第五部

「将軍、連れてまいりました」
「入れ」
 窓際に立つリュッケが応じると、司令室の扉がひらかれた。
 手枷をはめられたマチスは、両脇を衛兵につかまれた状態で引き立てられてきた。その顔には殴られた痕がある。
 リュッケが前に立つと、マチスは大きなため息をついた。
「……あなたをこの目で見るまで、信じられませんでしたよ」
「では、信じたのだな」
「悪夢だと思いたいですね」
 ストラーニの二度目の裁判が閉廷したのち、マチスは王都を発ち、ヴェーリの領地へ向かった。密謀が発覚した叔父クライドを王城へ連れて行き、王女の前で申し開きをさせるためである。マチスは叔父を説得し、王都へ向かっていたが、その馬車が反乱軍に襲われた。
 王都占拠の鍵は、王女の臣下たちの扱いにあった。まず、もっともやっかいなセルジョ麾下の竜騎士団とパオラ麾下の白騎士団をセパーへ遣り、王都から可能なかぎり引き離した。
 それに対し、リュッケ配下の騎士が相当数まじるレント麾下の連隊は、王都を封鎖するために手元に残しておかなくてはならなかった。
 マチスの扱いをリュッケは決めかねていたが、都合がよいことにみずから自領へ出向いてくれることとなった。反乱軍の指示を受けていた叔父のクライドは、甥を陥穽に落とすべく、酒に溺れたふりをし、しばし自領にマチスを留めおいた。そして三日の朝になって、ようやく王都に向けて出立したが、そのときすでに王都は反乱軍によって占拠されていたのである。
 そして四日の朝、ヴェーリ家の馬車にのせられたマチスは王城へ帰還するのではなく連行されたのだった。
「いちおう聞いておきたいんですが……」
 マチスは腫れたほおを引きつらせた。
「あなたは俺になにをさせたいんですか」
「われらに協力してもらおう」
「協力と言われてもね。俺、戦いじゃなんの役にも立ちませんよ」
「知っている。おまえはただそこにおればよい」
 マチスは戦力にならないが、ヴェーリの財と兵力は有用である。
 言わんとしたことを悟ってか、マチスは苦笑いした。
「で、あなたの目的は? まさかこの国の王になろうってわけじゃないですよね?」
「王の称号にこだわりはないが、この国を支配することになる」
「……支配してなにがしたいんだ? 青臭いこと言いたかないけど、反乱に協力してこの国がよくなるとは思えないね」
 マチスの口調が荒くなる。
「あんたが集めた反乱軍、ゴロツキばかりじゃないか。ユスタス風に言わせてもらえれば、どいつもこいつも騎士の誇りのかけらもない無分別な連中だ。そんなやつらが雁首そろえてなにをしようって?」
「この国を再建するには、ミネルバ王女では不都合なのだ」
「あんたらのほうが不都合だよ。民にとっては地獄だろうね」
「民というものは、治める人間が誰であれ、おのれの腹がふくれればそれでよいのだ」
「そんな考えで、よくこれまで王女に仕えてましたね」
「この日のために、これまで仕えていたのだ」
 唖然となるマチスに、リュッケは嘲笑を浴びせる。
「状況を呑みこめたなら、賢明な身のふり方を選ぶのだな。王女をお守りしたいのだろう?」
「だったらせめてミネルバ王女に会わせてくださいよ」
「それはできん」
「王女の無事を確認できないなら承服できませんね。あんたらのことは信用できない」
「マチスよ」
 リュッケは一歩近づき、襟首を鷲づかみにした。
「勘違いはするなよ。おまえはわたしに取引を持ちかけられる立場ではない」
 そのままつま先が浮くほどに絞めあげると、マチスはかぶりをふってもがいた。
「信じぬというなら、それでよい。ただ、われらはすでにテオフィラ修道院を占拠した」
「なん、だって……」
「あそこにはおまえの妹とマリア王女がいたな。われらにとってなんの価値もないが、おまえやミネルバ王女にとっては価値あるものだろう?」
 襟首をつかむ力をゆるめる。
「主君の意に反する行いはするべきでないのではないか?」
「……ずいぶんあくどいことに頭が回るじゃありませんか」
 マチスの声がふるえた。
「あのドルーアですら、僧院を襲うことはなかったってのに」
「まだ襲ってはおらんぞ」
 唇をかみしめ、マチスはうなだれた。
「レント麾下の騎兵はおまえが率いよ。王都の守りを固めねばならんのでな」
「……レントはどこに?」
「地下牢だ。だかおまえがよからぬ考えを起こせば、あれは屍となって牢から出されることとなる。……おまえにはつねに監視がついていることを忘れるな」
「親切な忠告をどうも」
 マチスは吐き捨てるように言った。
「……連れていけ」
 衛兵に引きずられるマチスが、首を後ろにふりむけた。
「最後にひとつ聞いていいですか。……ユスタスを殺したの、あんたですか」
「そうだ」
 一瞬ののち、マチスの顔がゆがんだ。唇をつり上げ、低い笑い声を立てていた。
 扉が閉まると、リュッケは窓辺に立った。
 長いため息をつく。
 マチスにはああ言ったものの、テオフィラ修道院は占拠されていない。わずか数人の兵士に城壁を封鎖させ、修道女らに脅しをかけ、出入りをかたく禁じただけだ。女子供しかいない修道院の封鎖などそれで充分だ。
 王都の封鎖をつづけるにはとにかく人員がいる。隙を見せるわけにはいかぬ。
 あと少しの辛抱である。もうじき帝国軍が上陸するのだから。



 リュッケがふたたび王女のもとを訪れたとき、奥から弱々しい声が聞こえた。
「先ほどお目覚めになられたようです」
 寝室を見張る衛兵がリュッケに耳打ちした。
 リュッケは寝台のほうへ目をやった。寝台のわきにロザリアがはべり、献身的に顔や首筋をぬぐっているのが見えた。
 執務室と寝室のあいだの扉は監視のため常に開け放たれている。ロザリアはせめて衝立をおかせてほしいと懇願したが、却下せざるをえなかった。王女に同情的なロザリアが、逃亡を助けるおそれがあるためだ。
 寝室のなかは、すべて監視しておかなくてはならない。
「大丈夫でございますか、殿下」
 王女の手を、ロザリアがやさしくなでる。
「枷、とても重くてわずらわしいでしょう?」
「……このぐらい、なんでもありませんよ」
「なにか必要なものはございますか。なんでもおっしゃってください」
 ロザリアは涙まじりの声で哀願する。
 ロザリアによれば、王女はあれから何度も高熱をくりかえしていたという。この二日、毒を服用していないこともあり、ようやく症状が落ちついてきたのだろう。
「喉はかわいておられませんか。二日も眠りつづけておられたのですよ」
「では、すこし……」
 ロザリアは陶器の吸飲みを王女の唇にあてがった。
 水を飲みくだす、あえかな吐息。
「もう少しお飲みになりますか」
「いえ……もう、けっこうです」
「ではいつでもおっしゃってください」
 ロザリアが水差しから吸飲みに水をそそいでいると、
「……その手は、どうしたのです?」
 ミネルバの視線は、水差しをもつロザリアの手にそそがれていた。左手の小指のあたりにかたく包帯が巻かれている。
「怪我を、したのですか」
「はい……少し痛めてしまって。たいしたことはありません」
 ロザリアは微笑をうかべたまま、小卓の上におかれた首飾りを手にとった。
「殿下、こちらを……お渡しするのが遅くなってしまいましたが」
「……もう作ってくれたのですか」
 ミネルバは首飾りを手にとった。
 薄青い光を放ついびつな形の石を、紐をこまかく編んでつつみこんである。そのこまやかな編み目を、おぼつかない手つきでなぞっていく。
「器用なのですね」
「先の戦争のころ、こういったものを作るのが女たちのあいだではやったのです。守護石や瞳の色と似た石に探して、かならず帰ってきてほしいと願いをこめて」
「あなたも誰かに?」
「いえ、わたくしは……その……」
 ロザリアが口ごもると、ミネルバはくすくすと笑った。
「……ありがとう」
 ミネルバはその首飾りを両手でつつみこむようにして持った。おだやかな顔だった。
 その様子を扉口でみつめていたリュッケは、さらに寝室に足を踏み入れた。
 気配に気づいたロザリアがふりかえった。あいかわらず恨めしげな視線をむけてくる。
 王女も慌てて身体を起こそうとしたが、小さくうめき、顔をしかめた。四肢を戒める枷が想像以上の重さだったのだろう。病み上がりの身体にはつらいはずである。
 警戒心もあらわな王女をいなすように、リュッケは口元をゆるめた。
「ようやく、お気がつかれたようですな」
「……リュッケ」
 鎖がこすれあい、音を立てる。
「いったい……なんの、用か……」
 唇を噛みしめている王女に、リュッケは淡々と告げた。
「いまの状況をお伝えいたします。王都はわれらが掌握しました。殿下におかれましては、王都の民すべてがあなたさまの人質であることをご理解いただき、けっしてよからぬ気は起こされませぬよう」
「これで、いったいどのような気を起こせというのだ?」
 ミネルバは身体を起こした。じゃらり、と鎖が重たげに音を立てた。
「カゾーニはどうしている? わたしのように鎖でつないでいるのか」
「ご心配なく。あなたよりはよい待遇ですので」
「そなたがこのようなことを起こしたと知れば、また発作を起こしかねぬぞ」
「ならば叔父の命はそれまでであったということです」
 そっけなく言ってのけると、王女の目が険しくなる。
「……そなたは、はじめからわたしを裏切っていたのか」
「いまさらそれを知ってどうなさるのです?」
「どうもせぬ。ただおのれの愚かさを知るだけのこと」
 リュッケは答えなかった。
 彼自身、いつから明確にミネルバを裏切るにいたったのかわからなかった。はじめのうちは王女を陥れる気などなかった。じょじょに外堀を埋めていかれ、後戻りできなくなっていただけだ。
 あえて転換期があったとすれば、それはユスタスを手にかけたときであっただろうか。
「以前からトルイユ伯と通じていたそうだな」
「ご存じでいらしたのなら、なぜ手を打たれなかったのです」
 ミネルバは上目でリュッケをねめつけた。
「……そなたは、この国をアカネイアに売ったのか」
「そう思っていただいてかまいません」
「それで? トルイユからこの国の王にしてやろうとでも言われたか」
 ミネルバは荒れた声でつづける。
「以前、ユスタスが言っていた。そなたがオーダインらに協力したことも、部下とともに同盟軍に寝返ったことも、戦後わたしに仕えているのも、すべてそなたの秘めた野心によるものだと」
「野心、とは?」
「……その身に流れる血にふさわしい地位を得ることだと――」
 リュッケは肩をゆらして笑った。
「あやつらしい見方ですな。まさに、自分だけがなにもかもを見透かしているとでも言いたげな傲慢さ……まったく虫唾が走る」
 ミネルバの顔がますます色を失った。
 ユスタスを手にかけた者が目の前にいることに気づいたのだろう。
 呼吸を乱し、うつむいた。
「……そなたらは、友人ではなかったのか」
「ストラーニが言っておりましたな。あなたは物事をひろく見わたしておられるようでいて、まるで足元が見えておられぬ、と」
 掛布を握りしめる王女の手がふるえている。
「この一年近く、かたわらに叛逆者がいたというのに、あなたはいったいなにを見ておられたのです?」
 ミネルバは小卓におかれた吸飲みをつかみ上げ、リュッケに向かって投げつけた。
 しかし手に力が入らなかったのか、吸飲みはリュッケの肩口に当たり、絨毯のうえにごとりと落ちた。飛び散った水が臙脂のマントとそでを少々濡らしただけである。
 肩で息をする王女を見ているうちに、ふいに笑いがこみあげてきた。
 ――無力なものだ。
 リュッケはこれまで王女に畏敬をいだいていた。ともに過ごす時間が増えるにつれ、脆さや弱さがかいま見える瞬間はあったが、その頭脳のひらめきや采配の果断さに感嘆させられることは多々あった。なにより幼少時より讃えられてきたその麗姿は、居合わせる者をいやおうなく従わせる風格があった。
 しかしいま、寝台の上の弱々しい王女を見下ろしていると憐れみの念しかいだけなかった。
 あの夜、無力をさらけ出した姿を目にしたせいかもしれない。
 顔にかかった水滴を、指先で払う。
「殿下、テオフィラ修道院にもわれらの手の者がおります」
 ミネルバの顔色が変わった。
「あの子になにを……?」
「まだなにも」
 王女は唇をかみしめ、肩をふるわせた。
 それは怒りゆえか、それとも恐れゆえなのか。そのいずれであれ、王女の目にはかつての切り裂かんばかりの威圧を感じない。
 もはや毛を逆立てた猫のようなもの。
「いまのような反抗的な態度を改めていただけるなら、今後もなにもいたしません。ですからどうぞ、おとなしくしていただきたい」
 リュッケは憫笑をたたえて言った。
「もはや、あなたにできることなどなにもないのですから」



 リュッケが自室に戻ると、そこにはすでにトルイユの姿があった。手には封を割った書簡がにぎられている。
「王女のご様子は?」
「ようやく意識は戻られた」
「そうですか。虜囚の辱めを受け、気落ちしておられるのでは?」
「……いや、お元気なものだ」
 リュッケがぬれて変色したマントに手をやると、
「それは王女が?」
「ああ」
「抜け目のない姫君ですからね。脱走する手立てを考えておられるやもしれませんね」
「かもしれんな」
「ならば逃げられぬよう、足の腱でも切ってしまわれては?」
 トルイユはまるで庭のバラでも切るかのような調子で言った。
「パレス王宮の温室でとてもきれいな鳥が飼われておりましたが、逃げぬようにどれも風切り羽を切っておりましたよ」
 リュッケは唖然としつつも、あえてそっけなく言った。
「……その必要はない。テオフィラ修道院が落ちたと伝えた。もはやお逃げになろうなどと考えられぬだろう」
「あいもかわらず、妹を人質とされれば手も足も出せぬのですね」
 トルイユは笑った。
「まったく愚かな方だ。王女が人質に拘泥しておられた結果、失われた命もあったでしょうに」
 毒をはらんだ笑みにうすら寒さをおぼえ、リュッケは話を変える。
「……ところで、グルニアの反乱はどうなっているのだ? 知らせは届いたのだろう?」
「アリティア軍がようやくグルニアに到着にしたようです。今日中にアラニアへ着くでしょう」
「……やっとか」
 不満もあらわにつぶやくと、トルイユはほほえんだ。
「ご心配なさらずとも、アラニア城砦の制圧には半日もかかりませんよ。ラング将軍はすでに叛逆者ロレンスのみを残して、いまは旧騎士団の残党の処刑を城砦の前で執行しているころでしょうから」
 ただグルニアを支配しようとするだけでなく、いたぶって楽しんでいるようでもある。
 ハーディンがこれほどグルニアを敵視する理由がリュッケには理解できなかった。グルニアはマケドニアのように同盟軍に加わった勢力がおらず、黒騎士団をはじめ、主要な騎士団が壊滅的被害をこうむった。元より人口も少なく、厳しい自然にさらされた国である。ニーナ王女が温情をかけようと、ロレンスが奮闘しようと、復興もままならぬ状態にあり、民の希望である王家の遺児を保護したとして帝国の脅威となりえるものではなかった。
 王族を惨殺されたアカネイアがグルニアを憎悪するのは当然として、直接剣を交える機会がほとんどなかったオレルアンの王弟が、なんの意図があってグルニアを滅亡させんとしているのだろう。ロレンスに対しなにか私怨でもあるのだろうか。
 なにより、グルニアでこれならば、オレルアン王都を占領していたマケドニアはどうなるというのか。
 トルイユにしても、ミネルバに城を落とされ、虜囚の身となったことへの恨みをくすぶらせつづけている。いまも、やわらかな笑みの裏で、王女をいたぶる算段をめぐらせていることだろう。
「それで、帝国軍はいつマケドニアに上陸するのだ?」
「このぶんではラング将軍がマケドニアの上陸するのは十日すぎになるでしょう」
「十日すぎ……」
 最低でも、あと六日は持ちこたえる必要がある。
「王女の部下たちの様子はどうです?」
「とくに大きな動きはない。セルジョはセパーを攻めあぐねておるようだ」
「民草を盾にされるだけで手も足も出せぬとは、さすがはミネルバ王女の腹心ですね」
「……だが、あの書簡を見れば考えも変わるだろう」
 はたしてセルジョはどう出るのか。
 いかにあの生真面目な男だとて、王都の奪還に動くために、セパーは強硬に制圧しかかるだろう。
 だが、その後はどうするだろうか。
 すでにあの書簡はセルジョの手に渡ったころである。
 昨日、捕らえていた天馬騎士を寝室へ連れて行き、寝台に横たわる王女の姿を見せた。王女の蒼白な顔を見て狼狽する女騎士の目の前に、すでに用意してあった血まみれの小指を突きつけた。
 女騎士は悲鳴を上げ、卒倒せんばかりであった。
 あの騎士は新兵などではなく、同盟軍に加わり、あまたの戦場を駆け抜けてきた白騎士団の精鋭である。しかし敬愛する主君の痛ましい姿を見て、平静でいられるはずもなかった。
 リュッケは惑乱する騎士に書簡を託し、セパーのセルジョのもとへ遣った。
 あの書簡をひらくと同時にセルジョは悟ったことだろう。
 王女が反乱軍の手のなかにあること、次は指一本ではすまないということを。
 警告と受けとり、低頭にふるまうか。
 挑発と受けとり、怒りから強硬に王都へ攻めこむか――
「王女の腰巾着がどのような策をめぐらせようと、あなた方に負けはありませんよ。王女を掌握しておるかぎり、ね」
 トルイユは近づき、手にしていた書簡をリュッケに差し出す。
「皇帝陛下はこう記されています。勝利の暁には、アカネイア皇帝の名のもと、グルニア総督をアドリア侯エルネスト・ラングに、マケドニア総督をリカルド・リュッケに与える、と」
 リュッケは差しだされた書簡をひらいた。まっさきに署名へ目をやると、あの独特な癖のある手蹟で、アカネイア皇帝ハーディンとあった。
 みつめたまま黙ったままでいると、
「"王"でないことがご不満ですか」
 揶揄めいた問いに、リュッケは笑った。
「わたしにも人並みの名誉欲はあるが、さすがに王位など望んではおらん」
「ですが、望めば手に入りうるものですよ。あなたは〈アイオテの裔〉であり、さらには」
 一歩近づき、耳元でささやく。
「飛び立てぬうつくしい鳥も手に入れられたのですから」

        ⁂

 五日の夕刻、セパーの野営地に、シスト・マルケイが帰還した。
 天幕のなかに入り、二人は机上をはさんで向かいあった。
「王都の様子は?」
 セルジョが低く問うと、シストは力ない苦笑をうかべた。
「現状、王都へ向かうこと自体が困難な状況です。エルザガン砦の守りを竜騎士と騎兵が固めておりました」
「昨日セパーの船乗りから聞いたのだが、セパーの竜騎士団はすでに撤収したとのことだ。やつらが〈国境の森〉の守りについたのだろう」
「……そうでしたか。ひとまず西海岸から迂回し、山を越えて王都に接近しましたが、あらためて思い知らされましたよ。われらが誇るマケドニア王都は、かくも攻めがたい城砦であったのか、と……」
 シストはひろげられた王都の周辺地図の下部を指さした。
「予想どおり、レーテ河のはね橋を上げております。南から騎兵部隊が突撃することはできません。王城の周辺にはわれらを狙い撃ちにすべく投擲器がずらりとならべられております。これだけでも攻めどころに欠くのですが、やっかいなのは竜騎士団です。王都の東西に竜騎士が目立つ位置に配備されています。近づけば、狙い撃ちにされるでしょう」
「数は?」
「視認できるかぎりでは二十五騎ほどですが、シェンケル麾下の第二部隊は五十、さらにここに脱走兵と追放された者たちが加わります」
「最大を見積もって七十、といったところか」
「数の上ではそうなりますが、さすがにそれはありえません。第二部隊の者がすべて反乱に荷担するとは思えませんし、無理に従わせた新兵もおるはずです。戦後に入団した新兵たちはみな、志高く、隊長自身が目をかけて育ててこられた者ではありませんか。たやすく反乱軍に与するはずがありません。彼らは捕虜とされているか、無理やり協力させられているかのどちらかでしょう」
「……そうであればよいな」
 セルジョは口元をゆるめた。
 いまは部下たちを信じ、希望にすがるほかなかった。
「それと、これはわたしの憶測なのですが……」
 シストが眉をよせる。
「シェンケルは戦力にならぬ新兵から騎竜を奪ったのではないでしょうか。ルーメルをはじめ追放された竜騎士は騎竜を没収されています。現在調教中の飛竜は十頭にもみたない……。ではどこから調達したのか……?」
「なるほど、飛竜にとってはかつての主というわけか」
 セルジョはぎりっと奥歯を噛みしめた。
「竜騎士の数はわれらと互角。しかしながら技量はあちらが上回るとみてよいでしょう。竜騎士だけではありません。騎兵部隊ならびに重騎士部隊の大半は、リュッケ将軍に掌握されているはずです。最低でも騎兵が百五十、重騎士が三十といったところでしょうか。われらは南部駐留軍の騎兵部隊しか動かせませんので、この点は圧倒的不利と申すほかないでしょう」
「……そもそも、騎兵を王都に向かわせるには〈国境の森〉を突破せねばならぬ」
「そして王都へ軍を進めたとて、あちらは強固な城砦に立てこもる防衛側。対してこちらは不利な攻城側。くわえて――」
「殿下と王都の民を人質に取られている」
 セルジョは苦々しく言った。
「反乱軍がことさらに殿下や民の命を盾に立てこもってくれば、われらには取りうる手がない」
「はい、人質の存在に囚われるかぎりわれらの勝機は遠のきます。われらが守るべきは、殿下お一人です」
 ミネルバ以外の犠牲は厭うな、とシストが強調した。
 十年以上にわたり副官をつとめてきたこの男は、セルジョの胸のうちを的確に見抜いたうえで、迷いを断ち切らせようとしていた。
「……殿下はお怒りになるやもしれぬ。だが、わたしはどれほどの犠牲を払っても……あの方の救出をせねばならぬ」
「ええ。殿下には隊長を叱っていただかねば」
 冗談めかして言われ、セルジョは笑みをもらした。
「いずれにしまして、王都に攻め入るのであれば、四方からいっせいに飛行部隊が突入し、投擲器を破壊せねばなりません。できれば騎兵による突撃で地上部隊を撹乱したいところですが、はね橋を上げられている以上、騎兵と歩兵は北東の狭隘なアルノー橋から攻め入るほかないでしょう。そうなりますと、マチスやレントがおらぬことが非常に痛いですね。あの者たちのおかれている状況がつかめたならば、多少なりとも策が打てるのですが……」
 セルジョは机上の地図をみつめたまま反応をかえさなかった。
 シストが不審そうに呼びかける。
「隊長?」
「あ、いや……」
 セルジョは苦笑する。
「ミシェイル王との戦いでは、ここまで攻めあぐねる事態にはならなかったと思ってな」
「あのときはミシェイル王が親衛隊とともに城壁の外まで打って出てこられましたからね。くわえて殿下が王との一騎討ちに持ちこまれたことで、王城の攻略はたやすいものでした」
「……あの方は、これ以上の犠牲を望まれなかったから、みずから先頭に立って出てこられたのだ。一騎討ちを望まれた殿下も、おなじ想いでいらしたことだろう。……結果として裏切ることとなったが、わたしにとってミシェイルさまはいまなお主と崇めるべきお方にほかならぬ。幼いころから誠心誠意お仕えした方だ。民にとっても希望であった。……だが」
 机上で組み合わせた手に、力をこめる。
「いまはもう〈アイオテの再来〉はおられぬ。マケドニアは〈赤い竜騎士〉までも失うわけにはいかぬのだ」
 シストはうなづき、目を険しくした。
「王都周辺の村で噂になっておったのですが、反乱の首謀者はリュッケ将軍だとか。まことにございますか」
「ああ」
 セルジョは荒れた声で言った。
「昨夜、これが届けられた。わざわざ、白騎士団の者の手によってな」
 書簡を受けとったシストは、なかの白い布をひらき、すぐに顔をそむけた。
「……隊長、お怒りのこととは思いますが、どうか冷静に対処していただきたい」
「わかっている」
 セルジョは書簡をみつめた。
 リュッケから届けられたミネルバ王女のものとおぼしき小指。
 それがほんとうにミネルバのものなのか、判断はつかない。パオラからの意見は求めかねた。
「もはや疑いようもないことだが、わたしにはまだ信じられんのだ。リュッケ将軍がなぜこのような……」
 一人ごちるように言うと、シストが重々しく応じた。
「あの者が殿下を裏切ったとなれば……反乱を防ぐすべはなかったと存じます」
 主宮警備をになっていたのはすべてリュッケ麾下の鉄騎士団であった。重騎士にくわえ、竜騎士までが東翼に侵入していたとしたら、ミネルバはなすすべもなく反乱軍の手に落ちたのだろう。
 いまになって思えば、セパーの襲撃に不審な点はいくつもあった。不穏分子のさらなる蜂起も懸念される状況であり、セルジョ麾下の竜騎士団にとって主君を守る以上の役割はなかったはずである。結局はリュッケを信じたことがすべての敗因であろう。
 セルジョはうなだれた。いまの彼にできることは、主の無事を祈り、王都奪還への駒を進めることだけだった。

        ⁂

 六日の深夜、ふたたびレビオが野営地を訪れた。濡れた服を着替え、煌々と焚かれた火で身体を温めながら、用意されていたショウガ入りの香草茶を飲んでいる。
「こちらへきてくれ」
 セルジョがレビオを天幕に呼び、卓をはさんで向かい合った。
「状況になにか変化はあったか」
「あいつら、あんたらが全然攻めてこねえもんだからダラけきってやがるぜ。とうとう酒盛りまで始めやがった」
「女たちを使って差し入れたのだな」
「ああ」
 レビオは得意げに笑う。
「あいつらがセパーを占拠できてるのは、俺らがおとなしくしてやってるだけだってのに、めでたい連中だ」
「セパーに残された者たちは捨て石だ。ろくに事情も知らされておらんのだろう」
「そりゃ憐れなもんだな」
 鼻で笑い、レビオは香草茶を飲み干す。
「で、これがあんたの作戦かい」
 卓上のセパーの市街地図をのぞきこむ。地図上には、竜騎士に騎兵、そして歩兵をそれぞれをかたどった木彫りの駒がならべてある。
「よく見ておけ、この駒がおまえの仲間たちだ」
 セルジョが駒を動かし大まかな流れを伝えると、
「……ふん、まあ正攻法ってやつだな」
 レビオは不満げにつぶやいた。
「奇をてらってもしかたがないだろう。極力犠牲を出さずにセパーを解放するには、おまえたちの働きにかかっているのだ」
「そりゃわかるが、おもしろくねえ。これじゃ、全部おまえらの手柄になっちまうじゃねえか」
「手柄……?」
 いったいなにを言っているのだとセルジョが呆気にとられていると、レビオは明るく言った。
「なあ、市庁舎を占拠してる連中は俺らにやらせろよ。これまで好き勝手にやってきた礼をたっぷりしてやらねえとな」
「それはできん、突入作戦は速さが命だ。軍人でない者をくわえるわけにはいかぬ」
「俺たちだって海賊船にのりこんで海賊どもを縛り上げることだってあるんだぜ。おなじことだろ?」
「いや、しかし……」
 セルジョは逡巡していた。
 船乗りなら剣はそれなりに使えるのだろう。だが、幼少のころから厳しい訓練に耐えてきた正規軍とはさすがにくらべるべくもない。
 竜騎士の撤退と市民の協力によりセパーの攻略は相当容易になったが、だからこそ人質には一人の犠牲者も出したくなかった。
「な、頼むよ。このとおりだ」
 レビオは両手をかたく組み合わせた。
「俺の女がやつらにとっ捕まってるんだ。俺が助けてやらねえと意味がないだろ?」
「……なるほどな、そういう事情か」
 セルジョは小さく息をついた。
「よかろう。おまえたちの流儀とやらをやつらに見せてやればよい」
「あんた、堅物かと思ったが、なかなか話がわかるじゃねえか」
 レビオはにやりと笑った。
「そんじゃ明日、夜が明けるまでに決行だ。いいな?」
「むろんだ。よろしく頼むぞ、レビオ」
 二人はたがいの手を高く打ち鳴らした。
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