第五部

 三の月、三日。
 未明に降りはじめた雪が、マケドニア王都を白く染めていた。騎士団長リカルド・リュッケは、足首までが埋まるほどの新雪を踏みしめながら城門塔へ向かった。
 八年前、この城門塔には多くのアカネイアの役人が収容され、そのうち弁務官シモン・ネイヤールがミシェイルに惨殺された。そののちも体制に批判的な者がここで非業の死を遂げており、またつい先日も、裁判にかけられていたペドロ・ストラーニが獄中死した。
 虜囚たちの怨嗟が渦巻く螺旋階段をおり、番兵に問う。
「あれはどこにいる?」
「一番奥でございます」
 衛兵は鉄鋲の打たれた扉をひらいた。
 リュッケは手燭をもち、鉄格子が林立する地下牢を奥へ奥へと進んだ。まったく日の射さない牢獄は壁が凍るほど冷えきっており、吐く息も結晶となりそうなほどだった。
 糞尿のすえた悪臭が鼻をつく牢の最奥、敷き藁のうえに若い騎士がうずくまっている。
「レントよ」
 低く呼ぶと、レント・プラージはびくりと肩をふるわせた。
 恨めしげな目がリュッケを見あげている。反乱の首謀者が誰か、彼はいまようやく知るにいたったのだ。
「……王城は、陥ちたのですか」
「そうだ」
「殿下はご無事なのですか」
「生きておられる。……生きておられねば困る」
 レントは鋭く息をのんだ。
 昨夜、王都の警備にあたっていたレントは、いっせいに蜂起した騎兵部隊の襲撃を受けた。レントは幼少のころから出来のいい兄とくらべられ、なにかと軽んじられてはきたが、ミネルバ王女のもと軍を率い、先の戦争を勝ち抜いてきた勇敢な騎士である。奇襲にもひるまず、すぐさま隊を整えて応戦し、襲撃者たちを城門まで追いつめたという。
 しかし彼の不運は、部下のなかに内通者がいたことだろう。背後から肩を刺され、落馬したところを捕らえられた。それでも抵抗をやめなかったために、白い顔が腫れあがるほどの暴行を受けた。
 レントは這いつくばったままリュッケに近づき、鉄格子をつかんだ。ふるえる唇から白い吐息がもれている。
「なぜ、殿下を裏切ったのです……?」
 歯の根が合わぬ声。
「なぜあなたが……ストラーニなどの味方をされるのですか」
 リュッケは笑った。
「ばかなことを聞く。なぜわたしがストラーニなどの味方をせねばならんのだ?」
「では……これはあなたの望んだことだと……?」
 鉄格子をにぎりしめ、立ちあがる。
「やはりあなたもあの謀叛人どもの一味だったのですか! オズモンド陛下や父の死にかかわっておられたのですか! いまのいままでよくも殿下の忠臣であるかのような顔をしておられたものだ!」
「まったく、おまえは幸せなやつだな。これまでなにも気づきもせんとは」
「いったい、いつから……! いつからあなたはわれらを裏切っておられたのだ――……!」
 すでに聞き飽きた問いに、リュッケは失笑をもらした。
 つかみかからんばかりに鉄格子からのばされた腕を、リュッケはねじり上げた。
 レントは悲鳴を上げ、膝をついた。ろくに手当てされておらぬ肩の傷が開いたのだろう。
 石床に崩れ落ちたレントは、歯を食いしばり、肩で息をしながら、リュッケをねめつけていた。その傷だらけの顔とうるんだ瞳は、ずぶ濡れの子犬さながらの憐れさだった。
「しばらくここで頭を冷やすのだな」

 地下牢をあとにし、城門塔から出ると、鉄騎士団の部下が立っていた。この半年以上、この者はトルイユ伯の指示のもと、リュッケの監視者でありつづけた。
「プラージ伯はどうされるおつもりです?」
「あれはどうにもならんな。もう少し骨のある男だと思っていたが、とんだ見こみ違いだったようだ」
 リュッケはあえてうんざりとした口ぶりで言った。
「あのままでは長くはもたんだろう。今日中に別の牢へ移してやれ」
「これはこれは。可愛がっておられた部下にはお甘いことで」
「……腐ってもプラージ伯だ。生かしておけば利用価値はある」
 不快感もあらわにリュッケは言い捨てた。身をかえそうとしたが、部下に引き止められる。
「あなたに伝言がございます。昨日、王都東部ナハス付近にてマチス・ヴェーリ伯を捕らえたそうです。こちらへ連行しておるとのこと」
「王城に着いたら、わたしの部屋へ連れてまいれ」

 リュッケは主城門をくぐり、主宮へ足を向けた。大階段をのぼり、厳重な警備体制をしかれた東翼の執務室へ入った。惨劇の痕跡から目をそらし、寝室の扉を開けた。
 天蓋から臙脂の帳がたれる寝台の奥、ミネルバ王女が横たわっている。ロザリアは寝台の脇にはべり、水をかたくしぼった手巾を王女のひたいやほおにあてがっていた。
 当初の計画どおり、ミネルバ王女は寝室で監禁することになった。高貴なる虜囚はこの部屋がもっとも監視しやすく守りやすい。
 王女の両手足には鉄枷がはめられ、鎖は寝台の脚につないでいある。鎖は寝台から降りるぐらいのゆとりはあるが、室内を歩き回ることはできない。もっとも、いまの王女は寝台から降りることさえできないだろう。
 リュッケが寝台に近づくと、気づいたロザリアがひゅっと息をのんだ。細い肩がふるえている。
「殿下はどのようなご様子だ?」
「……まだ一度もお目を覚まされません」
 涙のまじるかすれた声で言った。
 激しい凌辱のあと、王女は意識を失ったままである。ただでさえ身体は毒に冒されていた。次々と襲いかかる悲劇に心が耐えきれずとも無理はない。
「……手枷だけでも、どうにかなりませんか?」
 ロザリアは王女の手をなでながら、
「腕に怪我を負っておられますし、こんな重いものを付けているだけでお身体に障ります」
「しかたあるまい。逃亡をはかられるようなことがあってはならぬのでな」
「この方はお逃げになることなんてできません。それなのに、どうしてこんな、ひどいことを……」
「われらはこれ以上王女に危害を加えるつもりはない」
「信用できません……!」
 頑是ない子供のように髪を乱してかぶりをふる。
「どうしてあんな……あんな下劣な者たちが殿下を……――! タマーラさまだって、どうしてあんなむごい殺され方をしなければならなかったのですか!」
「これはおまえが招いたことでもあるのだ」
 リュッケは語気を強めた。
「おまえが……トルイユなどを連れてこなければ……! だから国を出ろと言ったのだ」
 悲鳴にも似たむせび泣く声を背に受けながら、リュッケは部屋を出ていった。
 自己嫌悪にさいなまれていた。ロザリアがアカネイア勢力をマケドニアに引き入れたわけではない。むしろ巻きこまれたにすぎず、もとよりトルイユの計画の詳細を知る立場にはなかった。
 王女は大事な人質であり、丁重に扱われるものと信じていたのだろう。毒にしても、王女の抵抗を極力抑え、安全に捕らえるためだと思っていたに違いない。
 それがよもやあのような惨劇がくりひろげられることとなろうとは。
 リュッケ自身、昨夜のことは予想だにせぬ事態だった。
 ミネルバ王女を捕らえ、王都を占拠する。計画の大筋は首尾よく進んだというのに、リュッケの胸に歓喜はなく、むしろ冷たいすきま風が吹き荒れていた。
 まだ王女が目覚めていなかったこと、それが唯一の救いだった。ふたたびあの悲しみと絶望をはらんだ目を向けられることを彼は恐れていた。
 東翼の渡り廊下を進んでいると、礼拝堂の鐘が鳴り響いた。正午にはまだ早い。葬送の鐘である。
 王城制圧のおり、十を超える死人が出た。カルロが殺めたタマーラもその一人である。
 無残に斬り殺されたタマーラの遺体を粗略に扱うことはできかねたが、さりとてメスト家の領地まで運ぶこともできない。そこで、昨夜王城で命を落とした者たちの葬送を王城の礼拝堂で行うこととした。祭礼を取り仕切るのは捕虜の一人であるフロスト司祭で、王都の共同墓地に葬られることとなっている。
 今朝、この決定を下したリュッケに、トルイユは嘲笑ぶくみに言い放った。
 甘いお人だ、と。
 葬送の鐘の音を聞きながら、うつろに南の方角を見やった。そろそろ王女の忠臣たちが主君の危機を知るころだろう。

        ⁂

 三日の昼すぎ。
 セルジョ・アゴストはセパーの南東に位置する宿場町ハノージェへと飛んだ。
 町長の館の客間に入ると、アカネイアの役人グルーがいらいらとした様子で肘掛け椅子にかけている。
「遅かったではないか」
「申しわけございません」
 セルジョはこうべをたれた。
「アゴスト将軍、王都はいったいどのような様子なのか」
「まだ全容はつかめておりません」
「なにを悠長にしておる!」
 グルーは肘掛けを激しく叩く。
「トルイユ伯はご無事なのか! フリス卿につづいてトルイユ伯の身になにかあれは、貴国はただではすまんのだぞ。皇帝陛下の逆鱗に触れよう。即刻トルイユ伯を救出し、叛乱の徒どもを処刑せよ!」
「まことに面目次第もないことにございます。王都の奪還に向け、われら全力をあげる所存にございます」
 声を荒らげるグルーに、セルジョは低身低頭で接した。
 セパーのアカネイア公館に駐留するグルー伯は、二日にセパーを発って王都へ向かったが、途中、馬車の車輪が故障したためにハノージェに逗留していた。王都に向かうのが半日遅れたために難を逃れることができたのだ。
 不幸中の幸いであったが、セパーと王都が反乱軍に占拠されたことを知ったグルーは激しく怒っていた。これは恐怖の裏返しでもあったのだろう。
「……ともかく、わたしはすぐにこのことを皇帝陛下にお伝えせねばならぬ。このような粗末な館に留まっておる時間はないのだ」
 立ちあがり、荒れた声で言い放つ。
「これよりグルニアの司令部へ向かう。セパー港が封鎖されておるなら、ジェイナ港からグルニアへ渡る。アゴスト将軍、ジェイナ港までわれらを護衛せよ」
「グルー卿、その件についてご相談なのですが……」
 セルジョはつとめて丁寧な口調で切り出す。
「こたびの件、われらがただちにパレスへ飛び、皇帝陛下に直接ご報告申しあたほうがよいと考えます。われらがアカネイア領内に立ち入ることが禁じられているのは承知しております。しかし、ことは一刻を争います。どうぞ、入国のお許しをいただけるでしょうか」
「いや、本国への連絡はわたしが行う」
「しかしそれでは――」 
 あまりに日数がかかりすぎる。海路と陸路の経路ならば最低でも七日はかかるだろう。
「グルー卿、われら竜騎士ならば一日でパレス城へ行くことができるのです。どうか――」
「くどいぞ! 第一、そなたらの入国許可などわたしの一存で決められるものではない。わかっておるのか、マケドニアはわが国を蹂躙した国ぞ? そのような勝手なことをすれば、わたしが皇帝陛下の怒りを買うやもしれぬわ!」
 激しい剣幕で却下され、取りつく島もなかった。マケドニアへの敵意以上に、皇帝を恐れているようだった。
「……では、せめてグルニアのリオクル港まで護衛をいたします。わたしの部下を二名おつけしますので」
「新兵なんぞはいらん。精鋭をつけよ」
「……承知いたしました」
 ジェイナ港で連絡船にのりこむさい、グルーはこう言い残した。
「皇帝陛下は近日中にマケドニアに援軍をお送りになるだろう。陛下の温情に感謝せよ」
「……はっ」
 セルジョはこれにもうなづくほかなかった。
 王都の占拠はただの暴動ではない。明確な意思をもって起こされた反乱である。その渦中でアカネイア全権大使の身が危険にさらされている以上、アカネイアが軍隊を送りこんでくるのは必然の流れではある。
 マケドニア側からしても、ミネルバ王女が敵に捕らわれ、国軍が二分されているいま、アカネイアからの援軍は望むべくもないものである。
 問題は、それがただの援軍ですむはずがないことであった。
 この状況で帝国軍の介入を許せば、これまでミネルバ王女が懸命に守ろうとしてきたマケドニアの独立は失われることになるだろう。
 すべての発端は、脱走兵によるアカネイア商船の襲撃だった。あの事件でマケドニアの立場は悪くなり、国内では王女派と旧勢力との軋轢が激化しはじめた。
 その結果、宰相メスト公とアカネイア大使の補佐官が殺害されるにいたり、アカネイアへの体面を保つべく行われた裁判で容疑者のストラーニが獄中死した。これにより側近を殺された王女が旧勢力を粛清するという憶測が蔓延した。そんな噂を信じた者たちによってこの反乱は引き起こされるにいたったのだ。
 ハーディン皇帝は、この一連の流れをいかに見るのだろうか。



 ジェイナ港を発ったセルジョは、膠着のつづくセパーの野営地に急ぎ舞い戻った。そのとき、白騎士団の天幕へ向かうパオラの姿をとらえる。
「パオラどの」
 飛竜から降り立つと、パオラが駆けよってきた。
「グルー卿の様子はいかがでしたか」
「……かなり立腹されている。大使の身が危険にさらされているのだから当然であるが」
「そうですか……」
「時期はわからぬが、マケドニアに帝国軍が派遣されることになりそうだ。その前になんとかしてセパーも王都も解放せねばならぬ」
 パオラは沈痛な面持ちでうなづいた。
「ところで、あの者は様子は?」
「いまは熱が高くて……怪我のせいでもあるのでしょうが」
「無理もない。よくぞ竜騎士をふりきってここまで来れたものだと思う。ひとえに職責への信念ゆえであろうな」
 今朝、ひとりの天馬騎士がセパーの野営地に降り立った。天馬の羽を矢で射られ、自身も全身に傷を負いながらも、懸命にセパーにいるパオラのもとへと駆けつけてきたのだ。
 天馬騎士ナビア。十八歳。先の戦争において同盟軍に加わり、戦後は多くの除隊希望者が出るなか、懸命に食らいついてきた気骨のある少女だった。
 そんな気丈な騎士が、青ざめた唇で告げた。
 王都が反乱軍に占拠された、と。
 驚愕する二人に、ナビアは途切れ途切れに語った。
「……昨夜、わたしはアンとともに不寝番についており、東翼の控えの間におりました。昨日はとても月が明るくて……ふと夜空を見上げたとき、主宮へ向かって飛行する竜騎士が見えました。一騎や二騎ではありません。十騎近くおりました」
 現在、竜騎士団は二部隊編成であり、シェンケルの部隊が西部へ、セルジョの部隊がセパーへ向かった以上、十騎もの竜騎士が主宮に降り立つということ、それ自体が異常である。
「なにかが起こっているのだと思いました。それでわたし……アンとともにミネルバさまのもとへ向かいました。そしたら、東翼の渡り廊下に侵入者たちがいて……――。茫然となるわたしと違い、アンの判断はとても早いものでした。主宮だけでなく王城が敵の手に落ちていると瞬時に悟って、わたしに王城を脱出するよう言いました。そして一刻も早く隊長のもとに知らせにゆけ、と。そして自分は残る、と言い張って……。結局わたしはアンをおいて王城を脱出しました。ですが、王都の南で竜騎士に見つかってしまって……。執拗に追い回されながらもなんとかふりきることができました。途中、森に身を隠し、天馬を休めながら、ようやくここへまいったのです……」
 ナビアは嗚咽した。
「わたしだけが、アンをおいて逃げて……ミネルバさまをお守りすることもできず、おめおめと、こんな……――」
 冷たい土の上に這いつくばるナビアを、パオラはやさしく抱きしめる。
「よく知らせてくれたわね。……まずは傷の手当てをしましょう」
 ナビアは惑乱し、激しくかぶりをふっていた。
「これから王都を取りかえさなくてはならないわ。ミネルバさまもアンも、わたしたちがかならず助け出すの。だから傷をいやして、休めるときに休んでおきなさい」
 そこでナビアは泣き崩れた。張りつめていた糸が完全に切れてしまったのだろう。
「……ナビアはうわごとで、ミネルバさまやアンの名を呼んでいます。無念でしかたないのでしょう……」
 パオラは悲痛に言葉をつまらせた。彼女もまた気丈にふるまってはいるが、疲れ果てているようだった。ナビアを気遣うことで、なんとか気を奮い立たせているのだろう。
 セルジョは慰めるように言った。
「アンが勇敢な騎士であることはわたしも知っている。彼女を信じて待とう。殿下もかならず無事でおられる。だから、あなたもそんなに思いつめられるな」
「ありがとうございます」
 弱々しい笑みをうかべ、ナビアのいる天幕へと向かっていった。
 セルジョは司令部となっている天幕に戻り、部下たちから留守中の動きについて報告を受けていると、副官のシスト・マルケイが姿を見せた。
「ただいま戻りました」
「ご苦労であったな」
 人払いをし、卓をはさんでシストと向かい合う。
「それで、ルーメルは交渉に応じるか」
「まだなんとも……。ひとまず弩で矢文を撃ちこみましたので明日まで様子をみましょう。仲間割れでも起こしてくれると助かるのですがね」
「こうして時間を稼ぐことがやつらの狙いでもあるだろう。……セパーの占拠は陽動だ。われらを王都から……いや、殿下から引き離すためのな……」
 セルジョは奥歯を噛みしめ、簡素な椅子に腰を下ろした。
 シストが低い声で問う。
「セパーを占拠したのがルーメルだとして、王都を制圧した反乱の首謀者は誰だとお考えですか」
「おまえもおおよその予想がついているだろう。トルベ砦からいまだ駆けつけてこぬということは、あやつが首謀者としか考えられん!」
 セルジョは語気を荒くしたが、シェンケルがなぜ王女への叛逆を犯したのか、明確な理由は思いつかなかった。シェンケルがストラーニやルーメルに同調するとはとても思えない。
 シェンケルは一言で言えば裏表のない性格で、上位貴族にもいっさい媚びへつらうことがなく、それゆえ宮廷で軋轢を引き起こすことも多かった。
 のちにオズモンド王の暗殺に荷担する一方、ミシェイル王との一騎討ちのおりミネルバ王女を射た卑劣な弓兵を問答無用で斬り捨てた。つまりは偏った正義感の持ち主で、それは主君であるミシェイルともよく似ていた。
 だからこそ、ミネルバ王女の命が失われるような事態にはならないと確信できた。
 しかし根拠と呼べるものがない以上、これはただの願望にすぎない。
 王都が占拠されようと王城が破壊されようとマケドニアが滅びることはない。何度でも建てなおせる。だが、ミネルバの命が失われたら、それはこの国の終焉である。
「……シスト、わたしはここを離れられぬ。おまえは王都の様子を探ってくれ」
「はい、可能なかぎり有益な情報を得てまいります」
「深入りはするな」
「心得ております」

 北上するシストを見送っていると、天幕からパオラが出てきた。
「ナビアの様子は?」
「少し落ち着きました」
「そうか。よかった」
 パオラは疲れた顔をしていたが、その声には安堵がにじんでいた。
「いま、シストを王都の周辺の偵察にやった。王都に残っている騎士団の者たちの状況、少しでも知れればよいのだが」
「はい、レントはどうしているのかと……。たしか連隊を率いて城下の警備をになっていたはずですが」
「最悪の事態は、レント麾下の騎兵と歩兵、そのすべてを反乱軍に取りこまれることだな」
「レントの部下たちが反乱軍に協力するなんてこと……」
「そう思いたいが、あの連隊の約半数がわれらと敵対した者たちだ。叛徒どもに寝返る可能性は否定できぬ。……そもそも、殿下の命を盾に取られたら、レントに抗うすべはないだろう」
「……それは、われら天馬騎士団もおなじです」
「カチュアの隊は王都の警戒に当たっていたのだったか? 無事でいてくれればよいが」
 パオラは一瞬、口ごもった。
「いえ、カチュアはいま王城にはおりません。三日前、ミネルバさまの密命を受けて小隊とともにグルニアに向かったのです。すみません、セルジョ卿には話しておられるものと……」
「いや、ここ数日、殿下とはお会いしていなかったのでな。そうか、グルニアに……。しかしそれならば、王城はますます手薄な状態であったのだな……」
 それでも王城の警備は鉄騎士団で固められており、王女のそばにはつねにリュッケが付いていたのだ。竜騎士が主宮に侵入したとして、あの厳戒態勢を易々と突破したというのは考えにくかった。しかしナビアの話ではすでに東翼にまで入りこんでいたという。ほとんど抵抗らしい抵抗もできぬまま主宮は反乱軍に占拠されたということだ。
 そんなことがありえるのだろうか。
 だが、もし身近な裏切り者がいたとしたら?
 鉄騎士団と反乱軍が結託していたとしたら?
 脳裏によぎった憶測を、セルジョはふりはらった。



 四日の夜半。
 セルジョは、王都南部の地図とセパーの市街図をみつめていた。昼に放った矢文に対し、まだ反乱軍からの返答はない。人質を解放するなら、反乱という重罪への罰を一等減じるとの書簡には記してある。いかにセルジョであれ謀叛人への処断を決める権限はないが、ミネルバならばそうするだろうとの判断からだった。
 破格の条件を提示しながらも、セルジョはこの交渉の行く末を楽観視していなかった。もし市民に無体を働くようなら、多少の犠牲を払ってでも強硬突入せねばならぬという考えにかたむいていた。セパー占拠が陽動である以上、その思惑にのるわけにはいかない。
「アゴスト隊長!」
 部下が天幕に入ってきた。
「セパー市民が隊長にお目通りを願い出ております」
 セルジョは急ぎ、天幕の外に出た。
 部下が指し示した先には、二十歳前後の体格のよい青年がいた。黒いチュニックの上に毛皮の上衣をはおっている。
「あんたが竜騎士団の隊長さんかい?」
 男は寒そうに焚き火に近づいた。両手を炎にかざしながら、
「俺はレビオ。船乗りだ。早くあんたらに連中をなんとかしてもらいたくってな、こうしてお願いにきたってわけよ」
「……このような事態となり、民には申しわけなく思っている」
「軍の反乱だってな?」
「ああ、そうだ」
「で、あいつらはなにがしたいんだ? 町中の女どもをかっさらって、市庁舎を娼館に変えちまってよ。王女さまへの嫌がらせってことか」
 セルジョは渋面になった。
 そんなことだろうと思ってはいたものの、どっと脱力感に襲われる。
「なあ、さっさとセパーを解放してくれよ。こんだけ立派な軍隊そろえてるってのに、あんたは指くわえて見てるだけかい?」
「まずは交渉を試みようとしているところだ。民を人質に取られているこの状況で強行突入はできぬ」
「市民を虫ケラあつかいしないでくれるのはありがたいけどさ、それじゃあいつらの思うつぼだぞ」
「……どういう意味だ?」
「人質のせいで手出しできねえのは事実だが、市民のほとんどは家から出るのを禁じられてるだけで自由の身だ。その気になりゃ、あの威張りくさったゴロツキどもをとっちめることもできる」
「待て。……おまえ、なぜそんなに市内の様子にくわしい?」
「言ってなかったか、俺はさっきセパーを抜けてきたんだ」
「なに? いったいどうやったのだ?」
「へへっ、海を泳いできたのさ」
 セルジョは唖然となった。ここ数日は寒波が訪れ、南部でも雪が積もるほど冷えこんでいる。
 男はマントをかき合わせて寒そうにしており、よく見れば、黒いチュニックもその波打った黒髪も湿っているようだ。
「……無茶をするものだ」
「俺はガキのころから船乗りやってんだ。このぐらいなんでもねえよ」
 男は胸を張った。
「では、もっと市内の様子を教えてくれ。市庁舎を占拠したのは竜騎士だったと聞いているが、市内にいかほどいるかわかるか」
「たしか市庁舎を襲撃したのは竜騎士だったが、やつらはもうセパーにはいねえよ。昨晩のうちに撤収していったぜ」
「撤収だと?」
「ああ、まちがいないぜ」
「どこへ向かったかわかるか」
「北に向かってたな」
 北。王都の方角である。
 もうセパーに用はないということだろう。
「竜騎士団がいねえならやつらなんぞ怖くはねえ。俺たちはいま、やつらを縛りあげる計画を練ってるとこなのさ」
「勝手なことはするな」
「勝手だあ? ばか言っちゃ困るぜ隊長さんよ。やられっぱなしじゃ俺たちの沽券にかかわる。これでもあんたらの顔を立てて我慢してやってんだぞ」
「……」
「待てるのはあと二日だ。二日たってもまだチンタラやってるなら、俺らがやつらをぶちのめす。こっちの流儀でカタをつけてやる」
 セルジョは大きくため息をついた。
「わかった……準備が整いしだい、われらはセパー市街に突入する」
「交渉成立だな」
 よろしく頼むぜ、ときびすをかえして手をふる。
「どこへ行く?」
「泳いで戻るのさ。また来るから突入準備を始めておいてくれよ」
 男が去っていくと、二人のやりとりを見守っていたパオラが小さく笑みをもらした。
「セルショ卿、思いがけぬ来訪者でしたね」
「まったく愉快なやつだ。……これでセパー攻略の糸口がつかめた」
 安堵の息をつくと、パオラの顔も明るくなった。
「あの者が民をまとめてくれるなら願ってもないことだ。民の混乱と暴動こそわれらがもっとも恐れていたもの。……早く片をつけ、殿下の救出に――」
 急に天幕の外が騒がしくなった。
 何事かとセルジョが駆けつけると、部下が白い月のかがやく夜空を指し示した。
「あちらに天馬が!」
 あたりに安堵の声がみちた。セパーへ駆けつけてくる天馬騎士――それは王都を脱出してきた精鋭である。
「アン!」
 降り立った天馬騎士を見て、パオラが歓喜の声をあげた。
 ナビアも涙をうかべてアンに抱きつき、無事の再会をよろこんでいた。
 しかしアンの様子がおかしい。笑顔もなく、茫然としたまま身体をこわばらせている。
 セルジョはアンに近づき、ねぎらいの言葉をかけた。
「ナビアから話は聞いている。よくぞここまで来てくれた」
「……わ、わたし、あの……申しわけ、ありません……」
 セルジョの顔を見るなり、アンはふるえはじめた。
「どうしたの!」
 パオラがそのふるえる身体を抱きしめ、なだめても、アンはまともに言葉を発せなくなっている。
「……ひとまず中へ」
 セルジョは、パオラとアンを天幕へ連れて行った。
 アンは少し落ち着きを取り戻したのか、しゃんと背筋をのばしてセルジョに向きなおった。そして懐から巻かれた羊皮紙を取りだす。
「これを……セルジョ卿に、と……」
 書簡をもつアンの手が、がたがたとふるえはじめた。
 尋常でない事態であると察せざるをえなかった。
 セルジョは書簡を受けとったが、封蝋はなく、麻ひもで巻かれているだけであった。
 書をひらくと、白い布につつまれた"なにか"が出てきた。つまむとやわらかな感触があった。わずかに血なまぐさいにおいがただよっている。
 ――まさか……
 セルジョは食い入るように文面に目をはわせた。
 差出人はリカルド・リュッケ。
 セルジョ・アゴスト卿、との書き出しののち、たった一言、こう記されていた。
『貴殿のなすべきことをされよ』
 その挑発とも警告とも取れる言葉を目にした瞬間、全身がざっと粟立つ感覚があった。おそるおそる布をほどいていくと、じょじょに赤黒いシミが濃くなっていく。
 セルジョは息をのみ、ゆっくりと布を取り去る。
 出てきたのは、ちいさな指だった。すでに赤紫に変色しており、固まった血が付着している。小指と思われるその細い指には、印章の指輪がはめられていた。
 〈飛竜と百合〉――マケドニア第一王女の紋章。
 怒りに、手がふるえる。
「セルジョ卿、いったいなにが――」
「あなたは見るな!」
 セルジョは鋭く叫び、近づこうとするパオラを制した。
 アンが泣き崩れた。激しい慟哭が天幕に響いていた。
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