第四部
十一の月、十五日。
東翼の広間にて御前会議が開かれることとなり、リュッケはレント・プラージとともに議場へ足を踏みいれた。すでに二十を超える貴族と騎士がつどい、王女の登場を待っている。
この議場も王の執務室とおなじく、長らく開かずの間となっていた。オズモンド王が病に倒れ、御前会議が開かれなくなってからであるので、すでに十年がたつ。
重厚な臙脂の壁に、黒檀と金を基調とした調度。天井には無数の水晶がきらめくシャンデリア。マケドニアの威容を示すこの豪奢な広間でひときわ目を惹くのは、西側の壁に飾られた巨大な絵画であろう。百年前のドルーア戦争の時代、勇者アイオテと三人の解放戦士たちの死闘を、巨匠ウンベルト・アルバーニはやや荒さをおびた大胆な筆致で描いた。
「これが……かの有名なアルバーニの……」
レントが引きよせられるように絵画に近づいていった。
「このアイオテさまは、たしかオズモンド陛下のお顔に似せて描かれているのでしたね」
「ああ、そうだ」
リュッケもその隣に立ち、右端の竜騎士を指さす。
「解放戦士のひとりは、おまえのよく知る者と似ているな」
「父上……」
レントは父の面影を宿した竜騎士を食い入るようにみつめていた。
リュッケもまたアイオテとその部下たちをじっと眺めていた。彼がこの名画を目にするのは十年ぶりだったが、忌まわしいものでも見るかのようにその眉根が寄せられていった。
伝承にあるとおり、アイオテは片目が潰れ、左手と右脚がちぎれた姿で描かれているのだが、この絵が完成して一年もたたぬまに、オズモンド王は病に倒れ、両目から光を失い、半身の自由がきかなくなった。
そして三人の解放戦士として描かれた王の最側近たち――エラルド・メスト公、テレンス・ヴェーリ伯、バルトロ・プラージ伯にしても、かの政変のおりに皆殺しの憂き目に遭っている。
かつては勇壮さをたたえた名画だと誰もが思っていたことだろう。しかしいまとなっては、この十年間のマケドニアの悲劇を暗示しているかのようで、薄気味悪ささえ感じさせるものだった。
一方で、冷ややかな目つきで絵を見つめる者たちもいた。
ペドロ・ストラーニとその取り巻きたち、ラディス・シェンケルにダリオ・モーロなど、旧体制に批判的な者たちにすれば、〈アイオテの裔〉で固められた旧体制をいやおうなく思い出させる代物でしかないのだ。
いまのマケドニアは、まるでオズモンド王の御世のようだと揶揄する者もいる。戦後、ドルーアに与した旧勢力が宮廷から排除されたのは、占領軍撤退のおりにアカネイアが要求したためであったが、現在、ユスタスを中核として、王家に連なる貴族たちによって国家の方針が一方的に決められ、旧勢力は露骨なまでに蚊帳の外である。
先の戦争の勝者と敗者によって分断された宮廷の様相は、戦前よりも険悪なものであろう。
真紅の垂れ幕が左右に開かれ、全員がいっせいに起立した。
ミネルバ王女は引きずるほどに長い深紅のマントをひるがえし、壇上の肘掛け椅子に腰かけた。その両脇には、黒い礼服をまとったカゾーニが影のように寄り添い、対して深い紫の礼装のユスタスは王女と対等であるかのように真横にならんだ。
王女は緊張につつまれた議場を見わたし、赤い唇に笑みをうかべる。
「今日はなつかしい顔ぶれが多いようだな」
その一言で、ひりついた空気がふっとゆるんだ。
すかさず、末席のダリオ・モーロが立ちあがり、よくとおる声でこたえた。
「われら、祖国のため、殿下のため、力を尽くす所存でございます」
「そなたの言葉、うれしく思う」
ミネルバはおだやかな声でつづける。
「みな、それぞれに思うところはあろうが、この国は復興途上にあり、問題が山積している。おなじ志をもつ同胞がいがみ合っているいとまなどない。国家再建のため、みなが手をたずさえていかねばならぬと――」
「殿下」
王女の声を不躾にさえぎり、ストラーニが立ちあがった。無礼を咎める声が上がったが、ストラーニは気にせずつづける。
「そのようにお考えならば、今後、われらをつんぼ桟敷に追いやるよなことはないと、お約束していただけるのでしょうか」
礼を欠く態度にも、ミネルバは鷹揚にこたえる。
「そなたらが不満に想う気持ちは理解しているつもりだ。もろもろの事情があったとはいえ、これまでそなたらに忍耐を強いたこと、すまなく思っている。それゆえに、今日はみなを一堂に集めたのだ」
「そのお言葉、偽りなきものと存じます。しかしながら、あなたが頼りとされるメスト公は、かつて父宰相とともに、オズモンド陛下の宮廷で権勢をほしいままにしてまいりました。陛下のご病気を理由に御前会議を取りやめ、邪魔なわれらを排除し、宮廷の分断を招いたという前例がございます。本日、殿下はわれらを宮廷に呼び戻されましたが、かつての悪習を断つ決意であると受けとめてよろしいのでしょうか」
「そなたの物言いもまた分断を招くものと思うが……むろん、わたしは父の時代を踏襲するつもりはない。ユスタスとて同様だ。そうであろう?」
ユスタスは無言のまま胸に手を当て、主君に一礼した。
ミネルバはそれを満足げにみつめ、ストラーニを見やった。
「まだなにか、憂慮することがあるのか」
「はい。……じつはこのような噂を耳にいたしまして」
ストラーニはわざとらしい神妙な声でつづける。
「アカネイアの要請により、わが国に帝国軍を駐留させることとなったとのこと……これは事実にございますか」
驚きの視線が、壇上の王女へいっせいにそそがれた。ミネルバは眉ひとつ動かさず、ストラーニを見すえる。
「そなたがこの件をどのような流れで耳にしたかは知らぬが、そのような打診がアカネイアからあったのは事実だ」
ざわめきがひろがった。とまどいだけでなく、落胆のため息や非難めいた声もちらほら聞こえてくる。
その反応に、ストラーニは調子づいた。
「アカネイア軍を駐留させるなど、それでは戦前に逆戻りではありませぬか」
「まだ打診があったという段階だ。なにも決まっていない」
「そうはおっしゃいますが、皇帝の命令を拒むことなどできますまい。このような屈辱を受けいれねばならぬとは、あの長きにわたる悲惨な戦いはいったいなんだったというのか……」
大仰な身ぶりをくわえてがなり立てる。
「殿下、あなたは仇敵アカネイアに味方をなさった。その結果、この国は一時とはいえ、アカネイアの占領下におかれるにいたったのです。大使の派遣にしても、多くの者は受け入れがたく思っておりました。それでも耐えてまいりましたのは、あなたがアカネイアとの協調をはかり、かならずや国益が守られると信じてきたからです。だというのに、よりにもよって駐留軍などと……! これはあなた方の失策と言わざるをえませんな」
「あなたにそれを言う資格はない!」
レント・プラージが憤然として割りいった。
「アカネイアが軍の駐留を求めてきたとあれば、それは先の商船襲撃が発端になったということ。そしてわが国の品位を貶める脱走兵が多発した原因がどこにあるのか、あなたはもうお忘れなのか。このさいだから申しあげておく。あなたに下された降格処分にしても、すべて貴公の身から出た錆。なんら不当なものではない。にもかかわらず、それを逆恨みし、あろうことか、殿下に帰責しようなど、恥知らずにもほどがあろう!」
「レント、もうよい」
ミネルバは静かに、しかし厳しく言って、貴族たちを見すえた。
「いずれ知れることゆえ、みなに話しておこう。先日、グルニア総督に任じられていたロレンス将軍が追放され、あらたな統治者が派遣されることが決まった。……今後グルニアは、アカネイアの占領下におかれることとなる」
一瞬、議場は静まりかえったものの、またすぐにざわめきが起こった。となりの者と目くばせし合っては、せわしなくささやき合っていた。動揺せずにいられたのは、リュッケをはじめ、事前に知っていたわずかな者たちだけだった。まだ知らなかったレントは、驚愕に茫然となっている。
「いま、わが国を取り巻く状況は、非常に深刻なものである。占領軍が撤収した春先のころとはまるで異なる。戦前に戻りうるか否か、それは今後のわれらの働きしだいであろう。先の商船襲撃のような事件は命取りとなる。みな、肝に銘じてほしい」
静寂のなか、カゾーニから本日の議題であった西部海岸の警備拡充ならびに脱走兵の探索強化が議論をへることなく通達された。もはや議論などつづけられる雰囲気ではなかった。
ミネルバが側近とともに退室するや、議場はふたたび騒然となった。
「グルニアが占領されるとなると、わが国もどうなるかわからんな」
ストラーニが嫌みたっぷりに言った。
「まあ、オズモンド王のように役人に媚びへつらえば宗主国の温情がくだされるやもしれんが、王女は父王の時代には戻らぬとの仰せ。さて、わが国の命運はどうなることやら」
「あなたは……」
レントがうなるような声で言った。
「まるでわが国の立場が危うくなるのを望んでおられるようだな」
「それは言いがかりというもの。わしは王女と宰相の手腕に疑問を呈しておるだけだ。多くの同輩たちがアカネイアの顔色をうかがうために次々と処分された。だというのに、その結果がこれでは、文句のひとつも言いたくなる。そうであろう?」
周囲に呼びかけると、取り巻きたちから賛同の声が巻き起こった。
レントは唇をふるわせる。
「よくも……そんな身勝手な言い分をならべたてられるものだ……。あなたがいまこの場にいられるのはすべて殿下の寛容さゆえのもの。温情により厳罰をまぬがれたというのに……!」
「温情だと? まったく、おまえはなにもわかっておらんのだな。プラージ伯もお気の毒なことだ。優秀な上の息子が王女をかばって死に、生き残った末子がこのようなボンクラではな」
野太い声でせせら笑う。
「王女がわしを降格処分で留められたのは、追放するに足る理由がなかったゆえだ。事実、王女は次々に謹慎処分を撤回されているではないか」
「あれは撤回ではなく解除だ。なかったことになどされていない!」
「どちらでもおなじことよ。王女はわれらに負い目がおありなのだ。アカネイアへの体面を保つべく、われらを犠牲にされたのだからな」
ストラーニは朗々と声を張りあげた。
「そうとも、われらは正義の戦いを遂行したまでのこと。貴様らこそただの国賊であったということだ」
「言わせておけば――」
「もうよせ!」
セルジョ・アゴストがレントの肩をつかんでたしなめた。セルジョの顔は険しかったが、それはレントへの怒りからではない。にやにやと嘲笑をたたえる者たちを、いまいましげにねめつけている。
険悪な貴族たちを後目に、リュッケは議場を後にした。
シェンケルが言っていたように、ストラーニは道化だ。
ストラーニが駐在軍の件を知っていたのは、おそらく、トルイユがあえて噂を流したためだろう。ミネルバ王女はいまだ結論を保留しているが、騒ぎになれば、早々になんらかの返答をせねばならなくなる。いいように利用されているとも知らず、ようやく訪れた好機を謳歌している。
ストラーニに怒るレントもまた、アカネイアにとって都合のよい駒なのだろう。いかにレントが正論をならべたてようと、彼が名門プラージ家の当主ゆえに、王女を盲目的に崇める上位貴族の傲慢さとして受けとられることとなる。
戦後すぐのころ、同盟軍に加わった者たちは、アカネイアはミネルバ王女の後ろ盾となる存在をみなしていた。大使の派遣のさいに動揺がひろがったのは、その期待があえなく打ち砕かれたからである。大使が戦前の弁務官と同様に、マケドニアに圧力をもたらす存在ならば、アカネイアとともに戦い、勝利したと自負する者たちの立つ瀬がなくなる。
大使に引きつづき軍まで送りこまれては、勝者としての地位を失い、敗者である旧勢力とおなじ位置へ引きずりおろされることになる。そんな焦りを見抜き、ストラーニは攻勢をかけてきたのだ。
不和の種は四方に枝をのばし、根は地中を深く張っている。
すべてアカネイアの思惑どおりに。
⁂
荒れる議場を出たレントは、憤然と黙りこんだまま、階段を下りていた。その後を、やれやれと言いたげな顔をしたマチスが追う。
「ミネルバ王女に怒られちまったな」
マチスにからかわれ、レントはいきおいよくふりかえった。
「殿下は場の混乱をおさめようとなさっただけた」
「わかってるなら、ストラーニ相手にあんまカッカすんなよ。あれじゃあ、王女の立場がなくなるだろ?」
まったくそのとおりであるので、レントは黙るほかなかった。
後ろになでつけた茶色の短髪をがしがしとかきむしる。
苛立ちは、ストラーニの言動もさることながら、グルニアの件にひどく衝撃を受けたためでもあった。
アカネイアの急速な軍拡や、属国への圧力、グラをアリティアから独立させたこと……さまざまな異変は彼の耳にも届いており、いつ何時マケドニアにもその余波がおよぶやもしれぬと警戒してはいた。駐留軍の話も先日リュッケから聞かされてはいたのだが、グルニアの占領は予想だにせぬことだった。
「それにしてもロレンス将軍が追放されるだなんて、いったいどうなってるんだ……」
動揺を隠せぬレントに、マチスは白けた調子で言った。
「どうもこうも、なるべくしてそうなったんだろうさ」
「……おまえ、なにか知ってるのか」
「前にミネルバ王女から聞いてたんだよ。カダインの修道院で暮らしてたユベロ王子とユミナ王女が帰国して、ロレンス将軍のもとにあずけられたって。そのときからなんか嫌な予感がしたんだよな」
「嫌な予感って……」
「つまりはさ、アカネイアはロレンス将軍に国の復興はさせてもグルニア王家の再興までさせる気はなかったってことさ。たぶんロレンス将軍は、王子の即位を推し進めようとしてアカネイアと揉め事を起こしたんだよ。まあ、急ぎすぎたんだろうな」
「王子がいる以上、君主として立てようとするのはあたりまえじゃないか。いかに断りがなかったとはいえ、それを契機に追放などいくらなんでも横暴だろう。アカネイアにそんな権限があるのか」
「自治を許す権限があるなら取りあげる権限もあるだろうさ」
マチスは階段の手すりにもたれかかる。
「グルニアはさ、いくらなんでもやりすぎたんだよ。長年の恨みつらみがあるにせよ、メディウスの復活をこれ幸いとしてドルーアと組んでアカネイアを攻め滅ぼして、王侯を虐殺して晒し者にして……あれが許されると思ってたなら甘すぎる」
いつも飄々としているマチスの顔に暗いかげりが落ちている。
母の故国であるグルニアの惨状には、なにかと思うところもあるのだろう。
「正直、ロレンス将軍のもとで自治が許されたときは驚いたよ。てっきりアカネイアに併合されるものだとばかり思ってたからさ。いくらニーナ王女のご厚意とはいえ、アカネイア貴族の中には苦々しく思ってた連中もいたんだろうな。それがユベロ王子の王位継承で一気に不満が噴出したってとこだろうさ」
マチスはちらとレントを見やる。
「ミネルバ王女は賢明だと思うよ。もし早々に王位に就こうとしてたら、グルニアとおんなじ目に遭ってたかもしれない」
「不敬だぞ。殿下はアカネイアに味方し、パレス解放にも尽力された方だ。グルニアとは違う」
「それは俺たちの論理だよ、アカネイアにはたぶん通用しない」
マチスは肩をすくめた。
「オレルアンに遠征した俺たちも、いまの帝国からすればただの侵略者でしかない。むしろストラーニやシェンケルのほうが恨みを買ってないかもな」
マチスの他人事のような態度に、レントはとうとう抑えていた怒りを爆発させた。
「冗談じゃない、こっちはむりやり命令に従わされていただけだ!」
「そうだよ、でもあいつらだって命令に従ってただけさ」
「あんなやつらと一緒にするな」
「……おまえはさ、自分の行いのすべてが正しいと思ってるだろ? 親父さんが殺されて、望みもしない戦争に駆り出されて、王女とともに祖国解放のために正義の戦いをしてきたんだって」
「……ああ、そう思ってるさ」
「おまえは俺と似たような境遇だからさ、気持ちはわかるけど……俺たちがあの連中を糾弾すると反感を買うだけなんだよ。ほら、俺たちはどこまでいってもオズモンド王の最側近ヴェーリ伯とプラージ伯の息子なんだからさ」
「だから黙っていろと?」
「ああいう場でやつらをやりこめようとするなってだけだよ。七王国の中でこれだけ内部が分裂してるのはマケドニアぐらいのもんだ。いまがオズモンド王の時代みたいだなんて言うやつもいるけど、じっさい、これ以上宮廷が荒れるのはまずい。メスト公はともかく、ミネルバ王女にまで非難の矛先が向きかねない……というか、もうすでにそうなってるんだ」
レントは言葉につまった。
ミネルバ王女からは以前にも釘を刺されていた。いまのマケドニアの状況は芳しいものではなく、今後、苦境に陥る可能性がある、と。だからこそ国内の火種だけは潰しておきたいのだと。
理不尽に思っても耐えてくれ、そう苦渋にみちた顔で懇願されたというのに、上っ面でしか状況を理解できていなかった。
「それにしても、グルニアはえらいことになっちゃったな」
レナが知ったら悲しむだろうな、とマチスはぼやきながら階段を下りていった。
東翼の広間にて御前会議が開かれることとなり、リュッケはレント・プラージとともに議場へ足を踏みいれた。すでに二十を超える貴族と騎士がつどい、王女の登場を待っている。
この議場も王の執務室とおなじく、長らく開かずの間となっていた。オズモンド王が病に倒れ、御前会議が開かれなくなってからであるので、すでに十年がたつ。
重厚な臙脂の壁に、黒檀と金を基調とした調度。天井には無数の水晶がきらめくシャンデリア。マケドニアの威容を示すこの豪奢な広間でひときわ目を惹くのは、西側の壁に飾られた巨大な絵画であろう。百年前のドルーア戦争の時代、勇者アイオテと三人の解放戦士たちの死闘を、巨匠ウンベルト・アルバーニはやや荒さをおびた大胆な筆致で描いた。
「これが……かの有名なアルバーニの……」
レントが引きよせられるように絵画に近づいていった。
「このアイオテさまは、たしかオズモンド陛下のお顔に似せて描かれているのでしたね」
「ああ、そうだ」
リュッケもその隣に立ち、右端の竜騎士を指さす。
「解放戦士のひとりは、おまえのよく知る者と似ているな」
「父上……」
レントは父の面影を宿した竜騎士を食い入るようにみつめていた。
リュッケもまたアイオテとその部下たちをじっと眺めていた。彼がこの名画を目にするのは十年ぶりだったが、忌まわしいものでも見るかのようにその眉根が寄せられていった。
伝承にあるとおり、アイオテは片目が潰れ、左手と右脚がちぎれた姿で描かれているのだが、この絵が完成して一年もたたぬまに、オズモンド王は病に倒れ、両目から光を失い、半身の自由がきかなくなった。
そして三人の解放戦士として描かれた王の最側近たち――エラルド・メスト公、テレンス・ヴェーリ伯、バルトロ・プラージ伯にしても、かの政変のおりに皆殺しの憂き目に遭っている。
かつては勇壮さをたたえた名画だと誰もが思っていたことだろう。しかしいまとなっては、この十年間のマケドニアの悲劇を暗示しているかのようで、薄気味悪ささえ感じさせるものだった。
一方で、冷ややかな目つきで絵を見つめる者たちもいた。
ペドロ・ストラーニとその取り巻きたち、ラディス・シェンケルにダリオ・モーロなど、旧体制に批判的な者たちにすれば、〈アイオテの裔〉で固められた旧体制をいやおうなく思い出させる代物でしかないのだ。
いまのマケドニアは、まるでオズモンド王の御世のようだと揶揄する者もいる。戦後、ドルーアに与した旧勢力が宮廷から排除されたのは、占領軍撤退のおりにアカネイアが要求したためであったが、現在、ユスタスを中核として、王家に連なる貴族たちによって国家の方針が一方的に決められ、旧勢力は露骨なまでに蚊帳の外である。
先の戦争の勝者と敗者によって分断された宮廷の様相は、戦前よりも険悪なものであろう。
真紅の垂れ幕が左右に開かれ、全員がいっせいに起立した。
ミネルバ王女は引きずるほどに長い深紅のマントをひるがえし、壇上の肘掛け椅子に腰かけた。その両脇には、黒い礼服をまとったカゾーニが影のように寄り添い、対して深い紫の礼装のユスタスは王女と対等であるかのように真横にならんだ。
王女は緊張につつまれた議場を見わたし、赤い唇に笑みをうかべる。
「今日はなつかしい顔ぶれが多いようだな」
その一言で、ひりついた空気がふっとゆるんだ。
すかさず、末席のダリオ・モーロが立ちあがり、よくとおる声でこたえた。
「われら、祖国のため、殿下のため、力を尽くす所存でございます」
「そなたの言葉、うれしく思う」
ミネルバはおだやかな声でつづける。
「みな、それぞれに思うところはあろうが、この国は復興途上にあり、問題が山積している。おなじ志をもつ同胞がいがみ合っているいとまなどない。国家再建のため、みなが手をたずさえていかねばならぬと――」
「殿下」
王女の声を不躾にさえぎり、ストラーニが立ちあがった。無礼を咎める声が上がったが、ストラーニは気にせずつづける。
「そのようにお考えならば、今後、われらをつんぼ桟敷に追いやるよなことはないと、お約束していただけるのでしょうか」
礼を欠く態度にも、ミネルバは鷹揚にこたえる。
「そなたらが不満に想う気持ちは理解しているつもりだ。もろもろの事情があったとはいえ、これまでそなたらに忍耐を強いたこと、すまなく思っている。それゆえに、今日はみなを一堂に集めたのだ」
「そのお言葉、偽りなきものと存じます。しかしながら、あなたが頼りとされるメスト公は、かつて父宰相とともに、オズモンド陛下の宮廷で権勢をほしいままにしてまいりました。陛下のご病気を理由に御前会議を取りやめ、邪魔なわれらを排除し、宮廷の分断を招いたという前例がございます。本日、殿下はわれらを宮廷に呼び戻されましたが、かつての悪習を断つ決意であると受けとめてよろしいのでしょうか」
「そなたの物言いもまた分断を招くものと思うが……むろん、わたしは父の時代を踏襲するつもりはない。ユスタスとて同様だ。そうであろう?」
ユスタスは無言のまま胸に手を当て、主君に一礼した。
ミネルバはそれを満足げにみつめ、ストラーニを見やった。
「まだなにか、憂慮することがあるのか」
「はい。……じつはこのような噂を耳にいたしまして」
ストラーニはわざとらしい神妙な声でつづける。
「アカネイアの要請により、わが国に帝国軍を駐留させることとなったとのこと……これは事実にございますか」
驚きの視線が、壇上の王女へいっせいにそそがれた。ミネルバは眉ひとつ動かさず、ストラーニを見すえる。
「そなたがこの件をどのような流れで耳にしたかは知らぬが、そのような打診がアカネイアからあったのは事実だ」
ざわめきがひろがった。とまどいだけでなく、落胆のため息や非難めいた声もちらほら聞こえてくる。
その反応に、ストラーニは調子づいた。
「アカネイア軍を駐留させるなど、それでは戦前に逆戻りではありませぬか」
「まだ打診があったという段階だ。なにも決まっていない」
「そうはおっしゃいますが、皇帝の命令を拒むことなどできますまい。このような屈辱を受けいれねばならぬとは、あの長きにわたる悲惨な戦いはいったいなんだったというのか……」
大仰な身ぶりをくわえてがなり立てる。
「殿下、あなたは仇敵アカネイアに味方をなさった。その結果、この国は一時とはいえ、アカネイアの占領下におかれるにいたったのです。大使の派遣にしても、多くの者は受け入れがたく思っておりました。それでも耐えてまいりましたのは、あなたがアカネイアとの協調をはかり、かならずや国益が守られると信じてきたからです。だというのに、よりにもよって駐留軍などと……! これはあなた方の失策と言わざるをえませんな」
「あなたにそれを言う資格はない!」
レント・プラージが憤然として割りいった。
「アカネイアが軍の駐留を求めてきたとあれば、それは先の商船襲撃が発端になったということ。そしてわが国の品位を貶める脱走兵が多発した原因がどこにあるのか、あなたはもうお忘れなのか。このさいだから申しあげておく。あなたに下された降格処分にしても、すべて貴公の身から出た錆。なんら不当なものではない。にもかかわらず、それを逆恨みし、あろうことか、殿下に帰責しようなど、恥知らずにもほどがあろう!」
「レント、もうよい」
ミネルバは静かに、しかし厳しく言って、貴族たちを見すえた。
「いずれ知れることゆえ、みなに話しておこう。先日、グルニア総督に任じられていたロレンス将軍が追放され、あらたな統治者が派遣されることが決まった。……今後グルニアは、アカネイアの占領下におかれることとなる」
一瞬、議場は静まりかえったものの、またすぐにざわめきが起こった。となりの者と目くばせし合っては、せわしなくささやき合っていた。動揺せずにいられたのは、リュッケをはじめ、事前に知っていたわずかな者たちだけだった。まだ知らなかったレントは、驚愕に茫然となっている。
「いま、わが国を取り巻く状況は、非常に深刻なものである。占領軍が撤収した春先のころとはまるで異なる。戦前に戻りうるか否か、それは今後のわれらの働きしだいであろう。先の商船襲撃のような事件は命取りとなる。みな、肝に銘じてほしい」
静寂のなか、カゾーニから本日の議題であった西部海岸の警備拡充ならびに脱走兵の探索強化が議論をへることなく通達された。もはや議論などつづけられる雰囲気ではなかった。
ミネルバが側近とともに退室するや、議場はふたたび騒然となった。
「グルニアが占領されるとなると、わが国もどうなるかわからんな」
ストラーニが嫌みたっぷりに言った。
「まあ、オズモンド王のように役人に媚びへつらえば宗主国の温情がくだされるやもしれんが、王女は父王の時代には戻らぬとの仰せ。さて、わが国の命運はどうなることやら」
「あなたは……」
レントがうなるような声で言った。
「まるでわが国の立場が危うくなるのを望んでおられるようだな」
「それは言いがかりというもの。わしは王女と宰相の手腕に疑問を呈しておるだけだ。多くの同輩たちがアカネイアの顔色をうかがうために次々と処分された。だというのに、その結果がこれでは、文句のひとつも言いたくなる。そうであろう?」
周囲に呼びかけると、取り巻きたちから賛同の声が巻き起こった。
レントは唇をふるわせる。
「よくも……そんな身勝手な言い分をならべたてられるものだ……。あなたがいまこの場にいられるのはすべて殿下の寛容さゆえのもの。温情により厳罰をまぬがれたというのに……!」
「温情だと? まったく、おまえはなにもわかっておらんのだな。プラージ伯もお気の毒なことだ。優秀な上の息子が王女をかばって死に、生き残った末子がこのようなボンクラではな」
野太い声でせせら笑う。
「王女がわしを降格処分で留められたのは、追放するに足る理由がなかったゆえだ。事実、王女は次々に謹慎処分を撤回されているではないか」
「あれは撤回ではなく解除だ。なかったことになどされていない!」
「どちらでもおなじことよ。王女はわれらに負い目がおありなのだ。アカネイアへの体面を保つべく、われらを犠牲にされたのだからな」
ストラーニは朗々と声を張りあげた。
「そうとも、われらは正義の戦いを遂行したまでのこと。貴様らこそただの国賊であったということだ」
「言わせておけば――」
「もうよせ!」
セルジョ・アゴストがレントの肩をつかんでたしなめた。セルジョの顔は険しかったが、それはレントへの怒りからではない。にやにやと嘲笑をたたえる者たちを、いまいましげにねめつけている。
険悪な貴族たちを後目に、リュッケは議場を後にした。
シェンケルが言っていたように、ストラーニは道化だ。
ストラーニが駐在軍の件を知っていたのは、おそらく、トルイユがあえて噂を流したためだろう。ミネルバ王女はいまだ結論を保留しているが、騒ぎになれば、早々になんらかの返答をせねばならなくなる。いいように利用されているとも知らず、ようやく訪れた好機を謳歌している。
ストラーニに怒るレントもまた、アカネイアにとって都合のよい駒なのだろう。いかにレントが正論をならべたてようと、彼が名門プラージ家の当主ゆえに、王女を盲目的に崇める上位貴族の傲慢さとして受けとられることとなる。
戦後すぐのころ、同盟軍に加わった者たちは、アカネイアはミネルバ王女の後ろ盾となる存在をみなしていた。大使の派遣のさいに動揺がひろがったのは、その期待があえなく打ち砕かれたからである。大使が戦前の弁務官と同様に、マケドニアに圧力をもたらす存在ならば、アカネイアとともに戦い、勝利したと自負する者たちの立つ瀬がなくなる。
大使に引きつづき軍まで送りこまれては、勝者としての地位を失い、敗者である旧勢力とおなじ位置へ引きずりおろされることになる。そんな焦りを見抜き、ストラーニは攻勢をかけてきたのだ。
不和の種は四方に枝をのばし、根は地中を深く張っている。
すべてアカネイアの思惑どおりに。
⁂
荒れる議場を出たレントは、憤然と黙りこんだまま、階段を下りていた。その後を、やれやれと言いたげな顔をしたマチスが追う。
「ミネルバ王女に怒られちまったな」
マチスにからかわれ、レントはいきおいよくふりかえった。
「殿下は場の混乱をおさめようとなさっただけた」
「わかってるなら、ストラーニ相手にあんまカッカすんなよ。あれじゃあ、王女の立場がなくなるだろ?」
まったくそのとおりであるので、レントは黙るほかなかった。
後ろになでつけた茶色の短髪をがしがしとかきむしる。
苛立ちは、ストラーニの言動もさることながら、グルニアの件にひどく衝撃を受けたためでもあった。
アカネイアの急速な軍拡や、属国への圧力、グラをアリティアから独立させたこと……さまざまな異変は彼の耳にも届いており、いつ何時マケドニアにもその余波がおよぶやもしれぬと警戒してはいた。駐留軍の話も先日リュッケから聞かされてはいたのだが、グルニアの占領は予想だにせぬことだった。
「それにしてもロレンス将軍が追放されるだなんて、いったいどうなってるんだ……」
動揺を隠せぬレントに、マチスは白けた調子で言った。
「どうもこうも、なるべくしてそうなったんだろうさ」
「……おまえ、なにか知ってるのか」
「前にミネルバ王女から聞いてたんだよ。カダインの修道院で暮らしてたユベロ王子とユミナ王女が帰国して、ロレンス将軍のもとにあずけられたって。そのときからなんか嫌な予感がしたんだよな」
「嫌な予感って……」
「つまりはさ、アカネイアはロレンス将軍に国の復興はさせてもグルニア王家の再興までさせる気はなかったってことさ。たぶんロレンス将軍は、王子の即位を推し進めようとしてアカネイアと揉め事を起こしたんだよ。まあ、急ぎすぎたんだろうな」
「王子がいる以上、君主として立てようとするのはあたりまえじゃないか。いかに断りがなかったとはいえ、それを契機に追放などいくらなんでも横暴だろう。アカネイアにそんな権限があるのか」
「自治を許す権限があるなら取りあげる権限もあるだろうさ」
マチスは階段の手すりにもたれかかる。
「グルニアはさ、いくらなんでもやりすぎたんだよ。長年の恨みつらみがあるにせよ、メディウスの復活をこれ幸いとしてドルーアと組んでアカネイアを攻め滅ぼして、王侯を虐殺して晒し者にして……あれが許されると思ってたなら甘すぎる」
いつも飄々としているマチスの顔に暗いかげりが落ちている。
母の故国であるグルニアの惨状には、なにかと思うところもあるのだろう。
「正直、ロレンス将軍のもとで自治が許されたときは驚いたよ。てっきりアカネイアに併合されるものだとばかり思ってたからさ。いくらニーナ王女のご厚意とはいえ、アカネイア貴族の中には苦々しく思ってた連中もいたんだろうな。それがユベロ王子の王位継承で一気に不満が噴出したってとこだろうさ」
マチスはちらとレントを見やる。
「ミネルバ王女は賢明だと思うよ。もし早々に王位に就こうとしてたら、グルニアとおんなじ目に遭ってたかもしれない」
「不敬だぞ。殿下はアカネイアに味方し、パレス解放にも尽力された方だ。グルニアとは違う」
「それは俺たちの論理だよ、アカネイアにはたぶん通用しない」
マチスは肩をすくめた。
「オレルアンに遠征した俺たちも、いまの帝国からすればただの侵略者でしかない。むしろストラーニやシェンケルのほうが恨みを買ってないかもな」
マチスの他人事のような態度に、レントはとうとう抑えていた怒りを爆発させた。
「冗談じゃない、こっちはむりやり命令に従わされていただけだ!」
「そうだよ、でもあいつらだって命令に従ってただけさ」
「あんなやつらと一緒にするな」
「……おまえはさ、自分の行いのすべてが正しいと思ってるだろ? 親父さんが殺されて、望みもしない戦争に駆り出されて、王女とともに祖国解放のために正義の戦いをしてきたんだって」
「……ああ、そう思ってるさ」
「おまえは俺と似たような境遇だからさ、気持ちはわかるけど……俺たちがあの連中を糾弾すると反感を買うだけなんだよ。ほら、俺たちはどこまでいってもオズモンド王の最側近ヴェーリ伯とプラージ伯の息子なんだからさ」
「だから黙っていろと?」
「ああいう場でやつらをやりこめようとするなってだけだよ。七王国の中でこれだけ内部が分裂してるのはマケドニアぐらいのもんだ。いまがオズモンド王の時代みたいだなんて言うやつもいるけど、じっさい、これ以上宮廷が荒れるのはまずい。メスト公はともかく、ミネルバ王女にまで非難の矛先が向きかねない……というか、もうすでにそうなってるんだ」
レントは言葉につまった。
ミネルバ王女からは以前にも釘を刺されていた。いまのマケドニアの状況は芳しいものではなく、今後、苦境に陥る可能性がある、と。だからこそ国内の火種だけは潰しておきたいのだと。
理不尽に思っても耐えてくれ、そう苦渋にみちた顔で懇願されたというのに、上っ面でしか状況を理解できていなかった。
「それにしても、グルニアはえらいことになっちゃったな」
レナが知ったら悲しむだろうな、とマチスはぼやきながら階段を下りていった。