第一部

 リュッケが王城の礼拝堂を訪れたとき、周囲には貴族や騎士がひしめいていた。ミネルバ王女は幼いころからの習慣で、いつもおなじ時間に祈りを欠かさない。それを知っている者たちは、偶然を装って王女に会うべく礼拝にやってくる。近ごろ王女はめったに主宮の外へ出ないため、礼拝堂は王女を目にすることのできる数少ない場となっているのだ。
 王女が礼拝堂から出るやいなや、待ちかまえていた貴族たちがその周辺に集まり、我先にと言葉をかけていた。ある者は媚をふくんだあいさつを、またある者は切実な嘆願を申し出ていたが、王女はそのすべてに淡々とこたえていた。
 ひと段落がついたころを見計らい、リュッケは前に進み出た。
「待たせたな、あれはすでに来ておるのか」
「はい。ずいぶんと落ちつかぬ様子です」
「そうであろうな」
「申し訳ございません。殿下に足をお運びいただくこととなりまして」
「そのようなことはよい」
 リュッケはミネルバに付き従って主城門を出て、騎士館へ向かった。
 三階の騎士団長室に入ると、ペドロ・ストラーニがかたい面持ちで立っていた。ミネルバに気づくと深々と一礼する。
「久しぶりだな。ストラーニ」
 ミネルバはマントを払い、奥の椅子に腰かけた。その目線、その一挙手一投足に威風をまとわせており、いつもは威勢のよいストラーニの体が瞬時にこわばるのが見てとれた。
「リュッケからある程度聞きおよんではいる。わたしの人事に対し、なにやら不服をいだいているとのことだが」
「いえ、その……不服と申しますか、不可解と申しますか……」
 ストラーニは口ごもった。
「なにゆえ殿下はユスタス・メストを召され、宰相に任じられたのでございましょう? ……われらは長年あの者を叛逆者と認識しておりました。いまさらそれが過ちであったなどと言われても困惑するばかり……。むろん濡れ衣であったとすれば痛ましいことと思いますが、われらがメスト家に連なる者たちを排除するにいたったのは、ただ命令に忠実であった結果にすぎません。そのこと、殿下にはどうぞご理解いただきたく……」
 つねの高圧的な言動はなりをひそめ、滑稽なほどにへりくだっていた。こうべをたれるストラーニを見るミネルバの目には、あきれを通りこし、憐れみが入りまじっていた。
「ユスタスは不幸ななりゆきで投獄された。その不遇への恨みの念は強く、わたしもユスタスに恨みを捨てよなどと説教をするつもりはない。だがストラーニよ、わたしは私怨を晴らさせてやるためにユスタスを呼びよせたのではない。ゆえあってのことだ」
 ミネルバは肘かけに両の腕をおく。
「まだ極秘であるが、来月のなかばにアカネイアから大使が派遣されることとなった」
 ストラーニは顔を引きつらせた。
「そんなに驚くことはないだろう。占領軍が引き上げればそれで放免されるなどと、よもやそなたも思ってはいまい?」
「しかしながら、それでは……」
「さほど憂慮するほどのものではない。大使の派遣は他国に対しても同様に行われていることとのことだ。むろん、わが国とアカネイアとの関係上、アリティアやオレルアンとは違い、監視と圧力が主目的であろうが」
 淡々とミネルバはつづける。
「そなたも知ってのとおり、父の代においてアカネイアとの外交を一手に担っていたのが先の宰相エラルド・メスト公だ。父の側近であったプラージとヴェーリも死んだ。この状況において、ユスタス以外に誰がその役割を担えると?」
「それは殿下が……」
「わたしはアカネイアにとってはただの侵略者だ」
 ぴしゃりと言い放つ。
「ユスタスはわが国がドルーアの併合下にあった時代、ずっと囚われの身であった。つまりはドルーアの悪事にはいっさい荷担しておらぬ。その意味において、あれは非常に都合がよいのだ」
 わかるだろう、とミネルバは念を押した。
「幸い、ハーディン王はわが国との友好を望んでおられる。大使派遣はあくまで国交回復のためとのことだ。とはいえ、それはアカネイアの総意ではないだろう。だからこそ万全を期しておきたいのだ」
 ストラーニはなおも不安が晴れぬようだった。
「アカネイアは……われらを許すでしょうか」
「それは、アカネイアがわたしの裁定をくつがえす可能性があるのかと言いたいのか?」
「そうなりかねぬのでは?」
「仮にそのような事態になるとすれば、それはわたしが統治権を失い、この国がアカネイアの占領下におかれるときだ。そのようなことにはさせぬ」
 ストラーニは納得しておらぬようだったが、王女の意図を知って安堵しているのがうかがえた。
「ストラーニ、同輩たちの不安を煽り立てるような言動はひかえよ。今後、アカネイアの役人が王城を出入りすることも増える。アカネイアへの憎悪を見せることはまかりならぬ。それは戦前とおなじだ」
「……承知、いたしました」
 ストラーニが下がると、ミネルバ王女はリュッケに笑みを向けた。
「ひとまずは、これでよいか」
「はっ。これで軍内の混乱も少しはおさまりましょう」
「すまぬ、わたしの言葉が足らず誤解を招いているようだな」
「いえ、なにかと表に出せぬことが多いとお察しいたします」
 ミネルバはおもてをかげらせた。
「大使の件だが……」
「はい」
「ストラーニに明かしてしまったことだし、ここが潮時だろう。今日公表する。それと昨日、大使の補佐官から書簡が届いた」
「うかがっております」
「明日、アカネイア公館へ入られるそうだ。……少々、混乱が起こるやもしれぬゆえ、公館周辺の警備は厳重に頼む。過剰と思われるほどでちょうどよい」
「かしこまりました」

        ⁂

 翌日の午後、リュッケはレント・プラージをともなって城下東に位置するアカネイア公館へと向かった。舗装された目抜き通りをゆるやかに駆け抜けて、白亜の館が見えると、二人はいったん手綱を引き締める。
「あまり良い眺めではありませんね」
 レントが不満そうにつぶやいた。その視線は、公館の正面に掲げられたバラ色の紋章旗にむけられていた。
 リュッケがやれやれと言わんばかりに問う。
「やはり昔を思い起こしてしまうか」
「ドルーア併合下で唯一よろこばしかったこと、それは、アカネイアの役人を見ずにすんだこと、そう揶揄されておりますからね。わたしはマチスと一緒に遠方に飛ばされておりましたので、あまりその恩恵にはあずかれませんでしたが」
 今日、アカネイア公館に聖王国の旗が掲げられた。威風と優美さを兼ね備えた一角獣と獅子の紋章が風に舞う光景は、実に七年ぶりのことである。
 アカネイア公館は、第二代イルテアス王の時代にアカネイアから派遣される役人の居館として建てられたが、実質的にはもうひとつのマケドニア宮廷として機能していた。公館周辺はアカネイアの駐在武官が取り囲み、民に横柄にふるまうこともあったため、長らく憎悪の象徴となっていた。
 その結果、オズモンド王がアカネイアの刺客に殺されたとの噂が広まったとき、激怒した城下の民が公館を襲撃するという事態にもなった。
 ドルーアとの同盟が成り、処刑をまぬがれた役人が本国に送還されて以降、公館はずっと閉鎖されていた。旧時代の忌まわしい遺物としていくどか取り壊す案も持ちあがったが、結局は戦後まで放置されていまにいたる。
 大使派遣の報を受けてのち、ミネルバはアカネイア公館の改修をはじめた。宗主国アカネイアの大使にふさわしい調度品をととのえるのは、財政が厳しいなかで痛い出費となる。しかしユスタスはここで金に糸目をつけるべきではないと主張した。異を唱える者はいなかった。
 この十日ばかり、あわただしく人夫が出入りし、荒れ放題だった庭も季節の花で華やいでいる。
 すっかりかつての豪奢さを取り戻した広間で、アカネイア大使の補佐官フリス・オドランがバラの咲く中庭をみつめていた。
 窓辺にリュッケが近づくと、オドランはゆっくりとふりかえる。
 オドランはすでに六十近いが、肌つやがよく、痩身に白と金の礼装をまとっており若々しい。元が淡い金髪なのか白髪も目立たない。
 オドラン家は五大侯にはおよばないが、アカネイアで二百年以上の歴史ある貴族である。本来であれば卑屈なほどにへりくだるべき相手であるが、敬意をはき違えたおもねりは必要ないというのが王女の考えであった。
 リュッケは胸に手を当て、お辞儀をする。
「はじめてお目にかかります。騎士団長のリカルド・リュッケにございます」
「ごぞんじかな。もともとマケドニアの地にバラの花は自生していなかった。すべてわが国から伝わったのだ」
 唐突な話題に面食らうリュッケをよそに、オドランはつづける。
「貴国のバラはまことにすばらしい。土がよいのかな。より色あざやかで大輪で……わが国では見られぬ品種もあるようだな」
「……さようで、ございますか」
「バラにかぎらず、あらゆるものが海を越えて貴国へと渡った。人に植物、芸術に料理、法や思想……。しかし、起源がおなじでも土地が変われば変質してゆくようだな」
 リュッケは黙した。宗主国に刃向かったマケドニアを責めているのだとわかった。なにか気の利いた返答をすべきではないかと思ったが、なにもうかばず、無粋と思いながら話を戻す。
「これより、アカネイア使節団の警護はわたしが責任をもって担わせていただきます」
「よろしく頼む。全権大使トルイユ伯はすでにパレスを発たれた。とくに支障はなく、ご到着の予定に変更はない」
「それはなによりにございます」
「これまで陛下のご意向を貴殿に伝えるにはなにかと手間を要したが、今後は大使と直接やりとりをしていただければよい。わたしも可能なかぎりトルイユ伯とともにおるのでな」
 オドランは手をさしだす。
「陛下へのご返書、この場であずかろう」
 リュッケは懐から書簡を取りだし、オドランに手渡した。
「あらかじめ申しあげておきます。……わたしは祖国のため、両国の友好に力をつくす所存。アカネイアの手先となることはございません。返書にもそうしたためておりますゆえ」
「そう必死に念を押されずともわかっている」
 オドランはあきれたように笑った。
「われらとて、マケドニアを併合しようなどと考えているわけではない。ハーディン陛下がミネルバ王女に祖国の統治を許されたのはニーナ王妃の意向あってのものだが、陛下自身、王女を信頼に値する同盟相手と思われているからにほかならぬ」
「……わたしへの書簡には、そのように記されてはいませんでしたが」
「陛下は貴殿をお試しになったのだ。王女を出し抜いて王位を得ようとする不届き者であれば、それ相応の対処をなされたことだろう」
 リュッケは黙した。それがまったくの嘘とは思われなかった。リュッケはセルジョたちのように同盟軍についた人間ではない。アカネイアから警戒されるのは当然であり、判断を誤れば抹殺されていた可能性もあった。アカネイアからすれば自分など吹けば飛ぶ塵芥のようなもの。
「それにしてもユスタス・メストか。なつかしい名だ。わたしは父君のエラルドどのとは懇意であった。ユスタスを宰相とされたということは、ミネルバ王女がわが国との関係改善に心を砕いておられることの表れ。貴殿を重用されているのもそういったわけであろう?」
 リュッケが答えずにいると、オドランは愉快そうに口端をつりあげる。
「引きつづき宮廷の様子をありのままに知らせていただきたい。ミネルバ王女がわれらに従順であること、それこそが両国の平和に帰するものであるゆえ」



 応接室を出ると、廊下で待っていたレントが足早に駆けよってきた。リュッケが険しい顔をしていたためか、心配そうに問いかけてくる。
「ずいぶん時間がかかっていたようですが、なにかございましたか」
「いや、たいしたことではないのだ」
 苦笑でごまかす。
「いきなり庭のバラについて語られてしまってな、そのような話をふられてもわたしには答えようがなく困り果てていた」
「それはまた難儀なことでございますね」
「おまえを連れてゆけばよかったな。おまえならわたしより気の利いたことも言えただろうに」
「いえ、わたしもバラの話はちょっと……」
 安堵したのか、レントの表情が明るくなった。
「では戻ろう」
 馬にのり、公館を出ようとしたところ、多くの民が通りに集まってきていた。
 民は、風になびくアカネイア国旗を忌まわしげに見上げていた。公館を取り囲むように配備された衛兵に気圧され、足早に立ち去る者もいる。長らく廃墟であった前時代の遺物が、いきなり要塞のような威容でもって市街に君臨するようになったのだ。困惑が広がるのも当然だった。
 レントが不服を口にする。
「これほど物々しくしては、かえって民に威圧を与えるのではありませんか」
「なにかあってからでは遅いのでな」
「ですが、少々人員を回しすぎでは? 王都の警備も充分と言えませんし、殿下の近衛すら組織できないありさまですのに」
「……殿下には殿下のお考えがあるのだ」
 そこで話を打ち切り、リュッケは馬を駆った。
 レントは祖国を虐げてきたアカネイアへの嫌悪はあれど、その脅威への危機感が少々うすい。父は王の側近、兄は王太子の学友という名門の出であるが、当人は領地でのびのびと育ち、アカネイアの弁務官に牛耳られた宮廷の様相を身をもって知らないからだろう。幼いころから苦悩する父王を見つづけてきたミネルバ王女とは対照的である。
 これはレントにかぎったことではない。オズモンド王の時代、マケドニアは〈南方の雄〉と呼ばれ、グルニアと匹敵する軍事大国としての地位を築いていた。その自負からか、アカネイアの横暴への反発をあらわにする若者が多かった。
 しかしリュッケが子供のころは、アカネイアとは雲上の存在だった。下級役人に対してでさえひれ伏さねばならず、楯突こうなどと考える者はいなかった。さらに上の世代であるカゾーニや亡きメスト公は、役人の機嫌で民が罰せられる過酷な時代を知っている。だからオーダインがドルーアの力を得てまでアカネイアの破滅を望んだ気持ちもわからないではなかった。夢かなわぬならば、と戦場で散る道を選んだことも。



 王城に戻ったリュッケはまっすぐミネルバの元へ向かったが、応対にあたったタマーラはひどく不機嫌そうだった。
「リュッケ将軍」
「……なんであろう?」
「つねづね思っておりましたが、あなた方はここをどこだと思っておいでですの?」
「い、いったいなんの話で――」
「ここが姫君の部屋だとお忘れですの? 殿方がそのようにずかずかと入られてよい場所ではありませんわ」
「それは、たしかにそうではあるが……」
「タマーラ」
 奥の寝室から苦笑まじりの声がかかった。
「そう目くじらを立てずとも。わたしが呼んだのですから」
 現れたミネルバにリュッケは目をみひらいた。ミネルバは黒絹のドレスに白貂のマントをまとっていた。王族が式典のときにのみ身につける最礼装である。
 どうやら王女は着替えの最中であったようだ。タマーラの刺々しい態度のわけにも得心がいく。
「執務室の改装が終われば、そちらで応対するようにします」
「早急に改装を終わらせるよう急かしておきますわ」
 タマーラが下がると、ミネルバはリュッケに近づいた。
「ユスタスとも話したことなのだが、歓待の様式はすべて従前のやり方を引き継ぐこととする」
 王女はドレスをつまんでひろげる。
「だからこんな大仰な服を手直しさせているのだ。すべてを簡素にしようと思っていたのに、五大侯に連なる大貴族の大使をシモンより粗略な扱いはできぬとユスタスが言うのでな」
「致し方ないかとぞんじます」
「おなじ金を使うのであれば、それを無駄にせぬようつとめるしかあるまい」
 裳裾をさばき、カウチに腰かける。
「公館周辺の様子はいかがであった?」
「少々動揺が見られましたが、問題はありません」
「ならばよかった。して、オドランどのはなんと?」
「日程に変更はないとのことにございます」
「そうか、いよいよだな」
 ミネルバの表情が硬くなった。
「昨日、大使派遣の件を公表してから、主宮の空気がひりついている。タマーラも直接口には出さぬが、不安には思っているようだ」
 大使を迎える準備は着々と進められている。アカネイア公館だけでなく、主宮にも大使のための居室を用意することとなった。その部屋は先の弁務官シモン・ネイヤールが使用していた場所であり、いやがおうにも旧時代を思い起こさせることとなっている。
「ひとまず、予定されている役人の数は二十名程度とのことだ。戦前は百を超えていたことからすれば、ずいぶん少なくなったと思わぬか」
 ミネルバは明るく言ったが、目は笑っていなかった。
「……これ以上増えぬよう祈ることとしよう」
7/14ページ
スキ