第五部

 十一日、夕刻。
 セパー湾から望む水平の先に、グルニア海峡を渡る船団があらわれた。黄金色の夕焼けを背に進む船は、左に聖王家の太陽、右に車輪と牛を配した旗を掲げている。
 勇者アンリの国――アリティアの紋章旗である。
 天馬騎士たちに先導され、船が次々と停泊し、桟橋とのあいだに歩み板が渡される。
 セルジョ・アゴストをはじめとするマケドニア騎士団は、桟橋の前で整列し、マケドニアの地に降り立つアリティア宮廷騎士団を迎えた。
 マルス王子は紺碧のマントをなびかせ、軍師であり守り役のジェイガンとともに歩み板を降りてきた。
「マルス王子、おひさしぶりでございます」
 セルジョが進み出ると、マルスはにこやかに笑った。
「セルジョ、ひさしぶりだね」
 一年ぶりにまみえたマルスは、もうじき王位継承をひかえていることもあってか、少年らしさはうすれ、王者の風格が増していた。しかしそのやさしげで誠実のにじむ瞳は変わらない。
「なつかしい者たちがいっぱいだ」
 マルスはおだやかな顔で周囲を見わたした。そこにはパオラやカチュアたちの歓喜と安堵にみちた顔がある。
「……よもやこのような形で王子とお会いすることになろうとは……」
 セルジョが声を落とすと、マルスも表情をかげらせる。
「マケドニアでも反乱が起こるだなんて……。ミネルバが反乱軍に囚われていると聞いたけど無事なのか」
「……ご無事であると信じ、王都奪還に向かうのみでございます」
 セルジョは毅然とした声で告げる。
「さっそくではありますが、明日、王都への進軍を開始いたします」
「もちろんだ、明朝すぐに出立しよう」
 遠征部隊は、騎兵・歩兵あわせて百人近い。聖騎士アランにドーガやゴードンといった、セルジョたちとともに戦争を戦い抜いた宮廷騎士団のほか、新兵とおぼしき若い騎士たちが多くいた。アリティア軍は少数精鋭で知られるが、彼らは王都防衛の部隊をのぞいた全軍であろう。
 再会のあいさつもそこそこに、セルジョはマルスたちをうながした。
「ひとまず市庁舎へまいりましょう」
 しばしの休憩をはさみ、市庁舎の広間で軍議が開かれた。
 中央の長卓に、マルスとジェイガン、そしてアランをはじめとする宮廷騎士団の中枢を担う騎士たちが囲む。新兵たちはその周囲にぐるりと集まった。
「セルジョ、僕たちはアカネイアの命令でここへ来ることになったけれど、くわしい経緯は聞いていないんだ。いったいなぜ反乱なんて起こったんだ?」
 マルスの問いに、セルジョはしばし口ごもった。
「……大きな要因は、先の戦争において国が二つの勢力に分断したことにあるのだと思われます。戦後、ミネルバ王女は国家の機能を整えるべく内政改革につとめられました。民を苦しめてた将軍たちへの厳正な処分もそのひとつでしたが、その処分を逆恨みする者がおりました。またその一方で、旧勢力にさらなる厳罰を求める者たちもおりました。同盟軍に加わった者たちのなかには身内を殺されたり、何年も投獄されてきたような者たちもおり、ドルーアに与した者たちへ根深い恨みをいだいておりましたので……」
 そこまで話せばマルスはおおよその事情を察したようだった。
 宗主国アカネイアに絶対的な忠誠を誓うアリティアと、絶対的な服従を強いられてきたマケドニア。
 ドルーア戦争の勇者を国祖に戴く国でありながら、異なる道を歩んだ飛竜の国の内情に、マルスはこれまで心を砕いてくれていた。ミネルバが兄王との一騎討ちを願い出たときも、それがもっとも有用な作戦であると知りながら、思いとどまるよう説得しようとした。
 結果としてミネルバは非情な道を選んだが、マルスの真摯な言葉に心を慰められたはずである。
 しかし、いかに同盟軍が勝利し、ドルーアが滅んだところで、二つに分断されたマケドニアがもとの形に戻ることはない。あの日から、マケドニアはまたあらたな苦難の道を歩みはじめたのだ。
 セルジョはつづける。
「ミネルバ王女とて国をドルーアに売り渡した者たちを憎く思う気持ちはあられたことと思いますが、軍法会議における裁定はけして不当なものではありませんでした。法を犯した者、民に暴虐を働いた者たちに罰をくだされたのです。これにはかえって甘い処分だとの声もあったほどなのですが、すべては国内の分断を防ぎたいとの想われてのことでした。しかし昨年の末、宰相メスト公とアカネイア大使の補佐官が殺害されたことで事態は急変しました。旧勢力の領袖であったストラーニ将軍が下手人として挙げられ、裁判がひらかれたのですが、そのさなか、ストラーニが急死しました。……その死が殿下による謀略だとの噂が流れ、旧勢力に対する弾圧が強まるとの懸念がひろがった結果、このようなことに……」
「そんなことが……」
 茫然となるマルスにつづき、ジェイガンが苦々しく口をはさんだ。
「マケドニアの情勢について多少聞きおよんでおりましたが……ミネルバ王女の苦労がしのばれますな。アリティアでは戦後、コーネリアスさまを裏切り、グラを通じた者たちを処刑いたしました。捕虜となっていたグラの貴族や騎士も同様に。それが当然の処断であるはずでしたが、グラの反発は凄まじいものでした。……暴動も起こりました。わが国とマケドニアでは事情が違いますが、結果として、グラの独立を許すなどという事態となってしまいましたからな」
「……ジェイガン」
 マルスがさえぎるように口早に言った。
「ぼくはグラの独立には反対しないよ」
「では、グラをお許しになると?」
「ジオルを許すことはできないけれど、グラの民にまで怒りの矛先を向けるのは間違っていると思っているよ」
「そのようにマルスさまがグラに温情をかけられれば、ドルーアの圧政に苦しめられたわが国の民の恨みはかえって増すばかりでありましょう」
「そうだね、僕の想いはアリティアの民に我慢をしいることなのかもしれない。それでも、元は一つだった国の民を憎みつづけるなんてことを、アリティアの民にさせたくはないんだ……」
 マルスと向かい合うジェイガンの顔つきは厳しいものだったが、その目にはほのかな慈愛がにじんでいた。王子の手ぬるいともいえる甘さを、本音のところでは好もしく思っているのだろう。
「失礼、話がそれてしまいましたな」
 ジェイガンは話を戻す。
「それで、反乱軍はなにを要求しておるのです?」
「現在、反乱軍から明確な要求はなされておりません。しかし、追放された将兵を集めて王都を占拠し、殿下を捕らえていることからして、この国の体制を根幹からくつがえすつもりなのでしょう」
「反乱の首謀者はミネルバと対立していた者なのか?」
 マルスの問いに、セルジョはかたい声で告げる。
「首謀者はリカルド・リュッケ。戦後に騎士団長に任じられた者で、殿下の側近だった男です」
「よもや王女の側近が反乱とは……」
 ジェイガンが唖然とした様子でつぶやいた。
 マルスもまた驚きを隠せない様子である。
「リュッケ将軍のことなら覚えている。たしか、アイオテの孫であるカゾーニ伯の甥だったね?」
「……はい」
「実直な武人だという印象を受けた。ミネルバからも信頼されているようだったのに……」
 マルスは声を落とした。
 ジェイガンが辛辣な口調でつづける。
「リュッケ将軍は担ぎあげられたのではありませんかな? カゾーニどのの甥ということはアイオテの血筋。体のいい旗頭にされたようにも思えますな」
 セルジョはうなづく。
「たしかに、リュッケ将軍みずからが反乱をもくろんだというよりは担ぎ上げられたというのが正しいのかもしれません。……正直なところ、われらもどこか信じられぬ想いです。……殿下もおなじ想いでしょう」
 セルショは短く息をついて、
「ひとまずリュッケ将軍には交渉を持ちかけましたが、あちらからの返答はありません。……今後も望めぬものと思っています」
「そうか。では、王都に進軍するほかないようだね。王都を包囲したうえで、再度交渉を持ちかけることとしよう。もうじき、帝国軍もマケドニアにやってくるから戦況も大きく変わる。ただ、あの者たちは……」
 マルスは言葉をつまらせた。
 ドーガにゴードン、アリティアの宮廷騎士団の面々も苦虫を噛み潰したような顔つきになった。
 セルジョは彼らの心中を察する。
「帝国軍のグルニアでの横暴は聞きおよんでおります。まるで賊まがいの略奪を行っているとか」
「ラングの悪評はマケドニアにも届いておったようですな」
 ジェイガンがあきれ声で言うと、カチュアが口をはさむ。
「じつは、つい先日、ミネルバさまがわたしをグルニアにお遣りになったのです。ロレンス将軍と接触し、なぜこのようになったのか、背景をうかがってほしいと。……残念ながら、ロレンス将軍とお会いすることは叶いませんでしたが」
「……ロレンス将軍は自害されたんだ」
 マルスは悔しげにつぶやいた。
「命を絶たれる前に、ロレンスはぼくにこう言った。アカネイアはグルニアを併合するために、ラングを占領軍司令官として差し向けた、と。ロレンスたちに反乱を起こさせて、グルニア王国を完全に潰す計画なのだと……」
 カチュアが痛ましげにつづける。
「ミネルバさまもアドリア侯を司令官にすえたのはハーディン皇帝の意思であるとのお考えでした。……信じたくないご様子でしたが」
「……うん。それでも僕にはハーディンがなんの理由もなくラング将軍を選んだとは思えないんだ。なにか事情があるはずだ。そうでなければ……」
 マルスは自分に言い聞かせるようであった。
「……いずれにしても、ニーナさまがあの子たちの処刑などお許しになるはずがない。ロレンスの無念を晴らすためにも、僕たちはグルニアの惨状をハーディンたちに伝え、待遇の改善を訴えようと思っている」
 ジェイガンが神妙な顔でセルジョに向きなおった。
「このようなときに申しわけないのだが、ミネルバ王女を救出し、反乱軍を制圧したのちは、マケドニアの力をわれらにお貸し願えないだろうか」
「……殿下は、アリティアのためならあらゆる手を尽くされるはず。わたしも尽力いたします」
「ありがたいことだ。マケドニアの力を得られるとあらば心強い」
「いえ、こちらこそアリティアのご助力に感謝しております」
 セルジョはうやうやしく礼をとったが、その内心は複雑なものだった。
 アリティアとしては、グルニアの惨状はあくまでラングの暴走であって、ハーディンの意図だと信じてはいないようだった。
 グルニアはドルーアとともにアカネイアとアリティアを蹂躙した国である。ロレンスのもと自治が許されたのはニーナ王女の多大な温情ゆえにすぎない。
 ミネルバにしても、アカネイア同盟軍に加わったのはアリティアとの共闘という面が強く、アカネイアに服従するものではなかった。それはマルス王子もわかっている。
 いまだアカネイアに遺恨を持ちつづける二国の言い分を、さすがにアリティアもそのまま受けとることはできないのだろう。



 一夜明けて、十二日の早朝。
 セパーを発ったアリティア軍は、セルジョの誘導のもと王都まで通じる街道――通称〈王の道〉を南東に進んだ。ニ刻半ほどで宿場町ハノージェに着いた。
 先触れを出していたため、門の前で町長たちが出迎えてくれていた。彼らの顔は明るく、心から歓迎している様子が見てとれた。
 王都の占拠により不安な日々を送っていた民は、ミネルバ王女の盟友であるマルス王子の助力に期待しているのだ。
「みなさま、お待ちしておりました。お食事をご用意しておりますので、どうぞ館のほうへ」
 町長の指示で、馬丁たちが手際よく馬たちを水場へ連れてゆき、飼い葉と水を与えている。ハノージェは、王都へ向かう者たちが補給や宿泊で滞在するため、民は外国の要人の接待には慣れているのだ。
 セルジョは町のはずれに飛竜をつないでいると、先に到着していた副官のシスト・マルケイが駆け寄ってきた。
「隊長、お待ちしておりました」
「ご苦労であったな、シスト」
 セルジョは昨夜のうちにをエルザガン砦周辺の偵察に向かわせていた。
「それで、要塞に竜騎士はいかほどいた?」
「偵察を意識してか、これ見よがしに竜騎士が五騎ほど砦の上空を旋回しておりました。セパーからを引き上げた竜騎士を考慮し、二十騎近く配備されておると見てよいかと」
「騎兵は?」
「視認できるかぎりで二十騎、歩兵は百を超えるものと思われます」
「おおむね想定どおりだな」
「想定どおりと言えば、ディーター・ルーメルがおりました。あの独特の飛翔、やつで間違いありません」
「そうか……」
 遠征部隊の馬に休息をとらせているあいだ、町長の館で軍議を設けた。
 広間の長卓には、マケドニア南部から王都までの詳細な地図がひろげられている。
 マケドニアは七王国のなかでもアカネイアに次ぐ広大な領土を有しているが、その多くが山と深い森に覆われている。
 百年前。マケドニアの民がドルーアの奴隷とされた時代、密林におおわれた大地の開拓のため過酷な労働が強いられた。ドルーアから解放され、アカネイアの全面援助のもと王国が生まれたのちも、南部を中心に農地の開拓が進められ、恵まれた気候も相まって大陸有数の穀倉地帯として知られるようになった。
 しかしハノージェより北の〈国境の森〉と呼ばれる地域はあえて原生林が残されてきた。王都の東西に山脈がまっすぐに走っている、そのため、マケドニアの玄関口であるセパー港に上陸した軍勢が王都に進軍するためにはかならず〈国境の森〉を通過せねばならない。アカネイアの侵攻を警戒するマケドニアは、本土に攻めこまれたときの秘策が練られてきたが、それがはじめて機能したのが六〇五年、十一の月にアカネイア同盟軍とのあいだで起こった本土決戦であった。
「またここで戦うことになるなんて……」
 地図をみつめたままマルス王子が言った。あの凄まじい戦いの苦い思い出がよみがえってきたのだろう。
 〈国境の森〉での戦いはマケドニアにとって総力戦だった。王城防衛をのぞく国内の全兵力がエルザガン砦にかき集められ、非情な突撃命令のもと、北進する同盟軍へ一心不乱に向かっていった。
 数と勢いにまかせた、戦術などあってないような戦い方であり、隊が壊滅してもなお最後の一兵まで突撃してくるさまは、同盟軍の騎士たちに恐怖を与えるほどだった。
 マルスはミシェイルに降伏を呼びかけるつもりでいたが、アカネイアとオレルアンは難色を示し、なによりマケドニア側も降伏の先にあるものを恐れており、その想いは叶わなかったのだ。
 セルジョは王都南のエルザガン砦を指さす。
「お伝えしましたように、こちらの砦に竜騎士が配備されております。斥候によりますと約二十」
「二十……。あのときのように厳しい戦いになるのだろうか」
「その心配はありません。反乱軍は脱走兵や追放された将兵をかき集めたもの。ならず者が半数を占め、まともに統率された軍隊ではないのです。……さりとて元は正規軍であり、破れかぶれとなって襲ってくるでしょうから脅威には違いありません。そして一番の懸念点は、竜騎士部隊のなかにディーター・ルーメルがいることです」
「ルーメルというのはどういった人物なんだ?」
「ルーメルは先の戦争において、竜騎士団第五部隊の隊長を務めておりました。この〈国境の森〉の戦いで負傷して捕虜となり、戦後、アカネイア捕虜虐殺の嫌疑により追放刑に処されています」
「捕虜の虐殺……」
「六〇二年のパレス陥落時、ルーメルは鎮圧部隊として駐留していたのですが、そのおりにアカネイアの捕虜に陵虐を働いたのです」
 それを聞いたアリティア騎士たちの顔に嫌悪の色がのぼった。
「ルーメルは貧しい村の出ではありましたが、竜騎士としての技量は非常にすぐれておりました。なんの後ろ盾もなく、部隊長にまで上りつめたのもすべてはその実力によるもの。人格も……取り立てて悪質な面は見られませんでした。じっさい、かの件はルーメルが主導したわけではなく、部下たちの暴走だったと言われております。ルーメルは最後まで自身の関与を否定しておりましたが、隊長としての責任が問われ、重罰が下されたのです」
「それが不満で反乱を?」
「ルーメルは上からの命令には忠実な軍人で、上層部の意向に逆らうことは一度としてありませんでした。だから自分はいっさい咎められることはないと思っておるのやもしれません。しかし、ドルーアに忠実であるということは、すなわち、人道にもとる行いを迷いも持たずに働いてきたということ。……それ自体が許しがたい罪なのです」
 セルジョは厳しく言い放ち、街道の両端が森に接した見通しの悪い拠点のいくつかを指し示す。
「反乱軍は王都防衛に人員を割いているため、あのときのようにエルザガン砦から無謀な突撃を仕掛けてくることはできません。おそらく、街道で奇襲を仕掛けてくるはずです」
「なるほど……」
 マルスはじっと地図をみつめて、
「いっそ、森のなかを進軍するというのはどうだろう?」
「森はツタや草が覆い茂っておりますので、歩兵ならばともかく、騎兵は厳しいでしょう。ただ、密林のなかですと竜騎士の奇襲を受けずにすみますので、いっそ部隊を二つにわけて進軍するというのも手かと――」
 話の途中で扉が叩かれた。
 セルジョの部下が町長をともなって入ってきた。
「あの……町長が一刻も早く隊長にお伝えしたいことがあると……」
 町長が焦った様子でセルジョの前へと進み出てきた。
「どうしたのだ?」
「じつは、この周辺の猟師たちが反乱軍に雇われたようでございます」
 町長はため息をつき、頭をかかえる。
「どうやら金に目がくらんだようで……まったくばかな連中です」
 竜騎士の奇襲を避けようと森を進めば、猟師たちの的にされるということだ。
「マルス王子、街道をゆけば上空からは丸見え。竜騎士に狙い撃ちされることとなります。それでも、いつ狙撃されるかわからぬ森の中を行くより危険は少ないでしょう」
「そのほうがよさそうだね」
「敵の竜騎士はわれらがすべて討ちとりますので、アリティア軍には前方の騎兵、歩兵部隊の相手をお願いしたい」
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