけして申しわけございません。幸いにして、致命傷は避けられました。しかし……グイドを失いました」
 わたしの落ち度ゆえに、とミネルバは声をふるわせた。
「グイドバルド・プラージ……なんとも惜しい若者をなくしたことよ。あれはいずれ国の中枢を支える俊傑となったであろうに」
「空々しいことを。あなたはどれほどの命が失われればおわかりになるのだ!」
 ミシェイルが鋭く口をはさんだ。
「もし火竜になぶり殺されたのがミネルバだったならどうされる。それでようやく無謀な戦いだと気づかれるのか!」
「兄上!」
 ミネルバは激昂するミシェイルに駆けより、たしなめるように腕をつかんだ。二人のあいだをさえぎるように父に向き直る。
「再度、メディウスの使者が訪れたとのこと。こたびはいったいなにを要求してきたのですか」
「メディウスはわれらに同盟を申し入れてきたのだ」
 父が答えるよりも早く、ミシェイルが口を切った。
「……同盟?」
 ミネルバは父をうかがい見たが、なにも答える様子がない。かたわらの兄を見上げる。
「同盟を結んで、どうなるというのです。ドルーアとともにアカネイアへ攻めこめと?」
「そうだ。いち早くドルーアと連合する意思があるのなら、われらを対等な同盟国として遇する用意があるとのことだ。父上は早々に使者を追い返されたが、まだしばしの猶予は与えられている。これはわれらにとって光明でもある。いたずらにアカネイアの助けを待ち、無益な抗いをつづけるよりはいっそ――」
「ばかげたことを申すな」
 父王が重々しく一喝した。
「いたずらに助けを待つ? 無益な抗いだと? 諸国の動静が鮮明にならぬうちからドルーアに屈する道理がどこにあるのだ」
「諸国の動静などもはや明らか。アカネイアがわれらのために精鋭の騎士団を派遣するとお思いか。そもそも、聖王国の軟弱な騎士団なぞわれらが竜騎士団の足手まといにしかならぬ」
 父王の眉がかすかによせられる。
「ミシェイルよ、メディウスの使者になにを吹きこまれたかは知らぬが、ドルーアと手を組めばマケドニアは終わりぞ。諸国すべてを敵に回しわれらは孤立する。なぜおまえにはそれがわからんのだ」
「父上こそなぜおわかりにならぬ。来るはずのない援軍を待ちつづけ、時を浪費するほど愚かな所業はないとわたしは申しあげているのだ」
「さもあろう。このままではこの国は滅ぶやもしれんな。おまえの偏狭な見立てによればな」
 ミシェイルの頬が引きつった。
「よいか、いまは耐えねばならぬ時ぞ。アカネイア同盟軍がドルーア打倒の兵を挙げるまではな」
「前線の兵士にこれ以上どう耐えろと言われるのか!」
 ミシェイルは卓を叩き、父をねめつけた。父王もまた、盲いた目で息子をみすえた。
 睨みあう父と兄を、ミネルバは固唾をのんで見守っていた。この数年、二人の諍いはめずらしくもない。兄の父に対する言葉はいつも毒をはらんでおり、ともすれば嘲罵を浴びせることさえあった。そのたびにミネルバは必死に兄をなだめようとしてきたが、いまばかりは、情に訴え、仲裁を図る気にはなれなかった。グイドバルドは兄の親友だった。無益な戦いでその命が失われたことが我慢ならないのだ。
 夜風が窓を叩く。呼吸さえためらわれるような沈黙が長くつづくなか、ミシェイルは諦めたように視線をそらした。
「そうやって、また見殺しにされるのだな。……あなたは」
 その投げかけがなにを言わんとしたものか、父王にはわかっていただろう。それでもなにも言い返すことはなく、心を乱された様子もなかった。
 しかしミシェイルが出て行くやいなや、肩を落として長いため息をついた。杖を支えに、なんとか立っているようであった。
「わが子ながらなんと愚かな……」
 力なくうめく。
「マムクートに屈し、あまつさえメディウスの野望に与するなど、民と国を売り渡す所業ぞ。どこからそのような愚にもつかぬ考えがうかぶのやら」
「兄上は本気で同盟などお考えではないでしょう。ただ、口惜しいとお思いなのです。多くの将兵を失ってもなお、アカネイアに頼るしかない窮状に」
「あれの考えておることなど知れたこと。マムクートの手下となってでもアカネイアに意趣を返したいというのだろう」
 王は眉間に苦悩のしわを深く刻んだ。
「あれには幼いころより、王としてあるべきさまを説いてきたつもりだ。われの願いどおり、まこと立派に育ってくれたものと思う。しかし、あれは耐えることを知らぬ」
「兄上は充分に耐えておられます。幼いころからずっと父上のそばで見てこられたのですから、父上の苦悩は誰よりも――」
「いや、真にはわかっておらぬ。あれがわれのもとで培ってきたは憎悪のみ。ゆえに危ういのだ」
 ミネルバは静かにため息をついた。
 兄の危うさ。それはミネルバも常々感じていることであった。ここ数年、ミシェイルはアカネイアの弁務官シモン・ネイヤールを公然と批判するようになっていた。アカネイア王から全権を委任されたシモンへの無礼なふるまいは多くの宮廷人を青ざめさせ、近侍が諫めても聞く耳をもたず、父から厳しく叱責されようとも、シモンに逆らえぬ父を逆に軽侮した。そんな王太子の行く末を危ぶむ声さえ聞かれた。
 兄を変えたきっかけ。それは八年前にさかのぼる。
 当時、冷害が数年にわたりつづき、五九〇年の秋には諸国が深刻な食糧不足に陥っていた。飢饉とはいえマケドニアには民をなんとか冬越えさせるだけの蓄えがあったとされる。にもかかわらず七王国のなかでもっとも多くの餓死者を出したのがマケドニアだった。
 建国当初より、アカネイアはマケドニアを自国にとって都合のよい穀倉地帯とみなしており、毎年規定量の小麦を上納する取り決めがなされていた。しかしあの年は、飢饉のために規定量の大幅緩和を申し出ざるをえなかったが、アカネイアはそれを渋った。王はなんとか食い下がり、結局は例年の六割の量で決着したのだが、それでさえ大半を備蓄小麦から拠出してようやく達成できる量だった。
 アカネイアにすれば、われらは慈悲をかけてやったのだ、恨まれる筋合いなどないと言うのだろう。しかし、なけなしの食糧を奪われた民は、働けぬ者から見捨てざるをえなくなった。そのせいでマケドニアには、ミネルバからマリアぐらいの年の子――とりわけ女児がごっそりいない。飢饉が遺した爪痕は、このさき数十年にわたってマケドニアを蝕むこととなるだろう。
 領民を失った貴族は、宗主国の傲慢さと民を見捨てた王に怒った。当時十歳だったミシェイルも父王に食ってかかったほどだった。数千の民が飢えて死んだあの冬を境に、父に抱いていた全幅の信頼は失われたのだ。

「陛下」
 扉がひらき、ミネルバはふりむいた。入室してきたのは宰相エラルド・メスト公とその配下テレンス・ヴェーリ伯、バルトロ・プラージ伯だった。プラージ伯の顔を見た瞬間、ミネルバは反射的に目をそらしてしまった。
 プラージ伯はそれを察してか、みずからミネルバの前に進み出てきた。
「殿下、ご無事に帰還されましたこと、およろこび申しあげます」
 そのねぎらいが、ミネルバをいたたまれなくさせた。口をついて出そうになった謝罪の言葉を、プラージはほほえみで制した。静かな微笑だった。その目には怒りも悲しみもなかった。
 王が先発隊の派遣を決定したとき、それがどれほど危険な任務か知りながらまっさきに志願したのがグイドバルドだった。その勇敢さが若い竜騎士たちの心を動かした。ミネルバもまたその一人であった。戦う力をもちながら、王城にとどまることなどできぬと思った。
 おのおのが信念をもって戦地に赴いたのだ。いまさら陳腐な謝罪など口にすべきではない。それではかえってグイドバルドの想いを踏みにじることになる。覚悟を決めて息子を送りだしたプラージ伯に対しても非礼なふるまいに思われ、ミネルバはただ黙するほかなかった。
「して、そちらもずいぶん荒れたようだな」
 王が沈黙を破ると、メスト公が口を開いた。
「わたしが居合わせておりましたのに、場をおさめきれずお恥ずかしいかぎり」
「なにがあったのですか」
 ミネルバが口をはさむと、メスト公は疲れたように苦笑した。
「先刻の軍議でのことにございます。突如乗りこんできたシモンどのが、早々に竜騎士団五部隊すべてを前線に送れと騒ぎ立てられましてな。これに対しシェンケルがアカネイアが援軍を派遣するのが先だと応酬し、それに呼応して若い騎士たちまでもシモンどのを糾弾しはじめたのです。あげく、本国に見捨てられた憐れな小役人とシェンケルが愚弄したものですから、怒ったシモンどのが剣を抜き、シェンケルに斬りかかったのですよ」
「……それで、シェンケルに怪我は?」
「すぐにシモンどのをお止めしたゆえ、あれはかすり傷ひとつ負ってはおりません」
「まあ、あやつは少々痛い目を見たほうがよかったのやもしれませんが」
 プラージがあきれ声でつぶやくと、メスト公は磊落に笑った。
「不思議なものにございます。ほんのひと月前ならば、王城でこのような事件が起これば血の気が引いたものでしたが、いまのわれらにはあの弁務官の怒りを恐れる余裕さえございません」
 父王も呵々と笑った。
「シモンがそれほどまでに焦る姿、われも見てみたかったものだ」
 父王の諧謔にとまどいつつ、ミネルバは問う。
「シモンがパレスに遣った使節、まだ戻らないのですか」
「そうだ、誰ひとりとしてな。無事にたどり着いたのかも定かではない」
「おそらくはドルーアの手にかかったものと思われます」
 プラージの言葉に、ミネルバは焦燥をにじませた。
「ドルーアは、われらを孤立させようとしてるのですね」
「見くびられたものよ。孤立無援となればドルーアに降ると思っておるのだろう」
 父王は手をさまよわせた。肘掛け椅子の背をつかみそこない、がくりと身体がかしいだ。ミネルバはすばやく父のもとに駆けより、その体を支える。
 ゆっくりと椅子に身体を沈め、背をもたれかからせた父王は、すまぬと苦笑した。
「おまえも、われをふがいなく思っておろう。よもや盲いの王にできることなど、ドルーアの使者にひざまづき、メディウスに憐れみを乞うことぐらいであろうよ」
 あれの言うようにな、と低く笑う。その痛ましさに、ミネルバは眉をゆがめ、父の手を強く握りしめた。
 父王はその手をつつみこむように握りかえす。
「つまらぬことを言った。おなじ憐れみを乞うのであれば、アカネイア王に対してであるべきだろう。われは近々パレスに出向き、わが国の窮状を訴える」
「危険です。父上が行かれるとなればドルーアがどのような妨害を仕掛けてくるか――」
「ご心配にはおよびませぬ」
 メスト公は柔和な笑みをたたえたまま、しかし決然と言った。
「パレスへは竜騎士団を率いて参ります。わたしが盾となり陛下をお守りいたしますゆえ、姫さまはどうぞお心安らかに」
 宰相にして近衛隊長。父を幼少のころから支えつづけたメスト公の言葉は心強かった。しかし別の不安が首をもたげる。
「ですが、兄上は反対しておられるのでしょう?」
「メディウスの使者を早々に追い返し、アカネイアに頼ることがあれには我慢ならぬのだろう。……わからぬではないが」
「それにしましても」
 それまで黙していたテレンス・ヴェーリが語気を荒らげた。
「王太子の暴挙、目にあまりまする。シェンケルら下級貴族の増長も王太子が煽り立てているようなもの。シモンを、仮にもアカネイア王の代理たる者を、あのように激昂させることがわが国になんの益があるというのか。あの者たちの行いは浅はかにもほどが――」
「よい」
 王がさえぎった。
「あれのことは、もうよいのだ」
「……差し出がましいことを申しました」
 テレンス・ヴェーリは深々とこうべをたれた。
 父王はミネルバの手をかたくにぎる。
「われらが留守のあいだ、おまえはなんとか国境を守りとおしてくれ。アカネイア王との交渉がどのような結果となろうと希望が断たれるわけではない。アリティアにも立ち寄るつもりでいる」
「アリティア? なぜです?」
 とまどうミネルバに、メスト公は言った。
「アリティアには息子を密使として送っていたのです。先ほど息子から急使が届きました。コーネリアス王の了承を得られ、王はすでに派兵の準備を進めておられると」
「コーネリアス王がわれらに援軍を……!」
「なんともありがたいことにございます。アカネイアの出方にもよりますが、七王国の軍が連合し、ドルーアに蜂起する日もそう遠くはないでしょう」
「ああっ……そうなれば前線で耐え抜いている将兵らの労苦も報われるというもの……!」
 ミネルバの安堵にみちた声音を感じとり、父王はほほえんだ。メスト公も静かに目を伏せる。
「では陛下、のちほど」
 三人が退室し、扉が閉ざされると、父王がぽつりと言った。
「ミシェイルのことはおまえに任せる。あれにはもう、われの言葉など届かぬのだ。だが、おまえの訴えならば多少なりとも耳を貸すだろう」
「父上……」
 親父はなにもわかっていないと兄は吐き捨てるように言う。しかし父はミネルバにこんなことを言ったのだ。あれは、昔のわれと似ている。だからあれの考えておることなど手にとるようにわかるのだ、と。
 メスト公も、まだ少年のころの父がはシモンの前任者と刀傷沙汰を起こしたことがあるのだとこっそり教えてくれたことがある。いまの父からは信じられないが、まるで兄のようではないかと不謹慎ながらうれしく思ったのだ。
 父は兄がアカネイアの役人に礼を欠く行いをすれば厳しく咎めたが、自身にはどれほど侮辱を加えられようとも怒りの気配さえ感じさせることはなかった。なにを言われても、あきらめたように感情を動かさぬ父に、かえって兄はいらだつようであった。
 それはきっと未来の自分の写し絵であるからだ。
「承知いたしました」
 ミネルバは明るい声を作る。
「いまから兄上と話してみます。聞き入れてくださるかはわかりませんが」
「……おまえには苦労をかける」
 肩を落とす父に、ミネルバはかける言葉を持たなかった。ただそっと広くも頼りなげな肩を抱きしめた。
 三年前、オズモンド王は突として病に冒された。十日も高熱にうなされ、一命はとりとめたものの、両の目から光を失った。さらには半身が萎えた。まだ三十代の半ばであったというのに、起居のすべてに介添えを要するようになった。
 竜騎士である王にとって、この突然の病は、手足をもぎとられるよりも深い苦悩を与えたに違いなかった。王の一挙一動には諦念がにじみでており、絶望することすらあきらめてしまったようだった。
 主人に忠実な飛竜ならば、盲いの王をのせて天を自在に駆けることができるかもしれない。しかし、長年の勘を頼りにしようとも、兵を率い、先陣きってドルーアと戦うことは叶わない。
 もし父の目が光を失っていなければ、もっと兄とわかり合えたのではないか。苦悩の果てに、栓なきことをミネルバは思った。
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