第一部
翌日の午後。リカルド・リュッケはミネルバ王女に呼ばれ、主宮東翼の中庭へ向かった。途中、渡り廊下でセルジョ・アゴストと鉢合わせになった。彼もまた王女に呼ばれたとのことであった。
「おそらくユスタス・メストのお披露目だろう」
リュッケが答えると、セルジョはますます怪訝そうな顔になった。
「しかしなぜ中庭なのだ?」
「大仰な宴を催すこともできぬだろう。一部の貴族を刺激してはやっかいだ。ああ、あちらにおられる」
リュッケは指をさし、セルジョを庭園にうながした。
新緑がゆたかに茂る植木の向こうに、女神の噴水が見える。その前に、ミネルバ王女とユスタス・メストが並んで立っており、リュッケたちとおなじく王女に呼ばれたであろうレント・プラージと向かい合っていた。
「おお、そなたがプラージ伯のご子息か」
「いまはこの者がプラージ伯だ」
ミネルバ王女が苦笑気味に口をはさんだ。
これは失礼を、とユスタスはほがらかに笑いかけた。
「たしか、昨日ちらとお見かけしたな。さすがに七年もたっていてはまったく気づかなかった。お父君はよくそなたのことをよく話しておられた。先が楽しみだと。立派な若者となられ、喜んでおられよう」
「……いえ、父が話していたのはきっと兄のことでして、わたしは兄と違い、非才の身なれば――」
「なにを言う。わたしとていつも父とくらべられていた」
春の日差しがふりそそぐ、なごやかな空間に、リュッケはセルジョとともに足を踏み入れた。
「……ユスタスどの」
セルジョに呼ばれ、ユスタスがふりかえる。彼らは従兄弟同士であり、かつてユスタスが竜騎士団に所属していたころ、セルジョが部下として仕えていたあったこともある。
セルジョは面変わりした従兄の姿に驚きを見せたものの、ユスタスはそういった反応にもう慣れているためか、柔和な笑みを崩さなかった。
「これまでずっと殿下をお支えしていたと聞いている。わたしはおまえを誇りに思う」
かつての面影は失せてしまったが、このやや強引でいて堂々たるふるまいはかつてなんら変わっていない。そのセルジョは安堵の表情をみせた。
すでに十を超える貴族たちが中庭に集い、再会を称え合っていた。戦死したベンソン騎兵連隊長の息子ロランも姿を見せていた。ベンソン家はメスト家の遠縁にあるため、ユスタスは父を失った少年の後見を買って出ていた。
ロランは慕わしげにユスタスをみつめており、その様子を見守るミネルバもまたおだやかな目をしていた。
ふとユスタスがあたりを見わたし、ミネルバに問う。
「そういえば、ヴェーリ伯のご子息はどちらに?」
「マチスは自領に戻っているのだ。また近いうちに顔を見せるだろう。そなたのことも伝えてある」
「そうですか。また昔のようにみなと狩りを楽しみたいものです」
にぎやかな集団に近づいてくる者があった。ユスタスはすぐさま気づき、痩せた手をさしだす。
「カゾーニ伯、これはまたおなつかしい方だ」
進み出てきたコルセオ・カゾーニは、ユスタスの手を骨張った手でかたく握りかえした。
「……話に聞いていたより、ご壮健のようでなによりだ」
「ご心配をおかけしたようですが、これでも馬を駆れるようになったのです。むろん以前とおなじようにはいきませんが、いずれは飛竜にも。それはまたおいおいといったところで」
ユスタスは快活につづける。
「解放された喜びとともに、悲しい知らせが嫌というほど届きました。アシル・ベンソンにロドリゴ・ムラク。わたしの旧友たちの多くが戦場に散りました。今日、こうしてあなたとの再会が叶ったことがまことによろこばしい」
「ああ、わたしもだ」
「守り役であられたあなたに、今後も殿下をお支えいただけるならこれほど頼もしいことはない」
ユスタスは、レント、セルジョ、カゾーニ、リュッケの四人に順に目をはせてゆき、最後にミネルバを見た。
「われらはみな〈アイオテの裔〉。ともに殿下をお支えしようではないか」
闊達にふるまうユスタスを見るカゾーニの目は、形こそ笑みをかたどっていたものの、どこか暗さをおびていた。
中庭でのお披露目に一段落がつくと、王女はユスタスをともなって東翼の方へと向かっていった。
二人の背を見送ったのち、リュッケは渋い顔をしたカゾーニに声をかける。
「叔父上、いかがされたのだ?」
「うむ……」
カゾーニは生返事をして背を向けた。リュッケは歩き出した叔父を追った。
人気のない蔓薔薇の茂みにさしかかったとき、カゾーニがつぶやく。
「あれは、顔も立ち居ふるまいも父親とそっくりだな。われらを〈アイオテの裔〉と呼ぶのも、エラルドの口癖であった」
吐き捨てるような口調であったが、リュッケが驚くことはなかった。戦前、カゾーニとエラルド宰相が不仲であったのは知っている。
カゾーニとエラルド・メストは年が近く、ともに第三代ビセンテ王と第四代オズモンド王に仕えた。カゾーニの姉がメスト家に嫁ぎ、さらにその娘がオズモンド王の妃となったことから、彼らの結びつきは強く、政治・軍事両面から主君を支えた。
しかし時をへるにつれその関係には亀裂が入っていった。いくつか理由はあったのだろうが、王と王太子の不和が直接彼らの関係に影響したものと思われる。
「殿下がユスタスを呼び寄せられたこと、やはり叔父上は反対か」
「いや、姫さまが決められたことゆえ反対はせぬ。ただ、あの方がユスタスに負い目を感じておられるのが心苦しい」
カゾーニはため息をつく。
「責められるべきはわしなのだ。わしは一時とはいえエラルド・メストの謀叛を信じた。それゆえにユスタスのことも見捨てることとなった」
それは初耳であった。リュッケの知るかぎり、ミシェイルの発表を本気で信じている者は多くなかった。ただ恐怖でおののき、口をつぐんでいる者が大半だった。
「……まあ、叔父上がミシェイル王子を信じたかったのはわかるが」
「そんなことではない」
カゾーニは力なく否定した。苦悶に眉がよせられる。
「エラルドは誰の目にも忠義者に映っただろうが、その忠義はオズモンド陛下に対してというよりはマケドニアそのものに捧げているようなところがあった。国益のためと信ずれば、陛下のご意向を軽んずることもままあった。だから、エラルドがアカネイアと通じていたと聞いたとき思ったのだ、あやつならばやりかねぬとな。あのころの陛下はご病気のせいもあってずいぶんと気弱になっておいでであったし、ドルーアの要求を呑もうとされても不思議はなかった。それゆえにエラルドが陛下を手にかけるというのも、ありえぬことはない、と……」
自嘲するように笑う。
「結局のところ、わしがエラルドに猜忌の念を抱いていたがゆえのことだ。あとは、まあそうだな、わしはミシェイルさまのおっしゃることを信じぬわけにはいかなかったのだ。真実を知ってもなお、あの方をお諫めすることもかなわなかった」
「あなたが気に病まれることではない。叔父上がなにを申しあげても、ミシェイル王子が聞き入れるはずなどなかったのだから」
「そうであろうがな、守り役として成せることはあったであろう」
カゾーニは握りしめた手をふるわせた。
「ミネルバさまにあのような道を選ばせてしまったこと、悔やんでも悔やみきれぬ」
カゾーニはもとはオズモンド王の守り役であり。その信任厚さゆえにのちに幼い王太子にも仕えるようになった。ミシェイルのそばを離れぬミネルバもまたカゾーニにとって小さな主であった。子のおらぬ老公は二人に厳しく接しつつも非常に可愛がっていた。
かの変事は、カゾーニが胸の発作を起こし、一時宮廷を下がっているさなかのことであった。オズモンド王の葬儀ののちにカゾーニは復帰したが、兄妹を生まれたときから見守ってきたカゾーニがことの真相に気づかぬはずがない。気づきながらも目をそらし、ミシェイルに仕えつづけた。カゾーニのミシェイルへの忠誠は、王に対してというよりも、いつくしみ育てた王子への情愛に偏っていたと思われる。
敗戦後、カゾーニはリュッケとともに同盟軍との交渉にあたった。アイオテの孫という血筋が持つ影響力は同盟軍に対しても有益に働くこととなった。凛然たるたたずまい、放たれる気迫の鋭さに、リュッケも思わず息をのんだほどであった。
しかし戦後、ミネルバを献身的に支えてはいるが、会うたびに弱々しくなっている。昨年あつらえたであろう上衣も瘦せたために肩が落ちている。すでに七十となっており、持病をかかえて無理のきかぬ身体となっていることもあろうが、以前にも増して気弱になった。もとより情にもろい面もあったが、リュッケの目から見て、気力の低下がそのまま肉体の衰えにつながっているようだった。
ミネルバ王女がミシェイル王を討つ、それはカゾーニが思い描けるかぎりこれ以上ない悲劇であったことだろう。しかしそれは、カゾーニが傍観者でありつづけた結果でもあった。
それがわかっているからこそ、カゾーニの慙愧の念は強い。リュッケの前でせめてその場に居合わせていればと栓ない繰り言をよく口にした。
だが、そのたびにリュッケは思うのだ。カゾーニがあの惨劇の場に居合わせたとして、守り役としてミシェイルを諫めることなどできなかっただろう。そして、カゾーニもまた自分とおなじ道を選んだに違いないのだ、と。
「おそらくユスタス・メストのお披露目だろう」
リュッケが答えると、セルジョはますます怪訝そうな顔になった。
「しかしなぜ中庭なのだ?」
「大仰な宴を催すこともできぬだろう。一部の貴族を刺激してはやっかいだ。ああ、あちらにおられる」
リュッケは指をさし、セルジョを庭園にうながした。
新緑がゆたかに茂る植木の向こうに、女神の噴水が見える。その前に、ミネルバ王女とユスタス・メストが並んで立っており、リュッケたちとおなじく王女に呼ばれたであろうレント・プラージと向かい合っていた。
「おお、そなたがプラージ伯のご子息か」
「いまはこの者がプラージ伯だ」
ミネルバ王女が苦笑気味に口をはさんだ。
これは失礼を、とユスタスはほがらかに笑いかけた。
「たしか、昨日ちらとお見かけしたな。さすがに七年もたっていてはまったく気づかなかった。お父君はよくそなたのことをよく話しておられた。先が楽しみだと。立派な若者となられ、喜んでおられよう」
「……いえ、父が話していたのはきっと兄のことでして、わたしは兄と違い、非才の身なれば――」
「なにを言う。わたしとていつも父とくらべられていた」
春の日差しがふりそそぐ、なごやかな空間に、リュッケはセルジョとともに足を踏み入れた。
「……ユスタスどの」
セルジョに呼ばれ、ユスタスがふりかえる。彼らは従兄弟同士であり、かつてユスタスが竜騎士団に所属していたころ、セルジョが部下として仕えていたあったこともある。
セルジョは面変わりした従兄の姿に驚きを見せたものの、ユスタスはそういった反応にもう慣れているためか、柔和な笑みを崩さなかった。
「これまでずっと殿下をお支えしていたと聞いている。わたしはおまえを誇りに思う」
かつての面影は失せてしまったが、このやや強引でいて堂々たるふるまいはかつてなんら変わっていない。そのセルジョは安堵の表情をみせた。
すでに十を超える貴族たちが中庭に集い、再会を称え合っていた。戦死したベンソン騎兵連隊長の息子ロランも姿を見せていた。ベンソン家はメスト家の遠縁にあるため、ユスタスは父を失った少年の後見を買って出ていた。
ロランは慕わしげにユスタスをみつめており、その様子を見守るミネルバもまたおだやかな目をしていた。
ふとユスタスがあたりを見わたし、ミネルバに問う。
「そういえば、ヴェーリ伯のご子息はどちらに?」
「マチスは自領に戻っているのだ。また近いうちに顔を見せるだろう。そなたのことも伝えてある」
「そうですか。また昔のようにみなと狩りを楽しみたいものです」
にぎやかな集団に近づいてくる者があった。ユスタスはすぐさま気づき、痩せた手をさしだす。
「カゾーニ伯、これはまたおなつかしい方だ」
進み出てきたコルセオ・カゾーニは、ユスタスの手を骨張った手でかたく握りかえした。
「……話に聞いていたより、ご壮健のようでなによりだ」
「ご心配をおかけしたようですが、これでも馬を駆れるようになったのです。むろん以前とおなじようにはいきませんが、いずれは飛竜にも。それはまたおいおいといったところで」
ユスタスは快活につづける。
「解放された喜びとともに、悲しい知らせが嫌というほど届きました。アシル・ベンソンにロドリゴ・ムラク。わたしの旧友たちの多くが戦場に散りました。今日、こうしてあなたとの再会が叶ったことがまことによろこばしい」
「ああ、わたしもだ」
「守り役であられたあなたに、今後も殿下をお支えいただけるならこれほど頼もしいことはない」
ユスタスは、レント、セルジョ、カゾーニ、リュッケの四人に順に目をはせてゆき、最後にミネルバを見た。
「われらはみな〈アイオテの裔〉。ともに殿下をお支えしようではないか」
闊達にふるまうユスタスを見るカゾーニの目は、形こそ笑みをかたどっていたものの、どこか暗さをおびていた。
中庭でのお披露目に一段落がつくと、王女はユスタスをともなって東翼の方へと向かっていった。
二人の背を見送ったのち、リュッケは渋い顔をしたカゾーニに声をかける。
「叔父上、いかがされたのだ?」
「うむ……」
カゾーニは生返事をして背を向けた。リュッケは歩き出した叔父を追った。
人気のない蔓薔薇の茂みにさしかかったとき、カゾーニがつぶやく。
「あれは、顔も立ち居ふるまいも父親とそっくりだな。われらを〈アイオテの裔〉と呼ぶのも、エラルドの口癖であった」
吐き捨てるような口調であったが、リュッケが驚くことはなかった。戦前、カゾーニとエラルド宰相が不仲であったのは知っている。
カゾーニとエラルド・メストは年が近く、ともに第三代ビセンテ王と第四代オズモンド王に仕えた。カゾーニの姉がメスト家に嫁ぎ、さらにその娘がオズモンド王の妃となったことから、彼らの結びつきは強く、政治・軍事両面から主君を支えた。
しかし時をへるにつれその関係には亀裂が入っていった。いくつか理由はあったのだろうが、王と王太子の不和が直接彼らの関係に影響したものと思われる。
「殿下がユスタスを呼び寄せられたこと、やはり叔父上は反対か」
「いや、姫さまが決められたことゆえ反対はせぬ。ただ、あの方がユスタスに負い目を感じておられるのが心苦しい」
カゾーニはため息をつく。
「責められるべきはわしなのだ。わしは一時とはいえエラルド・メストの謀叛を信じた。それゆえにユスタスのことも見捨てることとなった」
それは初耳であった。リュッケの知るかぎり、ミシェイルの発表を本気で信じている者は多くなかった。ただ恐怖でおののき、口をつぐんでいる者が大半だった。
「……まあ、叔父上がミシェイル王子を信じたかったのはわかるが」
「そんなことではない」
カゾーニは力なく否定した。苦悶に眉がよせられる。
「エラルドは誰の目にも忠義者に映っただろうが、その忠義はオズモンド陛下に対してというよりはマケドニアそのものに捧げているようなところがあった。国益のためと信ずれば、陛下のご意向を軽んずることもままあった。だから、エラルドがアカネイアと通じていたと聞いたとき思ったのだ、あやつならばやりかねぬとな。あのころの陛下はご病気のせいもあってずいぶんと気弱になっておいでであったし、ドルーアの要求を呑もうとされても不思議はなかった。それゆえにエラルドが陛下を手にかけるというのも、ありえぬことはない、と……」
自嘲するように笑う。
「結局のところ、わしがエラルドに猜忌の念を抱いていたがゆえのことだ。あとは、まあそうだな、わしはミシェイルさまのおっしゃることを信じぬわけにはいかなかったのだ。真実を知ってもなお、あの方をお諫めすることもかなわなかった」
「あなたが気に病まれることではない。叔父上がなにを申しあげても、ミシェイル王子が聞き入れるはずなどなかったのだから」
「そうであろうがな、守り役として成せることはあったであろう」
カゾーニは握りしめた手をふるわせた。
「ミネルバさまにあのような道を選ばせてしまったこと、悔やんでも悔やみきれぬ」
カゾーニはもとはオズモンド王の守り役であり。その信任厚さゆえにのちに幼い王太子にも仕えるようになった。ミシェイルのそばを離れぬミネルバもまたカゾーニにとって小さな主であった。子のおらぬ老公は二人に厳しく接しつつも非常に可愛がっていた。
かの変事は、カゾーニが胸の発作を起こし、一時宮廷を下がっているさなかのことであった。オズモンド王の葬儀ののちにカゾーニは復帰したが、兄妹を生まれたときから見守ってきたカゾーニがことの真相に気づかぬはずがない。気づきながらも目をそらし、ミシェイルに仕えつづけた。カゾーニのミシェイルへの忠誠は、王に対してというよりも、いつくしみ育てた王子への情愛に偏っていたと思われる。
敗戦後、カゾーニはリュッケとともに同盟軍との交渉にあたった。アイオテの孫という血筋が持つ影響力は同盟軍に対しても有益に働くこととなった。凛然たるたたずまい、放たれる気迫の鋭さに、リュッケも思わず息をのんだほどであった。
しかし戦後、ミネルバを献身的に支えてはいるが、会うたびに弱々しくなっている。昨年あつらえたであろう上衣も瘦せたために肩が落ちている。すでに七十となっており、持病をかかえて無理のきかぬ身体となっていることもあろうが、以前にも増して気弱になった。もとより情にもろい面もあったが、リュッケの目から見て、気力の低下がそのまま肉体の衰えにつながっているようだった。
ミネルバ王女がミシェイル王を討つ、それはカゾーニが思い描けるかぎりこれ以上ない悲劇であったことだろう。しかしそれは、カゾーニが傍観者でありつづけた結果でもあった。
それがわかっているからこそ、カゾーニの慙愧の念は強い。リュッケの前でせめてその場に居合わせていればと栓ない繰り言をよく口にした。
だが、そのたびにリュッケは思うのだ。カゾーニがあの惨劇の場に居合わせたとして、守り役としてミシェイルを諫めることなどできなかっただろう。そして、カゾーニもまた自分とおなじ道を選んだに違いないのだ、と。