第二部
深夜、リュッケはトルイユからの呼び出しを受け、主宮へ忍びこんだ。数少ない衛兵の半数ほどがリュッケの部下であり、そのほとんどにアカネイアの息がかかっている。彼らの誘導で東翼へと向かったリュッケの顔は険しく、その足取りにも荒々しさがにじみでていた。
さらに奥へと通路を進み、女神の胸像の前まで進むと、大使の補佐官のフリス・オドランが現れた。
リュッケの顔を見るや、オドランは笑いをこらえて言った。
「ずいぶんといらだっておるな」
「いま……ロザリアもここに来ておるのか」
「いいや、ローサがここへ来ることもあるが、ここ最近はミネルバ王女のもとに入り浸りだ」
その答えにより、ますますリュッケの顔が憤然としたものとなった。
リュッケのいらだちの大半は、ロザリアのことにある。
ロザリアは半月ほど前にミネルバ付きの女官となったが、リュッケがそれを知ったのは、ほんの数日前のことである。それもどういったわけか、リュッケが姪を王女の女官に推薦したことになっていた。アカネイアから放逐された憐れな娘を王城で雇ってほしい、そうリュッケがタマーラに依頼したという話だが、当然のことながらリュッケはなにひとつ関与していない。
王女の部屋で姪と顔を合わせたとき、リュッケは気が気ではかかった。トルイユがロザリアを宮廷に送りこんだ目的は、ミネルバ王女の監視にある。戦前も、ミシェイルの息のかかった女官たちが王女に付きまとっていた。以来、王女はタマーラ以外の女官を遠ざけてきたが、ロザリアには心を許しているようである。それがかえって恐ろしくもあった。
オドランとともに部屋に入ると、トルイユはカウチに寝そべっていた。リュッケが近づくと、けだるげに身体を起こす。
「ミネルバ王女になにか不審な動きは?」
「……そのようなもの、あろうはずがない」
リュッケはうめくような声で答えた。
「何度も申しあげているように、王女はアカネイアに叛意などいだいてはおられぬ。アカネイアに不満がおありだとすれば、あなた方の応対に多くの時間が割かれていることであろう。あの方は役人のご機嫌とりに時間を割くよりも、みずから賊討伐にでも行くことを望まれるお人だ」
「それはたしかに」
トルイユは声を立てて笑った。それはほとんど嘲笑だった。リュッケは奥歯を噛んでいらだちを抑える。
トルイユに協力したところでリュッケになんら利はない。ストラーニたち旧勢力の排除に動いてくれるのであればとの期待もあったが、一向にその動きはない。それどころか処分された将兵の復帰を推し進めている。それがあたかもリュッケの意向であるかのように騎士団に広まっているのが癪にさわる。
さりとて、いまさら王女にすべてを明かすこともできぬ。すでに彼の部下の多くがアカネイアに取りこまれ、リュッケ自身が彼らに監視されている始末である。この状況ではロザリアに接触することもためらわれた。
姪はすでにアカネイアの間諜となっているのだから。
「なにゆえ、わたしを呼ばれたのだ?」
リュッケは強い口調で問う。
「以前話されていたアリティアの謀叛、あれからどうなったのか」
「それについては、ひとまず危険は回避されました」
はじめから危険などなく、火のないところに火種を放りこもうとしているだけだろうに。
「では……」
リュッケは低く問う。
「わが国の騎士団がアリティア討伐に駆り出されることはない、そう考えてよいのだな?」
「いいえ、危険性はますます高まっております」
トルイユは薄笑いをうかべてつづける。
「近く、アリティア併合下にあるグラが独立します。行方不明となっていたグラ王の妾腹の娘が見つかりましてね。いったんは王国として独立させ、そのうえでアカネイアの支配下におく流れとなります」
リュッケは目を白黒させる。
「……アリティアがグラの独立を認めたのか」
「ええ、国内では相当な反発があったようですが」
当然のことだ。アリティアにとってグラは勝手に分離独立した国である。先の戦争でジオル王のだまし討ちによりコーネリアス王が敗死したこともあり、アリティア国民のグラへの感情は憎悪にみちているだろう。無条件で統合されてしかるべきと思っていたはずである。
「……それで、アリティアがグラ奪還にのりだす可能性があると?」
「まあ、グラにはわが国の兵士を駐留させる予定ですので、奪還など考えられませんが、しばらく緊張関係はつづくでしょうね。くわえて……」
もったいぶるように一拍をおく。
「グルニアにも謀叛の懸念がございます。どうやら騎士団の残党がルイ王の遺児を即位させようともくろんでおるようで、ハーディン陛下が非常に憂慮されております。そう遠くないうちに総督であるロレンス将軍に相応の沙汰を下さねばならぬでしょう。戦後からまだ一年たたぬというのに、ふたたび大陸に戦火がひろがるのではないかと危機感をいだいております」
リュッケは茫然となっていた。
ハーディンの目的は、聖王家に叛逆したマケドニアの牙を折ることにあると思っていた。そのために戦前とおなじく間接支配を敷く算段なのだろうと。しかしこれはもはやマケドニア一国の問題ではない。大陸全土をゆるがす謀略が動いているということだ。
グラの傀儡化はアリティアの弱体化につながる。さらにグルニアが帝国の占領下におかれたなら、アリティアはアカネイア、オレルアン、グラの三国に包囲されることとなる。
しかしなぜ、ハーディンはアリティアにここまでこだわるのか。
アリティア騎士団は少数精鋭で知られるが、軍事力という意味では弱体化したマケドニアにおよばない。国土は狭く、人口もマケドニアの半分以下。アカネイアにすれば、とるに足らぬ弱小国であるはずなのだ。
だというのに、なぜそれほど警戒することがあるのか。勇者アンリの権威が気に入らないというのか。それともハーディン皇帝はマルス王子になんらかの私怨をいだいているのか。
マルス王子もまたニーナ王女の結婚相手として名が挙がったというが、その一件となにか関係があるのかもしれない。ハーディンに批判的なパレスの貴族が、帝国を転覆させるべくアリティアに接触する動きがあるとも考えられる。そのような事情でもなければ、これほどアリティアに固執する理由がわからない。
「リュッケ将軍」
トルイユは優雅にほほえむ。
「どのような経過をたどるにせよ、いずれマケドニアには帝国軍の一角として動いていただくことになるでしょう。しかし、非常に強固な障害がございます」
ミネルバのことである。王女はアカネイアに従順であろうとしているが、帝国の意のままとなってアリティアへ派兵するなど絶対に認めないだろう。それどころかアリティアには援軍さえ出そうとするかもしれぬ。
「そこで、頼みがあります」
トルイユはカウチからゆったりとした挙措で立ちあがった。そしてとんでもないことを言い放った。
「あなたにはマケドニア軍を掌握していただきたい」
「なにっ……!」
リュッケは茫然としながら叫んだ。
「そんなことができるものか!」
「不可能ではないでしょう? すでにあなたの部下たちはわれらに忠誠を誓っているではありませんか」
騎士団長どの、と揶揄するように笑う。
「まあ、王女直属の白騎士団やセルジョ・アゴスト麾下の竜騎士団まで取りこめとは言いません。あなたには鉄騎士団と騎兵部隊を確実に押さえておいていただきたいのです」
リュッケは怪訝に眉をひそめた。
鉄騎士団は遠征には不向きである。騎兵部隊にしても、飛行部隊にくらべて機動力に欠け、先の戦争でも反体制派の貴族がオレルアン方面に追いやられていたぐらいである。
そもそもアカネイアが欲しているのは竜騎士団ではなかったか。
逡巡するにつれ、リュッケの脳裏に旧第五部隊の者がうかんだ。なぜアカネイアが謹慎中の軍人の復帰にこれほど寛容であったのか。はじめは宮廷に不和を持ちこむためだと考えていた。事実、ダリオ・モーロたちの復帰により、騎士団には剣呑な空気が漂うようになっている。
だが目的はそれだけではなかったのだ。
彼らがすべてアカネイアの傘下に入るとしたら?
顔を引きつらせるリュッケに、トルイユは言った。
「ご理解いただけたようですね」
近づいてくるトルイユに、リュッケはびくりと肩をはねあげた。彼より一回りも二回りも小さい優男相手に、底知れぬ恐怖を感じていた。呼吸が浅く乱れている。
「いまのマケドニアは、いわば真っ二つに割れた白磁器のようなもの。いかな名工の手によっても、壊れた器はもとには戻せません。たやすく二つに割れ、片方は粉々に砕け散るでしょう」
さて、とトルイユは目に愉悦の色をうかべて言った。
「砕け散るのはどちらでしょうね」
【第三部につづく】
さらに奥へと通路を進み、女神の胸像の前まで進むと、大使の補佐官のフリス・オドランが現れた。
リュッケの顔を見るや、オドランは笑いをこらえて言った。
「ずいぶんといらだっておるな」
「いま……ロザリアもここに来ておるのか」
「いいや、ローサがここへ来ることもあるが、ここ最近はミネルバ王女のもとに入り浸りだ」
その答えにより、ますますリュッケの顔が憤然としたものとなった。
リュッケのいらだちの大半は、ロザリアのことにある。
ロザリアは半月ほど前にミネルバ付きの女官となったが、リュッケがそれを知ったのは、ほんの数日前のことである。それもどういったわけか、リュッケが姪を王女の女官に推薦したことになっていた。アカネイアから放逐された憐れな娘を王城で雇ってほしい、そうリュッケがタマーラに依頼したという話だが、当然のことながらリュッケはなにひとつ関与していない。
王女の部屋で姪と顔を合わせたとき、リュッケは気が気ではかかった。トルイユがロザリアを宮廷に送りこんだ目的は、ミネルバ王女の監視にある。戦前も、ミシェイルの息のかかった女官たちが王女に付きまとっていた。以来、王女はタマーラ以外の女官を遠ざけてきたが、ロザリアには心を許しているようである。それがかえって恐ろしくもあった。
オドランとともに部屋に入ると、トルイユはカウチに寝そべっていた。リュッケが近づくと、けだるげに身体を起こす。
「ミネルバ王女になにか不審な動きは?」
「……そのようなもの、あろうはずがない」
リュッケはうめくような声で答えた。
「何度も申しあげているように、王女はアカネイアに叛意などいだいてはおられぬ。アカネイアに不満がおありだとすれば、あなた方の応対に多くの時間が割かれていることであろう。あの方は役人のご機嫌とりに時間を割くよりも、みずから賊討伐にでも行くことを望まれるお人だ」
「それはたしかに」
トルイユは声を立てて笑った。それはほとんど嘲笑だった。リュッケは奥歯を噛んでいらだちを抑える。
トルイユに協力したところでリュッケになんら利はない。ストラーニたち旧勢力の排除に動いてくれるのであればとの期待もあったが、一向にその動きはない。それどころか処分された将兵の復帰を推し進めている。それがあたかもリュッケの意向であるかのように騎士団に広まっているのが癪にさわる。
さりとて、いまさら王女にすべてを明かすこともできぬ。すでに彼の部下の多くがアカネイアに取りこまれ、リュッケ自身が彼らに監視されている始末である。この状況ではロザリアに接触することもためらわれた。
姪はすでにアカネイアの間諜となっているのだから。
「なにゆえ、わたしを呼ばれたのだ?」
リュッケは強い口調で問う。
「以前話されていたアリティアの謀叛、あれからどうなったのか」
「それについては、ひとまず危険は回避されました」
はじめから危険などなく、火のないところに火種を放りこもうとしているだけだろうに。
「では……」
リュッケは低く問う。
「わが国の騎士団がアリティア討伐に駆り出されることはない、そう考えてよいのだな?」
「いいえ、危険性はますます高まっております」
トルイユは薄笑いをうかべてつづける。
「近く、アリティア併合下にあるグラが独立します。行方不明となっていたグラ王の妾腹の娘が見つかりましてね。いったんは王国として独立させ、そのうえでアカネイアの支配下におく流れとなります」
リュッケは目を白黒させる。
「……アリティアがグラの独立を認めたのか」
「ええ、国内では相当な反発があったようですが」
当然のことだ。アリティアにとってグラは勝手に分離独立した国である。先の戦争でジオル王のだまし討ちによりコーネリアス王が敗死したこともあり、アリティア国民のグラへの感情は憎悪にみちているだろう。無条件で統合されてしかるべきと思っていたはずである。
「……それで、アリティアがグラ奪還にのりだす可能性があると?」
「まあ、グラにはわが国の兵士を駐留させる予定ですので、奪還など考えられませんが、しばらく緊張関係はつづくでしょうね。くわえて……」
もったいぶるように一拍をおく。
「グルニアにも謀叛の懸念がございます。どうやら騎士団の残党がルイ王の遺児を即位させようともくろんでおるようで、ハーディン陛下が非常に憂慮されております。そう遠くないうちに総督であるロレンス将軍に相応の沙汰を下さねばならぬでしょう。戦後からまだ一年たたぬというのに、ふたたび大陸に戦火がひろがるのではないかと危機感をいだいております」
リュッケは茫然となっていた。
ハーディンの目的は、聖王家に叛逆したマケドニアの牙を折ることにあると思っていた。そのために戦前とおなじく間接支配を敷く算段なのだろうと。しかしこれはもはやマケドニア一国の問題ではない。大陸全土をゆるがす謀略が動いているということだ。
グラの傀儡化はアリティアの弱体化につながる。さらにグルニアが帝国の占領下におかれたなら、アリティアはアカネイア、オレルアン、グラの三国に包囲されることとなる。
しかしなぜ、ハーディンはアリティアにここまでこだわるのか。
アリティア騎士団は少数精鋭で知られるが、軍事力という意味では弱体化したマケドニアにおよばない。国土は狭く、人口もマケドニアの半分以下。アカネイアにすれば、とるに足らぬ弱小国であるはずなのだ。
だというのに、なぜそれほど警戒することがあるのか。勇者アンリの権威が気に入らないというのか。それともハーディン皇帝はマルス王子になんらかの私怨をいだいているのか。
マルス王子もまたニーナ王女の結婚相手として名が挙がったというが、その一件となにか関係があるのかもしれない。ハーディンに批判的なパレスの貴族が、帝国を転覆させるべくアリティアに接触する動きがあるとも考えられる。そのような事情でもなければ、これほどアリティアに固執する理由がわからない。
「リュッケ将軍」
トルイユは優雅にほほえむ。
「どのような経過をたどるにせよ、いずれマケドニアには帝国軍の一角として動いていただくことになるでしょう。しかし、非常に強固な障害がございます」
ミネルバのことである。王女はアカネイアに従順であろうとしているが、帝国の意のままとなってアリティアへ派兵するなど絶対に認めないだろう。それどころかアリティアには援軍さえ出そうとするかもしれぬ。
「そこで、頼みがあります」
トルイユはカウチからゆったりとした挙措で立ちあがった。そしてとんでもないことを言い放った。
「あなたにはマケドニア軍を掌握していただきたい」
「なにっ……!」
リュッケは茫然としながら叫んだ。
「そんなことができるものか!」
「不可能ではないでしょう? すでにあなたの部下たちはわれらに忠誠を誓っているではありませんか」
騎士団長どの、と揶揄するように笑う。
「まあ、王女直属の白騎士団やセルジョ・アゴスト麾下の竜騎士団まで取りこめとは言いません。あなたには鉄騎士団と騎兵部隊を確実に押さえておいていただきたいのです」
リュッケは怪訝に眉をひそめた。
鉄騎士団は遠征には不向きである。騎兵部隊にしても、飛行部隊にくらべて機動力に欠け、先の戦争でも反体制派の貴族がオレルアン方面に追いやられていたぐらいである。
そもそもアカネイアが欲しているのは竜騎士団ではなかったか。
逡巡するにつれ、リュッケの脳裏に旧第五部隊の者がうかんだ。なぜアカネイアが謹慎中の軍人の復帰にこれほど寛容であったのか。はじめは宮廷に不和を持ちこむためだと考えていた。事実、ダリオ・モーロたちの復帰により、騎士団には剣呑な空気が漂うようになっている。
だが目的はそれだけではなかったのだ。
彼らがすべてアカネイアの傘下に入るとしたら?
顔を引きつらせるリュッケに、トルイユは言った。
「ご理解いただけたようですね」
近づいてくるトルイユに、リュッケはびくりと肩をはねあげた。彼より一回りも二回りも小さい優男相手に、底知れぬ恐怖を感じていた。呼吸が浅く乱れている。
「いまのマケドニアは、いわば真っ二つに割れた白磁器のようなもの。いかな名工の手によっても、壊れた器はもとには戻せません。たやすく二つに割れ、片方は粉々に砕け散るでしょう」
さて、とトルイユは目に愉悦の色をうかべて言った。
「砕け散るのはどちらでしょうね」
【第三部につづく】