第一部
歓待の宴から三日後、大使のための狩りが催された。
王城の北の森は王家の狩猟場であるが、オズモンド王の時代、影の王と揶揄された弁務官シモンが狩りを好んだため、頻繁に狩りが行われていた。シモンの趣味のためにアカネイアから大型の猟犬が持ちこまれ、いま飼われている猟犬はその子孫たちである。
ミシェイルも年に数回ほど狩りに訪れていたが、供の者を数人しか連れず、気散じ程度のものだった。こたびのようにアカネイア貴族を歓待するためのものは七年ぶりのこととなる。トルイユが狩りを好むと事前に聞いていたため、早くから準備が進められていたのだが、森番にとっては王家の者以上に気を遣う相手だろう。
愛馬の鹿毛にまたがったリュッケは、部下を引きつれ、狩猟館の前で待機していた。レント・プラージに、セルジョ・アゴスト。名家の出の貴族もぞくぞく集まってきている。
丸二日降りそそいだ雨は今朝方やんだが、午後になっても肌寒く感じられるほどに涼しい。このぶんでは一雨くるやもしれぬ。
リュッケが山裾にたれこめる雲をにらんでいると、あたりから木の葉がこすれあうようなざわめきが起こった。
主賓の登場である。
トルイユは毛皮をあしらった赤い乗馬服をまとい、補佐官のオドランをともなっていた。その後方に、ユスタスを従えるミネルバ王女がいる。王女は濃緑の乗馬用ドレスをまとい、優美な葦毛にまたがっている。王女が馬を駆る姿などめったに見られないこともあり、衆目を集めていた。
「おや、王女は狩りに参加されないのですか」
トルイユに問われ、ミネルバはやわらかくほほえんだ。
「ええ、わたしはご遠慮いたします」
ユスタスが笑いながら割りこむ。
「わが国において女人は狩りに加わりません。いかに〈赤い竜騎士〉であろうとも」
「わたしは殿方のご勇姿を間近で見せていただければで充分です」
「これはこれは、みっともない姿は見せられませんね」
トルイユは屈託なく笑い、手綱をさばいた。
青鹿毛にのるユスタスは、戦前からの知り合いであるオドランと親しげに話していた。王女が期待していたとおり、アカネイア貴族の扱いは手慣れたものだ。知らぬ者が見れば大使の随員と見まがうような雰囲気があるが、それはユスタスの立ち居ふるまいが、アカネイアの大貴族とならんでもまったく引けを取らないものであるからだ。
ミネルバも、大使を立てるように至極ひかえめにふるまってはいるものの、女王然とした風格をかもしだしている。
角笛のうなるような低音が響きわたった。猟犬と勢子たちがいっせいに森へと駆けてゆく。
「では、われらも参りましょう」
ユスタスがうながし、主賓たちが馬を駆った。
すぐさまミネルバがリュッケに近づき、口迅に言った。
「リュッケ、トルイユ伯をよろしく頼む」
「かしこまりました」
リュッケはトルイユとオドランの後方に馬首を向ける。彼は戦前も、アカネイアの役人たちの身辺警護をつとめており、弁務官シモンの狩りに付き合うこともたびたびあった。
シモンは狩りを好んだが、その腕前はけっしてほめられたものではなかった。獲物を仕留めたとて、それは媚びへつらう随員たちにお膳立てされてのものだった。
そんな窮屈な時代を知る者たちにとって、こたびの狩りもまた大使のご機嫌とりだとうんざりしていた。トルイユは弓が得意と伝えられていたが、シモンと大差ないだろうと侮るような視線がそそがれてもいた。
角笛が力強く吹き鳴らされた。
前方で猟犬と勢子たちがイノシシを追いこんでいた。大使一行が森の奥へと駆けていくと、追いこまれたイノシシは鼻息を荒くしていた。
トルイユは離れた位置で馬をとめ、随員から矢を受けとった。優雅な手つきで矢をつがえ、流れる動作ですばやく放つ。
矢は木々のすきまを通り抜け、引き寄せられるようにイノシシの首に命中した。
あたりはしんと静まりかえる。
この場にいる多くの者の期待は裏切られた。柔弱そうな大使の腕は、手練れの猟師に匹敵するものだった。
手負いのイノシシはなおも暴れていたが、勢子たちがいっせいに仕留めにむかう。
「お見事でございます」
ユスタスがまっさきにトルイユに近づき、声をかけた。
「さすがはアルテミス姫より宝弓を授かりしカルタス家の方でいらっしゃる」
「わたしの腕などはたいしたことはありませんよ」
「ご謙遜を」
「幼少のころからパレスでギョーム陛下のお供をさせていただいておりましたが、弓といえば、やはりメニディのご子息が抜きんでておりました。ミネルバ王女はよくご存じでしょう?」
話題をふられ、ミネルバはなつかしげに応じる。
「ジョルジュどのの弓兵部隊にわれらは何度も助けられました。お二人は仲がよろしかったのですか」
「ええ。パレスではなにかと催事がありましたので、よく顔を合わせておりましたよ。といっても戦争が始めるまでですが」
二人はなごやかに談笑しているものの、どこかしらじらしい空気をかもしてもいる。腹の探り合いといったところだろう。
とはいえ、事あるごとに聖王国の権威をふりかざしてきたシモンとくらべれば、トルイユ伯ははるかに御しやすい人物に見えた。まだ二十代なかば。全権大使を任されるには若すぎるため、すべては家門の力によるものと廷臣たちは考えている。
だが、トルイユはハーディンの意を受けてマケドニアに送りこまれてきた者だ。お飾りとして侮るわけにはいかない。
「つまらなそうですね」
いきなり声をかけられ、リュッケは息をのんだ。
トルイユの白馬がゆっくり距離を詰めてくる。
「騎士団長どの、あなたは見ているだけですか」
「わたしは護衛としてのつとめがありますので、狩りに興じるわけにはまいりません」
「生真面目な方だ」
トルイユが揶揄するように笑ったとき、前方の繁みがゆれた。リュッケは身構えたが、飛び出してきたのはキツネだった。夏毛でほっそりとしており、まだ子供のようだった。リュッケと目が合うと、おびえた様子でざっと森の奥へ逃げていく。
「アカネイアではキツネ狩りが主流なのですよ」
繁みをみつめたままトルイユ伯が言った。
「ですがマケドニアの方はあまり好まれぬそうですね」
「ええ、まあ……王家の方をはじめ竜騎士が多いので、馬で獲物を追い立てることがなじまないのだと思われます。それと、獲物は槍で仕留めてこそという考えが根強いようでして」
「なるほど。それでは女性が参加しないのもうなずけます」
「アカネイアのように弓をもちいることもありませんので」
「たしかに、獲物をじかに仕留めることこそ狩りの醍醐味と言えましょう。ですが……」
トルイユは矢をつがえ、ぎりと弓を引きしぼった。その薄茶色の目は、枝にとまるコマドリをとらえていた。
危機を察知してか、コマドリはあわてたように羽ばたいていった。逃げきれるかに思われたが、トルイユの矢は、獲物が飛翔する先へとまっすぐに放たれた。
びゅっと風を切る音が響く。
羽を射貫かれ、コマドリはあえなく墜落していった。
「弓ならば、手のとどかぬものでも手に入ります」
強い風があたりを吹き抜けた。寒気を感じ、身をふるわせたとき、水滴が頬をかすめた。とうとう雨が降りだした。
「リュッケ将軍」
トルイユは撃ち落とした獲物には目もくれず、リュッケに向けて馬首をかえした。
「志しを高くもたねば、手に入るものも手に入らなくなります。そうは思いませんか」
「……それはもちろん、志は高くもつべきと存じますが」
「しかし、どうもあなたは欲のないお方のようだ。ご自分の手のとどく範囲のもので満足しようとなさっている。それとも」
トルイユはすれ違いざまにささやく。
「秘めた欲望を必死に隠しておられるのですか」
リュッケは目を見ひらいた。トルイユはうすく笑い、手綱を引く。
「近々、ゆっくりお話しいたしましょう」
王城の北の森は王家の狩猟場であるが、オズモンド王の時代、影の王と揶揄された弁務官シモンが狩りを好んだため、頻繁に狩りが行われていた。シモンの趣味のためにアカネイアから大型の猟犬が持ちこまれ、いま飼われている猟犬はその子孫たちである。
ミシェイルも年に数回ほど狩りに訪れていたが、供の者を数人しか連れず、気散じ程度のものだった。こたびのようにアカネイア貴族を歓待するためのものは七年ぶりのこととなる。トルイユが狩りを好むと事前に聞いていたため、早くから準備が進められていたのだが、森番にとっては王家の者以上に気を遣う相手だろう。
愛馬の鹿毛にまたがったリュッケは、部下を引きつれ、狩猟館の前で待機していた。レント・プラージに、セルジョ・アゴスト。名家の出の貴族もぞくぞく集まってきている。
丸二日降りそそいだ雨は今朝方やんだが、午後になっても肌寒く感じられるほどに涼しい。このぶんでは一雨くるやもしれぬ。
リュッケが山裾にたれこめる雲をにらんでいると、あたりから木の葉がこすれあうようなざわめきが起こった。
主賓の登場である。
トルイユは毛皮をあしらった赤い乗馬服をまとい、補佐官のオドランをともなっていた。その後方に、ユスタスを従えるミネルバ王女がいる。王女は濃緑の乗馬用ドレスをまとい、優美な葦毛にまたがっている。王女が馬を駆る姿などめったに見られないこともあり、衆目を集めていた。
「おや、王女は狩りに参加されないのですか」
トルイユに問われ、ミネルバはやわらかくほほえんだ。
「ええ、わたしはご遠慮いたします」
ユスタスが笑いながら割りこむ。
「わが国において女人は狩りに加わりません。いかに〈赤い竜騎士〉であろうとも」
「わたしは殿方のご勇姿を間近で見せていただければで充分です」
「これはこれは、みっともない姿は見せられませんね」
トルイユは屈託なく笑い、手綱をさばいた。
青鹿毛にのるユスタスは、戦前からの知り合いであるオドランと親しげに話していた。王女が期待していたとおり、アカネイア貴族の扱いは手慣れたものだ。知らぬ者が見れば大使の随員と見まがうような雰囲気があるが、それはユスタスの立ち居ふるまいが、アカネイアの大貴族とならんでもまったく引けを取らないものであるからだ。
ミネルバも、大使を立てるように至極ひかえめにふるまってはいるものの、女王然とした風格をかもしだしている。
角笛のうなるような低音が響きわたった。猟犬と勢子たちがいっせいに森へと駆けてゆく。
「では、われらも参りましょう」
ユスタスがうながし、主賓たちが馬を駆った。
すぐさまミネルバがリュッケに近づき、口迅に言った。
「リュッケ、トルイユ伯をよろしく頼む」
「かしこまりました」
リュッケはトルイユとオドランの後方に馬首を向ける。彼は戦前も、アカネイアの役人たちの身辺警護をつとめており、弁務官シモンの狩りに付き合うこともたびたびあった。
シモンは狩りを好んだが、その腕前はけっしてほめられたものではなかった。獲物を仕留めたとて、それは媚びへつらう随員たちにお膳立てされてのものだった。
そんな窮屈な時代を知る者たちにとって、こたびの狩りもまた大使のご機嫌とりだとうんざりしていた。トルイユは弓が得意と伝えられていたが、シモンと大差ないだろうと侮るような視線がそそがれてもいた。
角笛が力強く吹き鳴らされた。
前方で猟犬と勢子たちがイノシシを追いこんでいた。大使一行が森の奥へと駆けていくと、追いこまれたイノシシは鼻息を荒くしていた。
トルイユは離れた位置で馬をとめ、随員から矢を受けとった。優雅な手つきで矢をつがえ、流れる動作ですばやく放つ。
矢は木々のすきまを通り抜け、引き寄せられるようにイノシシの首に命中した。
あたりはしんと静まりかえる。
この場にいる多くの者の期待は裏切られた。柔弱そうな大使の腕は、手練れの猟師に匹敵するものだった。
手負いのイノシシはなおも暴れていたが、勢子たちがいっせいに仕留めにむかう。
「お見事でございます」
ユスタスがまっさきにトルイユに近づき、声をかけた。
「さすがはアルテミス姫より宝弓を授かりしカルタス家の方でいらっしゃる」
「わたしの腕などはたいしたことはありませんよ」
「ご謙遜を」
「幼少のころからパレスでギョーム陛下のお供をさせていただいておりましたが、弓といえば、やはりメニディのご子息が抜きんでておりました。ミネルバ王女はよくご存じでしょう?」
話題をふられ、ミネルバはなつかしげに応じる。
「ジョルジュどのの弓兵部隊にわれらは何度も助けられました。お二人は仲がよろしかったのですか」
「ええ。パレスではなにかと催事がありましたので、よく顔を合わせておりましたよ。といっても戦争が始めるまでですが」
二人はなごやかに談笑しているものの、どこかしらじらしい空気をかもしてもいる。腹の探り合いといったところだろう。
とはいえ、事あるごとに聖王国の権威をふりかざしてきたシモンとくらべれば、トルイユ伯ははるかに御しやすい人物に見えた。まだ二十代なかば。全権大使を任されるには若すぎるため、すべては家門の力によるものと廷臣たちは考えている。
だが、トルイユはハーディンの意を受けてマケドニアに送りこまれてきた者だ。お飾りとして侮るわけにはいかない。
「つまらなそうですね」
いきなり声をかけられ、リュッケは息をのんだ。
トルイユの白馬がゆっくり距離を詰めてくる。
「騎士団長どの、あなたは見ているだけですか」
「わたしは護衛としてのつとめがありますので、狩りに興じるわけにはまいりません」
「生真面目な方だ」
トルイユが揶揄するように笑ったとき、前方の繁みがゆれた。リュッケは身構えたが、飛び出してきたのはキツネだった。夏毛でほっそりとしており、まだ子供のようだった。リュッケと目が合うと、おびえた様子でざっと森の奥へ逃げていく。
「アカネイアではキツネ狩りが主流なのですよ」
繁みをみつめたままトルイユ伯が言った。
「ですがマケドニアの方はあまり好まれぬそうですね」
「ええ、まあ……王家の方をはじめ竜騎士が多いので、馬で獲物を追い立てることがなじまないのだと思われます。それと、獲物は槍で仕留めてこそという考えが根強いようでして」
「なるほど。それでは女性が参加しないのもうなずけます」
「アカネイアのように弓をもちいることもありませんので」
「たしかに、獲物をじかに仕留めることこそ狩りの醍醐味と言えましょう。ですが……」
トルイユは矢をつがえ、ぎりと弓を引きしぼった。その薄茶色の目は、枝にとまるコマドリをとらえていた。
危機を察知してか、コマドリはあわてたように羽ばたいていった。逃げきれるかに思われたが、トルイユの矢は、獲物が飛翔する先へとまっすぐに放たれた。
びゅっと風を切る音が響く。
羽を射貫かれ、コマドリはあえなく墜落していった。
「弓ならば、手のとどかぬものでも手に入ります」
強い風があたりを吹き抜けた。寒気を感じ、身をふるわせたとき、水滴が頬をかすめた。とうとう雨が降りだした。
「リュッケ将軍」
トルイユは撃ち落とした獲物には目もくれず、リュッケに向けて馬首をかえした。
「志しを高くもたねば、手に入るものも手に入らなくなります。そうは思いませんか」
「……それはもちろん、志は高くもつべきと存じますが」
「しかし、どうもあなたは欲のないお方のようだ。ご自分の手のとどく範囲のもので満足しようとなさっている。それとも」
トルイユはすれ違いざまにささやく。
「秘めた欲望を必死に隠しておられるのですか」
リュッケは目を見ひらいた。トルイユはうすく笑い、手綱を引く。
「近々、ゆっくりお話しいたしましょう」