第五部
王都占拠から六日目の午後。
リュッケは机に向かい、セルジョから受けとった書簡を読みかえしていた。
『――本日、われらはセパーを解放した。これより王都を奪還し、わが主君の手にマケドニアを取り戻す所存である。
本来、叛逆者との交渉などはせぬ。ただ討ち滅ぼす以外の道はない。だが、もし貴殿に翻意の意思があり、人質の解放を了承されるのであれば、反乱に加わった兵士たちに寛大な処置を行いたいと考えている。
マケドニアはいま、疲弊しきっている。先の戦争の傷も癒えぬまま、いまこうして国を二分する内乱が起こっている。これ以上の分断はわれらの望むところではなく、貴殿らも同様であると信じている。
ゆえに、そちらの要求を述べられたい。譲歩できるものであれば聞き入れよう。
しかし、この交渉はすべて殿下のご意思のもと行われるものである。もし殿下の身に万が一のことあらば、すべてくつがえると理解されよ。
早急に、ご返答をいただきたい。
セルジョ・アゴスト』
文字を追うごとに、リュッケからは苦笑がもれた。
書簡にはリュッケへの恨み言はなかった。ただ主君の身を案じ、真摯な文面がつづられているだけだった。むろん、反乱首謀者を懐柔するための策であろうが、それでもセルジョを人となりを知る以上、嘘偽りない真意だと信じることができた。
さりとて、もはや引きかえせるものではなく、この交渉にいっさい応じるつもりはない。それでも、日々神経をすり減らしているリュッケにとって、この誠実さが滑稽であり、また好ましく思えるものでもあった。
「セルジョからの書簡が届いたそうだな」
ラディス・シェンケルが無遠慮に司令室に入ってきた。つかつかとリュッケのもとへ近づいてくる。
「それで、あれはなんと言ってきたのだ?」
リュッケは苦々しげに顔をそむけ、シェンケルに書簡を渡した。
書を読み進めるシェンケルの顔にはますます嘲りの色が濃くなっていく。
「……なるほど。反乱に荷担した兵士への寛大な処置とあるが、首謀者であるあなたの処遇についてふれておらんな」
揶揄するような物言いに、リュッケの眉間にしわが寄る。
「わたしはあれのことは昔から知っているが、とかく博打の打てぬ男だ。三日の時点で全戦力をもって王都を攻めていれば、事態は打開できた。そうするだけの力をあいつは十分もちあわせているはずだ。だというのに、姫の身を案じるあまり、勝負に踏み切れなかった……。だからセパーの解放ごときに四日もかかるのだ」
リュッケに書簡をかえす。
「それで、セルジョに返事はされるのか」
「……なにをばかなこと」
「わたしに遠慮することはない。あなたの好きにされればよいのだ」
その物言いに、リュッケは眉間にしわをよせた。
シェンケルは夏ごろからアカネイアの意向を受け、水面下で謀略を動かしてきた。リュッケよりよほど首謀者と呼ぶべき者ながら、王都を占拠してのちはどこか他人事のような態度である。それがリュッケを苛立たせていた。
無言のままねめつけていると、扉が叩かれた。
「シェンケル将軍、こちらにおられたのですね」
入ってきたトルイユ伯は、リュッケのほうを見ることなくシェンケルに歩みよった。
「お伝えしておりましたように、まずはアドリア峠の要塞に向かい、ネーリング将軍と直接お会いしてください。陛下も明日には到着される予定ですので」
「心得た」
「……いったいなんの話だ」
リュッケが不審げに問うと、トルイユがさらりと言った。
「これよりシェンケル将軍は、ハーディン陛下のお召しでアカネイアに行かれるのですよ」
リュッケはシェンケルの姿をあらためて見やった。平時の簡素な軍装ではなく、胸甲に籠手に、甲冑の一揃えを身につけている。
「……それで、おまえはいつまで王都を留守にするつもりだ?」
「わたしはもうマケドニアに戻るつもりはない」
「なんだと?」
シェンケルに詰めよろうとすると、トルイユがリュッケをいなすように割りこんできた。
「アリティア侵攻作戦はすでに動いております。そろそろオレルアン軍がグラにたどりつくころですが、三か国の連合軍ゆえに、なかなか連携が難しいのですよ。こたびの遠征はハーディン陛下も出陣されることですし、不首尾があってはなりません。そこで、シェンケル将軍麾下の竜騎士団には前線との伝令役をつとめていただきたいのです」
「それで? シェンケルはいったいどれほどの竜騎士をアカネイアに連れてゆくつもりなのだ? よもや第二部隊すべてではあるまいな?」
「まさか。新兵はすべて王都に残してゆきますよ」
「ばかげたことを……!」
リュッケの頭に一気に血が上った。
リュッケは騎兵部隊を掌握しているが、戦力の要はなんといっても竜騎士団である。それも新兵ではなく場数を踏んだ精鋭が半数以上を占めていた。だからこそアカネイアの援軍が来るまで余裕で持ちこたえられると考えていたのだが、もっとも頼みの綱としていた軍勢をいきなり取り上げられた形となった。
「新兵と脱走兵でどうやって王都を守れというのだ!」
焦りもあらわに問いつめる。
「いったい、ラング将軍はいつこちらに来られるのだ?」
「七日にロレンスが敗死しアラニアが落ちましたが、その後処理に数日は要するでしょう。ただ、以前お伝えした時期よりは少し遅れることになるでしょうね。冬の海は荒れがちですし」
以前は十日すぎに着くと言っていた。
「それと、急遽決まったことなのですが、帝国軍に先んじてアリティア軍が上陸することとなりました」
「アリティア軍だと……!」
リュッケの声は驚きにかすれた。
マルス王子はグルニアにおいて帝国軍と対立し、逆賊となるはずであったのだ。それがなぜマケドニアにやってくることになったのか。
にぎりしめた手がふるえだす。
「……どういうことなのだ。聞いていた話と違うぞ」
「不測の事態です」
トルイユはこともなげに言った。
「あなたもご存じのように、マルス王子にロレンスを討たせるよう仕向け、拒否すれば叛逆とみなす流れだったのですが、やっかいなことにロレンスが自害しましてね。……王家の遺児の引き渡しも、もっと激しく抵抗してくるかと思いきや、マルス王子はさほど抵抗することなく引き下がったそうです。そこで急遽、ハーディン陛下より、ミネルバ王女の救出命令がマルス王子に降った、という形をとったというわけです。……いずれにしても、マルス王子をアリティアから遠ざけるためにも時間稼ぎは必要でした。あなたは引きつづき王都の守りを固め、アリティア軍と王女の配下たちの迎撃に備えてください」
リュッケはいっさいの反応を示さなかった。
トルイユが困ったように小首をかしげる。
「将軍、なにがそれほど不満なのです?」
「なにもかもだ! これでは話が違う!」
計画では、アカネイア皇帝の命により送りこまれたラング将軍によって、セルジョら王女派の軍とリュッケ率いる反乱軍の仲裁が行われる手筈となっていた。
そして政情不安のマケドニアはいったんアカネイアの制圧下におかれたのち、帝国に併合。それはミネルバ王女の意思で行われ、そののち、アカネイアが選任した総督に統治権が移譲されるという流れだったのだ。
しかし皇帝の意思でアリティア軍が反乱鎮圧のために派遣されることとなった。
それはすなわち、アカネイア皇帝はミネルバ王女の側に立つと表明したも同然である。
「王女に反旗をひるがえしたわれらは、アカネイアにとっても逆賊あつかいか」
「なにをいまさら。マケドニアそのものが、アカネイアでは逆賊あつかいですよ」
「そのような詭弁はよい!」
ひび割れた声で怒鳴った。
「われらはどうなる! これではたとえアリティア軍を討ったとしても帝国は――」
「まったく、気の小さいお人だ」
トルイユはあきれたように笑った。
「そのような心配をなさる必要はありません。歴史の事実なぞ、いくらでも塗り替えることができるのですから」
「なにを言って……」
「勝てば、叛逆者にはならぬと言っているのです」
トルイユ伯はいつになく神妙な顔で言った。
「帝国の歴史ではこう記録されることでしょう。グルニアの反乱は野心家ロレンス将軍が逆臣ルイ王の遺児を利用し、グルニア再興をもくろんで起こしたものであると。そしてマケドニアの反乱は、ミネルバ王女の苛烈な弾圧に耐えかねた騎士たちが起こしたものであり、あなたは憐れな騎士たちを救おうとされた英雄であると」
「英雄……?」
なにを白々しいことを。
引きつった笑いがもれる。
「しょせん、女などにこの国を治めるのは無理だったのです。ですので、皇帝陛下は王女ではなくあなたにマケドニアをゆだねられますよ」
結果は変わらないのだと強調し、静かに響く声で言った。
「リュッケ将軍、勝てばよいのです」
トルイユが出ていくと、リュッケは涼しい顔をしているシェンケルをにらんだ。
「……おまえは知っていたのだな」
「いいや。だが、こうなる予測はしていた」
落ちついた声でつづける。
「帝国ははじめからわが国を併合下におく算段であったのだ。あなたに反乱をけしかけたのは、ミネルバ姫よりあなたを御しやすい人物と思われてのこと。あなたが帝国のためにひたすら尽くそうとされるのであれば、英雄として厚遇を受けられよう。……ただ、つねに肝に銘じられておくことだ。しょせんおのれは捨て駒である、とな」
「……自分は違うとでも言いたげだな」
「まさか。わたしもやつらにとっては捨て駒だ。だが、それでよい」
達観したような目で、シェンケルは窓の外を見やった。第二部隊の竜騎士たちが次々と屋上に降り立っていくのが見える。みな、アカネイアへ向かう部隊であろう。
「……さて、そろそろ発たねばならんな」
シェンケルはひたいにたれる前髪をかきあげた。
「ところで、ミネルバ姫のご様子は?」
「自分の目で確かめればよかろう」
吐き捨てると、それもそうだとシェンケルは笑った。そして形ばかりの礼をとる。
「ではリュッケ将軍、ご武運を」
実のない言葉を言い残し、シェンケルは長いマントをひるがえした。
扉が閉まると同時に、リュッケはこぶしを机に叩きつけた。奥歯を嚙みしめ、荒い息をくりかえした。
やがて、手がふるえはじめる。
リュッケはきびすをかえし、小卓に置いたままの酒瓶を手にとった。荒々しい手つきで杯へそそごうとしたが、瓶にはほとんど中身が残っていなかった。
からの瓶を絨毯に叩きつける。
このところ酒の減りが早い。いくら強い酒を浴びるように吞んでも、ここちよく酔えることはない。
ふるえる手で杯をもちあげ、少しばかりの酒でのどの渇きを潤した。
⁂
王女の牢獄と化した寝室は、鎧戸もカーテンも締め切られており、外の光はとどかない。絶やさずに焚かれている暖炉の火と、小卓の上の燭台がぼんやりと寝台を照らすばかりである。
寝台は、天蓋から垂れ下がる帳がぴったりと閉じられている。帳で隠されていなければ、寝室の入り口に立つ衛兵から寝台のなかが丸見えになるからだ。着替えや身づくろいのときでさえ監視の目がある。
シェンケルが寝室に足を踏み入れると、こすれ合う鎧の音に気づいてロザリアがふりかえった。
「殿下はお目覚めか」
ロザリアはこたえず、きつい目をしてねめつけてくる。タマーラのことを恨んでいるだろう。それとも王女に下郎をけしかけたことだろうか。
だが滑稽なことだ。
一見すれば忠義者だが、実体はアカネイアの間諜である。王女を陥れるべく女官として宮廷に入りこみ、あらゆる身辺情報をトルイユに流し、挙句の果てに毒まで盛った女なのだ。その背信行為は、指を一本捧げたぐらいで贖いきれるものではない。
見た目はまったく似ていないというのに、あきれるほどにこの父娘は似ている。善人と呼ぶにはあまりに保身にかたむいており、悪人と呼ぶには気が弱すぎる。要は信念に欠けるのだ。
「おまえは下がっていろ」
「ですが――」
「殿下に暴露されたくはないのだろう?」
耳元で低く告げると、ロザリアは唇を噛みしめ、部屋から出ていった。
「姫」
「……シェンケルか」
ややあって、寝台の奥から王女のかすれた声が聞こえた。
「ご気分はいかがです?」
「これが、よいように見えるか」
内側から、帳が開けられた。暗がりのなか、蒼白なやせた顔がうかびあがる。
「どうも食事になにかまぜられているようでな、つねに身体はしびれ、眠気がする。……かといって食べぬわけにもいかぬゆえ、結局は一日の多くの時間を眠って過ごしている」
王女は身体を起こし、枕に背をもたれかからせた。
「今日は何日だ? 日の感覚がない」
「三の月の九日でございます」
「そうか。思ったより日がすぎていたな」
世間話でもするような軽い口調で言いながら、王女は寝台から降りた。寝台にくくりつけられた鎖が許すかぎり、一歩一歩前へと進み、足を止める。
たったそれだけの動きで王女の息は上がっていた。
「どうぞご無理はなさらず」
「少々無理をしてでも動いておこうと思ってな」
低く笑い、王女は寝台脇の椅子に腰かけた。
「ユスタスが言っていた。牢の中で動かずにいると肉体がひどく衰えるから、時間と体力の許すかぎり身体を動かし、鍛錬も行うようにしていたと。それでもさすがに七年は長すぎたそうだが」
「なるほど。お逃げになるとき、走れなくてはすぐに捕まってしまいますからね」
「この監視では、逃げることはできぬだろうがな」
「だから信じておられるのでしょう? あなたに忠実な部下たちが救出にくるときを」
ミネルバはじっと一点をみつめていたが、ゆっくりと目を伏せた。
「……あの者たちが、民の犠牲を厭わず攻め入ってくることはない」
「あなたさまに朗報です。先日、セルジョたちがセパーを解放したようです。民に死者はでなかったとか」
ミネルバのやつれた顔に喜色がうかんだ。
しかしすぐに口元を引きしめ、シェンケルを見すえた。
「なんの用があってまいったのだ?」
「お別れのごあいさつにまいりました」
シェンケルは胸に手を当て、礼をとる。
「あなたとは、もう二度とお会いすることはないでしょうから」
一拍をおき、王女は力なく笑う。
「そうだな、わたしはもう長くはないだろう」
「いえ、死ぬるのはわたしが先かと思いますよ」
淡々と言ってのけると、ミネルバの視線が彼のまとう軍装にそそがれた。それですべてを悟ったのだろう、表情が変わった。
「アカネイアに行くのか」
「はい」
「なにをしようとしている?」
「一人の竜騎士として、戦いにこの身を捧げたいと存じます」
「……そなたは死に急いでいるようだな。なぜだ?」
「あのとき、死にぞこなったからですよ。わたしには……生きながらえたところでほかに生きる道などありませんでした。……あなたはわたしを処刑なさればよかったのです。そうすれば、あなたはいまこのような目に遭ってはおられないでしょうに」
皮肉げに笑ってみせると、王女もまたぎごちない笑みをうかべた。胸元に手をやり、首飾りをにぎりしめる。
「……死にぞこなったのは、わたしもおなじだ」
いま、王女の脳裏にも、シェンケルとおなじ光景がうかんでいたことだろう。
あの嵐の日。
雷光が閃く天空に、双竜が重なり合った瞬間。〈アイオテの再来〉と呼ばれた王は死を選んだ。そのとき、あるべき世界が崩れていく感覚を味わった。
「……わたしにとって、あの日マケドニアは滅びたのです」
「王が死ねば、国が終わると? 民あってこそ国があり、王があるのだ」
「おっしゃるとおりにございますが、実態は違います。民とは、強き指導者に導かれねば生きてはゆけぬ存在にございますので」
「兄もどこかそういう考えをもっていたな。民の幸福は、王たる自分が導いた先にしかない存在しえぬと。最後の最後でおのれの愚かしさに気づいたのか、民を道連れにすることはやめたようだが……」
しばし険しい目をしていたミネルバは、ふと目元をほころばせ、諦念をうかべた。
「いや、そなたの言っておることはわかっているつもりだ。……もう一度、父の時代が訪れるのは我慢がならなかったのだな?」
「はい」
「……すべて、わたしの力およばぬゆえに――」
シェンケルは嘲笑でさえぎった。
「それは思い上がりですよ、姫。もはやあなたおひとりの力ではどうにもならぬことでした」
シェンケルはミネルバを見下ろした。その弱々しい姿からは、昨年の夏、再会したときとおなじ印象を受けた。
まっすぐに背筋をのばし、威厳をたもとうとしていても、目の奥に力がない。どれほど毅然とふるまおうとしても、その身からにじむ諦念は隠せない。
「あなた方はこの国を支える二つの柱だった……。しかしあの日、一つの柱が失われました。あなたはその後もお一人で国を支えてこられましたが、残念なことにその柱を支える者たちがいなかった」
「そんなことはない」
「……そうですね、支えようとする者もいたのかもしれません。ですが、まるで力が足らなかった。メスト公亡き後、あなたは思い知ったはずです。あなたを崇める者たちは、結局あなたに寄りかかるだけ。……崩壊は必然だったのです」
シェンケルは椅子に座るミネルバの足元にひざまづいた。
「どうぞ、ただの姫君にお戻りを。そのほうがあなたにとってお幸せかと存じます」
枷のはめられた手をとり、口づける。
ミネルバはまたたきもせず、じっとシェンケルをみつめていた。その目に怒りの色はない。ただ疲れ果てているようだった。
シェンケルは寝室を出て、いったん執務室に入った。そのとき、北側の壁に掛けられた巨大な絵画が目に入った。
一瞬で目を奪われた。やや粗い筆致ながら、その一筆一筆に死んだ画家の魂がこめられているかに思えた。
あの夜は、絵画に目をやるいとまもなかったが、こうしてあらためて見てみれば、このアイオテが誰をもとに描かれたのかは一目瞭然である。
巨匠が手がけた主君の肖像は、かつて彼が求めた世界が象徴的に描き出されていた。暗い闇を照らす明けの明星。それはあらたなる時代を照らしだす希望の光だった。
しかしその光は消えた。
明けの明星がこの大地を昇ることない。
シェンケルは絵画から顔をそむけ、部屋を出ていった。その足どりに迷いはなかった。
リュッケは机に向かい、セルジョから受けとった書簡を読みかえしていた。
『――本日、われらはセパーを解放した。これより王都を奪還し、わが主君の手にマケドニアを取り戻す所存である。
本来、叛逆者との交渉などはせぬ。ただ討ち滅ぼす以外の道はない。だが、もし貴殿に翻意の意思があり、人質の解放を了承されるのであれば、反乱に加わった兵士たちに寛大な処置を行いたいと考えている。
マケドニアはいま、疲弊しきっている。先の戦争の傷も癒えぬまま、いまこうして国を二分する内乱が起こっている。これ以上の分断はわれらの望むところではなく、貴殿らも同様であると信じている。
ゆえに、そちらの要求を述べられたい。譲歩できるものであれば聞き入れよう。
しかし、この交渉はすべて殿下のご意思のもと行われるものである。もし殿下の身に万が一のことあらば、すべてくつがえると理解されよ。
早急に、ご返答をいただきたい。
セルジョ・アゴスト』
文字を追うごとに、リュッケからは苦笑がもれた。
書簡にはリュッケへの恨み言はなかった。ただ主君の身を案じ、真摯な文面がつづられているだけだった。むろん、反乱首謀者を懐柔するための策であろうが、それでもセルジョを人となりを知る以上、嘘偽りない真意だと信じることができた。
さりとて、もはや引きかえせるものではなく、この交渉にいっさい応じるつもりはない。それでも、日々神経をすり減らしているリュッケにとって、この誠実さが滑稽であり、また好ましく思えるものでもあった。
「セルジョからの書簡が届いたそうだな」
ラディス・シェンケルが無遠慮に司令室に入ってきた。つかつかとリュッケのもとへ近づいてくる。
「それで、あれはなんと言ってきたのだ?」
リュッケは苦々しげに顔をそむけ、シェンケルに書簡を渡した。
書を読み進めるシェンケルの顔にはますます嘲りの色が濃くなっていく。
「……なるほど。反乱に荷担した兵士への寛大な処置とあるが、首謀者であるあなたの処遇についてふれておらんな」
揶揄するような物言いに、リュッケの眉間にしわが寄る。
「わたしはあれのことは昔から知っているが、とかく博打の打てぬ男だ。三日の時点で全戦力をもって王都を攻めていれば、事態は打開できた。そうするだけの力をあいつは十分もちあわせているはずだ。だというのに、姫の身を案じるあまり、勝負に踏み切れなかった……。だからセパーの解放ごときに四日もかかるのだ」
リュッケに書簡をかえす。
「それで、セルジョに返事はされるのか」
「……なにをばかなこと」
「わたしに遠慮することはない。あなたの好きにされればよいのだ」
その物言いに、リュッケは眉間にしわをよせた。
シェンケルは夏ごろからアカネイアの意向を受け、水面下で謀略を動かしてきた。リュッケよりよほど首謀者と呼ぶべき者ながら、王都を占拠してのちはどこか他人事のような態度である。それがリュッケを苛立たせていた。
無言のままねめつけていると、扉が叩かれた。
「シェンケル将軍、こちらにおられたのですね」
入ってきたトルイユ伯は、リュッケのほうを見ることなくシェンケルに歩みよった。
「お伝えしておりましたように、まずはアドリア峠の要塞に向かい、ネーリング将軍と直接お会いしてください。陛下も明日には到着される予定ですので」
「心得た」
「……いったいなんの話だ」
リュッケが不審げに問うと、トルイユがさらりと言った。
「これよりシェンケル将軍は、ハーディン陛下のお召しでアカネイアに行かれるのですよ」
リュッケはシェンケルの姿をあらためて見やった。平時の簡素な軍装ではなく、胸甲に籠手に、甲冑の一揃えを身につけている。
「……それで、おまえはいつまで王都を留守にするつもりだ?」
「わたしはもうマケドニアに戻るつもりはない」
「なんだと?」
シェンケルに詰めよろうとすると、トルイユがリュッケをいなすように割りこんできた。
「アリティア侵攻作戦はすでに動いております。そろそろオレルアン軍がグラにたどりつくころですが、三か国の連合軍ゆえに、なかなか連携が難しいのですよ。こたびの遠征はハーディン陛下も出陣されることですし、不首尾があってはなりません。そこで、シェンケル将軍麾下の竜騎士団には前線との伝令役をつとめていただきたいのです」
「それで? シェンケルはいったいどれほどの竜騎士をアカネイアに連れてゆくつもりなのだ? よもや第二部隊すべてではあるまいな?」
「まさか。新兵はすべて王都に残してゆきますよ」
「ばかげたことを……!」
リュッケの頭に一気に血が上った。
リュッケは騎兵部隊を掌握しているが、戦力の要はなんといっても竜騎士団である。それも新兵ではなく場数を踏んだ精鋭が半数以上を占めていた。だからこそアカネイアの援軍が来るまで余裕で持ちこたえられると考えていたのだが、もっとも頼みの綱としていた軍勢をいきなり取り上げられた形となった。
「新兵と脱走兵でどうやって王都を守れというのだ!」
焦りもあらわに問いつめる。
「いったい、ラング将軍はいつこちらに来られるのだ?」
「七日にロレンスが敗死しアラニアが落ちましたが、その後処理に数日は要するでしょう。ただ、以前お伝えした時期よりは少し遅れることになるでしょうね。冬の海は荒れがちですし」
以前は十日すぎに着くと言っていた。
「それと、急遽決まったことなのですが、帝国軍に先んじてアリティア軍が上陸することとなりました」
「アリティア軍だと……!」
リュッケの声は驚きにかすれた。
マルス王子はグルニアにおいて帝国軍と対立し、逆賊となるはずであったのだ。それがなぜマケドニアにやってくることになったのか。
にぎりしめた手がふるえだす。
「……どういうことなのだ。聞いていた話と違うぞ」
「不測の事態です」
トルイユはこともなげに言った。
「あなたもご存じのように、マルス王子にロレンスを討たせるよう仕向け、拒否すれば叛逆とみなす流れだったのですが、やっかいなことにロレンスが自害しましてね。……王家の遺児の引き渡しも、もっと激しく抵抗してくるかと思いきや、マルス王子はさほど抵抗することなく引き下がったそうです。そこで急遽、ハーディン陛下より、ミネルバ王女の救出命令がマルス王子に降った、という形をとったというわけです。……いずれにしても、マルス王子をアリティアから遠ざけるためにも時間稼ぎは必要でした。あなたは引きつづき王都の守りを固め、アリティア軍と王女の配下たちの迎撃に備えてください」
リュッケはいっさいの反応を示さなかった。
トルイユが困ったように小首をかしげる。
「将軍、なにがそれほど不満なのです?」
「なにもかもだ! これでは話が違う!」
計画では、アカネイア皇帝の命により送りこまれたラング将軍によって、セルジョら王女派の軍とリュッケ率いる反乱軍の仲裁が行われる手筈となっていた。
そして政情不安のマケドニアはいったんアカネイアの制圧下におかれたのち、帝国に併合。それはミネルバ王女の意思で行われ、そののち、アカネイアが選任した総督に統治権が移譲されるという流れだったのだ。
しかし皇帝の意思でアリティア軍が反乱鎮圧のために派遣されることとなった。
それはすなわち、アカネイア皇帝はミネルバ王女の側に立つと表明したも同然である。
「王女に反旗をひるがえしたわれらは、アカネイアにとっても逆賊あつかいか」
「なにをいまさら。マケドニアそのものが、アカネイアでは逆賊あつかいですよ」
「そのような詭弁はよい!」
ひび割れた声で怒鳴った。
「われらはどうなる! これではたとえアリティア軍を討ったとしても帝国は――」
「まったく、気の小さいお人だ」
トルイユはあきれたように笑った。
「そのような心配をなさる必要はありません。歴史の事実なぞ、いくらでも塗り替えることができるのですから」
「なにを言って……」
「勝てば、叛逆者にはならぬと言っているのです」
トルイユ伯はいつになく神妙な顔で言った。
「帝国の歴史ではこう記録されることでしょう。グルニアの反乱は野心家ロレンス将軍が逆臣ルイ王の遺児を利用し、グルニア再興をもくろんで起こしたものであると。そしてマケドニアの反乱は、ミネルバ王女の苛烈な弾圧に耐えかねた騎士たちが起こしたものであり、あなたは憐れな騎士たちを救おうとされた英雄であると」
「英雄……?」
なにを白々しいことを。
引きつった笑いがもれる。
「しょせん、女などにこの国を治めるのは無理だったのです。ですので、皇帝陛下は王女ではなくあなたにマケドニアをゆだねられますよ」
結果は変わらないのだと強調し、静かに響く声で言った。
「リュッケ将軍、勝てばよいのです」
トルイユが出ていくと、リュッケは涼しい顔をしているシェンケルをにらんだ。
「……おまえは知っていたのだな」
「いいや。だが、こうなる予測はしていた」
落ちついた声でつづける。
「帝国ははじめからわが国を併合下におく算段であったのだ。あなたに反乱をけしかけたのは、ミネルバ姫よりあなたを御しやすい人物と思われてのこと。あなたが帝国のためにひたすら尽くそうとされるのであれば、英雄として厚遇を受けられよう。……ただ、つねに肝に銘じられておくことだ。しょせんおのれは捨て駒である、とな」
「……自分は違うとでも言いたげだな」
「まさか。わたしもやつらにとっては捨て駒だ。だが、それでよい」
達観したような目で、シェンケルは窓の外を見やった。第二部隊の竜騎士たちが次々と屋上に降り立っていくのが見える。みな、アカネイアへ向かう部隊であろう。
「……さて、そろそろ発たねばならんな」
シェンケルはひたいにたれる前髪をかきあげた。
「ところで、ミネルバ姫のご様子は?」
「自分の目で確かめればよかろう」
吐き捨てると、それもそうだとシェンケルは笑った。そして形ばかりの礼をとる。
「ではリュッケ将軍、ご武運を」
実のない言葉を言い残し、シェンケルは長いマントをひるがえした。
扉が閉まると同時に、リュッケはこぶしを机に叩きつけた。奥歯を嚙みしめ、荒い息をくりかえした。
やがて、手がふるえはじめる。
リュッケはきびすをかえし、小卓に置いたままの酒瓶を手にとった。荒々しい手つきで杯へそそごうとしたが、瓶にはほとんど中身が残っていなかった。
からの瓶を絨毯に叩きつける。
このところ酒の減りが早い。いくら強い酒を浴びるように吞んでも、ここちよく酔えることはない。
ふるえる手で杯をもちあげ、少しばかりの酒でのどの渇きを潤した。
⁂
王女の牢獄と化した寝室は、鎧戸もカーテンも締め切られており、外の光はとどかない。絶やさずに焚かれている暖炉の火と、小卓の上の燭台がぼんやりと寝台を照らすばかりである。
寝台は、天蓋から垂れ下がる帳がぴったりと閉じられている。帳で隠されていなければ、寝室の入り口に立つ衛兵から寝台のなかが丸見えになるからだ。着替えや身づくろいのときでさえ監視の目がある。
シェンケルが寝室に足を踏み入れると、こすれ合う鎧の音に気づいてロザリアがふりかえった。
「殿下はお目覚めか」
ロザリアはこたえず、きつい目をしてねめつけてくる。タマーラのことを恨んでいるだろう。それとも王女に下郎をけしかけたことだろうか。
だが滑稽なことだ。
一見すれば忠義者だが、実体はアカネイアの間諜である。王女を陥れるべく女官として宮廷に入りこみ、あらゆる身辺情報をトルイユに流し、挙句の果てに毒まで盛った女なのだ。その背信行為は、指を一本捧げたぐらいで贖いきれるものではない。
見た目はまったく似ていないというのに、あきれるほどにこの父娘は似ている。善人と呼ぶにはあまりに保身にかたむいており、悪人と呼ぶには気が弱すぎる。要は信念に欠けるのだ。
「おまえは下がっていろ」
「ですが――」
「殿下に暴露されたくはないのだろう?」
耳元で低く告げると、ロザリアは唇を噛みしめ、部屋から出ていった。
「姫」
「……シェンケルか」
ややあって、寝台の奥から王女のかすれた声が聞こえた。
「ご気分はいかがです?」
「これが、よいように見えるか」
内側から、帳が開けられた。暗がりのなか、蒼白なやせた顔がうかびあがる。
「どうも食事になにかまぜられているようでな、つねに身体はしびれ、眠気がする。……かといって食べぬわけにもいかぬゆえ、結局は一日の多くの時間を眠って過ごしている」
王女は身体を起こし、枕に背をもたれかからせた。
「今日は何日だ? 日の感覚がない」
「三の月の九日でございます」
「そうか。思ったより日がすぎていたな」
世間話でもするような軽い口調で言いながら、王女は寝台から降りた。寝台にくくりつけられた鎖が許すかぎり、一歩一歩前へと進み、足を止める。
たったそれだけの動きで王女の息は上がっていた。
「どうぞご無理はなさらず」
「少々無理をしてでも動いておこうと思ってな」
低く笑い、王女は寝台脇の椅子に腰かけた。
「ユスタスが言っていた。牢の中で動かずにいると肉体がひどく衰えるから、時間と体力の許すかぎり身体を動かし、鍛錬も行うようにしていたと。それでもさすがに七年は長すぎたそうだが」
「なるほど。お逃げになるとき、走れなくてはすぐに捕まってしまいますからね」
「この監視では、逃げることはできぬだろうがな」
「だから信じておられるのでしょう? あなたに忠実な部下たちが救出にくるときを」
ミネルバはじっと一点をみつめていたが、ゆっくりと目を伏せた。
「……あの者たちが、民の犠牲を厭わず攻め入ってくることはない」
「あなたさまに朗報です。先日、セルジョたちがセパーを解放したようです。民に死者はでなかったとか」
ミネルバのやつれた顔に喜色がうかんだ。
しかしすぐに口元を引きしめ、シェンケルを見すえた。
「なんの用があってまいったのだ?」
「お別れのごあいさつにまいりました」
シェンケルは胸に手を当て、礼をとる。
「あなたとは、もう二度とお会いすることはないでしょうから」
一拍をおき、王女は力なく笑う。
「そうだな、わたしはもう長くはないだろう」
「いえ、死ぬるのはわたしが先かと思いますよ」
淡々と言ってのけると、ミネルバの視線が彼のまとう軍装にそそがれた。それですべてを悟ったのだろう、表情が変わった。
「アカネイアに行くのか」
「はい」
「なにをしようとしている?」
「一人の竜騎士として、戦いにこの身を捧げたいと存じます」
「……そなたは死に急いでいるようだな。なぜだ?」
「あのとき、死にぞこなったからですよ。わたしには……生きながらえたところでほかに生きる道などありませんでした。……あなたはわたしを処刑なさればよかったのです。そうすれば、あなたはいまこのような目に遭ってはおられないでしょうに」
皮肉げに笑ってみせると、王女もまたぎごちない笑みをうかべた。胸元に手をやり、首飾りをにぎりしめる。
「……死にぞこなったのは、わたしもおなじだ」
いま、王女の脳裏にも、シェンケルとおなじ光景がうかんでいたことだろう。
あの嵐の日。
雷光が閃く天空に、双竜が重なり合った瞬間。〈アイオテの再来〉と呼ばれた王は死を選んだ。そのとき、あるべき世界が崩れていく感覚を味わった。
「……わたしにとって、あの日マケドニアは滅びたのです」
「王が死ねば、国が終わると? 民あってこそ国があり、王があるのだ」
「おっしゃるとおりにございますが、実態は違います。民とは、強き指導者に導かれねば生きてはゆけぬ存在にございますので」
「兄もどこかそういう考えをもっていたな。民の幸福は、王たる自分が導いた先にしかない存在しえぬと。最後の最後でおのれの愚かしさに気づいたのか、民を道連れにすることはやめたようだが……」
しばし険しい目をしていたミネルバは、ふと目元をほころばせ、諦念をうかべた。
「いや、そなたの言っておることはわかっているつもりだ。……もう一度、父の時代が訪れるのは我慢がならなかったのだな?」
「はい」
「……すべて、わたしの力およばぬゆえに――」
シェンケルは嘲笑でさえぎった。
「それは思い上がりですよ、姫。もはやあなたおひとりの力ではどうにもならぬことでした」
シェンケルはミネルバを見下ろした。その弱々しい姿からは、昨年の夏、再会したときとおなじ印象を受けた。
まっすぐに背筋をのばし、威厳をたもとうとしていても、目の奥に力がない。どれほど毅然とふるまおうとしても、その身からにじむ諦念は隠せない。
「あなた方はこの国を支える二つの柱だった……。しかしあの日、一つの柱が失われました。あなたはその後もお一人で国を支えてこられましたが、残念なことにその柱を支える者たちがいなかった」
「そんなことはない」
「……そうですね、支えようとする者もいたのかもしれません。ですが、まるで力が足らなかった。メスト公亡き後、あなたは思い知ったはずです。あなたを崇める者たちは、結局あなたに寄りかかるだけ。……崩壊は必然だったのです」
シェンケルは椅子に座るミネルバの足元にひざまづいた。
「どうぞ、ただの姫君にお戻りを。そのほうがあなたにとってお幸せかと存じます」
枷のはめられた手をとり、口づける。
ミネルバはまたたきもせず、じっとシェンケルをみつめていた。その目に怒りの色はない。ただ疲れ果てているようだった。
シェンケルは寝室を出て、いったん執務室に入った。そのとき、北側の壁に掛けられた巨大な絵画が目に入った。
一瞬で目を奪われた。やや粗い筆致ながら、その一筆一筆に死んだ画家の魂がこめられているかに思えた。
あの夜は、絵画に目をやるいとまもなかったが、こうしてあらためて見てみれば、このアイオテが誰をもとに描かれたのかは一目瞭然である。
巨匠が手がけた主君の肖像は、かつて彼が求めた世界が象徴的に描き出されていた。暗い闇を照らす明けの明星。それはあらたなる時代を照らしだす希望の光だった。
しかしその光は消えた。
明けの明星がこの大地を昇ることない。
シェンケルは絵画から顔をそむけ、部屋を出ていった。その足どりに迷いはなかった。