第五部
六日、未明。
五人の男たちが息をひそめ、城門の様子をうかがっていた。門の両脇には松明が煌々と焚かれ、あたりをあかるく照らしている。
港町セパーの城門は、重い格子が落とされ、樫材の門扉がぴったりと閉じられている。門を破れば人質の命はない。そう脅され、いっさいの反抗が封じられてきた。
そんな日々も今日で終わりだ。
武装した市民は物陰に隠れ、獲物を狙う獣のごとく、一歩一歩にじり寄っていく。その手には長剣に手斧、使い慣れた得物がにぎられている。
彼らの標的は、城門を守る四人の見張りたちだった。そのうち二人は酔っぱらい、城壁にもたれて眠っている。
町が占拠されてのち、市民は従順にふるまい、一度も騒ぎは起こさなかった。そんな日がつづけば、見張りの緊張もほどけてくる。しかも外は寒波で凍えるほどに寒い。強い酒で身体を温めねばとても耐えられはしない。
起きている二人もほろ酔いで、足どりはおぼつかない。
隙だらけだ。
先陣を切ったのは長剣を手にした若い男だった。すばやく腹部に刃を突き立てる。死角からの襲撃に、見張りは短くうめき、そのまま地面に崩れ落ちた。
まずは一人。
「おまえら、どこから――」
慌てて応戦しようとした見張りの側頭部に、手斧がいきおいよくふりおろされた。
これで二人。
うたた寝をしていた者たちは、目を覚ます前に絶命させられていた。
市民たちは慣れた手つきで鎖を巻き上げ、落とし格子を引き上げていく。
「早く城門を開けろ!」
閂が外され、門扉がきしみながらひらいていく。
ようやく異変に気づき、番舎からいく人も飛び出してきたが、すでに手遅れである。
ひらかれた城門から騎兵二十騎がなだれこみ、斬りかかってくる叛徒らを蹴散らしていった。馬蹄をとどろかせ、目抜き通りを疾駆していく。向かう先は市庁舎前の広場である。
「……始まったようだな」
セルジョ・アゴストは南の方角をみつめてつぶやいた。
彼の率いる竜騎士団の精鋭十五騎は、闇にまぎれ、市庁舎の上空で待機していた。
わずかにひらかれた鎧戸から室内の明かりがもれている。事前の情報どおり、南棟の二階の広間に人質を押しこめているようだ。
大通りの様子をうかがっていると、市庁舎から外へわらわらと出ていく者たちが見えた。騒ぎを聞きつけ、応戦に出ていく者たちだ。
「まんまとおびき出されていったな」
レビオがせせら笑った。肝のすわった男である。はじめてのる飛竜にもまったくひるむことがない。むしろ楽しんでいるようである。
「油断はするな。やつらはまだなかにいる」
セルジョは背後のレビオに低く告げ、部下たちを見わたした。
「これより突入する! 人質の保護が最優先だ」
竜騎士団十五騎は二手に別れ、それぞれ屋上と中庭から館内に突入した。屋上に降り立ったセルジョたちは階段を駆けおり、二階の広間へと向かう。
レビオは手すりを乗り越え、一気に階段を下まで降りた。
いきなり現れた闖入者に、見張りの者が狼狽する。
「こいつら、いったいどこから――!」
二人の見張りを、レビオがすばやく斬り伏せた。そのまま廊下を駆け抜ける。
「女たちはあの部屋だ!」
両開きの扉を蹴破り、広間へ踏みこんだ。
しかし中の様子を見るや、レビオが舌打ちをする。
広間には二十人近い人質たちが押しこめられていたが、部屋にいたのは人質だけではない。三人の叛徒の姿もあった。
予測された事態ではあるが、剣を手にした男たちは人質を盾にし、セルジョたちに向きなおった。女たちのかぼそい悲鳴が部屋のあちこちで上がる。
「やっと来やがったのか」
三十がらみの男が吐き捨てるように言った。その腕のなかには十七、八ほどの少女がいた。少女は歯をがたがたとふるわせ、うるんだ目で助けを求めている。
「おっと動くなよ。こいつの首をかっ切るぞ」
男は少女の首に刃を当てていた。ほかの二人もそれぞれ人質に剣を向けている。
いま、この広間に竜騎士団はセルジョをふくめて八人。そして市庁舎は包囲され、逃げ道はない。あきらかな劣勢を前に、男たちが自棄を起こすやもしれぬ。
セルジョは部下たちを制し、剣をいったん鞘におさめた。
「その娘を放せ。さすれば、おまえの命は助けてやろう」
「ふん、俺は脱走兵でさらには叛逆者だ。捕まって無事なんてことあるかよ」
「それをわかっていて、なぜ反乱など起こした?」
「なぜ? なぜだとよ」
男たちは笑いあった。部屋中に下卑た嘲笑が響きわたる。
「……なにがおかしい?」
「なにもかもがだよ。てめえにはわからんだろうがな」
セルジョが黙っていると、男は横を向き、べっと唾を吐いた。
「てめえら貴族はよ、なにかにつけてご立派な大義とやらをふりかざすがな、俺らみたいな末端の兵卒が、国家の威信だの名誉だなんてもののために戦ってたと本気で思ってるのか? ええ?」
男は目を怒らせる。
「偉大なるマケドニアだの、栄光ある騎士団だの、ばかばかしい! 逆らえば殺される、それが嫌で従ってきただけだ。勝てもしねえ戦争を何年もつづけた挙げ句、俺らに戦って死ねと言いやがる。やってられねえから逃げたのさ」
六〇五年のマケドニアでの戦いのことと思われた。
「そしたら今度は脱走兵狩りだと? ふざけやがって――」
人質の少女を抱えたまま、男は剣をふりかぶった。
「虫ケラみてえに殺されるぐらいなら、一人でも道連れにしてやろうと思ってな!」
セルジョはすばやく剣を抜き、激しい一打を受けとめた。しかし男はすぐに剣をふりあげ、ふたたびセルジョに剣に叩きつける。
力任せの一打は重い。しかし太刀筋は甘い。盲滅法な攻撃を受け流しながら、広間の様子をうかがう。
すでに中庭から侵入した別部隊も駆けつけていた。二人の叛徒を取りかこみ、取り押さえるべく間合いをつめている。その隙に、人質たちを外へ逃がしていた。
――ここが潮時か。
セルジョが攻撃に転じようとしたとき、目の前をざっと黒い影がよぎった。
レビオだった。手にしていた短剣で男の腕を切り裂き、少女を腕の中へかっさらう。
「ガキがなめた真似しやがって!」
怒った男はレビオに狙いを定め、剣をふりおろそうとした。
もはや遠慮はいらない。
セルジョは男の背に長剣を突き立てた。同時に、レビオの短剣も男の首に刺さっていた。
あざやかな手つきだった。
「この……――」
男は上体を折り曲げたままひざをついた。そのまま横向きに倒れ血のあぶくを吐いている。
「……ったく……ついてねえ……な……」
わずかに唇を動かし、男はそのまま息絶えた。
レビオと少女が抱き合う姿を前に、セルジョは口元をゆるめる。この少女が助けたかった娘なのだろうか。
広間のあちこちで安堵の声が上がっている。
ひらかれた鎧戸から、白い暁光が射しこんでいた。
六日の早朝、セパーは解放された。
市庁舎に閉じこめられていた人質は若い娘たちを中心に四十人以上いた。市の有力者の子女も多く、さほど手荒な扱いは受けていなかったが、冷えきった部屋に押しこめられ、食事もほとんど与えられず、衰弱していた。酒場の女たちにしても、男たちの機嫌でひとつで殺されかねない状況に神経をすり減らし、憔悴しきっていた。
そのほか、監獄に閉じこめられていた市民も次々と解放されていった。
人質をはじめ、戦いに加わった市民に死者は出なかったが、占拠のさいに自警団の多くが犠牲となっている。セパー市民にとって反乱軍の襲撃は突如降りかかった災厄でしかない。
市庁舎前の広場でセルジョが部下たちに次々と指示を飛ばしていると、セパーの市長ラゾンが姿を見せた。
「セルジョ卿、ひさしいな」
「これはラゾンどの、ご無事でなによりだ」
ラゾン市長はかつて竜騎士団に属していた人物で、しばしば王城の催事に姿を見せている。すでに六十をすぎているが、かつては屈強な騎士であり、いまなお退役前と変わらぬ堂々たる体躯をたもっている。
「わたしの孫娘が人質とされていてな。……情けないことだが、ひとまずやつらの言いなりになるしかなかった。人質がすべて解放されてまことによかった。さすがわれらが誇る竜騎士団よ。感謝いたす」
「いや、すべては市民の協力あってのこと。ことにレビオという若者には助けられた」
「そうか、あのお調子者がな」
よく見知った者であるのか、ラゾンは含み笑いをした。
「それにしても、これは軍の反乱ということだが、やつらはほんとうに正規軍なのか」
「西部駐屯の兵と脱走兵にくわえ、追放された将兵がまじっていると現時点では認識している。……事態を未然に防ぐことができず、まこと申しわけなく思っている」
「貴殿が詫びられることではない。やつらの襲撃を許したのはわれらの落ち度……。だが、解せんのだ。なぜセパーを狙ったのだ?」
「おそらくだが、セパーが王都から遠く離れているからであろうと思う」
「……どういうことだ?」
「じつはセパーが占拠された日、われらが鎮圧に向かったのちに王都もまた反乱軍に占拠され、王城が落ちた」
「なんと……! それではミネルバさまは……」
「反乱軍に捕らえられている。……われらを王都から遠ざけることがやつらの目的であったようだ」
「それで、貴殿らは今後どのようにされるのだ?」
「早々に王都の奪還に向かいたいところだが、わたしの直属の部下たちだけでは戦力が足らぬ。南部駐留の部隊をすべて動員し、まずはエルザガン砦を落とさねばならぬ」
「反乱軍が〈国境の森〉を封鎖したということか。やってくれるではないか」
ラゾンは目を険しくする。
「昨年から不穏な事件が立てつづけに起こっておるようだが、結局のところ、すべての原因はマケドニアが戦争に敗れたことにある。長い戦争の果てに、この国は多くの命と富と名誉を失い、なにひとつとして報われることがなかった。あらゆる方面で不満が渦巻いておる。とりわけ、ドルーアに与した者たちには、もはやまっとうに生きる道がない。だからこうして道を踏みはずすのだ。遅かれ早かれ、やつらはなんらかの騒動を起こしただろう」
セルジョは重々しくうなづいた。
これまでなんとか騙し騙し押さえつけていたものが、いま、一気に堰を切ってあふれだしているのだろう。
「セルジョ卿、些事はわれらにまかせていただきたい。ミネルバさま救出のため、可能なかぎり協力いたそう」
「かたじけない」
ラゾンは立ち去ろうとしたが、ああ、と足を止めてふりかえった。
「捕らえた反乱兵どもは監獄に放りこんである。あのまま放っておけば市民らが憂さ晴らしを始めかねんからな。あとは好きにされよ」
セルジョはシストたち部下に後処理を任せ、自身は馬を駆り、市中の西にある監獄へ向かった。
途中、荷車が三台、城門に向かって牽かれていた。荷台には市中から集められた反乱兵の遺体が乱雑に積まれている。外へ運び出された遺体は、郊外に掘られた大穴に祈りもなく放りこまれることになるだろう。
「すまないが馬を止めてくれ」
セルジョは止まった荷車に近づいた。三十を超える遺体の顔をひとりずつ検分していったが、見覚えのある者はいなかった。当初の見立てどおり、脱走兵か西部駐留の軍人が中心と思われた。
ふたたび馬を駆り、監獄へと急ぐ。
監獄の外門をくぐると、看守がセルジョを出迎えた。
「お待ちしておりました、なかへご案内いたします」
獄舎の奥へ進みながら、看守に問う。
「ここには脱走兵が十名捕らえられていたはずだが、やつらはどうなったのだ?」
「あの者たちは……」
看守は言いよどんだ。
「反乱が起こったとき、牢はもぬけの殻でした。セパー監獄は厳重に管理されておりますが、まことに残念ながら、二人の看守が反乱軍と通じていたものと思われます」
「その看守は?」
「みつかっておりません。脱走兵が所持していた騎竜も近くの厩舎につないでいたのですが、一頭も見当たりません。すべて反乱軍に加わったのでしょう」
「そうか……」
これから、その脱走兵たちの相手もせねばならない。
「どうぞ、こちらの区画に収監しております」
看守は、通路の突きあたりの鉄張りされた重い扉をひらいた。
「捕虜は全部で十八名。こちらは雑居房ですが、二人ずつ収監しております。数人は深手を負っておりますので、明日までもたぬかと……」
セルジョは看守から手燭を受けとり、悪臭のこもる牢に足を踏み入れた。虜囚たちはみなおとなしく、暴れたり怒声を上げる者はいなかった。もしかしたら、自分たちが捨て駒だと以前から察していたのかもしれない。だから抵抗らしい抵抗もしなかったのだろう。
五つ目の監房の前で、セルジョは足を止めた。鉄格子の向こうにはこと切れそうになっている若い男が横たわっていた。腹を深く刺されたようで、血がまだ止まっていない。
その監房の奥にはもう一人、まだ二十歳にもならぬような少年もいた。右腕に傷が痛むのか、顔をしかめ、石壁に寄りかかって座わっている。
「おまえはどこの部隊に所属していた?」
鉄格子に近づくと、少年はわずかに顔をあげた。
「……夏から、西部駐留軍の騎兵部隊に」
「その前は?」
「戦争が終わるまでは、ストラーニ将軍の部隊にいた」
「セパーを襲撃した反乱軍はおまえのようにストラーニの部下が多いのか」
「俺の仲間たちもいたけど、ほとんど脱走兵だと聞いた。竜騎士たちははじめて見る者ばかりだった」
「なぜ、おまえは反乱に加わった? 死と引き換えにするほどの強い信念があったわけではあるまい?」
「……れる……と聞いたから」
「なに?」
「同盟軍に加わらなかった者は、これから粛清されるって」
「誰が言っていたのだ?」
「知らない。……みんなが言っていたから」
セルジョはため息をのみこんだ。
こうなることを彼は恐れていた。
戦後体制に不満をいだく者の存在は致し方ないこととして、このような事情をろくに知らぬ者までが根も葉もない噂に翻弄され、叛逆を犯すにいたったことがやるせなかった。一昨年前の、カルロとヘスによる反乱未遂とは違い、王城が落とされる事態となった以上、末端の者であっても死罪をまぬがれるのはむずかしい。
セルジョは石床にうずくまる若い男を一瞥し、重い足どりで監獄を後にした。
夕刻。
市庁舎の一室で、セルジョがシストらとともに〈国境の森〉を抜けるための作戦を練っていたところ、
「セルジョ卿!」
パオラが慌てた様子で部屋に駆けこんできた。よくない知らせかと身構えたが、その顔は明るい。
「どうされた?」
「たったいま、カチュアがグルニアから戻りました」
「そうか……!」
セルジョは急ぎ市庁舎前の広場へ向かった。
冬の陽が落ちかかった薄暗い広場には、カチュア隊の精鋭たち五名が降り立ち、愛馬をいたわっていた。
セルジョが近づくと、カチュアたちはいっせいに礼をとる。
「ただいま帰還いたしました」
その声には力がなかった。部下の騎士たちも天馬も疲弊しきっているようだ。
カチュアが小隊を率いてグルニアに発ったのは三の月の一日のことである。あれから六日が経過している。
「殿下から任務を仰せつかっていたそうだな。ご苦労であった。……それで、いまのマケドニアの状況を、あなたたちはどれほど理解しているのだ?」
「グルニアのリオクル港で、マケドニアで反乱が起こったと聞きました。セパーと王都が占拠された、と……」
カチュアのすがるような目がむけられる。
「ミネルバさまは、ご無事なのですか」
「王都の状況はわからぬが、殿下が反乱軍に捕らえられたのは間違いないようだ」
天馬騎士たちから落胆の息がもれた。グルニアからセパーへ降り立つまで主君の無事を信じて心を奮い立たせてきたのだろう。懸命にこらえてきたからこそ衝撃が大きかったに違いない。
「ひとまず、あなたたちは休んだほうがよい。市長がわれらのために部屋を用意してくれている」
「いえ、わたしはご報告せねばならないことがありますので」
カチュアが言い張った。その目には強い意志が宿っていた。
「……そうか。では、いまから聞こう」
セルジョはカチュアとパオラをともない、市庁舎二階の部屋へと戻った。比較的小規模な部屋であるため、暖炉の熱が全体にゆきわたり暖かい。青ざめていたカチュアの顔に、わずかながら血色が戻った。
「……さて」
卓をはさんで向かい合い、セルジョは切り出す。
「グルニアでのことを聞かせてほしい」
「……はい。一日に王都を発ってから、まず、レナのおじいさまに会うためにテラヴィの僧院へ向かいました」
カチュアは卓上の地図に指をはわせ、マケドニア西海岸からグルニア南端をなぞった。
「サンテール司祭はオルベルン市へ行かれていたので僧院の者に手紙はあずけました。それが二日の昼すぎだったと思います。尼僧たちからは早くマケドニアへ戻ったほうがよいと言われましたが、南部にはまだ帝国の力はおよんでいないようだったので、夜が明ける前にテラヴィを発ち、ロレンス将軍と面会すべくアラニア地方へ向かいました。アラニア城砦はテラヴィからだいぶ北になりますから、帝国軍と鉢合わせにならぬよう、時折、森や山に身を隠しながら、慎重に飛行していたのですが……」
「なにがあったのだ?」
「進む先に、煙が上がっているのが見えました。どうやら賊が村を襲っているようでした。関わるべきではないと思いましたが……見殺しにすることはできませんでした。わたしたちは天馬を森に隠し、賊を成敗しました、……でも、あとになってわかったのです。村人たちを襲っていたのは賊ではなく、アカネイアの正規軍だったと」
セルジョはパオラと顔を見合わせ、唖然となった。
帝国軍の民への横暴は聞きおよんでいたものの、よもや賊と見まがうほどであるとは。
「ミネルバさまからはアカネイアの手がおよんでいるなら引きかえすよう固く言いつかっていました。引きかえすべきだとわかっていましたが、ここまできて引きかえすことはできないと思いました。なんとかしてロレンス将軍に会わなくてはと……。さらに北上し、アラニアの南部に到着しました。四日の明け方であったと思います。ですが、そこはもう……」
カチュアは声をつまらせた。
「すでに帝国軍はアラニア地方を占領し、村々から掠奪を行っていました。多くの民家から火の手が上がっていて、あちらこちらから悲鳴が聞こえていました。このまま進むべきか否か、とても迷いました。ここまで来たからにはお役目を全うしたいという気持ちが勝っていましたが、わたしに撤退を決意させたのは、集落で出会った一人の騎士でした。その者はかつて黒騎士団に所属していたそうで、アラニア城砦から命からがら逃げてきたとのことでした。そしてわたしたちに言いました。帝国がさらなる増援を送りこんできた。一刻も早く引き上げたほうがよい、と……」
カチュアの声がふるえる。
「その援軍は、車輪と牛の紋章旗を掲げていたそうです」
「……アリティア軍――!?」
パオラが茫然とつぶやいた。
「その騎士はアラニア城砦の様子も教えてくれました。いまではロレンス将軍が包囲されて、配下の騎士たちが次々に処刑されていると。そして、その騎士はこうも言っておりました。アリティア軍はロレンス将軍を討つべく派遣されたようだ、と。……わたしは、ロレンス将軍との接触をあきらめ、逃げることしかできませんでした」
うなだれるカチュアに、セルジョは励ますように言った。
「困難な任務をよくぞここまで果たしてくれたことと思う。そこで引きかえしたのはよい判断だろう」
パオラも厳しくもいたわり深い声音で言い聞かせる。
「今後、わたしたちは王都奪還の軍を進めなくてはならないわ。焦る気持ちはわかるけれど、あなたたちの力が必要となるのはこれからよ。あなたがしっかりしなくては部下たちも不安になるわ」
「……はい」
カチュアが出ていくと、パオラが重々しく言った。
「カチュアの話を聞くかぎり、アラニア城砦が落ちるのは時間の問題でしょう。……わざとロレンス将軍を痛めつけているようでもあります。ミネルバさまもアドリア侯が司令官に選任されたことに不信感をいだいておられるようでしたが、なぜハーディン皇帝はこのような悪行を見逃しておられるのでしょうか」
セルジョは短くうなる。
「……グルニアの惨状をご存じない、ということも考えられる。もとよりアカネイアにはグルニアへ強い恨みをいだいている者が多い。ハーディン皇帝は貴族たちの憤懣を抑えこめず、一部の者たちの暴走を招いてしまったのだろう。……だとしても、知らぬですまされることではないが」
険しい声で言って、グルニアとマケドニアの地図に目をやった。
「近く、マケドニアに帝国軍が派遣されるとのことだが、おそらく、グルニアの反乱が鎮圧されたのち、余剰の戦力を送りこんでくるという流れになるだろう」
「それならば、このままアリティア軍がマケドニアに派遣される可能性もあるのでは?」
「おそらくそうなるだろう。……まあ、賊と見まごうほどに浅ましい帝国軍を送りこまれるよりはそのほうがよい」
もともとセルジョは、アカネイアからの内政干渉を極力退けるべく、帝国軍が上陸する前に王都を解放したいと考えていた。
しかし、ミネルバの身の安全を考えるなら、帝国の後ろ盾を得て王都を包囲し、リュッケに交渉を持ちかけるほうがよいのかもしれないと思いはじめていた。
リュッケたちにしても、帝国が介入してくるとなれば、唯一の切り札たる王女に手荒なあつかいはできないはずである。
問題は、アカネイアに借りを作れば、戦前の間接統治時代に逆戻りするということである。
じっと考えこむセルジョに、パオラが硬い表情で問う。
「これからどうなさるおつもりですか」
「ひとまず、リュッケ将軍に使者を立てる。捕虜の一人に書簡を届けさせることにしよう」
五人の男たちが息をひそめ、城門の様子をうかがっていた。門の両脇には松明が煌々と焚かれ、あたりをあかるく照らしている。
港町セパーの城門は、重い格子が落とされ、樫材の門扉がぴったりと閉じられている。門を破れば人質の命はない。そう脅され、いっさいの反抗が封じられてきた。
そんな日々も今日で終わりだ。
武装した市民は物陰に隠れ、獲物を狙う獣のごとく、一歩一歩にじり寄っていく。その手には長剣に手斧、使い慣れた得物がにぎられている。
彼らの標的は、城門を守る四人の見張りたちだった。そのうち二人は酔っぱらい、城壁にもたれて眠っている。
町が占拠されてのち、市民は従順にふるまい、一度も騒ぎは起こさなかった。そんな日がつづけば、見張りの緊張もほどけてくる。しかも外は寒波で凍えるほどに寒い。強い酒で身体を温めねばとても耐えられはしない。
起きている二人もほろ酔いで、足どりはおぼつかない。
隙だらけだ。
先陣を切ったのは長剣を手にした若い男だった。すばやく腹部に刃を突き立てる。死角からの襲撃に、見張りは短くうめき、そのまま地面に崩れ落ちた。
まずは一人。
「おまえら、どこから――」
慌てて応戦しようとした見張りの側頭部に、手斧がいきおいよくふりおろされた。
これで二人。
うたた寝をしていた者たちは、目を覚ます前に絶命させられていた。
市民たちは慣れた手つきで鎖を巻き上げ、落とし格子を引き上げていく。
「早く城門を開けろ!」
閂が外され、門扉がきしみながらひらいていく。
ようやく異変に気づき、番舎からいく人も飛び出してきたが、すでに手遅れである。
ひらかれた城門から騎兵二十騎がなだれこみ、斬りかかってくる叛徒らを蹴散らしていった。馬蹄をとどろかせ、目抜き通りを疾駆していく。向かう先は市庁舎前の広場である。
「……始まったようだな」
セルジョ・アゴストは南の方角をみつめてつぶやいた。
彼の率いる竜騎士団の精鋭十五騎は、闇にまぎれ、市庁舎の上空で待機していた。
わずかにひらかれた鎧戸から室内の明かりがもれている。事前の情報どおり、南棟の二階の広間に人質を押しこめているようだ。
大通りの様子をうかがっていると、市庁舎から外へわらわらと出ていく者たちが見えた。騒ぎを聞きつけ、応戦に出ていく者たちだ。
「まんまとおびき出されていったな」
レビオがせせら笑った。肝のすわった男である。はじめてのる飛竜にもまったくひるむことがない。むしろ楽しんでいるようである。
「油断はするな。やつらはまだなかにいる」
セルジョは背後のレビオに低く告げ、部下たちを見わたした。
「これより突入する! 人質の保護が最優先だ」
竜騎士団十五騎は二手に別れ、それぞれ屋上と中庭から館内に突入した。屋上に降り立ったセルジョたちは階段を駆けおり、二階の広間へと向かう。
レビオは手すりを乗り越え、一気に階段を下まで降りた。
いきなり現れた闖入者に、見張りの者が狼狽する。
「こいつら、いったいどこから――!」
二人の見張りを、レビオがすばやく斬り伏せた。そのまま廊下を駆け抜ける。
「女たちはあの部屋だ!」
両開きの扉を蹴破り、広間へ踏みこんだ。
しかし中の様子を見るや、レビオが舌打ちをする。
広間には二十人近い人質たちが押しこめられていたが、部屋にいたのは人質だけではない。三人の叛徒の姿もあった。
予測された事態ではあるが、剣を手にした男たちは人質を盾にし、セルジョたちに向きなおった。女たちのかぼそい悲鳴が部屋のあちこちで上がる。
「やっと来やがったのか」
三十がらみの男が吐き捨てるように言った。その腕のなかには十七、八ほどの少女がいた。少女は歯をがたがたとふるわせ、うるんだ目で助けを求めている。
「おっと動くなよ。こいつの首をかっ切るぞ」
男は少女の首に刃を当てていた。ほかの二人もそれぞれ人質に剣を向けている。
いま、この広間に竜騎士団はセルジョをふくめて八人。そして市庁舎は包囲され、逃げ道はない。あきらかな劣勢を前に、男たちが自棄を起こすやもしれぬ。
セルジョは部下たちを制し、剣をいったん鞘におさめた。
「その娘を放せ。さすれば、おまえの命は助けてやろう」
「ふん、俺は脱走兵でさらには叛逆者だ。捕まって無事なんてことあるかよ」
「それをわかっていて、なぜ反乱など起こした?」
「なぜ? なぜだとよ」
男たちは笑いあった。部屋中に下卑た嘲笑が響きわたる。
「……なにがおかしい?」
「なにもかもがだよ。てめえにはわからんだろうがな」
セルジョが黙っていると、男は横を向き、べっと唾を吐いた。
「てめえら貴族はよ、なにかにつけてご立派な大義とやらをふりかざすがな、俺らみたいな末端の兵卒が、国家の威信だの名誉だなんてもののために戦ってたと本気で思ってるのか? ええ?」
男は目を怒らせる。
「偉大なるマケドニアだの、栄光ある騎士団だの、ばかばかしい! 逆らえば殺される、それが嫌で従ってきただけだ。勝てもしねえ戦争を何年もつづけた挙げ句、俺らに戦って死ねと言いやがる。やってられねえから逃げたのさ」
六〇五年のマケドニアでの戦いのことと思われた。
「そしたら今度は脱走兵狩りだと? ふざけやがって――」
人質の少女を抱えたまま、男は剣をふりかぶった。
「虫ケラみてえに殺されるぐらいなら、一人でも道連れにしてやろうと思ってな!」
セルジョはすばやく剣を抜き、激しい一打を受けとめた。しかし男はすぐに剣をふりあげ、ふたたびセルジョに剣に叩きつける。
力任せの一打は重い。しかし太刀筋は甘い。盲滅法な攻撃を受け流しながら、広間の様子をうかがう。
すでに中庭から侵入した別部隊も駆けつけていた。二人の叛徒を取りかこみ、取り押さえるべく間合いをつめている。その隙に、人質たちを外へ逃がしていた。
――ここが潮時か。
セルジョが攻撃に転じようとしたとき、目の前をざっと黒い影がよぎった。
レビオだった。手にしていた短剣で男の腕を切り裂き、少女を腕の中へかっさらう。
「ガキがなめた真似しやがって!」
怒った男はレビオに狙いを定め、剣をふりおろそうとした。
もはや遠慮はいらない。
セルジョは男の背に長剣を突き立てた。同時に、レビオの短剣も男の首に刺さっていた。
あざやかな手つきだった。
「この……――」
男は上体を折り曲げたままひざをついた。そのまま横向きに倒れ血のあぶくを吐いている。
「……ったく……ついてねえ……な……」
わずかに唇を動かし、男はそのまま息絶えた。
レビオと少女が抱き合う姿を前に、セルジョは口元をゆるめる。この少女が助けたかった娘なのだろうか。
広間のあちこちで安堵の声が上がっている。
ひらかれた鎧戸から、白い暁光が射しこんでいた。
六日の早朝、セパーは解放された。
市庁舎に閉じこめられていた人質は若い娘たちを中心に四十人以上いた。市の有力者の子女も多く、さほど手荒な扱いは受けていなかったが、冷えきった部屋に押しこめられ、食事もほとんど与えられず、衰弱していた。酒場の女たちにしても、男たちの機嫌でひとつで殺されかねない状況に神経をすり減らし、憔悴しきっていた。
そのほか、監獄に閉じこめられていた市民も次々と解放されていった。
人質をはじめ、戦いに加わった市民に死者は出なかったが、占拠のさいに自警団の多くが犠牲となっている。セパー市民にとって反乱軍の襲撃は突如降りかかった災厄でしかない。
市庁舎前の広場でセルジョが部下たちに次々と指示を飛ばしていると、セパーの市長ラゾンが姿を見せた。
「セルジョ卿、ひさしいな」
「これはラゾンどの、ご無事でなによりだ」
ラゾン市長はかつて竜騎士団に属していた人物で、しばしば王城の催事に姿を見せている。すでに六十をすぎているが、かつては屈強な騎士であり、いまなお退役前と変わらぬ堂々たる体躯をたもっている。
「わたしの孫娘が人質とされていてな。……情けないことだが、ひとまずやつらの言いなりになるしかなかった。人質がすべて解放されてまことによかった。さすがわれらが誇る竜騎士団よ。感謝いたす」
「いや、すべては市民の協力あってのこと。ことにレビオという若者には助けられた」
「そうか、あのお調子者がな」
よく見知った者であるのか、ラゾンは含み笑いをした。
「それにしても、これは軍の反乱ということだが、やつらはほんとうに正規軍なのか」
「西部駐屯の兵と脱走兵にくわえ、追放された将兵がまじっていると現時点では認識している。……事態を未然に防ぐことができず、まこと申しわけなく思っている」
「貴殿が詫びられることではない。やつらの襲撃を許したのはわれらの落ち度……。だが、解せんのだ。なぜセパーを狙ったのだ?」
「おそらくだが、セパーが王都から遠く離れているからであろうと思う」
「……どういうことだ?」
「じつはセパーが占拠された日、われらが鎮圧に向かったのちに王都もまた反乱軍に占拠され、王城が落ちた」
「なんと……! それではミネルバさまは……」
「反乱軍に捕らえられている。……われらを王都から遠ざけることがやつらの目的であったようだ」
「それで、貴殿らは今後どのようにされるのだ?」
「早々に王都の奪還に向かいたいところだが、わたしの直属の部下たちだけでは戦力が足らぬ。南部駐留の部隊をすべて動員し、まずはエルザガン砦を落とさねばならぬ」
「反乱軍が〈国境の森〉を封鎖したということか。やってくれるではないか」
ラゾンは目を険しくする。
「昨年から不穏な事件が立てつづけに起こっておるようだが、結局のところ、すべての原因はマケドニアが戦争に敗れたことにある。長い戦争の果てに、この国は多くの命と富と名誉を失い、なにひとつとして報われることがなかった。あらゆる方面で不満が渦巻いておる。とりわけ、ドルーアに与した者たちには、もはやまっとうに生きる道がない。だからこうして道を踏みはずすのだ。遅かれ早かれ、やつらはなんらかの騒動を起こしただろう」
セルジョは重々しくうなづいた。
これまでなんとか騙し騙し押さえつけていたものが、いま、一気に堰を切ってあふれだしているのだろう。
「セルジョ卿、些事はわれらにまかせていただきたい。ミネルバさま救出のため、可能なかぎり協力いたそう」
「かたじけない」
ラゾンは立ち去ろうとしたが、ああ、と足を止めてふりかえった。
「捕らえた反乱兵どもは監獄に放りこんである。あのまま放っておけば市民らが憂さ晴らしを始めかねんからな。あとは好きにされよ」
セルジョはシストたち部下に後処理を任せ、自身は馬を駆り、市中の西にある監獄へ向かった。
途中、荷車が三台、城門に向かって牽かれていた。荷台には市中から集められた反乱兵の遺体が乱雑に積まれている。外へ運び出された遺体は、郊外に掘られた大穴に祈りもなく放りこまれることになるだろう。
「すまないが馬を止めてくれ」
セルジョは止まった荷車に近づいた。三十を超える遺体の顔をひとりずつ検分していったが、見覚えのある者はいなかった。当初の見立てどおり、脱走兵か西部駐留の軍人が中心と思われた。
ふたたび馬を駆り、監獄へと急ぐ。
監獄の外門をくぐると、看守がセルジョを出迎えた。
「お待ちしておりました、なかへご案内いたします」
獄舎の奥へ進みながら、看守に問う。
「ここには脱走兵が十名捕らえられていたはずだが、やつらはどうなったのだ?」
「あの者たちは……」
看守は言いよどんだ。
「反乱が起こったとき、牢はもぬけの殻でした。セパー監獄は厳重に管理されておりますが、まことに残念ながら、二人の看守が反乱軍と通じていたものと思われます」
「その看守は?」
「みつかっておりません。脱走兵が所持していた騎竜も近くの厩舎につないでいたのですが、一頭も見当たりません。すべて反乱軍に加わったのでしょう」
「そうか……」
これから、その脱走兵たちの相手もせねばならない。
「どうぞ、こちらの区画に収監しております」
看守は、通路の突きあたりの鉄張りされた重い扉をひらいた。
「捕虜は全部で十八名。こちらは雑居房ですが、二人ずつ収監しております。数人は深手を負っておりますので、明日までもたぬかと……」
セルジョは看守から手燭を受けとり、悪臭のこもる牢に足を踏み入れた。虜囚たちはみなおとなしく、暴れたり怒声を上げる者はいなかった。もしかしたら、自分たちが捨て駒だと以前から察していたのかもしれない。だから抵抗らしい抵抗もしなかったのだろう。
五つ目の監房の前で、セルジョは足を止めた。鉄格子の向こうにはこと切れそうになっている若い男が横たわっていた。腹を深く刺されたようで、血がまだ止まっていない。
その監房の奥にはもう一人、まだ二十歳にもならぬような少年もいた。右腕に傷が痛むのか、顔をしかめ、石壁に寄りかかって座わっている。
「おまえはどこの部隊に所属していた?」
鉄格子に近づくと、少年はわずかに顔をあげた。
「……夏から、西部駐留軍の騎兵部隊に」
「その前は?」
「戦争が終わるまでは、ストラーニ将軍の部隊にいた」
「セパーを襲撃した反乱軍はおまえのようにストラーニの部下が多いのか」
「俺の仲間たちもいたけど、ほとんど脱走兵だと聞いた。竜騎士たちははじめて見る者ばかりだった」
「なぜ、おまえは反乱に加わった? 死と引き換えにするほどの強い信念があったわけではあるまい?」
「……れる……と聞いたから」
「なに?」
「同盟軍に加わらなかった者は、これから粛清されるって」
「誰が言っていたのだ?」
「知らない。……みんなが言っていたから」
セルジョはため息をのみこんだ。
こうなることを彼は恐れていた。
戦後体制に不満をいだく者の存在は致し方ないこととして、このような事情をろくに知らぬ者までが根も葉もない噂に翻弄され、叛逆を犯すにいたったことがやるせなかった。一昨年前の、カルロとヘスによる反乱未遂とは違い、王城が落とされる事態となった以上、末端の者であっても死罪をまぬがれるのはむずかしい。
セルジョは石床にうずくまる若い男を一瞥し、重い足どりで監獄を後にした。
夕刻。
市庁舎の一室で、セルジョがシストらとともに〈国境の森〉を抜けるための作戦を練っていたところ、
「セルジョ卿!」
パオラが慌てた様子で部屋に駆けこんできた。よくない知らせかと身構えたが、その顔は明るい。
「どうされた?」
「たったいま、カチュアがグルニアから戻りました」
「そうか……!」
セルジョは急ぎ市庁舎前の広場へ向かった。
冬の陽が落ちかかった薄暗い広場には、カチュア隊の精鋭たち五名が降り立ち、愛馬をいたわっていた。
セルジョが近づくと、カチュアたちはいっせいに礼をとる。
「ただいま帰還いたしました」
その声には力がなかった。部下の騎士たちも天馬も疲弊しきっているようだ。
カチュアが小隊を率いてグルニアに発ったのは三の月の一日のことである。あれから六日が経過している。
「殿下から任務を仰せつかっていたそうだな。ご苦労であった。……それで、いまのマケドニアの状況を、あなたたちはどれほど理解しているのだ?」
「グルニアのリオクル港で、マケドニアで反乱が起こったと聞きました。セパーと王都が占拠された、と……」
カチュアのすがるような目がむけられる。
「ミネルバさまは、ご無事なのですか」
「王都の状況はわからぬが、殿下が反乱軍に捕らえられたのは間違いないようだ」
天馬騎士たちから落胆の息がもれた。グルニアからセパーへ降り立つまで主君の無事を信じて心を奮い立たせてきたのだろう。懸命にこらえてきたからこそ衝撃が大きかったに違いない。
「ひとまず、あなたたちは休んだほうがよい。市長がわれらのために部屋を用意してくれている」
「いえ、わたしはご報告せねばならないことがありますので」
カチュアが言い張った。その目には強い意志が宿っていた。
「……そうか。では、いまから聞こう」
セルジョはカチュアとパオラをともない、市庁舎二階の部屋へと戻った。比較的小規模な部屋であるため、暖炉の熱が全体にゆきわたり暖かい。青ざめていたカチュアの顔に、わずかながら血色が戻った。
「……さて」
卓をはさんで向かい合い、セルジョは切り出す。
「グルニアでのことを聞かせてほしい」
「……はい。一日に王都を発ってから、まず、レナのおじいさまに会うためにテラヴィの僧院へ向かいました」
カチュアは卓上の地図に指をはわせ、マケドニア西海岸からグルニア南端をなぞった。
「サンテール司祭はオルベルン市へ行かれていたので僧院の者に手紙はあずけました。それが二日の昼すぎだったと思います。尼僧たちからは早くマケドニアへ戻ったほうがよいと言われましたが、南部にはまだ帝国の力はおよんでいないようだったので、夜が明ける前にテラヴィを発ち、ロレンス将軍と面会すべくアラニア地方へ向かいました。アラニア城砦はテラヴィからだいぶ北になりますから、帝国軍と鉢合わせにならぬよう、時折、森や山に身を隠しながら、慎重に飛行していたのですが……」
「なにがあったのだ?」
「進む先に、煙が上がっているのが見えました。どうやら賊が村を襲っているようでした。関わるべきではないと思いましたが……見殺しにすることはできませんでした。わたしたちは天馬を森に隠し、賊を成敗しました、……でも、あとになってわかったのです。村人たちを襲っていたのは賊ではなく、アカネイアの正規軍だったと」
セルジョはパオラと顔を見合わせ、唖然となった。
帝国軍の民への横暴は聞きおよんでいたものの、よもや賊と見まがうほどであるとは。
「ミネルバさまからはアカネイアの手がおよんでいるなら引きかえすよう固く言いつかっていました。引きかえすべきだとわかっていましたが、ここまできて引きかえすことはできないと思いました。なんとかしてロレンス将軍に会わなくてはと……。さらに北上し、アラニアの南部に到着しました。四日の明け方であったと思います。ですが、そこはもう……」
カチュアは声をつまらせた。
「すでに帝国軍はアラニア地方を占領し、村々から掠奪を行っていました。多くの民家から火の手が上がっていて、あちらこちらから悲鳴が聞こえていました。このまま進むべきか否か、とても迷いました。ここまで来たからにはお役目を全うしたいという気持ちが勝っていましたが、わたしに撤退を決意させたのは、集落で出会った一人の騎士でした。その者はかつて黒騎士団に所属していたそうで、アラニア城砦から命からがら逃げてきたとのことでした。そしてわたしたちに言いました。帝国がさらなる増援を送りこんできた。一刻も早く引き上げたほうがよい、と……」
カチュアの声がふるえる。
「その援軍は、車輪と牛の紋章旗を掲げていたそうです」
「……アリティア軍――!?」
パオラが茫然とつぶやいた。
「その騎士はアラニア城砦の様子も教えてくれました。いまではロレンス将軍が包囲されて、配下の騎士たちが次々に処刑されていると。そして、その騎士はこうも言っておりました。アリティア軍はロレンス将軍を討つべく派遣されたようだ、と。……わたしは、ロレンス将軍との接触をあきらめ、逃げることしかできませんでした」
うなだれるカチュアに、セルジョは励ますように言った。
「困難な任務をよくぞここまで果たしてくれたことと思う。そこで引きかえしたのはよい判断だろう」
パオラも厳しくもいたわり深い声音で言い聞かせる。
「今後、わたしたちは王都奪還の軍を進めなくてはならないわ。焦る気持ちはわかるけれど、あなたたちの力が必要となるのはこれからよ。あなたがしっかりしなくては部下たちも不安になるわ」
「……はい」
カチュアが出ていくと、パオラが重々しく言った。
「カチュアの話を聞くかぎり、アラニア城砦が落ちるのは時間の問題でしょう。……わざとロレンス将軍を痛めつけているようでもあります。ミネルバさまもアドリア侯が司令官に選任されたことに不信感をいだいておられるようでしたが、なぜハーディン皇帝はこのような悪行を見逃しておられるのでしょうか」
セルジョは短くうなる。
「……グルニアの惨状をご存じない、ということも考えられる。もとよりアカネイアにはグルニアへ強い恨みをいだいている者が多い。ハーディン皇帝は貴族たちの憤懣を抑えこめず、一部の者たちの暴走を招いてしまったのだろう。……だとしても、知らぬですまされることではないが」
険しい声で言って、グルニアとマケドニアの地図に目をやった。
「近く、マケドニアに帝国軍が派遣されるとのことだが、おそらく、グルニアの反乱が鎮圧されたのち、余剰の戦力を送りこんでくるという流れになるだろう」
「それならば、このままアリティア軍がマケドニアに派遣される可能性もあるのでは?」
「おそらくそうなるだろう。……まあ、賊と見まごうほどに浅ましい帝国軍を送りこまれるよりはそのほうがよい」
もともとセルジョは、アカネイアからの内政干渉を極力退けるべく、帝国軍が上陸する前に王都を解放したいと考えていた。
しかし、ミネルバの身の安全を考えるなら、帝国の後ろ盾を得て王都を包囲し、リュッケに交渉を持ちかけるほうがよいのかもしれないと思いはじめていた。
リュッケたちにしても、帝国が介入してくるとなれば、唯一の切り札たる王女に手荒なあつかいはできないはずである。
問題は、アカネイアに借りを作れば、戦前の間接統治時代に逆戻りするということである。
じっと考えこむセルジョに、パオラが硬い表情で問う。
「これからどうなさるおつもりですか」
「ひとまず、リュッケ将軍に使者を立てる。捕虜の一人に書簡を届けさせることにしよう」