マケドニア598(本編)

 紅蓮の炎が岩肌を焼き、密林を赤く染めた。
 勇み立つ若者は長槍を手に、我先にと火竜へ挑みかかった。しかしその槍が標的に届くことはない。棘におおわれた尾が容赦なく彼らを襲った。薙ぎはらわれた二人の騎士は、飛竜ごと岩壁に叩きつけられ、そのまま崖下へ転がっていった。
 主を失った二匹の飛竜は、折れた翼を懸命にはためかせ、火竜へ襲いかかった。本能のままに炎を吐き、敵を威嚇する。
 飛竜とは、恐ろしいなりをした生き物である。聖王国の役人はみな飛竜を恐れ、けっしてわれらに近づけぬよう、と傲慢に言い放ったものだった。しかし火竜とくらべれば、飛竜など飼いならされた獣にすぎない。体は小さく、ブレスも弱い。主に忠実なさまは愛らしいとさえ言える。
 そんな両者の勝負はたやすく決した。健気な飛竜は火竜の鉤爪で腹を裂かれて墜落した。焼け焦げた大地でのたうち、やがてその動きをとめる。
 王女ミネルバは唇をかみしめた。その怜悧な美貌に焦燥が走った。

 南方の雄マケドニア王国は、建国当初より旧ドルーア帝国の監視を担ってきた。建国を全面支援した聖アカネイアの思惑によるものであったが、祖先を奴隷にされ、辛酸を舐めつくしたマケドニアの民にとって、帝国の崩壊後もマムクートは脅威と憎悪の対象だった。国境防衛はわれらが使命、そう自負し、身命を賭してきた。
 しかし百年のときは長い。悠久の時をへて暗黒竜は伝説となり、人はあらたな時代を生きていた。やがて凶暴な蛮族との抗争に倦んだマケドニア兵は、ドルーア奥地への哨戒をやめ、谷に築いた要塞にわずかばかりの兵をおくだけとなっていた。
 メディウスはアンリに討たれ、とこしえの眠りについたのだ。よもや目覚めることもあるまい。人々はそう信じていた。そんな慢心が徒となったのだろうか。
 アカネイア暦五九八年、八の月七日。
 突としてドルーア軍によるマケドニア侵攻がはじまった。暗黒竜復活という震天動地に虚を突かれ、国境警備兵はなすすべもなく壊滅。北部国境は地獄絵図と化していた。
 そこへ駆けつけたのが、マケドニアが誇る竜騎士団であった。その勇猛な軍勢のなかに一騎、ひときわ目を惹くあざやかな騎士の姿があった。紅い髪の女竜騎士――第一王女ミネルバである。
 国境での死闘は、ようやく十四となったばかりの王女には過酷なものだった。女だてらに飛竜を乗りこなし、さすがはアイオテの血筋よと称えられてはいても、これまで人を手にかけたことなどあるはずもない。そしていま、王女が対峙しているのは人ではない。獰猛な火竜である。
 王女が討伐軍に加わると名乗りをあげたとき、廷臣らは口々に異を唱えた。高貴の身を案ずるだけではない。まだ幼い姫を借り出さねばならぬほどこの国は危機に瀕しているのか。そんな不安を煽りかねない。万が一、落命しようものなら民の混乱は計り知れないものとなる。
 しかしそれは杞憂だった。
 深紅の甲冑を痩躯にまとい、紅い髪をなびかせる王女はお飾りの将ではなかった。並居る精鋭にまじり、恐れも見せず、みずから先頭に立った。王女の愛竜は、主の意のままに炎をかいくぐり、火竜の死角に回りこむ。飛翔の勢いにまかせ、王女は銀槍で火竜の頸部を切り裂いた。火竜は苦悶に身をよじらせ、尾をふりまわした。しかし尾の動きはあきらかに鈍っており、王女はひらりとそれをかわした。
 華々しい活躍を見せながらも、ミネルバの表情は険しいものだった。すでに手の感覚はなくなっていた。先日の戦いで負った脇腹の傷も、一撃をくり出すごとに痛みが走り、意識が遠のきそうになっている。いま、彼女を突き動かしているのは、アイオテを祖とするおのが血への誇り、そして傷つき倒れた兵士に報わんとする信念だった。
 同胞の無残な死に沈む兵の心は、戦場に咲く深紅の花によって大いに鼓舞された。王女につづけと、竜騎士たちは風を切り裂き、火竜に躍りかかった。背に銀槍を打ちこまれた火竜は、雄叫びとともに赤黒い血を吐き出した。断末魔の咆哮である。
 竜騎士たちはいっせいに空へ離脱した。
 赤い獣は首をもたげ、天空を駆ける騎士たちをにらみつけた。恨みがましく天を仰いだが、巨木が倒れるように地に伏せた。地鳴りがあたりをゆるがすと、大歓声が天を衝いた。
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