第二部

「まったくおまえは……戻ってくるなら知らせろよ」
「悪い悪い、忘れてた」
 マチスはエールを呑みながら陽気に笑った。
「ミネルバ王女からはずっと軍に戻るよう打診されてたんだよ。ぜひとも俺の助けが必要らしい」
「猫の手も借りたいってだけだろ」
 騎士館の食堂にて、レントはマチスとともに少し遅い夕食をとった。干し肉と玉ねぎのスープに酢漬けの魚。戦後すぐのころは三食すべて豆ばかりであったことにくらべれば、食糧事情は大きく改善している。
 レントも食後にエールを呑んで一息つく。
「それより叔父さんは放っておいていいのか」
「いいもなにも。叔父貴は毎日呑んだくれててさ。まともに領地も治められない」
 マチスはうんざりとため息をついた。
 マチスの叔父クライドは、一言でいうなら欲深い男だった。
 オズモンド王の側近だった兄の死後、嫡男のマチスを差しおいてヴェーリ伯を継いだ。当時マチスは十八になっていたのだから、叔父が中継ぎとならずともよかったのだが、亡くなったヴェーリ伯へのよくない噂がまことしやかに流れていた。実はメスト公とともに王を裏切り、口封じのために殺されたのではないか。そんな中傷に乗じて甥から家督を奪ったのだ。
 その後も欲をかき、姪を王妃にせんと画策したが、結局は 失脚。ヴェーリの所領はミシェイル王に収奪されたが、戦後、ミネルバによってマチスの手に戻された。
「領地のことは家令に任せてるし、叔父貴はなにもしないでいてくれたらいいさ」
「おまえも人がいいな」
「そりゃあ腹は立つけど、身内を放逐するわけにもいかないからな。最近じゃろくに会話もできなくなってるし、あのぶんだと長くないんじゃないかって――」
 深刻な会話は、無粋な口笛にかき消された。
 背後では、騒がしい集団が卓を囲っている、どうやらカードで賭けをしているようだった。賭け事は軍規で禁じられてはいるが、少々のことなら目くじらを立てることもないだろう。
 レントたちの視線に気づいたのが、カードを手にした三十がらみの騎士が二人に近づいてくる。
「よう、あんたらもどうだ?」
 見覚えはあるものの、名までは記憶していない下級兵士である。
「おお、いいねえ」とマチスが身をのり出す。
「賭けるならやらんぞ」とレント。
「それならお堅いあんたは誘わんさ。ただの遊びだ」
 他の三人もわらわらと移動してくる。レントは残りのエールを飲み干し、次々と配られるカードを手にとった。わずかに口元がほころぶ。戦時中も、夕食の後に部下たちとカードに興じたものだった。
 なつかしく思いながらカードを選んでいると、
「そういや、王女は結婚なさるんだってな」
 男が突拍子もない話を口にした。
「なんだそりゃ? そんな話は初めて聞いたが」
「なんだ、知らんのか。メスト公が王の座を狙ってるともっぱらの噂だぜ」
「いくらなんでも歳が離れすぎだと思うがな」
「いや、あの人そんなに年寄りじゃないよ」とマチスが割りこむ。
「そうなのか」
「意外だろうけど、リュッケ将軍とおない年さ」
「どっちにしたっていい歳じゃねえか」
 突然はじまった下世話な噂話に、レントは困惑しきりだった。
 なぜこんな噂が騎士たちのあいだで広まっているのだ?
 上の空で最後のカードを卓上におく。
「おいおい、あんた弱すぎねえか」
 早々にゲームに負け、思いきり馬鹿にされる。ゲラゲラと笑われても、レントはあいづちを打つことすらできなかった。
 気がつけばふたたびカードが配られている。レントは手持ちのカードを物色しながら、気を落ちつける。
「そもそもメスト公が王の座を狙うとはどういうことだ?」
 レントは荒っぽくカードを投げおく。
「王位を継がれるのは殿下だぞ」
「だから王女さまにそのつもりがねえからそんな話になってるんだろ」
「いや、待て。殿下にそのつもりがないというわけではない。王位継承というのはいろいろとしきたりがあって――」
「面倒くさいこったな。しきたりなんてもんがそんなに大事かね?」
 エールをぐいとあおる。
「まあ、王女の側近のあんたが知らないってことは、あの噂はデマってことか」
「そう、だな……たぶん……」
 レントはあいまいに答えたが自信はなかった。側近とはいえ、彼の知らないところでさまざまな物事が動いている。アカネイアとの交渉事はともかく、軍人復帰の件さえ今日になってようやく知ったほどだ。



 なんとか一勝し、レントはマチスをともなって兵舎の自室に戻った。マチスはカウチにもたれてくつろいでいたが、困惑を隠せないレントを見て笑う。
 レントは眉をつり上げた。
「おまえ、よく平然としてるな」
「そりゃあ、前から噂になってたしな。王女の即位に結婚。貴族だろうが平民だろうが、これがいま一番の関心事だよ」
 民は王家を神のように崇めつつも、その一方で、彼らへの醜聞も好む。あの騎士たちがわざわざレントにこの話題をふってきたのも探りを入れるためだろう。
「興味を引く内容かもしれんが、あることないこと勝手に騒ぎ立てるなど不敬きわまりない」
「いやふつうのころだろ」
 マチスはこともなげに言う。
「そもそもこんな噂が流れるのは、ミネルバ王女が王位継承を拒んでるせいなんだから」
「殿下に即位のご意思がないわけじゃないだろ。女王なんて前例のないことだから発表は慎重にされているだけだ」
「いまさらあの人が男か女かなんて誰が気にするんだよ。問題なのは、力で王位を簒奪したか否かだろ」
「おまえ……冗談でも許さんぞ。殿下は王位簒奪者を誅しただけだ!」
「いや、だからさ……事の真相を知らない連中からしたらミシェイル王子もミネルバ王女もどっちもどっちなんだって」
 怒りもあらわのレントをいなすようにマチスは言った。
「アカネイアからしちゃ、自分とこの王さま勝手に暗殺しといてアカネイアの犯行だと言い張ったあげく、ドルーアの手先になって侵略してきた国だからな」
 ひどい言い草であるが事実である。
「俺だってさ、王女のことを〈王殺し〉なんて言ってるやつらには言い返したくもなるけど、なにを言ってもやつらには逆効果だろうさ。とにかく王女にケチをつけたがってる。アカネイアの大使を受け入れたのだって、それみたことか、って罵ってるよ」
「なにも知らずに勝手なことを――」
「なんにも知らないんだから、好き勝手言ってても仕方ないだろ。俺だって歯がゆいけど、暗殺の真相なんてものはいまさら蒸しかえしてみたところで、こっちに不利だ。まあ、ちゃんとわかってるやつはいるから、あんまり腹を立てるなよ」
 ミネルバの前では物わかりのよいふりをしてみせたが、やはりレントには受け入れることはできなかった。いまのような不敬な発言をことあるごとに聞く羽目になるのか。マチス相手でこれなのだ。怒りを抑えられる自信はなかった。
「まあ、メスト公と結婚ってのは、いい落としどころだとは思うけどな」
 マチスはカウチにだらりと寝転ぶ。
「王女が王位を継がないっていうなら、伴侶を王にするしかないじゃないか。それで生まれた王子が成人したのちを君主に立てる。いまのアカネイアとおんなじことさ」
「それはたしかにそうだが……」
「問題は誰を選ぶかって話だけど、せめて王家と縁のある貴族からでなきゃ民が納得しないだろ。だからといって、俺みたいなのじゃだめだ。想像してみろよ、俺がマケドニア王ってさ」
「暴動が起きるな」
「他人事みたいに言ってるけど、おまえも一応候補には入るんだぜ。でもそんな気ないだろ? セルジョにしたって王女に早く王位を継いでほしいの一点張り。自分が王になろうだなって思っちゃいない。そうなってくると、メスト公しかいないんだよな」
 レントはうなった。あらためて整理していけば、あのような噂が流れているのも無理からぬことに思えてきた。
「まあメスト公は健康面に難があるけど、風格ってものが俺たちとは違うからな。ミネルバ王女とならんでも見劣りしない」
「……殿下は、どう思われてるんだろう?」
「なんにも考えてないってことはないだろうけど、周囲が勧めたらあっさり受け入れそうではあるだろ。そういう人じゃないか」
「いくらなんでもそんな……」
 反論しかけ、レントは黙りこんだ。少し考えて、マチスの言うとおりだと思う。
 王女は一度言い出したことは曲げないたちであるが、臣下からの進言はわりあいすなおに聞き入れている。自身の結婚相手についても、側近が決めてしまえば、とくにこだわりもなく受け入れてしまうのだろう。
 そもそも兄グイドバルドが夫候補だったのも、王が娘を他国に嫁がせるつもりがなかったこと、グイドバルドの身分と年齢が王女につり合うこと、それ以上の意味はなかったように思われる。宮廷での権勢争いの側面もあったことだろう。
 かつて父は、兄はいずれ王女を娶ることになると酒を片手に、レントの前で語っていたことがあった。あの満足げな様子からすると、王とはすでに話がついていたのかもしれない。
 すべては周囲の思惑であり、王女の意思などどこにもなかった。だから今回も、もっとも条件のよい貴族を相手に選ぶというだけなのだが、その相手がユスタスというのはどうにも受け入れがたい気持ちがあった。
 レントは父の盟友だった宰相メスト公を尊敬しており、その跡取りであるユスタスにも同様の想いを抱いていた。濡れ衣で投獄されたユスタスにはその能力と地位にふさわしい待遇が与えられることを心から望んでいた。
 実際、ユスタスの働きは予想以上のもので、ユスタスなくしてアカネイアと渡りあっていくのは厳しいとみなが思っている。
 だから王女がユスタスに信頼を寄せるのも当然のことなのだが、母妃の従弟という関係にあるためか、王女はユスタスに対し従属的にふるまっている印象がある。それがかつてのオズモンド王とメスト公を彷彿させると口にする者もいた。
 そんな揶揄を聞くたび、レントの不満はつのった。レントにとって、ミネルバ王女は支柱のような存在だった。進む道を照らす光だった。戦女神と讃えられた王女が、王位を継げず、あくまで王妃、世継ぎの母としてユスタスの一歩後ろへ追いやられる。そんな光景を思いうかべるだけでやるせなくなるのだった。
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